ある少年の安堵と寂寥

「珠綺ちゃん、アレ食べたい!」

「マナも!」

「りんご飴ぇ?んー、もうちょっとあったまるモンにしねぇ?たこ焼きとかさー…」

「ルナもマナも、屋台回るのは帰りって約束しただろ?珠綺、荷物持ってやるから貸せ」

「ん、頼んだ」



 1週間前に降った雪はいつの間にかすっかり溶けて、気付けばあと数十分で今年が終わろうとしている。妹2人に両手を拘束されてぐいぐいと人の波を押し避けて歩く幼馴染の姿は、いつだかにテレビで見た囚われの宇宙人に少しだけ似ていた。歩きにくそうにしながらも2人の手を振り払わないでいてくれるのは多分、アイツなりにルナやマナに対しても悪いと思っていてくれてるからなんだろう。3日前に渡した黒い毛糸の手袋が小さな2つの手をギュッと握っているその光景に自然と口元が緩くなる。
 クリスマスの翌日、マイキーに連れられて我が家にやって来た珠綺は分かりやすくバツの悪そうな顔をしていた。



「悪いな、昨日の今日で疲れてんだろ?」

「まぁ全身もれなく痛ぇけど……ああなっちまったのはオレのせいでもあるし、自業自得ってヤツだよ」

「三ツ谷のせいってのも違ぇだろ。オマエが居なかったらタケミっちも八戒もケガじゃ済まなかったハズだ」



 オレが居たからってどうこう出来たとも思えねぇけど、「ありがとな」と笑うマイキーを前にその事を口にするのは野暮ってもんだ。出かかった言葉を飲み込んでマイキーの後ろからチラチラと此方の様子を窺うミイラに目を向けた。確かにかなり苦戦してる風ではあったけど、まさかここまで大怪我してるとは……。すると、そんなオレの焦りを察したのかマイキーが「ぷっ」と吹き出す。



「大袈裟な包帯だよなぁ?今朝ウチに連れてったら、珠綺の顔見るなり「珠綺の顔にキズが!!」ってエマが卒倒しちまってさ。わーわー喚きながら包帯でグルグル巻きにしちまったんだよ」

「……エマの奴、包帯解こうとするとすっげぇ怒るんだもん。「痕が残ったらどうするの!?」って」



 煩わしそうに頬に貼り付けたガーゼを撫でた姿にホッと胸を撫で下ろした。珠綺が言うだけならともかく、マイキーもこう言ってるんだから大事がねぇのは本当なんだろう。そうじゃなかったらマイキーがこうも落ち着いてるハズもねぇ。



「………」

「ホラ、三ツ谷に言うって約束したじゃん」

「……うー…」



 珠綺がマイキーを諭す姿は何度も見て来たけど、逆はなかなかに珍しい。背中を押されてオレの前に出て来た珠綺は暫く「あー」だの「うー」だの唸って、視線をふいと反らしたまま小さく口を動かした。



「……心配かけたって、万次郎に聞いた。その……ゴメン、ナサイ」



 ツンと尖った唇は一見不貞腐れてるようにも見えるけど、どっちかって言うと戸惑いの方がデカいのかもしれない。珠綺はどこまでも自分に無関心だから、自分を心配してるヤツが居たって事がくすぐったいんだろう。



「オレだけじゃなくて、ドラケンやぺーやん達も心配してたんだからな」

「あー……それはエマからも聞いたよ…」



 何度も何度も、耳に胼胝が出来るかと思うくらいに。珠綺はそう言うなりげんなりと肩を落とす。



「オレだって心配したんだからな!」

「あー、もうそればっか……」



 珠綺はうんざりした様子だけど、今回ばかりはオレもマイキーに賛成だから庇う事はしてやらねぇ。一向にオレと目を合わせようとしないその顔を両手で挟み、ぐいっと無理矢理に視線を合わせた。大きな音がしそうなくらいにパチパチと開閉を繰り返す。手に触れたガーゼに少しだけ焦ったけど珠綺がそこに反応する事は無かった。手当が大袈裟ってのは本当のようだ。



「もう気は済んだのか?」

「ん。まぁ、大方な」

「前にオレと約束した事、覚えてるか?」

「……約束?」

「オマエが判断を間違えたら、引っ捕まえてぶん殴りに行ってやるって話」



 オレの言葉に珠綺が目をギョッとさせる。



「いや、覚えてるけど……え、元はと言えば『怒ってくれるかどうか』って話だったよな?」



 なんだ、ちゃんと覚えてるじゃんか。オレが右手を動かすと珠綺の肩がビクッと跳ねあがる。オレの顔と右手とを交互に見て、手を振り上げた瞬間ギュッと目を瞑った。



「………バカ、殴るワケねーだろうが」

「は……?いてっ」



 指の腹で額を叩くとペチン、と良い音が鳴った。そもそも、いくら口が悪くて腕っぷしが強くても本当に殴るワケ無いだろうが。それに珠綺を連れ戻したのはオレじゃなくてマイキーだったから、オレが珠綺を殴るのはちょっと違う気もする。
 マイキーとドラケンとで黒龍との抗争に終止符を打ったあの後、全員が歓喜に震える中でオレは珠綺の姿が見当たらない事に気が付いた。慌てて後を追おうとするオレを「行先に覚えがあるから」と言って止めたのはは他ならないマイキーだ。分かってた事とは言え、大切な幼馴染の事をオレよりも良く理解してるヤツが現れたのは少し寂しい気もした。



「オマエが全然ウチに来ねぇから、ルナとマナに散々文句言われたよ」

「う゛……分かった、今度改めて詫びに来る」

「覚悟しとけよ?アイツらクリスマスにお前とケーキ食うって楽しみにしてたんだから」

「ケーキでもアイスでも喜んで買ってきます」



 次の日、珠綺は本当にどこかの有名店だというケーキ屋のケーキを抱えて再び我が家にやって来た。その時のルナとマナの興奮っぷりときたら……。昔から珠綺にはルナとマナの子守りや迎えを手伝ってもらってたから、2人共珠綺の事は実の姉のように思ってるんだろう。ケーキ食って、おままごとして、風呂入れられて、夕飯食って……結局夜寝かしつけられるまで、2人共珠綺の隣りを片時も離れようとしなかった。



「2人共嬉しそうだなー」

「嬉しそうなのは珠綺も同じだろ」



 相変わらず屋台を見回してああだ、こうだと盛り上がってる目の前の3人組を見て八戒と柚葉が笑う。



珠綺アイツが帰って来てからずっとああなんだよ。面倒見てもらいっ放しでちょっと悪ぃとは思ってんだけど…」

「案外今日は逆かもよ?」



 八戒の言葉に「どういう事だ?」と首を捻ると、続けて柚葉が珠綺の方を軽く顎でしゃくって見せた。



「珠綺は見た目が良いからね。あの2人が居なきゃ絡まれすぎて今頃暴れてたんじゃない?」

「髪までちゃんとセットしてる珠綺なんてかなり珍しいし」



 ああ、そういう事か……。言われてみれば、通り過ぎる野郎共がチラチラとアイツの方を振り返っている事に気が付いた。一緒に居過ぎてその辺りの事は良く分からねぇけど、確かに珠綺は顔が整ってる方なんだと思う。雑誌を読んでても「このモデルより珠綺の方が…」なんて思う事はよくあるし、何組の誰それがアイツに告ったとかいう噂もよく耳にする。そんな珠綺がきちんと着物を着こなして髪も綺麗に結い上げてりゃ、そこそこ人目を惹くのは当然なんだろう。



「流石の珠綺でも着物着てまで暴れねぇだろ」

「去年の夏祭りで場地君と掴み合いの喧嘩した時、珠綺浴衣着てなかったっけ?」

「あー、そんな事あったなぁ…。でも、あの時は場地が折れてそこまでの騒ぎにはならなかったハズだぞ」



 場地、珠綺に甘かったから。そう言うと、柚葉がこれでもかという程に顔を顰めた。



「オマエがそれ言うか?三ツ谷だって大概だろ」

「は?オレのどこが甘いっていうんだよ」

「いーや!タカちゃんは珠綺にめちゃくちゃ甘いッ!」



 八戒は何でそんな胸張って断言してんだよ……。大体、オレが珠綺に甘いんじゃなくて珠綺がワガママなだけだろうが。



「……三ツ谷、オマエなら分かるだろ?珠綺が甘える人間は限られてる」



 そう言った柚葉は少し寂しそうだった。マナに腕を引かれてしゃがみ込んだ珠綺の背中を見つめて、眉を下げたまま口から白い息を吐く。



「今回もそうだった。珠綺はアタシに甘えてはくれなかった」

「………」

「だから、珠綺が戻ってきてくれた事に……珠綺が戻る場所を作ってくれた事には凄い感謝してる。アタシじゃ珠綺を引き留める事も、連れ戻す事も出来なかったから」

「オイオイ、その言い方だと『三ツ谷オレだから何とか出来た』みてぇに聞こえるんだけど……」

「そう言ってるんだよ」



 オレは頭を掻きながら首を左右に振る。柚葉、そりゃ買いかぶり過ぎだ。オレは珠綺が悩んでる時に察してやる事も、苦しんでた時に手を引いてやる事も出来なかったんだ。結果、アイツは何も言わず居なくなっちまった。珠綺が引っ込めた手を掴むのはオレじゃなくてマイキーだ。もし珠綺が手を伸ばすとしても、その相手もオレじゃない。それは、きっと———…。



「オイ、お前らいつまでちんたら歩いてんだよ!!」



 人のざわめきに負けない凛とした声に顔を上げると、石段を数段上ったところで呆れ顔の珠綺が此方を見降ろしていた。



「三ツ谷に財布預けてんだから、はぐれたら絵馬もお守りも買えねーだろ」

「りんご飴も!」

「たこ焼きも!」



 仁王立ちする珠綺に乗っかって、両隣りのルナとマナもブーブーと小言を吐き始める。2人共珠綺の着物の袖をキュッと掴み、小さな腕を精一杯上下させて不服をアピールしているようだ。



「ハハ、息ピッタリ」

「どっちが本当の兄妹か分かんねぇな」

「頼むから珠綺みてぇには育たないでくれよ……?」



 それと、屋台回るのは帰りだって何回言えば分かるんだよ。追い付くなり小言を返してやると、3人娘は唇をツンと尖らせて「やっぱダメか」と肩を落とした。



「珠綺のおっぱいがねぇ!!」

「無くはねぇよ。サラシしてるだけだ」



 真っ平になった珠綺の胸を鷲掴みにするマイキーと、それに対して「着物だから当たり前だろうが」と顔色一つ変えねぇ珠綺。成り行きでタケミっちが放り投げちまった絵馬を追いかけている最中、拝殿の前で合流したマイキーは珠綺の姿を見るなり目を丸くしながら大股でアイツに詰め寄った。



「そうじゃないでしょマイキー!もっと他に言う事があるでしょ!!」



 額に手を当てて溜息を吐くドラケンの横でエマちゃんが地団太を踏む。オレはというと、八戒と揃ってルナマナの目と耳を塞ぐ事に専念していた。



「おにーちゃん見えなーい!」

「何も聞こえなーい!」



 オレらの腕を振り解こうと2人は必死で手をばたつかせるけど、人前で女が、しかも実の姉のように慕ってるヤツが胸掴まれてるトコなんて教育に良いはずも無い。



「オレのおっぱいが……こんなペッタンコに……」

「お前のじゃねぇよ。あと、その発言は不特定多数の女を敵に回しかねねぇからやめろ」



 ようやく珠綺の胸から手を離したマイキーは、今度はギュッと珠綺に抱き着いてさっきまで鷲掴んでいた所に頬ずりを始める。珠綺は相変わらず動じる様子も無くマイキーの頭をぺしん、と掌で叩いたが、この場に居る殆どの奴らの心は一つだった。



「マイキー、ここはオマエの家じゃねぇんだから場所考えろ。それと珠綺、オマエはちょっと恥じらいってモンを持て」



 ドラケンの言葉に、それまで顔を真っ赤にしていたタケミっちと千冬がぶんぶんと首を縦に振って反応を示す。続けてエマちゃんがマイキーの、柚葉が珠綺の襟元を引っ掴んで自覚の無い2人に説教を始めた。



「もうっ!何で「可愛いね」とか「似合ってる」とか言えないの!?」

「だって、珠綺が可愛いのはいつもだろ」

「ちがーうっ!いや、違わないけど、こういう時は褒めるのが当たり前なのッ!!」



「珠綺、オマエ女としてあの反応は間違ってるぞ!!」

「あ?別に乳掴まれたくらいどーって事ねぇだろ?柚葉だってスカートで足技使ったりしてんじゃん」

「それとこれとはワケが違うだろうがッ!!」



 揃いも揃って「ワケわかんねぇ」と首を傾げるバカ2人にどこからともなく落胆の声が上がる。けど、ほんの数日前まではまたこんな風にみんなで集まって笑い合えるだなんて思ってもいなかった。もし6日前のあの夜タケミっちが黒龍とヤり合ってなかったら、今日も明日も……もしかしたらそれからずっと先まで珠綺がオレらの前で笑顔を見せる事は無かったのかもしれねぇ。



「あ、そうだ……万次郎、絵馬見なかったか?」

「エマぁ?」

「え、ウチ?」

「違ぇよ、社務所で売ってる願い事書く方の絵馬・・



 柚葉に小言を言われてるにも拘わらず、珠綺は思い出したようにマイキーに話しかけ始めた。(当然柚葉は激怒していた)



「タケミっちが絵馬吹っ飛ばしちまってさ、みんなでソレ探してたんだよ」

「いや、正しくは千冬がぶん投げたのが原因なんだけど……」



 じとり、とタケミっちに睨まれるも、千冬は悪びれる様子も無く歯を見せて笑っている。クリスマスの夜は見事なくらいの漢を見せたのに、こういう時は締まらねぇのが何ともタケミっちらしいと思った。



「あ、それならさっきマイキーが……」



 心当たりがあるのか、エマちゃんが口を開いたところで急に周りが騒ぎ始めた。



「なんだなんだ?」

「……どーやらもうすぐ年が明けるみてぇだな」



 キョロキョロと辺りを見回したタケミっちに、珠綺が「ホレ」と携帯を開いて時刻を見せる。周りの連中が口々に「10、9……」とカウントを始めたからどうやら間違い無いらしい。



「みんな飛ぶぞぉ!」

「え?え?」

「……うわぁっ!?」



 ペーやんやスマイリー、ムーチョもやって来て、オレらも知らず知らずの内にカウントダウンを口にし始める。6、5、4……とカウントが進み、オレは八戒は千冬と肩を組んで身を屈めた。



「3!!」

「2!!」

「1!!」

「ハッピーニューイヤー!!!!」



 全員の脚が地面から離れると同時に犬の絵が描かれた木の板が空高く放り投げられた。着地すると同時に慌てて回収に走るタケミっちを他所に、絵馬を投げたと思われる犯人は珠綺を横抱きにしたままひょいひょいと賽銭箱の方へ駆けていく。



「わわっ!!万次郎やめろ!落ちる、落ちる……っ!!」

「オレが落とすワケねーだろー!」

「落としたらタダじゃおかねぇからなッ!!」



 ぎゃーぎゃー喚きながらもマイキーの首にしがみつく珠綺は何とも楽しそうだ。



「あ!珠綺ちゃん行っちゃった!」

「珠綺ちゃん屋台ー!」

「あー……どうせすぐ戻って来るから、今は勘弁してやってくれ」



 なんですぐ戻って来るって分かるかって?珠綺のヤツ、オレにカバン預けっぱなしなんだよ。マイキーの性格上きちんと5円玉を用意してるなんて考えらんねぇし、賽銭箱の前まで行ってUターンしてくる2人の姿が目に浮かぶようだ。



「ねー、お兄ちゃん」

「んー?」



 くいくいっ、とルナに袖を引かれてしゃがみ込む。どうした?と尋ねると、ルナは不思議そうな顔をしたまま今年1発目のデカい爆弾を投下した。



「珠綺ちゃんの首に蚊に刺された跡があったけど、冬でも蚊っているの?」