ある少女の朝

 寝苦しさで目が覚める事にはもう慣れた。追い打ちをかけるかのように窓から差し込む朝日に刺激されて目を開けると、肩口に埋まっているピンクゴールドの頭が飛び込んでくる。万次郎の部屋はともかくとして、私の部屋のベッドはそこそこデカいサイズだからこんなにくっついて寝る必要は無いはずなんだが……。何度か「寝苦しいから少し離れて寝ろ」と訴えてもみたが、言っても言っても毎朝起きると必ず私の背中には2本の腕が回っているので今ではすっかり心が折れてしまった。



「ハァ……」



 無駄だと分かりながらも回された腕に手をかけて解こうと試みてみる……けど、ピクリとも動かない。分かっていた事ではあるけど、コイツ寝てるのにどんな力してんだよ。体勢もろくに変えられないので、仕方なく万次郎が起きるまで今日やるべき事を頭ン中で整理する事にした。まずは……洗濯だな。スーツケースに入れっぱなしの下着とか、昨日雨で濡れたTシャツとか……あ、千冬に借りたパーカーも綺麗にしねぇと。それからドラケンの家に着替えとか取りに行ってー…それは三ツ谷に任せりゃいいか。ホントはエマに頼みたいとこだけど、流石にピンサロに行かせるのは気が引ける。後は適当にドラケンの見舞いの品でも買っといてやろう。何がいいか……食い物より暇潰しに雑誌とかを適当に見繕ってやった方が喜ぶかな?バイク雑誌と、週刊誌とー……うーん、あんま重くなると万次郎に文句言われそう……持っていくのは私じゃねぇもんなぁ…。
 ふわふわとしたピンクゴールドを撫でながら次に頭を過ったのは、バカみたいに慌ただしかった昨日の出来事だ。心身ともに疲れはしたが、ペーやんは謹慎になりながらも東卍に残る事になったし、一時心肺停止になったドラケンも万次郎の話だと今は呼吸も安定しているとの事。結果としては丸く収まったと言えるが、改めて思い知らされた事もあった。



「……まだ、ダメか…」



 エマやヒナちゃん達を連れてドラケンが運ばれた病院に着いた私は、慌てた様子の皆に続いて手術室へ向かおうとした。だけど、院内に入ろうと足を進めるも私の身体はソレを拒絶した。勢いよく足を踏み出したまでは良かったが、どんなに頑張ってもそれ以上進む事が出来ない。呼吸が荒くなって、全身から嫌な汗が噴き出る。頑張れよ、昔馴染みのドラケンが死ぬかもしれねぇんだぞ。そう自分を奮い立たせても、身体の震えは一向に治まってくれない。すぐにエマが気付いてヒナちゃん達の背中を押して中に入ってくれたけど、後から来た三ツ谷に肩を叩かれるまで私はその場から動く事すら出来なかった。



「嫌…っ……見たくない!貴方、誰!?」



 脳裏に過ったのは、数人の看護師にベッドに押さえつけられる母さんの姿。暴れる母さんを私は何も出来ずにただ眺めていた。ドア付近で棒立ちしたままの私の横から、注射器を持った医者が慌ただしく病室に入ってくる。鎮静剤を打たれながらも母さんは泣きながら私を拒絶して、その場に居ない姉さんの名前を何度も呼んだ。元々母さんの事が好きだったかと聞かれたらよく分からない。母さんはいっつも親父の顔色を窺って、まるで腫物を扱うかのように私に接していたから。私に笑いかける母さんはいつも困ったような顔をしていた。だけど、あの時私を拒絶する母さんを目の当たりにして、私は母さんに好きでいて欲しいと思っていたのだと気付かされた。それを実感したのは、数日後に改めて母さんの様子を確認しようと病院を訪れた時だった。病院の自動ドアを潜ろうとした瞬間、吐き気と動悸に襲われて逃げるようにその場から立ち去った。全くの無自覚ではあったが、どうやらあの時の出来事は私の中でトラウマとなってしまったらしい。あの時は驚いたな…まさかトラウマになるほど、母さんに拒絶された事がショックだったとは。日を変えて、場所を変えて試してみたけどその症状は変わらなかった。三ツ谷に頼み込んで無理矢理病院内に引きずり込んでもらった事もあったが、その時失神したのを最後に以降は無理に病院に行く事をやめてしまった。



「……珠綺?」



 くぐもった声にハッと我に返る。視線を落とすと、瞼が重そうな黒い目が私に向けられていた。背中に回されていた片手が私の顔に伸びて、頬にかかっていた前髪をそっと払い除ける。



「泣いてんのか?」



 何言ってんだ?そう声を出そうとして、初めて自分の口が震えている事に気付いた。問われた質問に答えられないでいると万次郎はぐっと這い上がって、さっき私がコイツにしていたみたく私の顔を自分の胸に押し付けた。



「大丈夫、大丈夫だ。オレがいるから……な?」



 優しく頭を撫でられて、目から雫が零れる。一体、私は何に泣いてるんだ?ドラケンが生きてて嬉しかったから?それとも、母さんの事を思い出して感傷にでも浸ってたのか?とりあえず涙をぬぐいたくて身を捩るとさらに強く頭を押さえつけられる。



「んぶ…っ……」

「何で離れようとすんだよ」

「……む、…うー…」



 バカ、このままじゃ喋れねぇよ。背中に手を回してポンポンと叩くも私の思いは伝わらないらしい。もしかして抱きしめ返したって勘違いしてんのか?弱まるどころか強まってる気がすんぞ。



「……むぅー……」

「…ケンチンの事、色々とありがとな……」

「……?」



 何の事だ?万次郎の顔を見たくても相変わらず私の頭は固定されたまま身動きがとれねぇ。反応が出来ないまま、私はただ上から降ってくる万次郎の声に耳を傾ける。



「昨日場地達に連絡回してくれたのも、タケミっち追いかけてくれたのも……ケンチンと仲直りする為に色々考えてくれたのも、全部感謝してる」

「……もがっ…」



 試みとして口を開いてみたが万次郎のシャツに阻まれて声は届かない。コイツ、マジで喋らせないつもりらしい。



「だからー……」

「………む…」



 私の頭を撫でる手がぱたり、とベッドシーツに落ちた。気持ち緩くなった腕の力に確信する。コイツ寝やがった、と。しかし、緩まったとはいえこの腕を振り解くには私は力不足だ。諦めて万次郎の背中に手を回してゆっくりと目を閉じる。トクン、トクンと鳴る万次郎の鼓動はまるで子守唄のようで、さっきまでごちゃごちゃと考えていた頭が静まっていくのを感じた。
 感謝してるのは私の方だ。万次郎がいるから、万次郎が私を肯定してくれるから、私は私でいられるんだ。だから万次郎、お願いだから私を離さないでいてくれ。お前がいなくなったら………。意識が飛ぶ最後、小さく心の中で万次郎に謝罪した。Tシャツ濡らして悪かったな、って。