私にできること

体操着に着替える最中、シャツを脱いだ拍子に——ちゃりん、と小さな音が鳴った。

琉音の胸元で揺れたのは、チェーンに通された小さな指輪。


·····それは、幼いころに出久からもらった緑色の石がついているおもちゃの指輪だった。


子供用に作られたそれは、もう琉音の指には入らない。
だから今はこうしてチェーンに通し、肌身離さず胸元に下げている。

琉音は体操服を着る前に、そっとそれを手の中に包み込んだ。

そして·····周りで着替えている女子たちに気づかれないように、その指輪へほんの一度だけ小さなキスを落とした。










その後グラウンドへ出た生徒たちは、相澤から「個性把握テスト」の実施を告げられ愕然とする。

·····なおかつ最下位は除籍処分、と告げられ全員息を呑みこむこととなった。


相澤
「これから3年間、雄英は全力で君たちに苦難を与え続ける」

「“Plus Ultra”」

「全力で乗り越えてこい」


琉音
「(入学初日でこんな試験だなんて·····でも、ここが雄英なんだ·····!)」


緊張で上がった息を落ち着かせるように、琉音は深く呼吸をする。
その際に視線を少し横に向けると、緊張した表情の出久が立っていた。


琉音
「(いずくんも、どうか頑張って·····!!)」



·····だがしかし、結果的に琉音は個性の特性のせいで試験において苦戦を強いられる結果となった。


———そもそもの話、琉音の個性は治癒個性の「癒しの体」。
怪我を癒すことには長けているが、こうした身体能力テストとはあまり相性がいいとは言えない。

もちろん、一時的に生体エネルギーを自身の身体の筋肉などに集中させることによって、(短時間ではあるが)身体強化、筋肉増強効果を引き出すことができるが、その代わりに治癒より多くのエネルギーを消費する。
そのせいもあり、琉音は他の生徒の中で全くと言っていいほど歯が立たない状況だった。


第一種目:50m走     7.0秒
第二種目:握力      42s
第三種目:立ち幅跳び   2.20m
第四種目:反復横跳び   56回


いずれも同年代の女子と比べると上の数値にいるのだが、如何せんここは雄英ヒーロー科。

周囲の記録は——どれも桁違いだった。


琉音
「·····っ」


表示される数値を見るたび、琉音は焦燥感に襲われて小さく唇を噛んだ。


·····そして第五種目のボール投げに突入する。


ここでも他の生徒は好成績をたたき出し、親友のお茶子も浮遊の個性で「∞」の数値をたたき出す。


芦戸
「うそぉ!」

上鳴
「すげぇ!∞が出たぞー!!」


周囲からどよめきが上がる中、お茶子は照れたように頬を掻いた。


お茶子
「えへへ·····軽くしただけなんだけどね」

相澤
「次」


そして、相澤の気だるげな声がグラウンドに響く。


相澤
「久智付」

琉音
「·····は、はい!」


呼ばれた琉音は深呼吸をすると、ゆっくりと前へ歩み出てボールを手に取る。

その瞬間、胸元でチェーンがかすかに揺れた。


琉音
「(·····よし)」


琉音はそっと自分の利き腕に手を当てる。

·····すると、淡いピンク色の光が一瞬だけ肌の上を走った。


これは、他の種目でも使った治癒個性の応用。
生体エネルギーを一部の筋肉に集中させ、一時的にだが身体能力や筋力を引き上げることができる。


———それを今、倒れるか否かのギリギリのラインまで引き上げた。


琉音
「·····っ!!」


ぐっ、と地面を踏みしめ、腕に入れられるだけの力を入れる。

筋肉がミシミシと音を立てて軋むような感覚と共に、腕の奥に燃えるような熱が集まっていく。



それが最高潮に達したその瞬間———ぶん、と腕を振りぬいた。



表示された数値は———762m。


陽太
「おおっ!」

上鳴
「回復系なのにやるじゃん!」


周囲のどよめきをよそに、琉音は小さく肩で息をする。
·····腕に残る鈍い痺れと痛みが、無理をした証の様にじんわりと広がっていった。


相澤
「次、緑谷」


そして、相澤の淡々とした声が響く。

琉音が思わず振り返ると、そこには緊張した面持ちの出久が立っていた。


琉音
「·····!」


琉音は思わず声をかけそうになったが、すんでの所で飲み込んだ。


「無理しないで」


その言葉を喉奥に押し込んで、ぐっと唇を噛む。


琉音
「(·····いずくんは、止めてもきっとやる)」


胸の奥が痛いほどにざわつくが、視線だけはずっとまっすぐ出久を追っていた。


琉音
「(どうか·····怪我しませんように·····!)」










·····結論から言うと、出久は指先だけにワン・フォー・オールを発現させ、指一本を犠牲に705mという記録を打ち出すことに成功した。

戻ってきた出久の右手人差し指は腫れて紫に変色しており、どう見ても折れているのが素人目にもわかる状態だった。


琉音
「·····!」


思わず声を上げそうになり、琉音は慌てて口を押さえる。
出久は痛みに顔を歪めながらも、どこかやりきったような表情で琉音の方を見る。


出久
「だ、大丈夫だから·····!」


琉音の視線に気づいたのか、出久はそう言いながら慌てて指が折れていない方の手をぶんぶんと振った。


琉音
「だめ!見せて!」


琉音も慌てた様子で、出来るだけ折れた指に障らないよう出久の右手を掴む。
そしてそのまま出久の右手の甲を顔に寄せ、そのまま折れた指にちゅっ、と優しく、そして軽いキスを落とした。


その瞬間、唇が触れている部分がふわっと淡いピンク色に光る。

光はほんの一瞬だけ指先を包み込み、やがてすっと消えた。


出久
「·····あ」


出久が小さく声を漏らす。

先ほどまで走っていた鈍い痛みが、少しだけ和らいでいた。

·····しかし腫れた指そのものは、まだ紫色のまま。


琉音
「·····応急処置」


琉音は少しだけ眉を寄せながら、そっと出久の手を離した。


琉音
「ごめんね、私も限界で·····今はそれしかできないの。ちゃんと治すなら、もう少し時間がいるから·····」


出久
「えっ、あ、いや、その·····!」


突然の出来事に、出久は顔を真っ赤にして言葉を詰まらせる。


出久
「だ、大丈夫だよ!ほんとに!痛みも·····あ、あんまり感じなくなったし!」

琉音
「無理してるでしょ」


琉音は少しだけ頬を膨らませて出久を見上げた。


琉音
「·····それ以上、無茶しないでね?」

出久
「·····う、うん」


出久は照れくさそうに頷く。

そんな二人のやり取りを、周囲の生徒たちがぽかんとした顔で見ていた。


上鳴
「·····今、指にキスした?」

陽太
「回復個性っぽくね?」

峰田
「ていうか距離近くね?」


ざわ、と小さなどよめきが広がる。


相澤
「静かに」


その空気を切るように、相澤の低い声がグラウンドに響いた。


相澤
「まだテストは終わってないぞ」


その言葉に、生徒たちは慌てて姿勢を正す。


相澤
「次」


淡々とした声と共に、個性把握テストはそのまま続行された。



·····結論から言うと、除籍は嘘であり生徒の最大限を引き出す“合理的虚偽”だった事が伝えられた。

その事実を聞いた瞬間、グラウンドにいた生徒たちから一斉に安堵の声が上がる。


切島
「はぁぁぁ!?脅しだったのかよ!!」

お茶子
「心臓止まるかと思った!」

陽二
「先生ひどいってそれ!」


口々に抗議の声を上げる生徒たちを前に、相澤は特に気にした様子もなくタブレットを操作する。


相澤
「結果はこれだ」


空中に表示されたランキング表を見て、生徒たちは再びざわめいた。


陽太
「うわ、もう順位出てる!」

上鳴
「マジでガチの成績じゃんこれ!」


その中で、琉音は思わずある名前を探していた。


琉音
「(いずくんは·····)」


指を折ってまで記録を出したのだ。

きっと順位は上がっているはず———

そう思っていた·····が。


琉音
「·····え」


表示された順位の一番下にあった名前を見て、琉音は息を呑む。

27位 緑谷出久

琉音
「·····!」


琉音の胸が、きゅっと締めつけられる。

「(そんな·····)」

あんなに無茶をして。

指まで折って。

それでも最下位。

視線の先では、出久が少しだけ悔しそうに拳を握りしめていた。

それでも———


琉音
「(でも·····)」


琉音はそっと目を細める。


琉音
「(いずくん、ちゃんと前に進んでる)」


·····幼い頃から、知っている。

何度転んでも、何度負けても。

それでも前を向く人だということを。

だから琉音は、小さく息を吐いてからそっと拳を握った。


琉音
「(·····私も、もっと頑張らないと)」




———雄英ヒーロー科。

その第一歩は、想像以上に厳しいものだった。



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