———敵連合のアジト。
黒霧の歪みが、音もなく収束する。
ねじれた空間が閉じると同時に、
二つの影が、血の匂いを引きずるように——赤い滴を床に刻み、そのまま崩れ落ちた。
その音に気づいた女———
操子
「·····あら、おかえ——って、どうしたの!?」
操子の目が、目隠し越しにわかるほどはっきりと見開かれた。
視界に映ったのは———血。
服を濡らし、床にぽたりと落ちていく赤。
弔
「両手両足撃たれた·····完敗だ·····」
「脳無もやられたし、手下共は瞬殺だ·····」
「·····子供も強かった·····」
淡々とした声。
·····だが、その呼吸はわずかに荒い。
弔
「·····纒も、撃たれてる」
弔の腕の中で、小さく震える影。
纒
「ふぇ·····っ·····いた·····いたいよぉ·····」
———幼い声。
いつもの彼女からは想像もつかない、崩れた声だった。
弔は何も言わず、ただ片手で——四本指で、纒の頭を撫でる。
·····五本目の指だけは、決して触れないように。
弔
「·····大丈夫だ」
低く、短く。
それだけだが、その声に·····
纒の震えが、ほんのわずかに弱まる。
操子
「·····“撃たれた”じゃないわよ!」
操子が一歩踏み出す。
その顔には、明確な焦りが滲んでいた。
操子
「とりあえず私の個性で痛覚落とすから、二人ともじっとして!」
操子は、すぐに距離を詰める。
目隠しをずらし、
視線を———まっすぐに合わせる。
「·····見るわよ」
一瞬。
操子の瞳が、わずかに細まる。
次の瞬間。
操子
「——はい、痛覚だけ外したわ」
まるで、スイッチを切るように———
纒の体から、力が抜ける。
纒
「·····あれ·····?」
涙で滲んだ目を、ぱちぱちと瞬かせる。
纒
「いたく、ない·····」
不思議そうな声。
操子
「·····そうよ、今はもう大丈夫」
「痛くないうちに手当するから、少し待っててね」
操子は優しく言う。
·····だがその視線は、冷静に傷を見ている。
操子
「·····弔くん、あなたも」
弔
「·····いらない」
操子
「強がってる場合じゃないでしょ!」
弔
「·····平気だ」
だが、わずかに血が滲む。
操子はため息をひとつ。
操子
「はいはい、“平気”な人ほど死ぬのよ」
操子はそう言って、有無を言わせず弔の顔を掴んで強引に視線を合わせる。
操子
「——動かないで」
次の瞬間。
弔の呼吸が、わずかに変わる。
弔
「·····っ」
痛みが、消える。
完全ではない。
———だが、確実に軽くなる。
操子
「どう?」
弔
「·····マシだ」
短く答える。
操子はその答えに小さく頷くと、周囲を見渡した。
操子
「·····黒霧」
黒霧
「はい」
操子
「包帯、残ってたかしら?」
黒霧
「ええ、医療用のものが幾つか」
操子
「全部持ってきて。消毒も」
黒霧
「承知しました」
再び、空間が歪む。
その間も纒は、弔にしがみついたまま。
纒
「·····ねぇ·····ほんとに、いたくない·····?」
纒の不安げな声に、弔は一瞬だけ視線を落とす。
弔
「·····ああ」
「もう、大丈夫だ」
その言葉は、誰に向けたものだったのか。
操子はそれを聞きながら、静かに包帯を準備する。
操子
「·····ほんと、世話が焼けるわね」
呟きは小さい。
だがその手つきは、驚くほど丁寧だった。
——まるで、壊れかけのものでも扱うみたいに。
・
・
・
しばらくして———ようやく、呼吸が整ったころ。
纒
「·····っ、あ·····?」
かすかに、纒の指が動く。
焦点の合わなかった瞳が、ゆっくりと現実を捉えていく。
弔
「·····戻ったかよ、纒」
弔は、纒の瞳を一度だけ覗き込んでからそう呟くように言った。
弔の声は、いつも通り淡々としている。
だが、その手はまだ———無意識に、纒の頭に置かれたままだった。
纒は瞬きをひとつすると———状況を確かめるように、周囲を見渡す。
纒
「·····ごめんなさい」
ぽつりと、静かに言う。
纒
「私ったら、またあなたに迷惑を·····」
その言葉に、弔は小さく鼻を鳴らした。
弔
「気にすんな、撃たれたんだから仕方ねぇ」
「·····そんぐらいのハンデがあった方が、面白ぇだろ」
軽口のようで。
どこか、突き放しきれていない声音。
そのまま、纒の目尻にまだ残っていた涙を、
弔は親指で、無造作に———雑に擦り取る。
纒
「·····っ」
その仕草に、纒がほんのわずかに目を細めた。
纒
「ふふ·····ありがとう」
柔らかく、笑う。
纒
「·····あの子に燃やされた所までは、なんとか覚えてるんだけど·····」
「撃たれて痛みを感じたあたりから、記憶が曖昧だわ」
そう言うと纒は指先で、自分のこめかみを軽く押さえる。
纒
「でも、大丈夫·····もう戻ったわ」
そう言って、すっと表情を整える。
———先ほどまでの幼さは、まるで最初からなかったみたいに消えていた。
ただ———どこか、残滓だけが奥に沈んでいるようにも見えた。
纒
「·····とりあえず」
視線が、弔へ向く。
その目は、弔の両手両足の傷を捉えていた。
纒
「確か·····治癒個性の禍神ちゃんがいたはずだわ」
「操子さんの感覚操作が効いてるうちに、怪我を治さないと」
操子
「·····あなたの個性を使うの?」
操子が眉をひそめる。
操子
「·····あれ、あんまり好きじゃないんだけど」
「感覚に無理やり入り込んでくるような——あの“侵される感じ”、どうも苦手だわ」
纒
「ええ、あなたの個性も永続じゃないし·····」
「そもそもここじゃ、ろくな医療器具もないもの」
淡々とした現実的判断。
纒
「仕方ないわ」
そして。
纒は、ゆっくりと両手を合わせた。
「·····畏み」
ぱん。
「畏み」
ぱん。
「申す」
「おいで、“禍神ちゃん”」
空気が、わずかに歪む。
影が、滲む。
床に落ちた影が、じわりと“濃く”なり——
·····それは、ゆっくりとこちらを向いた。
———それは、形を持った黒。
ただの黒ではない。
粘つくような、濁った闇。
———見ているだけで、肌の奥がざわつくような。
そこから生まれたそれは、
生き物のようで———決して“それ”ではない。
“禍神ちゃんと”呼ばれた“それ”は、
ノイズ混じりの耳障りな———意味を持たない鳴き声を上げる。
操子
「·····っ、相変わらずね」
「気持ち悪いわ、それ———感覚の奥まで触られてるみたいで」
操子が顔をしかめる。
纒
「·····失礼ね」
纒は、優しくそれを撫でた。
———まるで、本当に愛しい存在であるかのように。
纒
「とっても可愛いでしょう?」
「———こんなに素直で、優しいのに」
その手つきは、どこまでも丁寧で。
すると、禍神は纒の手足の傷に気づいたのか
慌てるように———だがどこかぎこちなく、纒の周りを忙しなく這い回る。
纒
「·····大丈夫よ、禍神ちゃん。」
「傷はあるけど、今は痛くないの。」
纒のその言葉に———黒いそれが、ぐにゃりと揺れる。
纒
「それより·····弔の傷を、先に治してあげて欲しいの」
「私より、ずっとひどい怪我をしているから·····」
ノイズが、わずかに変わる。
———まるで、纒の命令に応じるように。
纒
「·····ほら、ちゃんと言うことも聞いてくれるのよ?」
「———いい子でしょう?」
纒は、ふと笑った。
纒
「弔だって、可愛いって言ってくれたわ」
その言葉に。
弔
「·····言ってねぇ」
弔の視線は、ほんの一瞬だけ。
その黒い存在へと向けられており———視線は、逸らされなかった。
禍神は、ゆらりと揺れる。
そして。
ゆっくりと、弔の傷へと這い寄った。
禍神は、ゆらりと揺れる。
そして。
ゆっくりと、弔の傷へと這い寄った。
黒い影の先端が、まずは撃ち抜かれた右手の傷口にそっと触れる。
弔
「·····」
次の瞬間———ずるり、と。
黒が傷口の上を覆うように広がった。
それは包むというより———傷の中へ“入り込んでいく”ようだった。
操子
「·····っ、やっぱり見てて気分のいいものじゃないわね」
操子が眉をひそめ、目隠しを少しだけ指で押さえる。
だが、禍神は気にも留めない。
ノイズ混じりの低い鳴き声を喉の奥で震わせながら、
傷口を舐めるみたいに、黒を這わせていく。
弔
「·····あァ」
その声は、痛みではなく———違和感に近かった。
操子
「痛いの?」
弔
「いや·····気持ち悪いだけだ」
操子
「·····でしょうね」
黒いそれは、弔の右手から左足へ、左足からもう片方の傷へと順に移っていく。
撃ち抜かれた傷口に滲んでいた血が、
じわり、じわりと引いていく。
裂けた皮膚が糸で縫われることもなく、
ただ“最初からそうであった”みたいに閉じていく。
けれど———その治り方は、決して自然なものではなかった。
まるで傷そのものが、
黒の中に呑み込まれて、無かったことにされていくみたいで。
操子
「·····本当に便利ではあるのよね」
「認めたくないけど」
纒
「でしょう?」
纒はどこか誇らしげに微笑む。
纒
「私の禍神ちゃんはみんな、いい子だもの」
その言葉に反応するように、
禍神がぐにゃりと体を揺らした。
それは嬉しそうにも見えて、
けれど人の感情で測ってはいけないもののようにも見えた。
やがて———
最後の傷口からも黒がすっと引いていく。
そこに残っていたのは、
血に濡れた服と·····傷があったはずの痕跡だけだった。
操子
「·····治った、わね」
弔はゆっくりと指を曲げる。
続けて足にも力を入れ、軽く動かしてみせた。
弔
「·····ああ、問題ねぇ」
纒
「よかった」
安堵したように息をつき、
纒は禍神の頭らしき部分をそっと撫でる。
纒
「ありがとう、禍神ちゃん。ほんとにいい子ね」
褒められたのが分かったのか、
禍神はまた、ノイズじみた声を小さく鳴らした。
だが次の瞬間。
操子
「——で?」
纒
「ん?」
操子
「何が“よかった”よ」
「あなたも十分、ひどい怪我をしてるでしょ」
纒
「あら、私ならあとでも——」
操子
「あとでも、じゃないの」
操子はぴしゃりと言い切る。
操子
「弔くんを先にするのは勝手だけど、あなたも治しなさい」
「早くしないと、痛覚元に戻すわよ」
纒
「·····ふふ」
纒は小さく笑って、
どこか素直に肩をすくめた。
纒
「怒られちゃったわ」
弔
「当たり前だろ」
短く返す。
その声音はいつも通り素っ気ない。
けれど——
先ほどまでより、わずかに力が戻っていた。
纒はそんな弔を一度だけ見てから、
もう一度、禍神へ視線を落とす。
纒
「じゃあ次は、私ね·····お願い、禍神ちゃん」
黒いそれは、再びゆらりと揺れて——
今度は纒の焼け爛れた肌へ、静かに這い寄っていく。
じゅ、と。
まだ熱を残した皮膚に触れた瞬間、
微かに音がした。
操子
「·····っ」
思わず顔をしかめる。
だが、纒は眉ひとつ動かさない。
纒
「大丈夫よ·····さっきよりは、ずっとマシだもの」
禍神は、焼けた皮膚を覆うように広がっていく。
赤く爛れていたはずの傷が、
黒に包まれ——
ゆっくりと、形を取り戻していく。
操子
「·····本当に、無茶するわねあなた達」
操子は包帯を持ったまま、ぽつりと呟く。
操子
「いくら治せるからって——壊していい理由にはならないのよ」
弔
「壊すためにやってんだろ」
弔は間髪入れず返す。
それに操子はため息をひとつついた。
その時。
——ブツッ、と。
部屋の隅に置かれていたモニターが、突然点いた。
ノイズが走る。
画面が一瞬歪み——
やがて、ぼんやりと人影が浮かび上がる。
弔
「·····」
纒
「·····あら」
操子
「タイミング悪いわね」
弔はゆっくりと顔を上げる。
その目には、先ほどまでの静けさはもう残っていなかった。
弔
「·····平和の象徴は健在だった」
低く、押し殺すような声。
弔
「話が違うぞ、先生·····」
画面の向こう。
闇の奥で、わずかに“それ”が笑った気配がした。
AFO
「·····違わないよ」
「ただ·····見通しが甘かったね」
ドクター
「うむ·····なめすぎたな。敵連合なんちうチープな団体名でよかったわい」
「ところで——ワシと先生の共作“脳無”は?回収してないのかい?」
その言葉に、黒霧はどこか気まずそうに言葉を絞り出す。
黒霧
「·····吹き飛ばされました」
「正確な位置座標を把握できなければ、いくらワープとはいえ探せないのです」
「そのような時間は、取れませんでした·····」
AFO
「せっかくオールマイト並みのパワーにしたのに·····」
「まぁ·····残念だが仕方ないか·····」
すると、ふとAFOは何かに気づいたような声を上げる。
AFO
「·····纒、随分とひどく焼かれているね」
「その火傷は、ただの炎で出来たものではないだろう?」
その声に、纒は顔を上げた。
纒
「·····そうなの、“お父さん”」
「とっても可愛い女の子がいたの」
「だから禍神ちゃんにしたかったのに·····燃やされちゃったわ」
一瞬の沈黙。
弔
「·····ガキだよ」
低く、吐き捨てるように言う。
弔
「俺も少ししか見てねぇが·····一人、妙な火を出すのがいた」
「ただの炎じゃねぇ·····触れたもん弾き飛ばしてた」
その言葉に——
画面の向こうで、わずかに“空気”が変わる。
AFO
「·····なるほど」
わずかな間。
AFO
「——その火は」
ゆっくりと、言葉を選ぶように。
AFO
「とうの昔に消したはず、だったのだがね」