ある少女の初恋
「ふふふ〜」
「随分とご機嫌だな?」
ちゅーっとオレンジジュースを啜るマイキーにそう言われて、ウチは「当たり前じゃん」と大きく頷く。
「マイキーとのデートも楽しいし、珠綺が予約してくれたカフェも素敵だし……今日はもう最高だよ!」
誕生日のお祝いにって、珠綺がマイキーと出掛ける事を提案してくれた。原宿に新しく出来たカフェがウチ好みだったから、兄妹で行ってきたらどうか?って。ウチ的には珠綺にも来て欲しかったんだけど、珠綺は何か入用があるとの事で「家族水入らずで行って来いよ」って断られてしまった。
「贅沢言えば、珠綺もいてくれたら完璧だったのに……」
「アイツ、最近付き合い悪いんだよなー」
ふぅ、と溜息を吐くマイキーは少し寂しそうに見える。まぁ、無理も無いか……。場地のお葬式以降、珠綺は1人で外出する事が多くなった。どこに行くのか聞いても「実家で弟の家庭教師してる」と言うばかり。確かに珠綺が弟のタツヤ君と仲が良いのは知ってるけど、あんなに実家を毛嫌いしている珠綺が毎週実家に通うだなんて未だに信じられないんだよね。
「マイキーがワガママ過ぎて愛想を尽かしたとか?」
「はぁ!?珠綺に限って有り得ねー!昨日だって一緒に寝たもんね!」
「ふーん、夜はちゃんと帰ってるんだ」
相変わらず仲のよろしい事で。珠綺がマイキーに愛想尽かすだなんて流石に思ってはなかったけど、ちゃんとマイキーとは会ってるみたいで少し安心した。でも、最近全然ウチに来てくれないのは事実なわけで。ウチが最後に珠綺と会ったのっていつだろう?5日前、とか?前までは2日に1回のペースで顔を合わせてたのに……。
「いーなー、マイキーは珠綺に会えて……ウチだって珠綺に会いたい!」
「直接珠綺に言えばいいじゃん。アイツ、オマエに甘いから飛んで来ると思うけど?」
「えー!それじゃウチがワガママ言ってるみたいじゃん!珠綺にワガママって思われるのはマイキーだけで十分でしょ」
「だーかーらーッ!オレがいつ珠綺にワガママ言ったっつーんだよ!?」
ほぼ毎日言ってるじゃん。これを声に出すとまたワーワー煩いから黙っておくけど。ウチはマイキーと違って大人だからね。
「オマエ、ホントに珠綺が好きだよな」
呆れ顔のマイキーにそう言われて、ウチは目をパチクリさせてしまった。っていうか、マイキーには言われたくないんだけど。
「当たり前でしょ!珠綺はウチの初恋の相手なんだもん」
そうやって自信満々に言葉を返すと、マイキーはブハッと吹き出した。何よ、何も可笑しな事なんて無いんだから!今となっては笑い話だけど、初めて会った時の珠綺は王子様みたいにカッコよかったんだからね!
「外人みてぇな名前だな」
「だろ?」
道場で向かい合った場地にそう言われて、「ああ、またか」と落胆したのを覚えてる。ママに連れられてやって来たおじいちゃんの家は空手道場を開いていた。お花の香りを残して去っていくママの背中に悲しむ間もなく、ウチはおじいちゃんに2人の兄を紹介された。1人は11歳年の離れた変な髪型の佐野真一郎。もう1人はウチと1歳違いの妙にガキっぽい佐野万次郎。2人共ウチの名前を聞くなり、「外人じゃねぇの?」って首を傾げたけど、今思えば当たり前の反応だと思う。去年ハリー・ポッターの新作映画を観に行ったけど、あの作品のヒロイン役の子役だってエマ≠セったもん。
「じゃあオレ、エドワードのエド=v
「オレ、マイケルのマイキー=v
そうやってはしゃぐ2人を見てると、何とも言えない気持ちになった。昔、保育園の先生から『子供の名前は親からの最初のプレゼント』だって聞いた事があったけど、ウチのパパとママはどんな想いでウチの名前を決めたんだろうって。ウチはずっとママに愛されていると思ってた。ううん、そう思いたかった。
「本当は分かってるんだ、ママのキモチ」
ぽつり、と話し始めると騒いでた2人がピタリと動きを止める。
「ママはウチの事嫌いだから……だから捨てたって、分かってるんだ」
きっと、ママにとってウチは邪魔な存在だったんだろう。ウチがいると夜遊びに行けないし、好きな時にボーイフレンドと会う事だって出来ない。ウチがいるせいで、ママはやりたい事を全部我慢しなくちゃいけなかった。だから、ママはウチをおじいちゃん家に置いていったんだよね?
「でも、言ったんだよ?用事が終わったら迎えに来るって……言ったんだ…」
初めて会う男の子の前で泣くなんて、みっともない以外の何ものでもない。だけど、ずっと貯め込んでた物が目からどんどんと溢れ出て来て、止めようと思っても言う事を聞いてくれなかった。ボロボロと零れる涙と泣き顔を見せたくなくて、両膝を抱えて顔を埋める。それでも涙は止まらなくて、じわじわと私のパンツを濡らしていった。
「何女の子泣かせてんだよ、バカコンビ」
「「いってぇ!!」」
「………?」
鈍い音と共に、マイキーと場地が叫び声を上げた。肩口からコッソリと後ろに目を向けると、さっきまで居なかったはずの黒髪の少年が2人の後ろに立っていた。
「何すんだよ珠綺!」
「コブになったらどうしてくれんだ!」
「脳みそが活性化されて利口になるかもよ。そしたら私に感謝するんだな、お前ら」
ギャーギャー騒ぐ2人を無視して、珠綺と呼ばれた人影がウチの方へ近付いてくる。慌てて再び膝に顔を押し付けると、珠綺はしゃがみ込んで、ポンッと私の頭に手を置いた。
「よく分かんねーけど、女の子は人前で泣くもんじゃねぇよ。バカにされちまうからな」
そのまま数回ウチの頭を撫でて、珠綺は何やらポケットを漁り始める。
「お前、飴舐めれる?」
「………」
控えめに頷くと、珠綺は「そっか」と言ってウチの頭にキャンディを乗せた。
「私らが出てったら、その飴舐めな。それまでは顔を上げなくていいから」
そう言うと、珠綺は再びマイキーと場地の方に帰って行った。
「珠綺!オレには!?」
「あ?あるワケねーだろ」
「珠綺!今日こそはお前から1本取ってやるからな!」
「お前には一生無理だよ」
相変わらず煩い2人組を連れて、珠綺が道場を出て行く。パタン、と戸が閉められる直前、ウチは珠綺がどんな顔をしているのか気になって顔を上げてしまった。頭の上から落ちたキャンディが床でカタンッと音を立て、その音で戸を閉めようとしていた珠綺が一瞬動きを止める。襟足の長い黒髪のその人は僅かに目を見開いて、それから静かに口元に人差し指を当てて口を動かした。
「またな」
戸が完全に閉められてから暫くの間、ウチは放心状態だった。いつの間にか涙も止まっていて、去り際に見せた珠綺の柔らかい笑顔を思い出して頬が熱くなる。また、っていう事は彼はおじいちゃんの道場の生徒なのかな?とか、マイキーや場地と仲が良いって事は歳は1つ上なのかな?とか。とにかく、ウチは次に珠綺に会う事が楽しみで仕方なくなったんだ。……けど、この恋心は本人に伝える前に思いもよらないところで壊れる事となる。
「今日からオレマイキー≠ノなる」
「……は?」
あれから数日後、道場で1人形の練習をしていたウチに、マイキーがそう宣言をした。
「兄貴のオレがマイキーだったら、一緒だったら変じゃねぇだろ?これからはずっとマイキーだ、エマ」
どうやら、マイキーはあの一件以降彼なりにウチの事を考えていてくれたらしい。
「女心がわかってないなぁ……名前なんて気にしてないし」
「あ、笑った」
半分嘘で、半分本当。マイキーには女心なんて複雑怪奇な事は理解できないだろうし、ウチが泣いていた本当の理由は分かってないのかもしれない。だけど、マイキーって名前はウチの為に作られたモノだから。保育園の先生が言っていた事も、強ち嘘じゃないなって思えたから。
「惚れんなよ」
「バーカ!2人共エマのタイプじゃありません!……あ、だけど……」
「ん?」
「……珠綺、君ってちょっとタイプかも…」
「はぁ!?珠綺!?」
あわよくば、珠綺を紹介してもらえないかな?なんて、その程度の考えだった。お兄ちゃんの友達に恋するだなんて、少女漫画ではよくある展開でしょ?だから、バカにされる事を覚悟でマイキーにお願いしようと思ったのに、マイキーの反応は私の予想していたものと大きく違っていた。
「ぜってーダメ!珠綺はダメ!ダメだかんなッ!」
「んな゛……ッ!何でよ!いいじゃん、珠綺君紹介してくれたって!お兄ちゃんでしょッ!?」
「兄貴だなんだってのは関係ねーだろッ!第一、珠綺は女だ!!」
「……へ?」
あの時の脱力感と言ったら……。確かに、思い返せば珠綺の一人称は私≠セったし、男の子にしては少し可愛すぎるような容姿をしていたけど。こうして、私の初恋は呆気なく終わりを迎えたのだった。
「けど、やっぱりちょっと残念……珠綺が男の子だったら間違いなく告白してたのに」
「……ソレ、ぜってぇケンチンの前で言うなよ」
「言うワケ無いでしょ!今はドラケン一筋なんだから」
言い返してパクリとハンバーグを一口。けど、珠綺が女の子でいてくれて本当に良かったとも思う。だって、珠綺が女の子じゃ無かったら、誰がマイキーの面倒を見てくれるって言うのよ。喧嘩ばっかだし、寝起きは悪いし、女心なんて微塵も分かってないけど、マイキーはウチにとって自慢のお兄ちゃんだから。そんなお兄ちゃんのパートナーになる人は、喧嘩が強くて面倒見が良い、ウチが大好きな珠綺以外有り得ないって思うんだよね。
「マイキー」
「ん?」
「ぜっっったい、珠綺を離しちゃダメなんだからねッ!」
テーブルに両手を着いて詰め寄ると、マイキーは太陽みたいに笑った。
「オウ、任せとけッ!」
……本当に、頼んだからね?マイキー。
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