ある少年の救世主

 今日はホワイト・クリスマスだっていうのに、教会にまで来てオレは一体何してんだか……。こういう日は彼女(出来れば珠綺さん)と一緒に千葉の夢の国なんかに行って、手を繋ぎながらでっけぇクリスマスツリーを見て、夜はイルミネーションで良い雰囲気の中……なんて、そんなコッテコテの少女漫画みたいな1日を送りたかった。なのに、何でオレこんなボロボロの姿で黒龍の柴大寿、乾、九井らに挑んでんだろう?オレだけじゃねぇ、タケミっちも、三ツ谷君も顔中痣だらけ。涙で顔をぐしゃぐしゃにした八戒も大寿に顔面から床に押さえつけられて白目を向いている。
 タケミッチが見たって言う最悪な未来を防ぐ為にオレらがするべき事は2つあった。1つは全ての元凶とも言える『稀咲を東卍から追い出す』事。そしてもう1つは、未来の黒龍で脅威となる『八戒を黒龍から遠ざける事』。それには『八戒に大寿を殺させない』事が必須だったんだけど、タケミっちのヤツはあろう事かその為に稀咲と手を組むって言いだしやがった。確かに稀咲が九井に情報を買ったお陰で八戒が大寿を狙う日時を絞り出す事が出来たのだが、にしたって場地さんを追い詰めた張本人を信用できるはずもねぇ。結果としてオレの不安は的中し、稀咲ヤツは早々にオレらを裏切って半間諸共フェードアウトしちまった。



「八戒も、柚葉も、テメェらも……生きて帰さねぇ。逃げようとしても無駄だぞ!この教会は黒龍うちの精鋭100人が囲んでる」



 大寿の言葉に教会の窓から外を覗き込むと、確かにコイツの言う通り白い特服を着た連中が教会の敷地内にズラッと勢揃いしていた。



「……ホントだぜ、タケミっち」

「………そもそも、逃げる気はねぇ」



 意を決したように、タケミっちは続ける。



「千冬…黒龍を潰さねぇと、未来は変わらねぇ!!」



 ……未来、か。そういえば、タケミっちが見た未来じゃオレは死んでいて、珠綺さんも他の東卍連中も殺されてるんだったな。



「珠綺さん……」



 無意識にポケットの中の携帯を握りしめる。オレがフラれて目を腫らしたあの夜、珠綺さんが「預ける」と言ってオレに押し付けたこの携帯電話には何も残っていなかった。稀咲を追い詰める為のネタどころかメールも通話履歴も写真フォルダも全てが空っぽで、唯一残ってたのは東卍連中の連絡先が残った電話帳のみ。ただでさえメンタルが参ってた事もあって、いよいよ適当にあしらわれたのかと肩を落としたくらいだ。



「クリスマスなのに碌な予定も入ってねぇなんて可哀そうな奴らだな」



 教会内に女性特有の高い声が響く。この場に居る中で女は八戒の姉貴だけだけど、オレがこの声を聞き間違えるハズがねぇ。バッと顔を上げると、祭壇の後ろからしかめっ面の珠綺さんがゆっくりと姿を現す。



「ま、それは私も一緒か……うー、さっみぃ…」



 そう言って珠綺さんはハァ、と両手に息を吐きかけた。……そうだ、珠綺さんって場地さんと良い勝負なくらい極度の寒がりだった。



「芹澤……?オマエ、どうしてここに……」

「………」



 驚いた様子の九井と乾を無視して、珠綺さんは肩を震わせたまま両手をグーパーし続けている。それからビシッとオレの方を指差し、恨みがましそうに声を荒げた。



「千冬ぅ!こんな寒ぃなんて聞いてねぇぞ!!手が悴んで全然メールが打てねぇじゃんか!!」

「す、スイマセン!!」

「え、千冬……?」



 タケミっちが目を丸くしてオレの方を見てるのが分かるけど、それよりも珠綺さんに頭下げる事の方が優先だ。くしゅん、とクシャミをするその姿にカイロの1つや2つ差し入れとして置いておくんだったと反省する。



「テメェ……裏切るつもりか?」

「裏切るだぁ?こんな盛大なクリスマスパーティーに呼んでもくれねぇ連中を仲間なんて思うワケねーだろ。バーカ!」



 挑発するようなその態度に乾の眉間にはどんどんと皺が寄っていく。苛立ったようにその辺に転がっていた鉄パイプを手に取ったけど、ソレが振り下ろされるよりも先に乾の身体がかなりの勢いで吹っ飛ばされた。その身体がそこらに散らかった長椅子の1つに打ち付けられるのを目で追って、珠綺さんは見下し気味にギロリと其方を睨みつけたまま右足を下ろした。



「今の、三ツ谷の分な。つーか、武器使うなんてダサすぎんだよ」

「三ツ谷君の、って……え?珠綺ちゃんいつからソコにいたの!?」

「いつからって……入口は1つしかねーんだから、八戒が教会ココに入って来る前からに決まってんだろ」



 何言ってんだ?と首を傾げる珠綺さんに、いよいよタケミっちが混乱し始める。タケミっちや黒龍の連中だけじゃねぇ。八戒もその姉貴も、三ツ谷君ですら突然現れた珠綺さんに困惑しているようだ。……まぁ、無理もねぇよな。オレだって同じ状況だったらコイツらと同じような顔をしてただろうし。



「千冬!どういう事だよ?!」

「どうって、オレが珠綺さんに今日の事教えた」

「教えた?珠綺の奴メアドは変えてるし電話には出ねぇし、連絡取る手段なんて無かったハズだろ?」



 三ツ谷君の言う通り、オレらの前から姿を消してすぐに珠綺さん宛てのはメールは宛先不明で帰って来るようになった。電話は辛うじて繋がるものの数回通知音がしてすぐに音声メッセージが流れるだけ。根気よく鬼電し続けて繋がったあの1回は奇跡と言っても良いだろう。



「珠綺さんが黒龍に行っちまって少し経った時、1度だけ珠綺さんに連絡が付いた時があったんッスよ」

「え!?どうやって!?」

「小一時間鬼電しました」



 オレの言葉にその場に居た全員が一瞬にして何とも言えねぇ表情になる。え、何だよその反応。ってか、タケミっち!オマエだけはその顔すんの許さねぇぞ!



「……で、そん時にコレ預かったんスけど……」

「ソレ……場地の携帯か?」



 ポケットから取り出した殆ど何も入っていない場地さんの携帯電話。初めて電源を入れてからずっと机の上に置いたまま触る事無くそのまんまにしてたのだが、タケミっちが稀咲と手を組むといったあの日、本当に稀咲に関する手掛かりが残っていないか確認しようと携帯を充電器に差して驚いた。数日振りに携帯の通話ボタンを長押しすると、画面に表示されたのはもうすぐで3桁にいこうとしている凄まじい数の着信件数。ギョッとして着信履歴を確認するとその殆どがマイキー君で、その次に三ツ谷君、他にはドラケン君やエマちゃん。何がどういう事か分からずスクロールし続けていると、まさかのオレの名前まで表示されていて本格的に頭が混乱し始める。だって、オレは場地さんの携帯に電話した覚えなんて全く無かったんだから。だけど、着信があった日にちと時間を確認してハッとする。慌てて自分の携帯を取り出して目的の番号に電話をかけると数秒も経たずに場地さんの携帯が鳴り出した。場地さんの携帯のディスプレイにはオレの名前が点滅していて、オレの携帯のディスプレイには珠綺さん≠フ文字が表示されていた。



「それで、もしかしてと思って場地さんの携帯に入ってた珠綺さんの番号を確認したら、オレの携帯にも登録されてない番号……つまり、今珠綺さんが身に付けてる携帯の番号だったってワケ」

「持ち歩く携帯はいつ誰に見られるか分からないから、敵対する東卍連中の番号なんか残しておけねぇ。とは言え、いつ何時何が役に立つかなんて分かった事じゃねーからな。情報は武器にも金にもなる……お前から教わった事だぞ、九井」



 一歩、また一歩と足を進め、珠綺さんは九井の前を通り過ぎていく。



「……珠綺、オマエ『オレに尽くす』と言った約束を忘れたのか?」

「お山の大将は記憶力が悪いのか?私は『黒龍に尽くす』っつったんだ。オマエが総長である限り、黒龍≠ェ柴大寿≠ノ置き換わるってだけの話。黒龍のトップが代われば話は別だろ?」



 大寿の怒りのボルテージがどんどんと上がっていくのが分かる。鬼みてぇな形相で珠綺さんを見下ろし、今にも腕を振りかぶりそうな勢いだ。



「もう欲しいモンは手に入った。だからもうお前らなんてどうだっていいんだけど……黒龍の遊撃隊隊長として最後の仕事をしてやるよ」



 ついに珠綺さんがオレらに背を向けて柴大寿に向き合った。



初代・・黒龍の面汚しとして、テメェら全員ココでぶっ潰す」

「自分の力量を見誤るとは愚かだな、珠綺」

「っ!!」



 ついに大寿の拳が珠綺さんに向けられた。珠綺さんは素早く右に避けて得意の回し蹴りをお見舞いするが、屈強な腕にガードされて大寿を吹き飛ばす事は叶わない。



「……マズいな」

「え……?」



 形勢逆転と思われた展開なのに、三ツ谷君だけは大寿に向かう珠綺さんを見つめて浮かない顔をしている。



「珠綺が何で蹴り技が得意なのか知ってるか?」

「……?ネイルが傷付くのが嫌だから、手を使わずに喧嘩する為って聞きましたけど……」



 そう返すと、三ツ谷君は唸り声を上げて小さく首を横に振った。



「きっかけはそうだったけど、理由はソレだけじゃねぇ。結果として、蹴り技が珠綺の喧嘩スタイルに合っていたから自然と定着しただけだ」

「どういう、事ッスか?」

「どうもこうも、三ツ谷の言ったまんまだよ」



 タケミっちの疑問に答えたのは柚葉ちゃんだ。



「……アタシや珠綺がオマエらみたいな男連中に立ち向かおうとするとどうやったって力負けしちまう。だから、それを補う為にアタシらは限り体重をフルに活かす事が出来る足技に頼るしかないんだ」

「珠綺は確かに強ぇ。その辺の連中じゃまずアイツに勝つ事なんて出来ねぇだろう。だけど、圧倒的に体格差のあるヤツが相手となりゃ話は別だ」



 身体の回転と共に振り上げた長い脚が鞭のように大寿の顔面に打付けられる。ついに捉えたと小さくガッツポーズしたのも束の間、打撃音の後に目に飛び込んできたのは右脚を掴まれて身動きを封じられた彼女の姿だった。



「……ッチ、」

「オマエの蹴りは威力が高い分振りもデカい。タイミングさえ掴めば捕まえるのは難しい事じゃねぇし……」

「ぐぅ……っ!!」

「脅威になる脚さえ捕まえりゃそこまでだ」

「珠綺さんっ!!」



 大寿の拳が珠綺さんの左頬にめり込む。剛腕から繰り出される威力がどのくらいのものかなんて、痣だらけになったタケミっちの顔面を見りゃ一目瞭然だ。鈍い音と共に珠綺さんの首が右に弾かれ、そのままがっくりと項垂れるように垂れ下がる。



「芹澤、オマエは大寿ボスに勝つ事は出来ねぇ。テメェだってそれを分かっていたから、三ツ谷がヤられても花垣が殴られても祭壇の裏ソコでガタガタ震えてたんだろ?」



 乾を起こしながら九井が小馬鹿にしたような口調で珠綺さんに言葉を投げ捨てる。珠綺さんは何も言わず、ただその場に立ってるだけ。……立ってるっつても相変わらず脚は大寿に拘束されたままだから、立たされてるって言った方がいいのかもしれない。



「千冬!珠綺ちゃんを助けなきゃ……っ」

「ンな事分かってる!」



 だけど、それには乾と九井が邪魔だ。ゆっくりとオレらに向かってくる2人の後ろでは、大寿が再び珠綺さん目掛けて拳を振り下ろそうとしてる。もし、ここで珠綺さんが死んじまったら……オレ、一生場地さんに顔向けが出来なくなる。



「…………3カ月」

「ハァ?」



 焦るオレらを他所に、ぽつり、と珠綺さんが呟いた。



「……私がテメェを蹴り飛ばすのに必要な準備期間だ。テメェみてーなバケモンと私の実力差なんて分かってる。だからそれが埋まるまでは目的を達成しても大人しくしてるつもりだった」



 珠綺さんは相変わらず俯いたまま。途中途中で息を吐きながら、ゆっくりと言葉を続ける。



「でも、そもそも根本的に間違ってたんだ」

「間違ってた……?オマエがオレに挑もうとする事がか?」

「違ぇ」



 大寿の言葉で珠綺さんはバッと頭を上げ、小さく身を屈めた。



黒龍テメェらに関わるって決めたあの日、爪をニッパーで切り落とした時に捨てたんだって」



 そのまま両腕を顔の前で構え、腕を引くのに合わせて肩と腰を捻る。



「姉さんが褒めてくれた、何も知らねぇままの綺麗な手はもうどこにもねぇ」



 ストレート……軌道の先に乗った大寿の腹目掛けて真直ぐに珠綺さんの拳が打ち付けられた。



「ぐ、ぅ…………っ!?」



 大寿よろめきながら珠綺さんの脚を放したその途端、待ってましたとばかりに今度は両手で頭を押さえつけられて顔面に右膝がめり込む。口の端から垂れた血を拭って、彼女は膝を付いた大男を見下ろしながら指を鳴らした。



「少し動かしたお陰で身体も温まった。さっさと立てよ……また冷えて震えちまったら困るからな」



 ………ニヤリ、と不敵に笑ったその姿は、中1の春、暴走族に囲まれたオレを助けてくれた場地さんとよく似ていた。