ある少年と約束

 無機質な呼出音が数回鳴るが、オレの手元の操作盤はある部屋番を点滅させるだけでうんともすんとも言わない。まぁ、ハナから期待なんて少しもしてなかったんだけど。珠綺がこの家に帰ってきてないのはマイキーから聞いてたし、帰ってきていたところでインターホンに写ったオレの姿を見て素直に出て来るとは思えねぇ。仕方なしに珠綺のクラスの学級委員長に押し付けられた封筒をポストに押し込んだ。アイツが学校に来なくなって2週間は経っただろうか?にも関わらずプリントの束で嵩張った封筒がすんなり入ったのは、マイキーが直々ココに来て郵便物を抜いてるからだろう。
 意外かもしれないが、オレがこの家のインターホンを鳴らしたのは片手で数える程度しかねぇ。ルナとマナの面倒を見てもらうには珠綺の家よりもオレらの家の方が都合が良かったし、マイキーの事を考えるとあんま出入りすべきじゃねぇって思ったからだ。幼馴染みとはいえ、好きな女の家に自分以外の男が入り浸ってるなんて普通嫌だろ?珠綺はそういうのに疎いから、オレが気にしてやらねぇとドラケンや場地に迷惑がかかっちまう。マイキーの鬱憤発散に巻き込まれるのは大抵あの2人だったからな。



「……なー、隆ー」

「あ?何だよ?」



 自分への好意に対しては疎いくせに、アイツは周囲の目には人一倍敏感だった。



「お前、私に名前で呼ばれんのが嫌だって思った事あるか?」

「ハァ?」



 あれは……確か小4の時だったと思う。学校が終わって保育園にルナを迎えに行く途中、隣りを歩いてた珠綺が何の脈絡もなくそう質問を投げかけてきた。



「何だよ、急に」

「んー?いや、なんとなく」

「オレだってオマエの事名前で呼んでるだろーが。嫌だったらオマエの事も苗字で呼ぶよ」

「うーん……だよなぁ?」



 そう言って珠綺はうんうんと考え込んだ。



「クラスの女子が言ってたんだけどさ、兄弟でもねーのに名前で呼び合ってるのは可笑しいって」

「何だソレ」

「私も同じように返したんだけどさ、私が名前で呼んでるせいで隆が揶揄われてるって言われたんだよ」



 珠綺の言葉に少しだけ心臓が鳴った。小3、小4ってのは男女間でいざこざが出始める年齢らしく、確かにオレと珠綺の関係を冷やかす連中も少なからずいたのは事実だ。オレが言葉を詰まらせると、珠綺は「ふーん」と鼻を鳴らした。



「いつからだ?」

「……そんな気にする事じゃねーだろ?」

「私らの周りでンな事してくる奴や思い浮かばねぇ。って事は上級生だろ?ソイツらが卒業するまで我慢するつもりかよ」



 ホントに勘の良いヤツだ。まぁ、オレらの同級生がオレを……というより珠綺を揶揄えるハズがねぇからちょっと頭使えばすぐにバレちまう事ではあったんだけど。小1の冬に珠綺が同じクラスのガタイの良い男子生徒を伸して以来、オレらの学年で珠綺に逆らおうとするヤツなんて1人も居やしなかったから。



「別に手ぇ出されたワケじゃねーし、言いたいヤツには言わせとけばいーんだよ」

「……納得いかねぇ」



 ガキみてぇに唇を尖らせた珠綺に苦笑する。今でこそ相手が年上だろうが何人いようが平然と殴り込みに行っちまう暴れ馬だが、この頃の珠綺はオレらの学年では抜きん出て強いくらいの力量しか無かった。タイマンならともかく、身長も体重も勝っている2コ上の奴らを1人で複数人相手する事は無謀だって負けず嫌いなりに理解してたんだろう。



「……3カ月だな」



 暫く黙り込んだかと思えば、珠綺は腕を組んで自分に言い聞かせるように「うん」と頷いた。



「何が?」

「私が上の奴らを黙らせるのに必要な時間」

「黙らせるって……オマエ6年に喧嘩売る気じゃねーだろな?」

「売るに決まってんだろ。ナメられたまま卒業されてたまるか」



 鼻息荒くあーだこーだと今後の段取りについてブツブツ呟き始めた幼馴染に眩暈を覚える。



「手っ取り早いのは万次郎に稽古つけてもらうのだけど……それは何か癪だな……いや、でも他に適任者いねーし……」



 当時はどんなヤツかなんて知らなかったけど、幼馴染がよく口にするその万次郎≠チてヤツが珠綺の良い刺激になってるって事だけは把握していた。オレと会ったばっかの頃の珠綺は何に対しても興味なさそーにしてたし、何よりつまんなそうだったから。オレの後を付いてくるだけだった珠綺がいつの間にか隣りを歩くようになってて、それがガキながらに嬉しくも寂しくも感じていた。横を向けば珠綺は上級生とヤり合うのが楽しみといった具合にすっかり高揚しきっている。オレが1番近くにいたはずなのに、オレだけじゃコイツに今みたいな表情をさせてやる事が出来なかった。



「……三ツ谷!」

「何だ、急に……」

「ムカつくけど、今の私じゃお前が揶揄われてもアイツら黙らせる事が出来ねーから。これからは名前呼びやめる」

「オイ、だからオレは別に気にしてないって……」

「お前が気にしてなくても、私が嫌なんだよ」



 もし、あの時「嫌だ」って言ってたら何か変わったんだろうか。



「自分だけの事なら屁でもねぇけど、私のせいでお前が揶揄われるなんてぜってぇ嫌だ」



 オレの為って言うなら名前で呼んでくれよ。そう伝えてたら、「最近珠綺ちゃんが来ない」ってルナやマナに怒られる事も無かったんだろうか。



「呼び方なんて関係ねぇ。三ツ谷・・・はこれからも私の大切な幼馴染だ」



 だったら何も言わずに居なくなってんじゃねぇよ。オレにとっても、オマエは大切な幼馴染なんだぞ。マンションのエントランスを出てマイキーに呼び出された空きビルへ向かおうとインパルスに跨った時、ふと数か月前に目にした幼馴染の泣きそうな顔が頭を過った。



『……もし私が判断を間違えたら、三ツ谷は怒ってくれるか?』



 口から溜息が漏れて思わずバイクのタンクに顔を突っ伏せる。



「……ビビって逃げるなんてオマエらしくねーだろ」



 そんなワケねーのはオレが1番知ってる。きっと昔、上級生とヤり合う為に虎視眈々と準備していたあの時と同じでアイツが姿を隠してるのには何か理由があるはずだ。ドラケン伝手に聞いたタケミっちの話じゃ珠綺は神社での宣言通りに黒龍の特服を着ていたという。黒龍の現在の総長は八戒の兄貴の柴大寿……オレらが昔潰した九代目黒龍≠一新して蘇らせた絶対君主だ。珠綺の動向を知るにも、八戒の今後を決めるにも大寿に会うのは必要不可欠だろう。



『怒るだけで済ませるかバカ。そん時は引っ捕まえてぶん殴りに行ってやるから安心しろ』



 ……アイツが大人しく殴らせてくれるタマかは別として。ぜってぇ連れ戻してやるから首洗って待ってろよ、珠綺。