ある少女の選択
「どういう心変わりだ?」
「あ?何がだよ?」
芸術の秋、とはよく言ったもんで、久しぶりにお邪魔した手芸部は月末に締め切りを迎える作品の展示会に向けて部屋中にミシンの音が鳴り響いていた。作ってる物各々で違うようだけど、エプロンやワンピース、トートバックなんかを作ってる人が多いようだ。勿論、この部活の部長である私三ツ谷もミシンを動かしてる内の1人なんだけど、コイツだけは扱っている布地は他と比べると大分浮いて見えた。みんな比較的明るい色の生地を好んで使っているのに、今三ツ谷がミシンに掛けているのはどこかで見た事のある黒い生地だ。
「とぼけんな。最近随分と実家に出入りしてるみてーじゃねぇか」
「とぼけたりなんてしてないし。前も言っただろ?タツヤのカテキョしてんだってば」
ホレ、と私は丁度採点中だったタツヤの課題プリントを三ツ谷に突き出した。テストらしいテストも無かった区立小学校とは違い、タツヤの通う私立小学校は都内でも有数の進学校とあって授業も中々進んでいるようだ。私らの学校ではひたすら計算問題を解いているだけで良かったのに、タツヤが見せてくれた校内模試とやらは文章問題と応用問題のオンパレードだった。計算は得意でも国語が苦手だったタツヤはこの文章問題でつまずいてしまったらしく、夏休み明けの模試では散々な成績だったとか。
「来月の模試で満点取るんだって張り切ってたよ」
その理由が「お父さん褒めてくれるかな?」だったのが何とも言えないところではあるけど。
私の父方の一族は代々医者の家系だった。そこそこ名の知れた総合病院を開業したひい祖父さん然り、その病院を継いだ現院長の祖父さん然り。年始の挨拶でしか顔を合わせないような親戚にも医療関係者が多い気がする。ウチのクソ親父も例に漏れず祖父さん達の後を追って医大を目指した芹澤の人間だったけど、残念ながらクソ親父には医者として成功を収められるだけの頭は持ち合わせていなかったようだ。顔の良さと口の上手さくらいしか他人より秀でたトコが無かった親父は医大に進む事が出来ず、祖父さんのコネで入った医療機器メーカーでそれなりのポジションに就いて今に至っている。自分の力で祖父さんの病院を継げない事が分かったこの男が次に何を考えたか……言うまでもねぇな。クソ親父は祖父さんの病院を他人に譲りたくないがあまり、病院を継げるだけの頭を備えたガキを作る事に専念したってワケ。母さんは祖父さんの病院で腕利きの外科医だったし、義母……つまりタツヤの母親も近くの調剤薬局で働いてる薬剤師だ。クズはクズでも、ウチの親父は筋金入りのクズだった。
「タツヤと話してたらさ、小3の時に出された図工の課題の事思い出したよ」
「図工の課題?……ああ、将来の夢を描けってヤツか」
「そーそー!図工の時間って結構好きだったんだけど……あの課題の時だけは苦痛で仕方なかったからよく覚えてんだ」
スポーツ選手になりたいだとか、花屋になりたいだとか、周りのクラスメイトがウキウキと画用紙に鉛筆を走らせる中、私の画用紙だけは何時間経ってもずっと白いままだった。
「三ツ谷は何描いた?」
「あの頃はまだ裁縫なんてした事無かったからなー……無難に警察官とかだった気がするなぁ」
「警察官……今じゃ考えらんねぇ回答だな」
ミシンを掛ける手を止める事無く、三ツ谷は「うっせぇ」と照れたように吐き捨てた。
「そう言うオマエは何描いたんだよ?」
「教室から見えた校庭と空」
「は?」
「いっくら考えても描くモンが思い付かなくて、仕方ねぇからその時見えたモンをテキトーに描いた」
呆れた様子で顔を上げた三ツ谷の表情にぶはっと笑いが漏れた。担任の先生も同じような顔してたよ。
自分で言うのも何だけど、私は姉さんと比べるとえらく容量の良いガキだった。コツコツと物事を追求していくのが好きな姉さんに対して、私は物事を直感的に捉えて体現する事を得意としていた。だから、親父は離婚する時に姉さんじゃなくて病院を継げる可能性が高い私を引き取ったんだろう。だけど、再婚後すぐに義母がタツヤを妊娠するとその考えも次第に変わっていったようだ。祖父さんも親父も考え方が古い人間だからな、男児の方がより跡継ぎには相応しいって結論に至ったんだろうよ。だけど、いざ自由になってみると私には特にやりたい事が何も無かった。将来何になりたいかなんて考えた事も無かったし、唯一続けていた空手だって別に極めたいワケでもねぇ。
「ボーっと外眺めてたらさ、空がすっげぇ綺麗だったんだよ。自分のどうでもいい将来考えてるより、今見てる綺麗な空を描き起こす方がよっぽど有意義だって思ったんだよなぁ」
「はぁ……今更ながら担任に同情するわ」
「でもその時描いたヤツはそのまま区の図画工作展に出展されたんだぞ?優秀賞だったけどさ」
けど、確かに私みたいな教え子がいたら教師辞めたくなるだろうな……。もしかしたら、先生がよく腹を摩っていたのは胃が痛かったからなのかもしれない。だとしたらホントに悪い事したよ、反省してる。
「前にルナはドレミちゃんになりたいって言ってたよな?」
「今はケーキ屋さんだと。その代わりマナがプリキュアになりたいって騒ぎ始めてる」
「プリキュア……分かんねぇ…」
そもそも、私はセーラームーンに憧れるよりも霊丸撃ちたいって思うガキだったから女の子向けのアニメってちゃんと見た事ねぇんだよな。プリントが順調に赤い丸で埋まっていく。今までも度々宿題や補修課題を手伝わされる事があったけど、ここまで気持ちよく採点が進む事なんてあったか?……いや、言わなくていい。答えは分かり切っている。
「タツヤはさ、コックさん≠ノなりたいんだと」
「へー……そりゃまた何でだ?」
「『珠綺ちゃんは料理が苦手だから、オレが美味しい物いっぱい食べさせてあげるね』だってさ」
「ブッ!!」
ガタガタッと不穏な音を立ててミシンが止まった。ギロリと睨みつけると、三ツ谷はミシンに両手を乗せて顔を伏せている。オイ、ぜってーミシンに糸絡まっただろ。つーか笑い過ぎだこの野郎……。
「……理由はどうあれ、タツヤはちゃんと自分がなりたいモンがあるんだよなぁ……」
む、ココ、ケアレスミスしてんじゃんか。詰めが甘いトコは私ソックリだ……ンなトコ似ないでくれよ。
「アイツに全部押し付けて逃げた私が言える事じゃねーけど、タツヤには自分がやりたいって思う事をして欲しいって思うんだ」
「……オマエが姉貴風吹かせてるのって、何か新鮮だな」
「そーだなー……私はどっちかっていうと、姉さんに付いて回る方が性に合ってたから」
サインペンを置いて採点ミスが無いか確認していると、三ツ谷がある事に気付いて声を上げた。
「珠綺、爪どうした?」
「ん?……ああ、コレか?」
うんざりしながら右手をひらひら振って見せる。ストーンどころかカラーもトップコートすら乗っていない殺風景な私の爪。手を裏返しても見えない程に短く切り揃えたのは、長年ジェルネイルをやりすぎてオフした自爪がびっくりするくらいペラッペラだったからだ。
「行きつけのサロンが閉まっちまってさー……グリーンネイルが恐いからオフだけしたけど、テンション下がるよなぁ…」
携帯をいじる時、プリントを受け取る時、シャーペンを握った時……ふと目に入る残念な光景に何度溜息が出た事か。
「ちょっと林君!!」
「うっ」
本日何度目かの溜息が漏れたその時、家庭科室の出入口で騒ぐ安田さんの声が耳に飛び込んできた。林君……って事はペーやんか?
「また部長と芹澤さんをたぶらかしに来たの!?部長も芹澤さんも忙しいから帰って!!」
「いやっ、オレは……」
「だいたい何、その格好!?そんな服着てるから先生に目をつけられるんだよ!?」
しどろもどろに答えるペーやんは何とも面白かったけど、流石に可哀そうになってきた。
「三ツ谷、お前が呼んだのか?」
「おー、ちょっとタケミっちに用があってさ」
「……ああ、そういう事か」
よいしょ、と三ツ谷は席を立って安田さんとペーやんの間に入っていく。残されたミシンには黒字に金の糸で卍弐番隊≠フ刺繍が入れられていた。芭流覇羅の時はまだタケミっちの特服が間に合ってねぇって言ってたもんな……。これで、タケミっちも本格的に東卍の一員か。
「……いよいよお役目御免、ってヤツかな?」
* * *
「な?言った通りだっただろ?」
得意気に話す九井の言葉を無視して、私は目の前の馴染み深い女の頭を掴んでいた。
「……残念だな、結構気に入ってたのに」
「ひ……ひぃ…っ!」
中1の冬に来てからずっとお世話になってたから、かれこれ2年弱ってとこか。渋谷駅から徒歩10分圏内にあるこのネイルサロンは立地も良くて、何よりネイリストの腕が良いから特に不満に思う事無く毎月利用をしていた。今日だってそう。ホントなら、いつものように施術して気分良く帰宅……するはずだったのに。
「思いもよらなかったよ、アンタが私の情報を売ってたなんてさ」
怯え切った顔にぐいっと自分のソレを近付けると、女は唇を震わせてずびずびと鼻を鳴らす。妙だとは思ってたんだ。踏み絵と称して千冬が場地にボコられたあの日、どうしてサロンまでの道のりに都合よく芭流覇羅の奴らが待ち伏せてたのか。行きつけのサロンがバレてるだけならまだ分かるけど、いつサロンに行くかだなんてそう上手く予想出来るモンじゃねぇ。その疑いが増したのは一虎に呼び出された時にアイツにかけられた一言だった。
『ネイルサロン、ずっと通ってんだ』
何で、私がずっとサロンに通ってるって、少年院に居たアイツが知ってるんだ?確かに中1の時は既にネイルが私の趣味になりつつあったけど、あの時はまだセルフネイルを楽しむくらいだったはずだ。
「なぁ、教えてくれよ?誰が、何の為に私の情報を買った?」
優しい口調で聞いてみても、女は一向に口を割らない。ただ首を左右にふって、「あー」とか「うー」とか言葉にならない声を漏らすばかり。稀咲と芭流覇羅の繋がりを追っていた時に嫌と言う程思い知らされた事ではあったけど、本当に稀咲は自分の影を消す天才らしいな。
「……ハァ、埒が明かねーな」
「だったら無理矢理にでも吐かせりゃいい。オマエはぬるすぎだ」
九井の後ろから現れた乾は近くにあった椅子を蹴り飛ばして折れた脚を拾い上げた。
「オイ、出しゃばんじゃねーぞ。確かに九井に情報が洩れてないか探りを入れるよう依頼はしたけど、それ以上の事までしろとは言ってねぇ」
「オマエこそ何様だ、芹澤。ココに情報の出元を調べるだけ調べさせて「ハイ、サヨナラ」で終わるとは思ってねぇよな?」
「……分かってる。約束は守る」
私は立ち上がると壁に沿ってへたり込んだ女の左頬スレスレに右足を突いた。
「ご、ごめ、……ごめん、…な…」
「乾、ソコのニッパー取って」
「……ニッパー?」
施術が終わるなり手当たり次第に周囲の物を蹴り飛ばしたせいで、辺りにはマニキュアの小瓶やピンセットが散乱していた。床に転がったニッパーを乾から受け取り、私はその刃先で右手の爪を挟む。
パチン、
パチン、
パチン、
音を立てて真っ赤なネイルが乗っかった爪の先が床に落ちていく。全て切り終えてから右手の人差し指を女の頬に押し当てると、切りっぱなしの尖った爪で女の肌に薄く血が滲んだ。
「自分の身が可愛けりゃもうこの近辺で店構えようなんて考えねぇ事だな。次そのツラ見せたらこんなモンじゃ済まねーぞ」
「…は、……はい…」
足をどけながら不格好になった両手の指先に視線を向ける。あーあ、今回のデザインはかなり私好みだったのになぁ……。
「芹澤、行くぞ」
「ボスをこれ以上待たせんのはおススメしねぇよ」
「……分かった、行こう」
姉さんが綺麗って褒めてくれた手、ずっと綺麗なままにしておきたかったんだけどなぁ……。でも、ごめん。私には夢もやりたい事も何もねぇけど、それでも譲れねぇモンはあるんだ。何もねぇから、せめてソレだけは貫きたいって思うんだ。
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