その他いろんなお話
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まだ夏の暑さが続く9月。名前のある役はもらえつつも1話しか出ないようなそんな役しか回ってこなかった時代があった。それこそ何年もそんなことが続いていた。ある年、俺はレギュラーで出させてもらえるようなそこそこ重要なキャラクターに、命を吹き込ませてもらえた。

ベテランの声優が沢山いる中、新人ともいえる人達で集まって台本の読み合わせをして。彼らの大きい背中を眺めながら、あんな風に演技が出来たら、と。渇望していた。

「ねだるな、勝ち取れ」

痺れた。あの人のその言葉を聞いた時に、俺はもっともっと、命をかけようと思えたんだ。

「晃」
「おはようございます、啓治さん」

啓治さんはいつも、俺のことを下の名前で呼んでくれた。だから俺も、下の名前で呼ばせてもらってた。まだまだ演技も未熟な俺に、あの人はいつも笑顔を見せてくれた。

「さっきのセリフ、もう少し力抜いたほうが監督の意向に添えるかも」
「語尾とかですかね」
「そうだね」

例えば…と言いながら、いつもあの人は俺にその演技を教えてくれた。実際に言葉を吹き込んで、その生の演技を俺に叩き込んでくれた。

いつもブースに入れば、隅に座って練習してる俺に、そうやって教えてくれた。
しゃがんで、俺の視線に合わせて。そんなことをしてくれる人なんて、そうそういない。大事な先生だった。

「なるほど…もう少し肩の力抜いてみます」
「ん、いいと思う。いつも一生懸命だからたまにはね」

啓治さんは、俺のことを一生懸命と言っていた。会うたびにそう言ってたな。





もう新人と呼ばれなくなり、主役も何回かして、冠番組もあって、レギュラーで出てるアニメも何本かあって、声優として順風満帆これからも声優として生きていこうと思えるようになった頃。

啓治さんに事務所に勧められた。

「AIR AGENCYに、ですか?」
「どう?」

そんなスカウト、生まれて初めてだった。アフレコ現場の近くの喫茶店で、コーヒーを飲みながらの話だった。いつものように仕事の話をして、さっきのリハーサルでのダメ出しと指摘、良かった点などを教えてもらいながらメモしていた時。

啓治さんは何気なくそう伝えてきた。

「晃はいつも、一生懸命だから。所属声優達にとっても、いい刺激になると思うんだよね」

一生懸命だから。

俺はその時に、初めて聞いてみた。俺はそんなに一生懸命ですか?って。

「なんか格好悪くないですか?余裕のある大人に見られたいですよ」

それこそ、啓治さんみたいに。

「いいことだろ。何歳になっても貪欲に演技を学んでる晃のそれは、ずっと大切にしてほしい。でもたまには、力抜けよ。努力家なのを何年も続けてると、疲れるぞ」

まぁそういうことだから、入りたくなったら言ってくれ。

そう言ってあの人はスマートに伝票を持って立ち上がり、俺の分のコーヒーも払ってくれた。








結局俺はそのスカウトを断って、今もずっと同じ事務所に入ってる。本当は入りたいと思ったけれど、まだ学べるところは学びきれていないと感じたから。新しい環境に行くことの怖さもあったのかもしれない。そんな俺のことを、彼は珍しく声を上げて笑って、俺の頭をポンポンと叩いた。

「ま、晃ならそういうと思ったよ。もう大丈夫だと思った時は、俺の事務所に入れよな」

その言葉が忘れられない。なかなか褒めてくれない人だったし、そんなに俺を入れたいと思ってくれていたんだと、心に深く入ったから。

大好きな人だった。父親みたいな安心感と、大人の余裕さと、演技者としての鋭い視線。全てが憧れだった。

最後にあの人に会ったとき。同じ現場で、眺めていたその背中の後ろではなくて、肩を並べて隣に立ちながら、マイクに息を吹き込んだ。憧れだった人と、肩を並べて演技をしたはじめての時だった。

リハーサルが終わって、少しの休憩に入った時。啓治さんは俺の肩をポンと叩いて、台本を閉じた。アドバイスを貰えるのだろうかと、俺はポケットにいつも忍び込ませていたメモ帳を取り出した。

「お前も、いい演技するようになったな」

滅多に褒めない啓治さんの、最後の褒め言葉だった。

「そうっすかね?まだまだですよ」
「そのハングリー精神、ずっと持ち続けろよ」





本当は伝えたかった。憧れでした。大好きでした。貴方のような演技ができるように、いつも勉強してました。

だから、褒めてくれてとても嬉しかった。スカウトしてくれたことも、嬉しかった。断った後も、まだ俺を入れようと思ってくれていたことも、嬉しかった。

全部全部、嬉しかった。新人の頃の指摘も、厳しいアドバイスも、全部全部今の俺を成り立たせる大事なピースになってた。




俺は訃報の知らせが載っているサイトを眺めて、そしてそのまま携帯を握りしめて机に突っ伏した。
肩が震えた。涙が止まらなかった。あれが最後だったら、もっともっと言えたことがあった。大好きでしたなんて、伝えてこなかった。

後悔しか出てこない。

俺は何度も何度も、声を抑えて泣いた。目を手で覆って、流れてくる涙が机にこぼれ落ちないように。



台本に、落ちないように。






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