·····ドサッ、と。
ゲートから投げ出されるように地面に叩きつけられた琉音は———
痛む身体も気にせず、すぐに体を起こした。
息を整える間もなく、あたりを見回す。
どうやら先ほどいた場所から、そこまで離れていないようだ。
するとどこからか、オールマイトの声が聞こえてきた。
———一瞬、胸の奥が軽くなる。
·····助かった、と思いかけた———その時。
纒
「·····あら、オールマイトが来たの?」
「せっかくこれから、彼女と“仲良く”お話をしようと思ったのに·····」
その声音は———まるで、本当に残念がっているかのように柔らかかった。
すたっ、と。
まるで舞台に上がるかのような優雅な足取りで、纒がゲートから姿を現す。
纒
「·····ふふ、乱暴しちゃってごめんなさいね。」
「どうしてもあなたが欲しかったから、弔に我儘言っちゃったわ·····あとで謝らなくちゃ」
そう言って、纒は嬉しそうに微笑む。
———まるで、本当に“欲しかったもの”をようやく見つけた子供のように。
その視線に、琉音は反射的に一歩下がろうとする。
だが、強く打ち付けた体は思うように動かない。
———逃げなきゃ、と分かっているのに。
足が地面に縫い付けられたみたいに動かない。
呼吸だけが、やけに浅くなる。
それでも———目だけは逸らさなかった。
纒
「·····あぁ、怖がらないで!ひどい事したいわけじゃないの!」
くすくす、と。
纒は喉の奥で小さく笑う。
その声は、あまりにも優しく———だからこそ、余計に恐怖を煽った。
纒
「だって、あなた·····ちゃんと大事にしたいもの」
ほんの少しだけ、声を落とす。
愛おしむみたいに。
纒
「綺麗で壊れそうだから·····私の物にしたいの!」
そう言うと、纒はじっ、と琉音を見つめた。
口の縫い合わされた部分ごと口角は上がり、
何もないはずの縫われた右目すら、確かに“見られている”と感じてしまう。
———視線が、皮膚の内側まで入り込んでくるみたいに。
———逃げ場が、ない。
琉音
「(この人、何考えてるか全然分からないけど·····)」
「(ここで崩れたら——終わる·····!!)」
「(オールマイトか先生が来るまで·····何とかして、時間を稼がなきゃ·····!!)」
琉音は奥歯をぎり、と噛み締め、何とか言葉を絞り出す。
琉音
「·····っ、どうして、私なの·····?」
その言葉に、纒はきょとんとした顔でこう答える。
纒
「どうして、なんて———簡単よ」
「だってあなた、壊れそうなのに壊れてないでしょう?」
「そういう子ってね、すごく綺麗なの。」
「でも、そういう子は———死ぬ直前が一番綺麗なの!」
嬉しそうに、少しだけ声が弾む。
纒
「大丈夫よ」
「みんなね、“ちょっとしか痛くなかった”って褒めてくれるの」
「———最期に、ちゃんと笑ってくれるのよ?」
そう言って微笑むと———
ほんの一瞬だけ、空気が止まる。
纒は、ゆっくりと胸元に手を差し入れ———
迷いのない手つきで、まるで日用品でも取り出すかのように·····ナイフを一本取り出す。
———光が、刃に細く反射した。
その光が一瞬だけ———琉音の瞳に反射する。
それが、ゆっくりと琉音に向けられる。
視線の先には———ナイフ。
·····距離は、あと数歩。
———逃げ場は、もうない。
纒
「“禍神ちゃん”にするためには、殺す前にちょっと傷を付けないといけないんだけど——」
「あなた、我慢強そうだし·····多分大丈夫ね!」
「ちゃんと、優しくするから」
「怖い思いさせたくないもの」
「怖くないように——すぐ終わらせてあげる」
「·····痛いの、嫌いでしょう?」
———そう言って、ほんの少しだけ首を傾げる。
まるで———本気で気遣うみたいに。
“優しいことをしている”と、信じているみたいに。
そして、纒が一歩距離を詰めようとした———その瞬間。
轟音が、叩きつけるように響いた。
·····それは、遠くでオールマイトと戦っていた脳無が、
USJのドームを突き破って外に吹き飛ばされた音だった。
纒
「·····うっそ、脳無がやられちゃったわ·····」
それを見た纒は一瞬、きょとんと眼を瞬かせる。
その声には———先ほどまでの熱は、微塵もなかった。
·····まるで、興味のスイッチが切り替わったみたいに。
纒
「ドクターと“お父さん”が共作したって聞いたのに·····」
「すごく“いい出来”だって·····ちゃんと強いって·····褒めてたのに·····」
纒は先ほどの笑顔が顔から消え、呆気に取られたような顔をする。
·····琉音はそこで、あることに気づく。
纒の体の先、砂煙の向こうで———見慣れた緑色の髪が、揺れた。
———そんなに遠く、離れていないのに。
声を出せば届くはずなのに———なぜか、喉が動かない。
·····呼べば、全部壊れてしまいそうで。
彼はまだ、こちらに気づいていない。
ただ———目の前の敵に、食らいつくことだけで精いっぱいで。
·····こちらを振り返る余裕なんて、どこにもなくて。
———心臓が、強く跳ねる。
逃げなきゃいけないのに。
———それでも、目が離せない。
すると、琉音の様子に気づいた纒がすい、と視線を同じ方向に向ける。
纒
「あら、彼———さっきあなたといた子ね」
琉音
「·····!」
纒
「黒霧のワープゲートに入ったあなたに必死に手を伸ばして·····随分と情熱的なのね?」
「——彼、あなたの好きな人?」
纒は少しだけ、楽しそうにそう言った。
琉音
「っ、ちが·····」
———言葉が、続かない。
否定しなきゃいけないのに、うまく息が吸えない。
纒
「ふふ、隠さなくたっていいのよ。好きな人がいるって幸せよね!」
「好きな人にはなんだってして欲しいし、なんだってしてあげたくなる」
「·····全部、あげたくなるの」
「そばに居ると幸せだし、離れちゃうととっても悲しくなるの」
「だからね」
「———彼も一緒に、殺して連れて帰ってあげるわ」
「寂しくないように、ちゃんと隣に置いてあげる」
琉音
「———やめて·····!」
掠れた声が、ようやく喉から零れる。
———遅い。
分かっているのに、止められない。
その声に、纒は首を傾げた。
·····本当に、不思議そうに。
纒
「どうして?好きなんでしょう?」
「·····嫌なの?」
少しだけ考えるように、視線を揺らす。
纒
「———あ、そっか」
嬉しそうに、ぱっと表情が開く。
纒
「·····じゃあ、彼から先に“禍神ちゃん”になってもらいましょう!」
そう言うと、纒はくすり、と楽しそうに笑う。
纒
「その方が、ちゃんと納得できるものね」
次の瞬間。
纒の手首が、軽く振られる。
———まるで、当たり前の動作みたいに。
·····そこには迷いも、躊躇もなかった。
キィン、と。
空気を裂くように、ナイフが一直線に———迷いなく走る。
琉音
「———っ!!」
視界の先。
———緑色の髪が、はっきりと見えた。
その先へ向かう刃。
異変に気付いた出久がその方向へ顔を向ける。
———間に合わない。
どうやっても、届かない。
その瞬間。
頭の中が、真っ白になる。
———違う。
琉音
「(もう、奪われたくない·····!!)」
琉音
「———いずくんに、触らないで!!」
叫びは、ほとんど反射だった。
考えるより先に———身体が動いていた。
次の瞬間。
———ボッ、と。
何かが“弾ける”ように。
琉音の足元から———髪色と同じ淡いピンク色の炎が吹き上がる。
空気が歪む。
熱が、爆ぜる。
それはただの炎ではなく、柔らかく淡い色なのに———
まるで“守る意思そのもの”———誰かを守るための衝動が形になったような熱を孕んでいた。
ナイフがその熱に触れた瞬間———弾かれる。
軌道を逸らし、火花を散らして吹き飛んだ。
纒
「——っ、なに、これ·····!」
その声にすら、琉音は反応しない。
炎も止まることなく燃え盛る。
まるで———
抑え込まれていた何かが、堰を切ったように。
それは、怒りでもなく、恐怖でもなく———
ただ“守りたい”という感情だけが、燃え上がっていた。
炎は収まることなく、むしろ———揺らめきながら、じわじわとその範囲を広げていく。
足元だけだったはずの火が、琉音の身体を伝い、腕や背中まで炎に包まれる。
出久
「·····琉音·····ちゃん?」
その声に、琉音の肩がびくりと震える。
けれど·····その方向を向くことができない。
今、出久を見れば———この炎が止まってしまう。
———それだけは、分かっていた。
次第に———じり、と。
遅れて、皮膚が焼けるような感覚が襲ってくる。
琉音
「·····っ·····あ、つ·····」
熱い。
痛い。
なのに———
炎は、止まらない。
まるで、体の奥から無理やり引きずり出されるみたいに。
·····心臓の奥が———無理やりこじ開けられるみたいに。
———その瞬間、炎が大きく爆ぜる。
纒はその炎に巻き込まれ、服にその炎が燃え移った。
纒
「きゃああっ!!!!」
纒は急いでその場に転がり、服に移った炎を消そうとする。
纒
「な、に·····これ·····っ、消えない·····!」
転がりながら、必死に叩きつける。
だが——炎は消えない。
まるで、生きているみたいに。
布を舐め、肌に食い込み·····じわじわと燃え広がっていく。
纒
「·····あは、なにこれ·····すごい·····!」
その声は———痛みよりも、興味が勝っていた。
纒
「ねえ、それ·····あなたの“個性”?」
「綺麗·····ほんとに、綺麗·····!」
その言葉に———琉音は反応しない。
·····いや、できない。
炎は止まらず·····じり、と。
皮膚が焼ける。
琉音
「·····っ、あ·····ぁ·····!」
火傷の痛みに、琉音の膝が崩れる。
だが——それでも炎は消えない。
むしろ。
内側から、さらに燃え上がる。
琉音
「(止まって·····お願い、止まって·····!)」
——炎はまだ、止まらない。
出久
「琉音ちゃん!!」
その声に、びくりと身体が揺れる。
出久
「もういい!もう大丈夫だから!!」
その言葉は——必死だった。
怖さも、焦りも、全部混ざっている。
出久
「僕は無事だ!!見てるだろ!!だから——!!」
炎の熱に、顔を歪めながら。
それでも———出久は琉音に向かって、一歩を踏み出す。
梅雨
「緑谷ちゃん、ダメ!!」
陽二
「やめろ緑谷!!」
·····だが、止まらない。
出久
「琉音ちゃん!!」
その声が——届いた。
ほんの一瞬·····炎が、揺れる。
———初めて、迷うように。
琉音
「·····い、ず·····くん·····?」
意識が、わずかに戻る。
その瞬間。
——ボンッ!!
炎が一気に膨れ上がり、そして——
·····ストン、と。
嘘のように。
そのまま力を失ったように———消えた。
·····一瞬の静寂の後、琉音の身体がぐらりと揺れる。
出久
「——っ!!」
出久は急いで駆け寄り、琉音を抱き止める。
ノースリーブのインナーから覗く琉音の腕は——
赤く焼け、ところどころ皮膚が裂けていた。
出久
「ひどい·····こんなの·····!」
琉音
「·····いず、くん·····だい、じょうぶ·····?」
声は、かすれている。
琉音
「·····今度、は·····ちゃんと、守れた·····よね·····」
そのまま——意識が落ちる。
出久
「·····琉音ちゃん?琉音ちゃん!!」
呼びかけても、返事はない。
ぐったりと力の抜けた体が、腕の中でかすかに揺れる。
———その瞬間。
静寂の中で、衣擦れの音がした。
纒
「·····あーあ」
ぽつり、と。
心底つまらなさそうな声。
纒
「せっかく、いいところだったのに」
そのまま·····ゆらり、と立ち上がる。
焼け焦げた服の隙間から、赤く爛れた皮膚が覗いている。
それでも——その口元は、笑っていた。
纒
「でも·····大丈夫」
すっ、と。
もう一度、胸元へ手を差し入れる。
纒
「———まだ、間に合うもの」
カチ、と。
新しいナイフが指の間で光る。
出久
「·····っ」
動けない。
琉音を抱えたままでは——避けられない。
纒
「今度は、ちゃんと——2人揃って“変えて”あげる!」
一歩、踏み込む。
距離が、詰まる。
その瞬間。
———パンッ!!
乾いた銃声が、空気を裂いた。
纒
「——っ、え」
遅れて。
右手と、左足から——血が弾ける。
ナイフが、手から滑り落ちる。
纒
「·····あ、れ·····?」
ぐらり、と体が傾く。
支えを失ったように、その場に崩れ落ちた。
二発目。
三発目。
正確無比に、動きを封じる軌道。
遠くから、低い声が響く。
スナイプ
「——そこまでだ」
だが。
その声すら、もう纒には届いていなかった。
纒
「·····ぁ、あ·····」
打たれた痛みが、火傷の痛みが———遅れてやってくる。
纒
「·····や、だ·····」
視界が、歪む。
呼吸が、浅くなる。
纒
「·····いた、い·····」
その瞬間。
何かが、纒の中で———ぷつりと切れた。
———さっきまでの“彼女”が、消える。
纒
「·····ふぇ·····」
声が、崩れる。
涙が、ぽろぽろと零れ落ちる。
纒
「·····う、とむらぁ·····」
「いたいよぉ·····」
身体を丸める。
さっきまでの余裕も、狂気も、どこにもない。
ただの———
傷ついた子供みたいに。
纒
「·····なんで·····」
しゃくりあげる。
言葉が、途切れる。
纒
「·····なんで、ひーろーは·····」
「·····わたしに、こんなひどいことするの·····」
その場には———
わぁあん、とまるで迷子になってしまった子供のような———纒の泣き声だけが響いていた。
·····誰も、動けなかった。
出久は琉音を抱きかかえたまま——
ただ、その光景を見ていることしかできない。
助けるべきなのか。
止めるべきなのか。
それとも——
何もしないのが、正しいのか。
———判断が、追いつかない。
その場の誰もが———ただ、動けずにいた。
その時。
泣きじゃくる纒の足元に、黒い霧が静かに広がる。
音もなく現れたゲートの向こうから、黒霧が姿を現した。
黒霧
「·····纒様」
纒
「·····っ、くろぎり·····」
涙で濡れた顔を上げる。
その視線は、怯えた子供のそれだった。
纒
「·····とむら、は·····?」
黒霧は一瞬だけ沈黙し、しかしすぐに穏やかな声で答える。
黒霧
「彼は、あとで来ます」
「·····ですから、先にこちらへ」
その言葉に、纒はしゃくりあげながら小さく息を呑む。
まだ不安そうに周囲を見回しながらも、ゆっくりと黒霧の方へ手を伸ばした。
纒
「·····ほんと·····?」
黒霧
「ええ、ご安心ください」
纒はぐすぐすと泣いたまま、黒霧の差し出した霧の中へ身を預ける。
まるで———迎えに来た保護者に縋る子供みたいに。
出久は、琉音を抱きかかえたままその様子を見ていた。
追うことも、引き止めることもできない。
ただ———その異様な光景を、見送ることしかできない。
黒霧
「·····失礼」
その一言を最後に。
黒い霧が、纒の姿ごと静かに閉じていく。
泣き声だけが、最後まで細く残って———
やがて、それすら消えた。
·····残されたのは、焼けた匂いと、まだ熱の残る地面。
そして———
誰も、すぐには言葉を見つけられなかった。