ある少年の聖母
珠綺と初めて会ったのはー……確か、場地を通じてマイキーやドラケンと知り合ってから数日経ったある日。唯我独尊なマイキーの言動に多少嫌気がさしつつも、場地が紹介してくれた手前呼び出されたら断る事も出来ず悶々とする日が続いていた。この日もそうだ。急なマイキーの呼び出しにイライラしながらも指定された場所へ向かうと、場地やドラケン、三ツ谷やパーちんは既に集まっていて、いつもみたいに各々が好きなように会話を楽しんでいた。唯一違っていたのは見知った面々に混じって1人、黒髪の男がその輪の中に加わっていた事くらい。マイキーを腰に引っ付けたまま場地と親しそうに話すソイツは男というには何とも華奢で、一見すると場地にカツアゲされてるようにも見える程に弱っちそうな見た目をしていた。
「おっ、一虎ァ!遅ぇぞ!」
オレに気付いた場地が声を上げた。それに合わせて場地と話していた男もフイっとオレの方に首を向ける。ラムネに入ってるビー玉みたいな目がオレを捉えた。
「へぇー……ソイツが一虎?」
「おぅ。去年の秋くらいにダチになったんだよ」
ふーん、とソイツはマイキーをひっつけたままオレの方に近付いてくる。いよいよ目と鼻の先ってとこで、男は立ち止まってじぃっとオレの顔を見つめた。急にガンつけてきて何だよこの男……とは思ったけど、それ以上に目の前の男の整った顔に目を奪われた。ホントに男か?睫毛長すぎじゃね?
「……場地と殴り合ったって聞いてたからどんな厳つい奴かと思ってたけどー……めっちゃイケメンじゃん!」
「……は?」
「ハァ!?」
何故だかムッと声を荒げたマイキーを無視して、男はひょいっとオレの右手を取ってブンブンと縦に振った。
「私、芹澤珠綺。万次郎や場地から話聞いてたから会うの楽しみにしてたんだよ。よろしくな」
「はぁ……って、ん?私=H」
「あー……だけど、せっかくのイケメンなのになぁ……そのパンチはねーわ」
「あ゛!?」
カラカラと笑って珠綺は場地のとこへ戻っていく。
「珠綺!イケメンってどういう事だよ!?」
「どうもこうも、見たまんまの事を言っただけだろーが」
「珠綺の1番はオレだろ!?」
「何の1番だよ……1番ワガママな奴って事だったら間違いなく万次郎だな」
何でこの場に女がいるんだとか、マイキーとどんな関係なんだとか、言いたい事は色々あったけどとりあえずこの時のオレが思った事はただ一つ。
エラソーで生意気な女。
それが珠綺の第一印象だった。
何度か会ううちに、珠綺について幾つか分かった事がある。珠綺は場地やマイキーのと同じ道場に通っていたらしく喧嘩も結構強ぇ(らしい)って事、幼馴染の三ツ谷とは兄妹みたいな関係だって事、それからメチャクチャ頭が良いって事。最後の1つについて身をもって実感したのは、道端でバッタリと離婚した親父に再会しちまった時の事だ。
「一虎?」
「……父さん、久しぶ…」
「その首…刺青か?」
「え!?」
昔からオレや母さんの話を聞かない男だった。躾だと言って暴力を振るい、いつもオレ達の事を偉そうに見下す親父が大嫌いだった。
「母さんは何も言わないのか!?来なさい!」
一緒にいた場地から無理矢理引き離され、つんのめるようにして親父に手を引かれる。
「待ってよ父さん!ど…どこに行くの?」
「母さんの所に決まってるだろ!?」
「え!?」
「全く!あんなアホでも母親だから親権をくれてやったのにこの体たらく……恥ずかしい、本当にオレの子か?」
父さんにとって、オレはアリ同然だった。人間を前に、成す術も無く身体を潰されてしまう弱小な生き物。ヤダ、吐きそうだ……この人といたくない。
「とおおぁぁ!!」
「え!?」
突然後ろから突っ込んできた金色に親父の身体が吹っ飛ばされた。
「テメェ、オレの友達に何してんだよ?」
「マ、マイキー……?」
「はぁ……やっちまった」
「珠綺、何で止めておかねーんだよ!」
「仕方ねーだろ、急に走り出したんだから」
「場地……珠綺も…?」
今にも親父を殴りだしそうなマイキーと、遅れて合流した場地と珠綺。呆然とするオレの肩をポンッと叩いて、珠綺はポリポリと首をかきながらマイキーに近付いていく。
「オイ万次郎、一般人にいきなりドロップキックはねーだろ」
「黙ってろ珠綺。コイツ、一虎を誘拐しようとしてたんだぞ」
「どこのバカがパンチ頭の中学生を誘拐しようって考えんだよ。フツーに考えて知り合いだろ。例えば父親とかな」
珠綺の感情の無い視線が親父に向けられる。珠綺との付き合いはまだまだ浅いが、いつも感情豊かな彼女がこんなに冷めた目をしたのは見た事が無かった。
「そ、そうだ……オレは一虎の父親だ!」
「え、マジで?」
「ほれ見た事か」
スーツをパンパンと叩いて親父が立ち上がる。ばつが悪そうに「オレは下げる頭持ってねー」と親父から顔を反らしたマイキーに代わって、場地が慌てたように頭を下げた。
「す、すいません……てっきり一虎君がピンチなのかと…」
「よく確かめもしないでいきなり蹴りを入れてくるなんて…どんな教育を受けたらそんな人間に育つんだか」
「あ゛?」
聞き捨てならねぇ、と再び親父に殴りかかるマイキー。珠綺は呆れたような顔でマイキーの頭をペシンッと叩くと、にっこりと絵に描いたような笑みを浮かべて親父に向き合った。
「そうそう、ちゃんと確かめないといけませんよね?」
珠綺は手に持っていた携帯をカチカチといじって、画面をズイッと親父に突き出した。
「この一虎、どう見ても貴方と一緒にいるのが嫌そうなんですよ……お父様、知ってました?親権が無くても子供に会う面会交流権は与えられる……でも、それって会う事が子供の為になる場合≠セけに成立する権利なんですよ?子供が会うのを拒否するのであれば、その権利は無効化出来るんです」
「この写メ、よく撮れてるでしょ?」と珠綺。
「いるんですよね、養育費払ってるから子供と無条件で会えるとか思ってるおバカさん。けどね、養育費を払うのは親として当然の事。権利≠チて言葉をはき違えてんじゃねーぞ、オッサン」
話が終わると、珠綺は携帯を折り畳んでニィっと笑った。
「この画像、アンタの会社に送り付けてもいーんだぜ?それが嫌なら中学生のちょっとした過ちくらい見逃してくれよ。な、お父様?」
親父の悔しそうな顔を見たのはこの時が初めてだった。オレが言うのも何だけど、親父や頭が良かったからオレや母さんの言う事成す事を全てそれっぽい言葉で否定されるのが常だった。そんな親父が、オレと同じ中学生の女子に論破されちまった……。襟元を直して足早にその場を去っていく親父に舌を出して、珠綺は小さく溜息を吐く。
「考え無しに動くんじゃねーよ」
「いやー、流石珠綺!よくわかんねーウンチクと揚げ足取りは天下一品だな!」
「万次郎の頭が空っぽなだけだろ……あー、疲れた」
珠綺はぐぐっと両腕を上げて身体を伸ばすと、さっきみたいにオレの肩をポンッと叩いて言った。
「まーアレだ、他人の親をどうこう言うつもりはねーけど……あんなのに似なくて良かったな、一虎」
「え?」
「あんな親父より、お前の方がよっぽどカッケーよ」
オレの方が…親父より……?そんな事初めて言われた。親父はオレの事を見下してばかりで、「何で出来ない?」「どうして分からない?」ってオレを否定する言葉しか口にしなかったから。
「珠綺!!何でオマエ、一虎ばっか贔屓すんだよ!?」
「どこが贔屓なんだよ……あ、場地、悪ぃけど家まで送ってくんねぇ?三ツ谷先に帰っちまって……」
「オレのホーク丸の後ろに乗ればいいだろ!」
「いや、ホーク丸原チャリじゃん…」
オレを友達といって助けてくれたマイキー、オレを肯定する言葉をくれた珠綺……2人は確かにオレにとってかけがえのない人の1人である事に違いなかった……はずだったんだ。
「何だよ、私に話って」
芭流覇羅が溜まり場として使っているゲーセンは薄暗いし、何より背中越しでしか会話が出来なかったからこうして珠綺と面と向かい合うのは2年振りの事だった。元々整った顔をしていたけど、暫く見ないうちに益々綺麗になったと思う。けど、それがマイキーのお陰だと思うと胸糞が悪くなった。
「そう怖い顔すんなよ、ただ話がしたいだけなのに」
珠綺の携帯の番号が変わってなくて良かった。ダメ元で昔使っていた携帯の履歴に残っていた番号にショートメールを打ってみたら、少し時間が空いて返事が返ってきた。でも、だからってメールを信じてホイホイと待ち合わせ場所に来ちまう珠綺の危機感の無さは問題だと思う。まぁ、呼び出したオレが言うのもなんなんだけど。
「珠綺、芭流覇羅に来てくれよ。東卍との抗争に出てくれってワケじゃねぇ。東卍との抗争が終わったら関東のチームが芭流覇羅に目を付けるだろ?その時珠綺がいてくれれば百人力だ!」
「随分と私の腕を買ってくれるんだな……悪いけど、前も言った通り東卍以外のチームに入る気はねぇ」
リン……。風も無いのに、オレの耳元が鳴った。
「一虎、私は東卍じゃねーから明後日の事でお前に何かを言える義理はねぇ。だけど、ドラケンも、三ツ谷も……お前とぶつかる事を望んでなんかいねーよ」
勿論、万次郎もな。当たり前のように珠綺の口から飛び出した名前に舌打ちをする。初めて会った時からそうだ。珠綺の1番はマイキー……それは変わりない。何でマイキーなんだよ……会うのが早かったから?でも、だったら何で三ツ谷じゃねぇんだ?マイキーの何がいいんだ?マイキーは……珠綺の何がいいんだ?
「……珠綺、相変わらず綺麗な爪してんだな」
「え?ああ、まぁな……私の趣味だし」
「ネイルサロン、ずっと通ってんだ」
「……それがどうした?」
少しだけ、珠綺の声色が強張った。
「いーや、何にも。そっか、珠綺が来てくれねーのは残念だ」
気が向いたらいつでも連絡くれよ。そう言って、オレはくるっと珠綺に背を向けた。そうじゃねぇと、珠綺に何をするか分からなかったから。
出所したあの日、街で見かけた珠綺は楽しそうにマイキーの横を歩いていた。その時、何とも言えない感情がオレの心を占拠した。オレがこんなにも辛い2年間を過ごしてたって言うのに、どうして珠綺は笑顔なんだろうって。だからあの日、オレは渋谷駅近くの珠綺がよく出入りしているっていうネイルサロンの近くで彼女を待ち伏せした。ポケットにナイフを仕込んだまま。だけど、その日珠綺はサロンに訪れなかった。半間に聞いて、間違いなく珠綺がサロンの予約を取っていると確認していたにも関わらずだ。
「……お願いだから、オレを肯定してくれよ…珠綺…」
明後日の抗争に珠綺が顔を出したらどうしよう……。マイキーの亡骸に泣きながら駆け寄る珠綺の姿なんか見たくねぇなぁ。珠綺、どうか明後日はオレの前に現れないで。じゃないとオレ、今度こそお前を殺しちまうかもしれない。
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