奪われる瞬間

———そのころ、窮地を切り抜けた出久達は。


峰田
「今日快便だったし、奴ら一日はくっついたままだぜ·····!」

陽二
「改めて考えるとえげつねぇな、それ·····」

出久
「あれで全員だったのは運がよかった·····」
「すごいバクチをしてしまっていた·····」
「普通なら念のため何人かは水中に伏せとくべきだし·····もっと慎重に——」

梅雨
「緑谷ちゃん、やめて。怖いわ」


———そんなやり取りの中、陽二の身体がわずかに揺れた。

ほとんど人間の姿に戻ってはいる。
だが———頬や髪の一部に、まだ鳥の羽根が残っており、完全には戻りきっていなかった。


琉音
「陽二くん、大丈夫!?」

陽二
「·····っぶねー·····マジで」
「あとちょいでキメラに意識持ってかれてた·····」

琉音
「大丈夫なの·····それ·····?」

陽二
「まぁな·····今のところはまだ“俺”だ」
「あとで兄ちゃんと合流したら、注射器借りりゃ何とかなる」


その言葉とは裏腹に、陽二の指先がわずかに震えていた。


梅雨
「とりあえず·····次どうするかじゃないしら?」

出久
「そうだね·····とりあえず、救けを呼ぶのが最優先だよ」
「このまま水辺に沿って、広場を避けて·····出口に向かうのが最善かな」

琉音
「うん、そうだね·····広場は相澤先生が敵を大勢引き付けてくれてる·····」
「でも·····数が多すぎる、かも·····」

出久
「先生はもちろん制圧するつもりだろうけど·····」
「·····やっぱり僕らを守るため、無理して飛び込んだと思うんだ」

峰田
「え·····?まさか緑谷·····バカバカバカ·····!」

梅雨
「ケロ·····」

出久
「邪魔になるようなことは考えてないよ!」
「ただ隙を見て·····少しでも先生の負担を減らせればって·····」

琉音
「·····無理、しないでね」


琉音はそう言うと、出久の右手を取り———

一瞬だけ、ためらうように視線を落とす。

そして———折れた指先に、そっと口づけた。


ほんの一瞬、薄ピンク色の光がふわりと指を包み、温かい感触が指先からじんわりと広がった。


———そして、痛みが引いていく。


さっきまで確かに折れていたはずの指が、ゆっくりと元の形へ戻っていく。


出久
「す、すごい·····!」


だが———それ以上に。


出久
「(·····また、だ)」
「(男の子にはしないって·····言ってたのに·····)」


胸の奥が、妙にざわつく。

嬉しいような、でもどこか落ち着かないような———

言葉にできない熱を持った感覚が、出久の胸を焦がす。

———それは、さっき琉音が触れた場所と同じ温度だった。



琉音
「ぷはっ·····これで、少しは動きやすくなった?」

出久
「う、うん!ありがとう·····!」

琉音
「·····よかった」


琉音は小さく笑う。

———けれど。

その笑みは、ほんの少しだけ“無理をしている”ようにも見えた。

———まるで、自分に「大丈夫だ」と言い聞かせるように。

———震えそうになる何かを、押し込めるように。



陽二
「·····おい、ここに長居はマジでやべぇぞ」
「よく分かんねぇけど、なんか変な音がずっとしてんだ·····」



忙しなく獣耳をぱたぱたと動かしながら、陽二はそう言った。

その言葉に、全員の動きが止まり———耳を澄ませる。


———ドンッ。


遠くで、何かが“叩きつけられる”ような音が響いた。

遅れて、水面がびり、と震える。


その瞬間———琉音の呼吸が、わずかに止まる。

胸の奥が、ひくりと揺れた。



琉音
「――ッ!」



———くすんだ赤色。

———消毒液の匂い。

———白い天井。




「·····ごめんな」




掠れた声が、かすかに蘇る。



琉音
「(·····ちが·····今じゃ、ない·····!!)」



———ここで崩れるわけには、いかない。


琉音はぎゅっ、と震える自分の腕を強く掴む。

指先が、わずかに熱を帯びた気がした。


———小さく、火が灯るように。



だが———その熱は、すぐに消える。




峰田
「な、なんだよ今の·····!」

梅雨
「·····ただの戦闘音じゃないわね」

出久
「(この振動·····さっきまでの敵とは明らかに違う·····!)」

陽二
「来てるぞ·····“デカいの”が」



———空気が、重く沈む。

———嫌な予感が、背筋をなぞる。



その後、五人が見たものは———

脳無に叩きのめされている、相澤の姿だった。










成す術もなく脳無に蹂躙される相澤を見ながら、纒はつまらなそうにぽつりと呟く。



「“個性を消せる個性”って素敵だけど、何てことないわね」
「圧倒的な力の前じゃ、“無個性”と変わらないもの」


「·····そうだな」


すると、弔の後ろにゲートが現れ·····黒霧が姿を現す。


黒霧
「死柄木 弔」


「·····黒霧、13号はやったのか」

黒霧
「行動不能には出来たものの、散らし損ねた生徒がおりまして·····」
「一名、逃げられました」


「·····は?」


弔はそう言うと、大きなため息を吐きながらガリガリと首元を掻き始める。



「黒霧、お前·····お前がワープゲートじゃなかったら粉々にしたよ·····」
「流石に何十人ものプロ相手じゃ敵わない·····ゲームオーバーだ、あーあ·····」

「“今回”はゲームオーバーだ·····帰ろっか·····」


———まるで飽きたゲームのリセットボタンを押すように、弔はそう呟いた。



峰田
「帰る·····?帰るっつったのか、今?」

梅雨
「そう聞こえたわ」

峰田
「やっ、やったあ!!助かるんだ俺達!!」



·····張り詰めていた空気が、ほんの一瞬だけ緩む。

誰かが、小さく息を吐いた。



梅雨
「ええ、でも·····気味が悪いわ、緑谷ちゃん」

出久
「うん·····これだけの事をして、あっさり引き下がるなんて·····」

琉音
「な、何がしたかったの·····?」




「——けども、その前に」
「平和の象徴としての矜持を少しでも———へし折って帰ろう!」



———その言葉の意味を、誰かが理解するよりも早く。


———気づけば、琉音の目の前に弔が迫ってきていた。


距離も、気配も———何もかもを飛び越えて。


———“そこにいたはずの空間”ごと、歪むように。



琉音
「·····!?」



彼の掌が、琉音の顔を覆うように迫る。

———五指。

その全てが触れれば、“終わる”。

あと、ほんの数センチ。

———呼吸一つ分で、届く距離。



その瞬間。

———倒れ伏していたはずの相澤の視線が、弔の手元を捉える。



相澤
「·····させる、か·····ッ!」


掠れた声と同時に———

その瞳が、赤くぎらりと光る。



「·····チッ」


ほんのわずか。

“個性”が無効化され———一瞬だけ、弔の手から力が抜ける。


———その“隙”に。




「———駄目!!」


纒は弔の腕を、横から強く引いた。



「·····何すんだよ、纒」


「その子は、私のよ」
「だって、こんなに“優しそう”なんだもの——壊すのは、他の子でもいいでしょう?」



声音は———叱るようでいて。
けれどどこか、おもちゃを取られそうになった子供のように無邪気だった。




「·····は?」


わずかに、手が逸れる。

纒は、そのまま琉音の方をじっと見つめる。

まるで———

“欲しかったもの”を見つけたように。



「だって·····こんなに“壊れそうで綺麗”なんだもの」
「ただ崩すだけなんて、もったいないわ」


そう言うと、纒はニコッと笑う。



「·····ねえ、あなた」
「邪魔されないところで、お話しましょ!」



纒は琉音にそう言い、黒霧にアイコンタクトを送る。


———次の瞬間。


黒霧
「·····承知いたしました」



音もなく、黒い霧が琉音の足元に広がる。

———逃げ場が、消える。



出久
「———っ、待っ·····!!」
「(届け———!!)」



出久は琉音に手を伸ばす。

だが———届かない。



琉音
「———いず、くん·····!!」


足場が、消える。

視界が、黒に塗りつぶされる。


———引き離される。

延ばされた手と、届かなかった指先。


その距離は———ほんの数センチのはずなのに。

二度と届かないと錯覚するほど、遠く感じられた。



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