ある少女の食事事情
「珠綺、ちょっと良いか?」
何事も無く1日の授業を終えられた日の放課後、カバンに荷物を詰めているとひょっこりと幼馴染が現れた。
「今日ウチで飯食ってくだろ?」
「うん。そのつもり」
「悪ぃんだけど、帰りにルナとマナ迎えに行ってくんねーか?コンクールに出す課題、出来れば今日中に仕上げたいんだよ」
「ん。別にいいよ。2人共18時までに迎えに行けばいーんだったよね?」
「おお。頼むわ」
そう言って三ツ谷は片手を上げて自分のクラスに戻って行った。一人暮らしでありながら料理の出来ない私は、日々の食事を三ツ谷家か佐野家でお世話になる事が多い。いや、私の名誉の為に言っておくが全く出来ないわけじゃない。レパートリーが極端に少ないだけだ。入学当初はさっきのような会話をする度に周りからギョッとした目で見られていたが、2 年間ずっと続けてきたせいか今では周りも何も思わなくなったらしい。慣れって凄いな。
今日という今日はいい加減ネイルサロンに行こうと決めていた。今の時刻が14:30、ネイルサロンまで30分かかって、施術に大体2時間。サロンからルナの学校までは15分くらいだし、マナの保育園はそこから5分くらいだったはず。うん、大丈夫。むしろ少し余裕があるくらいだ。
校門を出てネイルサロンまでの道を歩いていると、広場に随分な人集りが出来ている事に気がついた。しかも、集まってるのが全員ガラの悪いむさい男ときた。どうせろくでもない集まりなんだろうと彼らの視線を追ってみると、広場の中心で対峙する2人の男子生徒の姿が目に飛び込んでくる。片方は黒髪で、片方はー…
「んー?あの金髪…どっかで見たような……」
うんうん唸っていると、隣りで怒鳴り声を上げていた男らにじろりと睨まれる。
「何だテメェ!さっきからうっせぇなぁ!」
「うわっ!この子かなり可愛いぞ!」
「姉ちゃん、ケガしたくなかったらちょっと付き合ってくんねぇ?」
「あ゛ぁ?」
お前らこそうっせぇな。こっちは今考え事してんだよ。黙れと言わんばかりに図体がデカい男共を睨みつけると、私の態度が気に食わなかったのか「何だその目は」とどやられた。
「女だからって手加減しねぇぞ?」
「いいから大人しく付いて来いって」
「……いや、ちょっと待て。もしかしてこの子……」
「うだうだうっせぇんだよタコ共。こっちは考え事してんだ。その汚ぇ口閉じてちょっと黙ってろ!!」
イライラして目の前の男の腹に勢い良くローファーの底を押し付けると、男はカエルが潰れたような声を上げてその場に蹲った。
「な、何すんだテメェ!」
「待て!待て!黒のセーラー服に口の悪い美人……もしかしなくてもこの子、芹澤珠綺だ!!う゛……っ!」
慌てて周りを止めに入った男の脳天にも踵を落として黙らせる。うっせぇつったろ。学習しろ。
「う、嘘だろ…芹澤珠綺って、東卍の隊長格らと顔見知りっていう?」
「それどころか総長とも知り合いじゃなかったか?」
「にしても、ホントに可愛いな…」
だから、黙れっていうのがまだ分かんねぇのかよ。ギロリ、と周囲に睨みを効かせるとようやく周囲がしん、と静まった。
「私の事気にしなくていいから、アレに集中したら?」
「う、うっす」
男共の視線が再び広場に集まる。
「しゃああああああああ!!行くぞオラァア!!」
耳障りな雄叫びを上げたのは黒髪の男だった。対して金髪の男は拳を構えたまま呆然とそこに突っ立っている。そんな金髪の姿に周囲の連中が口々に野次を飛ばす。
「うらぁ行けーーーー!!」
「グズグズしてんじゃねーぞダボォ!!」
「早くやれや!!」
何だ、コレ。
「おい」
「ひぃっ!は、はい」
「コレ、一体何してんの?」
そう言って対峙する男2人を指差せば、声をかけた男は「ああ」とおっかなびっくりに説明をしてくれた。おい、お前男だろ。そんなにビビるなよ。
「キヨマサ君が主催してる喧嘩賭博<bスよ。どっちが勝つかに賭けるんッス」
「へぇ、喧嘩賭博≠ヒぇ……」
何だそのダサい名前は。むしろ喧嘩で賭博すんな。喧嘩ならテメェでやれ。そんな事を考えているうちに、黒髪の男が金髪の男に殴りかかった。一方で、金髪の男はあわあわと携帯を取り出し、そして何やら画面を見て驚愕していた。
「………あ、思い出した」
あの時は髪もボサボサだったから思い出すのに時間がかかったが、一昨日渋谷の駅近くでぶつかった男に背格好が良く似ている。金髪の男は左頬にモロに拳を食らい、白目を剥いて男は地面に倒れ込んだ。たちまち周りからは嵐のようなブーイングが湧き始める。
「立てよ花垣ぃ!てめぇに1000円賭けたんだぞ!」
「ぬるい試合してんなよ!」
ここは古代のコロッセオか何かか?とりあえず、これはドラケンに報告だな。カバンから携帯を取り出して倒れ込む金髪が入るように写メを撮る。カシャッという音に隣りのビビリ君の肩がビクッと震えた。
「おい」
「は、はい!」
「私がココに来た事、誰かに喋ったら殺すからな」
「は、はいぃ!!!」
……やばっ。もうこんな時間じゃん。サロンに遅れる!そそくさと携帯を仕舞い、足早にその場を後にする。あと10分……走れば間に合うか?!
* * *
結論から言うと、サロンにはギリギリ間に合った。汗だくで現れた私に若干引きながらも、かかりつけのネイリストさんは今回もそれはそれは綺麗なネイルを施術してくれた。
「珠綺ちゃんの爪キレー!」
「キレー!」
「ありがと。今度の休み、ルナとマナの指にも塗ってあげる。何色がいいか考えときな」
「赤!」
「オレンジ!」
「早い早い」
左手にルナ、右手にマナの手を握って三ツ谷の家までの道を3人で歩く。
「しっかし暑い……帰りにアイス買って帰ろっか」
「バニラ!」
「チョコ!」
「ん。どっちも買って帰ろう」
三ツ谷とおばさんにも同じのでいっか。勝手知ったる三ツ谷家に着くと、当たり前のようにルナが鍵を渡してくれた。うーん。ルナもマナもしっかりしているのだが、こうも簡単に鍵を渡してくれると若干心配になる。まぁ三ツ谷がしっかりと注意してるだろうから要らぬ心配なんだろうけど。2人に手を洗わせて、ついでに風呂の掃除をして湯沸かしの予約をする。その後はマナのままごとの相手をしながらルナの宿題を見て、やがて2人揃ってお絵描きを始めたタイミングで自分の宿題に取り掛かる。本来であればここで私が夕飯の下準備をすべきなのだろうが、前に小火騒ぎを起こして以来、私は三ツ谷家で食器洗い以外の事で台所に立つのを固く禁止された。解せぬ。
「悪かったな、遅くなって」
「んーん。いいよ。ルナもマナもいい子だったから」
ね?と私が声をかけると、シンデレラの読み聞かせに夢中だった2人は帰宅したばかりの兄に対して自信満々の表情で深く頷いた。
「後で珠綺ちゃんが買ってくれたアイス食べたい!」
「食べたい!」
「飯食って風呂入ってからな」
「ルナとマナ、先に風呂に入れちゃおうか?」
「じゃあ頼む。その間に晩飯の支度しとくから」
「ん」
マナをルナに任せ、私は三ツ谷の服が入っている衣装ボックスから適当にTシャツとスウェットを拝借する。ガサゴソと物色していると、「お前いい加減前貸したヤツ返せ」と小言が飛んできた。チッ、覚えていたか。マナと揃って湯船に浸かる中、洗い場ではルナがせっせと一人で髪の毛を洗っている。ついこの前まで逆上せるかと思うくらい風呂に時間を取られていたのに、ルナがこうして1人で自分の事を出来るようになってからは大分楽になったものだ。各々の今日の出来事の報告も、誰々ちゃんと遊んだという内容から誰々君がカッコいいという内容に変わりつつある。私が言うのも何だが、女の子って本当に成長が早いんだなぁと感心してしまった。三ツ谷、泣くなよ。
「チャーハンだ!」
「チャーハンだ!」
「ルナもマナも、髪乾かしてからな」
「「はーい」」
「あー、腹減ったー…」
「珠綺、お前もだよ」
「はーい……」
ブブッ…ブブッ…
耳元で聞こえた携帯のバイブ音にハッと目を開けた。三ツ谷の作ったチャーハンを食べて、アイスを食べてー…その後は三ツ谷の宿題の邪魔をしないようにルナ、マナを寝かしつけていた、はず。ふと視線を落とすと、すやすやと寝息を起てる可愛い寝顔が2つ並んでいた。あ、寝かしつけているうちに自分も眠っちゃったわけね。
ブブッ…ブブッ…
「珠綺、起きたか?」
「んー……ごめん、寝てた」
「いや、こっちも任せっ放しで悪かったな」
ルナ、マナの部屋は元々の三ツ谷の部屋だった1室をパーテーションで2つに仕切っている為とてもコンパクトな空間だ。とりあえず上半身を起こして両膝を抱きしめるように腕の中に顔を埋める。相変わらずバイブ音が止まないが、ちょっと待って欲しい。まだ頭がボーっとしてるんだよ。
「今、何時ー?」
「23時ちょっと過ぎ」
「あー……」
やばい、寝すぎた。ガリガリと頭を掻いていると、しつこく鳴っていたバイブ音が止み、その代わりに遠くから簡素な着信音が鳴り始めた。多分、いや間違いなく三ツ谷の携帯だ。そして、これも断言できる。着信相手は散々私の携帯を震わせていたヤツと同一人物に違いない。
「もしもし?ああ、いるよ。今起きたとこ」
カーテンから顔を覗かせた三ツ谷は、苦笑しながら「ほら」と通話中の携帯を私に差し出した。
「……もしもし?」
『お前、電話したらさっさと出ろよ』
「んー……仕方ないじゃん。寝てたんだから」
ふぁあ、と大きな欠伸が漏れる。三ツ谷から「女なんだから口くらい隠せ」と小言が飛んできた。いいだろ、別に。
『迎えに行くから準備しておけよ』
「CB250T?」
『さっきまでケンチンと走ってたから、そのまま行く』
「ん。分かった……」
のっそりと立ち上がり、ぐぐっと腕を伸ばす。三ツ谷に携帯を返して自分の持ち物をまとめようとしていると、「制服はあっち」と指差された。適当にカバンの上に置いておいたのに、いつの間にかハンガーにかけられている……。三ツ谷はそのまま一言二言万次郎と会話をして電話を切った。
「お前、ちゃんとマイキーにウチ来るって言っておけよ」
「朝起こした時に言ったよ。アイツが忘れてるだけでしょ」
あー、ようやく目が覚めてきた。
「三ツ谷、この服借りるね」
「おーおー、だから前のさっさと返せって」
「今度持ってくる」
「何着借りパクしてるか覚えてんのか?」
「んー……2着くらい?」
「5着だよ」
暫くしてインターホンが鳴った。24時ちょっと前。三ツ谷に代わって玄関のドアを開けると、随分と不機嫌そうな顔がそこにはあった。
「言っとくけど、朝ちゃんと言ったからな」
「オレは聞いてねー」
「いや、言ったって」
「だから聞いてねーって」
「お前ら、ここでそのやりとりされると迷惑だからさっさと帰ってくれ」
そう言って、三ツ谷は私の荷物をポンッと外に投げ出す。おい、丁重に扱え。ムッと振り返ろうとするが、万次郎にぐいっと手を引かれてそれは叶わなかった。
「三ツ谷、遅くに悪かったな」
「ああ。まぁ、そもそもはオレがルナとマナの子守り頼んじまったのが原因だからなー……」
「……分かった」
「悪ぃな」
じゃ、珠綺また明日。と三ツ谷は玄関の扉を閉める。放り投げられた自分の荷物を拾い、万次郎に引かれるがままCB250Tに跨った。
「オレンちでいい?」
「ん。明日のエマの朝ごはん何かなー?」
「リクエストしとけば?」
「そうする」
万次郎の腰に片手を回し、カチカチとメールを打ち込む。朝ごはんは鮭が食べたい、と。
「んー……?」
「どした?」
「いや、何か忘れてるよーな……」
「何?」
「んー……」
私、確か万次郎とドラケンに何か伝えたいと思っていたような…。うんうん唸っていると、携帯が震えた。
「万次郎」
「ん?」
「明日はパンだってさ」
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