ある青年の無謀

 2017年のオレは、壁の薄いボロアパートに住みながらレンタルビデオ屋で働く冴えないフリーターだった。隣りの家のババァにはテレビの音が煩いと文句を言われ、バイト先では年下店長にバカ扱いされる、そんな散々な人生を送っていたはずだった。なのに、そんなオレが東卍の最高幹部だ?どこ製のモノか分からねぇけど高そうな時計を身に付けて、都内の高級マンションの最上階に住んでるなんて一体誰が予想できただろうか。昔の面影は残しながらも大人に成長した千冬に連れられて東卍の幹部会≠ネる集まりに顔を出せば、パーちん君やペーやん君、それに肆番隊、伍番隊の隊長だった旧東卍の面々の姿がそこにはあった。12年前と変わらず口喧嘩を始める彼らに心が温まりながらも、幾つか気になる事はあった。まず、旧東卍の隊長、副隊長らに混じって彼らを古参∴オいする見知らぬ3人組。千冬は彼らの事を元・黒龍ブラックドラゴン組≠ニ言っていたけど……黒龍って何の事だ?次に気になったのはが今この場に居ない珠綺ちゃんについて。パーちん君が「来てねぇヤツがいるだろ」って上納金の説明とやらに待ったをかけると、元・黒龍組ってヤツらの内の1人、坊主頭にバリアートをした男が「そういえば」と千冬に向かって声を上げた。



「オイ、珠綺はどうしたんだよ。今日は顔出すはずじゃなかったのか?」



 オレの知る中で、東卍に関わりの深い珠綺≠ニいう人物は1人しか心当たりがない。十中八九、三ツ谷君の幼馴染でマイキー君と仲が良かったあの珠綺ちゃんの事だろう。ようやくこの時代で生きてる珠綺ちゃんに会えるという嬉しさと同時に、何でこの男が千冬に珠綺ちゃんの行方を聞いたのかも分からない。もし珠綺ちゃんが生きてるなら、マイキー君と一緒にいるんじゃ……?最後は稀咲についてだったけど……残念ながらその事についての淡い期待は今この瞬間に打ち砕かれたようだ。



「千冬!!!?オマエ…どうしたんだよ、そのケガ!!?」



 今の東卍の中で稀咲のポジションは総長代理……相変わらずヤツはマイキー君の右腕の座に君臨し続けていた。だけど、幹部会に顔を出した稀咲はオレらに愛想の良い笑顔を見せ、わざわざ呼びつけたオレと千冬に対して場地君が死んだのは自分のせいだと深々頭を下げるという……まるで別人のような態度でオレらに接してきた。どういう理由があったかは知らねぇけど、稀咲が良い方向へ変わったならいいじゃんか。諸悪の根源と思っていた稀咲が改心したのなら最悪の未来は免れているはず。



「随分と寝てたなぁ……花垣」



 でも、だったら何でオレも千冬も縛られてる?何で千冬はボロボロになっていて……アレ?オレはどうしてこんな事に……さっきまで稀咲の懺悔を聞きながら3人で酒を飲んで、それで……。覚醒しきらない頭では、稀咲に睡眠薬を盛られたって事を理解するのも大変なんだな。ようやく我に返った時、稀咲は苦々しい表情を浮かべて千冬の事を見下ろしていた。



「松野千冬、鬱陶しい奴だよオマエは。芹澤珠綺と結託して12年前の事を未だに忘れずオレに噛み付く。場地圭介の復讐リベンジか?」

「え?」



 千冬が言葉を返す前に稀咲の革靴が千冬の腹にめり込む。



「ココ≠フ表のIT、柴≠フフロント企業、それから芹澤が抱える医療機器メーカー……どれも3日前にガサが入った会社だが、まさか自分とこの会社も差し出すとはなぁ」



 東卍が経営する会社にガサ入れがあったのは幹部会で半間も言っていた。誰かが東卍を裏切っている。その人物は警察と繋がり、東卍に不利な情報を流している。



「東卍の裏切り者ユダ≠ヘテメェらだろ!?」



 言いながらも稀咲は千冬を蹴る事を止めない。止む事の無い鈍い音がずっと部屋に響きっぱなしだ。



芹澤アイツは頭のキレるヤツだと思ってたんだが……オレの過大評価だったみてぇだな。同じ日にガサ入れさせるなんて裏切り者がいるって言ってるようなもんだろ」

「違う!!あれは警察の暴走だ!!珠綺さんは関係ねぇッ!」



 珠綺ちゃん……そうだ、珠綺ちゃん!!



「千冬、珠綺ちゃんがどこにいるのか知ってるのか!?珠綺ちゃんは一体何してるんだ?!」

「オイオイ花垣……しらばっくれるならもっと上手くやれや」



 違う、オレはホントに何も……。



「芹澤≠ヘアイツの旧姓……今の名前は松野・・珠綺。芹澤は千冬コイツの嫁だろうが」

「………え?」



 千冬と珠綺ちゃんが結婚?嘘だ、何で……?珠綺ちゃんがマイキー君から千冬に乗り換えた?有り得ねぇだろ……だって、マイキー君も珠綺ちゃんもあんなにお互いを大切にしてたのに。



「テメェら夫婦はいつまで場地の幻影追っかけてんだよ。みみっちぃヤロー共だ」

「……今の東卍は腐ってる。オレはそれを変えてぇだけだ。稀咲、テメェの言う通り裏切り者ユダはオレだ。タケミっちも珠綺さんも関係ねぇ」



 千冬の呼吸が荒い。白いワイシャツはどす黒い血で染まり、顔のあちこちにも痛々しい痣が出来ている。千冬はオレの事を庇ってくれているのか?それとも、本当に珠綺ちゃんと2人だけで12年経った今でも場地君の仇を討とうとしていたっていうのか?



「……そうか、それじゃあオレは大損害を出しちまったな」



 わざとらしく右手で額を押さえた稀咲は、後ろに控えていた男に目配せをして千冬の前にタブレット端末を差し出した。オレの角度からはちゃんとは見えないけど、そこに映っている人物には見覚えがある。白衣を着た癖の無い黒髪の女性……少しあどけなかったあの頃の面影を残しながらも綺麗に成長した珠綺ちゃんの姿がそこにはあった。応接室のような部屋でソファにどっかりと腰掛けている珠綺ちゃんは、額に銃口を向けられながらも臆する事無く銃を持つ相手を見つめている。



「稀咲!!珠綺さんは関係ねぇって言ってんだろ!!」

「オマエの話を信じるならそうなんだろうな。だけどオレが受けた報告では、芹澤は全てを企てたのは自分1人だって自供したって聞いてるんだが……」



 今まで落ち着いていた筈の千冬が椅子をガタガタいわせて暴れ始める。タブレットから流れてくるのは映像だけで音は一切入っていない。挑発的な視線を送りながら口を開いている珠綺ちゃんが一体何を言ってるのか、誰と話しているのかも分からない。珠綺ちゃんは一旦口を閉じ、それから何か呟くように小さく口を動かす。それから僅かに口角を上げた所で、画面が真っ赤に染まった。



「あ…あ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」



 悲痛な叫びを上げて涙を流す千冬に、稀咲は尚も演技がかった口調で言い放つ。



「オマエの言葉が本当なら、オレらは金の成る木を1本へし折っちまった事になるなぁ。芹澤の毎月の上納金は柴やココの比じゃねぇ……オレとした事が大失態だ」



 言葉と見合わない程にその口調は嫌に冷静で、項垂れる千冬に追い撃ちをかけるかのようにポケットから取り出したあるモノをポイッと床に投げ捨てた。千冬の足に当たって転がったシルバーのリングは珠綺ちゃんのモノだったんだろうか。確認したくてもここからではリングに書かれている文字は勿論、千冬の指に同じモノがあるかも確認できない。……いや、そんな事を今確認してどうなる?珠綺ちゃんは死んじまったんだ。



「なぁ、花垣」

「!」

「テメェ、さっきから何「自分は関係ありません」って顔してやがんだ?」

「え……?」



 そう言うと、稀咲はいつの間にか手にしていた拳銃を構えて、無言でオレの太ももに銃口を向ける。



「なぁ?」



 ドンッ、というけたたましい発砲音で脳が揺さぶられる。それから少し時間を置いて、キヨマサ君に手を刺された時と同じくらい、いやそれ以上の尋常じゃない痛みがオレの左足に走る。



「脚があ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

「タケミっちは関係ねぇって言ってんだろ!!そいつは何も知らねーんだよ!」



 千冬が稀咲に対して必死に何かを言ってるけど、思考が痛みで汚染されたオレの耳には何も入ってこない。何でこんな事に……?オレは、ただヒナを助けたかっただけなのに。



「タケミチ!!!」



 ただただ嘆いてると、千冬がオレの名前を叫んだ。



「聞け…タケミっち。最期の言葉だ。この12年色々あった。マイキー君は姿を消してドラケン君も死刑……いつの間にか汚ねぇ事にも手を染めた。オレらは間違いもいっぱい犯した。でも、根っこは変わんねぇハズだ!!」



 痛みで潤む目で必死に千冬の姿を捉える。ゆっくりと顔を上げた千冬は、さっきのタブレット端末の画面越しに見た珠綺みたいに真っ直ぐにオレを見つめて、それから僅かに口角を上げた。



「………場地さんの想いを…東卍を頼むぞ、相棒」



 今日2回目の発砲音。目の前で血しぶきをあげて千冬の身体が床に倒れていく。これは悪い夢だ……こんな簡単に、千冬が死ぬハズがねぇ!!





* * *





 ハッとして目を開くと、オレの目には見慣れた天井が広がっていた。ここは実家のオレの部屋……つまり、オレは再び2005年へと戻ってきたわけだ。慌てて身体を起こすと全身に激しい痛みが走る。まさかと思って左足を確認したけど、幸いな事にあの時痛みを感じた箇所に銃弾を受けたような跡はどこにも無かった。
 千冬が殺された2017年の世界でオレを助けてくれたのは一虎君だった。一虎君が言うに、あの世界の東卍が変わっちまったのはマイキー君のせいだという。稀咲の暴力と、黒龍がもたらす莫大な金がマイキー君を狂わせてるって……。だから一虎君は千冬や珠綺ちゃんと一緒に「姉を殺された仇を取りたい」と言うナオトと組んで稀咲を東卍から排除する為に戦っていた。だけど、やっぱり気掛かりなのは珠綺ちゃんの事だ。マイキー君を助けたいのなら、どうして彼女は千冬と結婚したんだ?オレの知ってる珠綺ちゃんなら、マイキー君を支える為に彼と一緒になる未来を選ぶはず。



「……オイ、九井……あんま派手に暴れさすんじゃねぇ。通報されて無駄に警察サツの相手するのは御免だぞ」



 その謎が解けたのは昨日、2005年この世界に戻って早々に成り行きで柴八戒、柴柚葉の姉弟の家に誘われた時の事だ。一虎君から聞いた柴八戒という人物は自身が黒龍の総長になる為に千代を殺してチームの乗っ取ったクソヤロー≠チて事だったけど、実際に話した八戒は明るくて何とも気の良いヤツだった。しかも、この時の八戒は東卍の弐番隊副隊長……しかも隊長の三ツ谷君を兄貴同然に慕っている。



「ンな事言ったって仕方ねーだろ?黒龍ウチのシマに他チームの奴がいたら問答無用で殺すってのがウチのルールだ。ボス自らそれを実践してるのを止める理由がどこにある?」

「お前らみてぇに大寿ボスに盲目なアホ共を諫めるのが遊撃隊の役目だ。例えそれが大寿自身だとしてもな。テメェらが止める気がねぇなら、私が力づくで止めさせてやる」



 八戒、柚葉の実の兄貴だという柴大寿。コイツが八戒が殺すと言われている黒龍の十代目総長だ。その傍らにいる2人にも見覚えがある。2017年の幹部会≠ナ八戒と一緒にパーちん君に意見していた連中だ。



「芹澤……テメェ大寿ボスのやる事に意見するっていうのか?」

「乾、テメェこそ何様だ?私が黒龍に入る時に出した条件は1つだけ。私はテメェが正しいと思うように動く。大寿もそれを承知で私を遊撃隊に任命した。ここで騒ぎを起こすのは黒龍にとってデメリットでしかねぇ。ンな事も分からねぇ腐った頭してんなら黙ってろ」



 確か、幹部会ではイヌピーとココ、とか呼ばれてたっけ?そしてそんな彼らと対等に言い合っている高い声の彼女は間違いない、珠綺ちゃんだ。



「オイ八戒、黒龍私らが用があんのはテメェだけだ。テメェが残れば他には興味がねぇ」

「あ゛?珠綺、テメェ何勝手な事してやがる?」



 珠綺ちゃんが八戒に話しかけると、オレを殴り続けていた柴大寿の拳がピタリと止んだ。声を出してぇのに、胸倉を高く掴まれてるせいで声が出ねぇ。呻く事すら出来ないオレを他所に、珠綺ちゃんは淡々と言葉を続ける。



「アンタも誰かに似てホントに他人の話を聞かねー奴だな。お前が今掴んでる奴は新任とは言え東卍の壱番隊隊長だ。そんなヤツを伸したとなれば東卍の連中が黙ってねぇだろう。今は新規ビジネスを立ち上げたばかり……抗争やら何やらでそっちの人材を割かれるのはマイナスでしかねぇ」

「ゴチャゴチャ回りくどい事言うんじゃねぇ。で?テメェが言いてぇ事は何だ?」

「……八戒、このままじゃ花垣がココでくたばる事になるぞ?」

「………」

「ウチのボスだって鬼じゃねぇ。差し出すモン差しだせばこれ以上無益な事はしないだろうよ」



 段々と意識が遠退いていく。



「兄貴、オレ東卍をやめるよ……」



 八戒の震えるような声を聞きながら、必死に意識を保とうと頑張った。だけどその甲斐虚しく、気付けばオレは八戒に背負われて家まで送ってもらっていた。瞼を閉じる前に辛うじて見えたのは、黒龍の連中と一緒に去っていく珠綺ちゃんの姿。一瞬オレの方を見て、何やら小さく口を動かしたのはきっと見間違いなんかじゃない……。2017年のあの世界で珠綺ちゃんがマイキー君と一緒にいなかった理由……それは彼女がマイキー君から離れて黒龍に入っていたからだ。その理由はきっと、芭流覇羅に潜入して東卍を守ろうとした場地君と同じ……だからこそ、彼女は未来で千冬や一虎君と一緒に東卍を元に戻そうと戦ってた。



「珠綺…ちゃん……」



 このままじゃダメだ。このままじゃマイキー君も、東卍も稀咲と黒龍に乗っ取られてあの最悪な未来になっちまう。オレが……アッくんに命じてヒナを殺させた、あの……。手近にあったベッドシーツをギュッと掴み、オレがやるしかねぇと邪念を振り切るように首を左右に振った。



『……ゴメンな』



 華奢な背中にデカデカとした龍の刺繍を背負って、悲しそうな顔で消えてく彼女を見ててようやく分かった。画面の中で頭を飛ばされる前、彼女が一体何を呟いたのか。あの時の『ゴメン』は誰に対してだ?場地君?千冬?それともマイキー君?……そんなの悲しすぎる。



「オレにしか出来ないんだ……誰にも頼れねぇ…オレ、1人で……」



 稀咲に黒龍に珠綺ちゃん。問題は増える一方だ。でも、オレが解決しなきゃ……!!