ある少年の密

「万次郎に何言われたか知らねぇが、場地を連れ戻すなんて事は考えんなよ」



 朦朧とする意識の中で耳に入ってきた珠綺さんの言葉は違和感しか無かった。
 珠綺さんとの出会いは言うまでも無く、場地さんを通しての事だった。学校が終わって集会までの間場地さんの家にお邪魔して漫画を読んでいると、玄関の方で場地さんのお袋さんが誰かと話す声が聞こえてきた。その瞬間、みるみるうちに場地さんの眉間に皺が寄っていく。



「……千冬…今からゴリラが1匹入って来るけど気にすんなよ」

「は?ゴリラ?場地さん、ゴリラ飼ってんスか?」



 半分冗談のつもりだったけど、場地さんなら有り得るかも……と思ったのは秘密だ。真面目に考えると、ゴリラ並みに強ぇ人って事だろうか?マイキー君然り、ドラケン君然り、場地さんの周りには強ぇ人が多いから。それともめちゃくちゃガタイが良くて顔がゴリラに似てるとか?何となく興味をそそられて出入口の方をボーっと眺めていると、ノックも無しに襖がスパンッと開いた。



「場地ぃ、この前言ってたバンドのアルバム貸してくんねぇ?」



 どんな猛者が入ってくるのかと少し期待していたオレは、現れた人物の姿に拍子抜けしてしまう。図々しくも場地さんの部屋に乗り込んできた人物は、ガタイが良いワケでも顔がゴリラなワケでもねぇ。黒いセーラー服を綺麗に着こなした華奢な女子生徒だった。



「オイ珠綺、勝手に入ってくんなよ」

「おばさんの許可は取ったからいーだろ。別にオマエがエロ本読んでようがソレでヌイてようが興味ねぇ」

「テメェ、一応女子なんだから少し恥じらいを持てッ!」

「へーへー」



 場地さんの怒号を適当に流して、珠綺≠ニ呼ばれた女子は寝ながら漫画を読んでいた場地さんの身体を跨いで勝手に本棚を漁り始めた。跨いだ瞬間、絶対に場地さんの角度からパンツ見えた……と思う。え、何なんだこの女。つーか、マジで誰?



「そーいえば、昨日原宿の闘厳狂とうげんきょうとやり合ったんだろ?」

「やり合ったって程でもねーよ、あんな軟弱チーム」



 なぁ?と話を振られて、オレはコクリとだけ頷いた。確かに手ごたえの無いチームであったが、それは相手が弱かったからと言うよりもマイキー君がほぼ1人で全員を伸しちまったから、って言うのが正しい。オレなんてただ観戦してるだけで良いとこ何もなかったもんなぁ……。



「チッ……万次郎のヤツ…勝手に私の喧嘩奪いやがって」

「私の喧嘩って、オマエ闘厳狂のヤツらと揉めたのか?」

「揉めたっつーか、最近学校の登下校中に妙に絡んでくるウゼェ野郎がいてさ。あまりにもイキっててムカついたから暫くツラ見なくて済むように病院送りにしてやったんだよ。そしたらソイツ、闘厳狂の頭の弟だったらしくてさー……」



 珠綺さん?は淡々と話しながらアルバムのジャケットを1枚1枚確認していく。場地さんも場地さんで特別驚く様子も無く「ん−」とから返事を返しながら漫画を読み続けてるけど……ツッコミ所ばっかなのはオレだけッスか?そもそも、何でこのヒト東卍オレらが闘厳狂とやった事知ってるんだよ。それに闘厳狂の頭の弟を病院送りにした?こんな華奢なヒトが?闘厳狂の頭の弟って、あのチームの中では3番手くらいの実力してるんじゃなかったか?



「すぐに兄貴の方が『報復だ』とかふざけた連絡寄越しやがったから、久しぶりに思いっきり暴れられるって楽しみにしてたんだよ……なのに…」



 地鳴りのような声と共に珠綺さんの動きがピタリ、と止まった。その様子をハラハラと見つめるオレに対して、場地さんはオレに向かって「コーラ取ってくんね?」と一言。流石場地さん、と言いたいところではあるが……場地さん、今はマズいッス。何でって、アルバムを握りしめて肩をわなわなと震わせている珠綺さんとやらの背中から不穏なオーラがバンバン出ているからだ。



「なのに!!何で東卍テメェらが楽しんでんだクソったれが!!」

「いっってェ!!!」

「ば、場地さん……っ!!」



 珠綺さんはくるっと振り向くとアルバムを手にした右手を振りかぶって勢いよく場地さんの顔面にソレを叩きつけた。相手が野郎であればオレが「何すんだ」と詰め寄ってやるのだが、いくら口が悪くて態度がデカいとはいえ女の胸倉を掴む事なんてオレには出来ねぇ。そんなオレを他所に、場地さんは飛び起きるなりガッと珠綺さんの胸倉を掴んで遠慮なく乱暴に揺さぶり始めた。



「珠綺!!テメェ何しやがる!!」

「私の喧嘩を奪った罰だ!このハイエナ野郎共!!」

「あんな歯ごたえのねぇヤツらとの喧嘩奪ったからってどやかく言われる筋合いねぇぞ!」

「テメェらと違ってこっちは喧嘩売ってくるヤツ探すだけでも大変なんだ!向こうから売ってくれるっつーなら、こっちは正当防衛って事で心置きなく暴走族チームぶっつぶせるってのに!!」

「確かに1人で暴走族チーム壊滅出来んのは楽しいけどよ……」

「だろッ!!?」



 負けじと場地さんの髪を引っ張りながら応戦する珠綺さん。場地さんが本気を出せばこんな女なんて一瞬で黙らせられるだろうに……ギャアギャアと言い合う様はまるでガキの喧嘩だ。




「えーっと……場地さんの、彼女さんッスか?」

「「誰がだッ!!!!」」

「スンマセン!!!!」



 恐る恐るずっと気になっていた事を口にしてみると、凄い形相で2人に睨まれた。その時、オレはようやく珠綺さんの顔を正面から拝む事が出来た。随分と高い声だとは思っていたが、口の悪さと態度から男みてーな顔をしてるだろうと決めつけていたのに……。長いまつ毛に覆われた大きな瞳の中に背筋がピシりと伸びたオレが映っているのが見える。え、オレ緊張してる?いや、そりゃ緊張もするわ。だって、場地さんの頭をガンガンと拳で殴りつけてる珠綺さんはその辺のモデルなんかよりずっと美人だったんだから。



「……そういえば、ソイツ誰?」

「今更かよ……オレの同級生」

「え、タメ?」

「違ぇ、1コ下」

「あー……そっか、お前ダブったんだったな…」

「その目ェヤメロや!」



 珠綺さんはわざとらしく憐れんだような表情を作ると、握っていた拳を緩めて場地さんの頭をポンポンと撫でた。色んな意味で珠綺さんみたいな女子は見た事が無かったし、場地さんが女子とここまで絡むトコも見た事がねぇ。罵声を浴びせ合いながらも仲の良さそうな2人の姿は、オレの目には凄く新鮮に映った。



「私、芹澤珠綺。場地とは昔からの馴染でー……お前は?」

「お、オレ松野千冬…です」

「ふぅん……千冬かー…」



 場地さんに身体をぐわんぐわん揺さぶられながら、珠綺さんの視線がオレの頭のてっぺんからゆっくりと下へ降りて来る。ドキドキとその視線に耐えていると、珠綺さんは「もしかして……」と小さく呟く。



「……ちょっと前に、場地の部屋に置いてあったNANA≠チて、お前のだったりする?」

「え?あ、ハイ……まぁ…」

「やっぱり!!」

「うぉっ!!」



 パァっと顔を輝かせた珠綺さんは、乱暴に場地さんの身体を突き飛ばして此方まで這ってくると、グイっと頭を上げてオレの顔を覗き込んだ。



「場地に続きが読みてぇって言っても、「オレは興味ねぇからもう借りねぇ」って言うばっかでさぁ。続き、貸してくんねぇ?」

「べ、つに…構わないッスけど……」

「ありがとー!!お前、いい奴だなぁ!」



 ガバッと抱き着かれ、オレは自分の体温がみるみる上昇するのが分かった。すっげぇ良い匂い……ってか、首元に当たってる柔らかいのって……ッ!!どうしていいかわからず両手をわたわたさせていると、見かねた場地さんが珠綺さんの首根っこを掴んで引き剥がしてくれた。ホッとしたような、少し残念だったような……。風呂でのぼせた時みたいにパタパタと手で顔を扇ぎながら、再び騒ぎ始めた場地さんと珠綺さんを見ていてハッとした。



「オマエ、いい奴だな!」



 初めて場地さんと会った時、教室で虎≠フ字を教えたオレに場地さんが言った言葉だ。そっか、場地さんと珠綺さんってちょっと似てるんだ。見た目とか背格好とかじゃなくて、口調とか、表情とか……そういうちょっとしたトコがこの2人はソックリなんだ。だから、オレは珠綺さんに惹かれたんだと思う。だから、オレはー………。



「珠綺さん、ちょっと良いッスか?」



 場地さんにボコボコにされた翌日、タケミっちを待ち伏せしてマイキー君に会いに行ったオレは、マイキー君とドラケン君の隣りで佐野家之墓≠ニ書かれた墓石を無表情で見つめる珠綺さんの姿を見て何とも言えない気持ちになった。



『万次郎に何言われたか知らねぇが、場地を連れ戻すなんて事は考えんなよ』



 オレの知ってる珠綺さんは、絶対そんな事を言わねぇ。珠綺さんだったら場地さんの骨を折ってでも、芭流覇羅に行く事を止めたはずだ。珠綺さんが大好きなマイキー君の為にも。だから、この違和感を拭う為にもただで帰るワケにはいかなかった。意を決して頭を下げると、珠綺さんは小さく溜息を吐きながらオレのお願いを了承してくれた。



「で、話って何だ?まどろっこしいのは嫌いなんだ、言いてぇ事があんならさっさと言えよ」



 バタバタと音を立てて傘に落ちる雨粒を鬱陶しそうに睨み、珠綺さんが口を開いた。気だるげな態度にタケミっちは少し臆してるみてぇだけど、ぜってぇここで引くんじゃねぇぞ、相棒。



「……単刀直入に言います。珠綺さん、場地さんと一緒になって何を調べてるんですか?」

「は……?お前、何言ってんだ?」



 ポカン、と口を開けて呆れ顔。コレはいつもの珠綺さんもよくする表情だ。だけど騙されちゃいけねぇ。そもそも、珠綺さんがそう簡単に真相を話してくれるなんて微塵も思っていない。オレのお願いを無視する事も出来たはずなのに、彼女はこうしてオレらの誘いに乗ってくれた。という事は、それだけオレらに問い詰められても口を割らねぇ自信があるって事だ。一か八かオレとタケミっちで実力行使に出た所で珠綺さんにか敵わねぇ。悔しいが、珠綺さんはそこまで織り込み済みなのだろう。



「場地さんが芭流覇羅に入ったのは東卍を潰す為じゃなくて、稀咲の事を探る為……オレはそう確信してます」

「へぇ……あの場地がスパイごっこしてるって?千冬、お前も知ってるだろ?アイツ、そこまで器用なヤツじゃねぇよ」



 珠綺さんは可笑しそうにケラケラと笑って、「それに……」と付け加える。



「もし仮にその話がホントだったとして、場地は稀咲の何を探りてぇんだ?確かに、パーの跡を素性もよくわからねぇ稀咲が引き継いでる事は私も気に食わねぇ。だけど、これは万次郎が決めた事だ。東卍に属してねぇ私がどやかく言う事でもねぇ」

「珠綺さんッ!」

「千冬、お前にも改めて言っておく。もう場地を探るのは止めろ。お前らが属してるのはどこだ?東卍だろ?だったら例え気に食わなくても稀咲を受け入れろ。それが出来ねぇなら……今度は顔だけじゃ済まねぇぞ?」



 向けられた視線はどこまでも冷たく、目が合った瞬間に心臓が握り潰されたような感覚に襲われた。



ブブッ…ブブッ…



「……悪ぃ、出ていいか?」

「あ、どうぞ」



 ポケットから携帯を取り出すなり、サブディスプレイを確認して珠綺さんは目を細める。マイキー君……もしくは場地さんかとも思ったが、だとしたらこんなにも不快そうな顔は作らないだろうな。オレらに背中を向けて電話の受け答えをする珠綺さん。ボソボソと喋るせいで内容までは聞き取れないが、たまに聞こえてくる人の名前のような単語は聞いた事の無いものばかりだった。



「……またこっちから連絡する。……なぁ、もう用事は終わりか?だったら、私は帰るけど」



 振り向きざまに問われて、オレとタケミっちは顔を見合わせる。本当なら他にも聞きたい事は山ほどあるのだが、きっとこれ以上聞いても珠綺さんは答えてくれねぇだろう。



「あの、1つだけ聞いても良いッスか?」

「ん?何だ?」



 それまで一言も言葉を発さなかったタケミっちがゴクリと唾を飲み込んで問い掛ける。



「珠綺ちゃんは……誰の味方、なの?」



 珠綺さんは僅かに目を見開いて、フッと悲しそうに笑った。



「私は……万次郎の味方だよ」



 ……ああ、やっぱ敵わねぇ……。珠綺さんに会う度、珠綺さんと話す度、珠綺が笑う度に思い知らされる。珠綺さんこの人はマイキー君のなんだって。オレが珠綺さんに対して抱く感情は場地さんに対して抱く尊敬心と似ていると思っていた。いや、そうであって欲しいと思っていた。だって珠綺さんは場地さんによく似ているから。乱暴な口調も、すぐ手が出ちまうトコも、1人で突っ走っちまうトコも。



「オレは、貴方が好きです」



 勿論、そんな事言えるはずもねぇ。踵を返してマイキー君のトコに戻ってく珠綺さんと、芭流覇羅に行くと言って神社から出て行く場地さんの背中が重なって見えた気がした。