見えないものは恐ろしい

 学校の七不思議なんて珍しいことでもないし中学時代にもあった話だ。体育館倉庫の幽霊の話とか、音楽室の絵画が動き出すとか、校長先生の銅像の目がキョロキョロしてるとかくだらないようなそんな話。佐登は信じてない。絶対に信じない。というか、信じたくない。見えないものがこの世にはあってはいけないと思うからだ。
 ということで。
 今日の朝から張り出されている学園タイムズは何も見ないことにするために通りすがろうとして、安形に捕まった。

「へぇ、面白いな。焼却炉の幽霊が見つかったって?」
「そうだねー、面白いねー。さ、惣くん、今日、惣くん日直でしょー、早く上、上がろうよー」
「何だよ全部棒読みだぞ、お前。どうした、顔色悪いし」
「全然そんなこと無いよ、早く、早く上に行こうよ」
「いや、まさかとは思うけど、暮、お前」
 ぐいぐいと安形の背中を押して教室へ向かうように促すが中々鍛えられている安形を押すのは中々大変だ。そして、本人も進む気がないせいでまったく進まない。どうしたらいい、と思いつつ全身で安形を押そうとする。
「今度遊園地のお化け屋敷でも行くか」
「ぜぇったい!!いかないからね!!!」
 佐登暮はおばけが大の苦手だ。
 ホラーも含めて、そういった系統のものが完全に苦手なのだ。正直、とんでもなく苦手だ。見たくもないし、そういった話題も嫌だ。すごく嫌だ。
「なるほどなー。それで今日はやけにビクビクしてんのか」
「ビクビクしてない」
「あ、あんなところに」
「何!? やめて!!!??」


 焼却炉の幽霊。
 十年前、ある男子生徒が受験ノイローゼの為、校舎から飛び降りた。しかし、死にきれなかった彼は朦朧とした意識のまま、焼却炉に身を投じようと歩いていった。そして翌朝、焼却炉の前で彼の遺体は発見された。両足は骨折していたらしい。
 その日以来、焼却炉前の花壇を両足を揃えてスッと昇る彼の姿が目撃されるようになった――

「やめて!! 志穏さん!! やめてください!!!」
「いや、だって、ぜひ話してくれって顔してたから」
「かっかっかっ」
 椅子に座る安形の膝の上に座ってその肩に顔を埋めながら叫ぶ佐登を宥めながら安形はこれが終わってからしばらく接触禁止になりそうだなあと腰を抱いた。ぐりぐり、と首あたりに顔を埋めているし、泣きそうな声だ。
「よくある学校の怪談だな。俺もよく先輩から聞かされたぜ」
「だよね〜。まあ、新聞部では二年生の子が、七不思議をコラムにして連載してる子がいるんだよね」
「もーーーやだーーー!!」
「わかったわかった。よしよし」
 そういえば、こいつ今日、掃除当番でゴミ捨て係だよな、とか思ったが何も言わないことにした。恐らくは放課後になれば何かしら騒ぎ出すのは目に見えているが。よしよし、と頭をなでてやると、チャイムが鳴る。すると、いそいそと離れて自分の席(安形のすぐ後ろの席)へと戻っていく。

「なぁ、碇」
「はい?」
「……今の写真に撮ってたよな」
「もちろん」
「データと現像、両方頼むぜ」
「了解」

 というやり取りについては、幽霊の恐怖に怯える佐登には届かないのだった。



 学園生活支援部――こと、スケット団は佐登が日がな最も通う部室だ。幼馴染の藤崎が部長をしている、所謂学校の便利屋。困っている生徒や先生の相談を聞き、その手伝いをするという部活だ。いつでも誰かの役に立ちたいと思う彼らしい部活だな、と佐登もこの部活を応援しているし、この部室は居心地がいい。
「お、暮さんやん。お茶でええ?」
「ありがとう」
 副部長のヒメコ――鬼塚一愛だ。部員たちからはヒメコと呼ばれている。昔は鬼姫と呼ばれる不良だったようだが、その内面は気さくで話しやすく、実は家庭的な一面のある強い女の子でいいだろう。こうやって毎日のように現れる佐登にも友好的に接してくれる。スケット団の部室には一畳ほどの畳がある。その小上がりに腰掛けてお茶をすする。
「お前、何、暇なの?」
「お前だって暇だろ」
 幼馴染と悪態をつきあうのもいつものことだ。
 一人、パソコンの前に座っている青年がスイッチ――こと笛吹和義だ。彼はとある事情から声を出して話すことがなく、パソコンの合成音声ソフトを使って会話する。とてもユニークで博識で、オタクなので、オタクでもある佐登とよく話をする。
『と言っているボッスンだが、佐登さんが来なければそわそわしだす癖にな』
「やめろよ!! んなことねーよ!!」
「素直じゃないなー、佑ちゃん」
 あ、これ、お茶菓子だよ、と言ってバームクーヘンの詰め合わせを見せる。ありがとなー、とヒメコが受け取って器に移す。皆でどうぞ、というと皆が各々手を伸ばしバームクーヘンを食べながら雑談を始める。この空気が好きだ。少し賑やかなのが創作にうまく刺激してくれるのだ。
 それぞれが自分の行動をするのがこの部活がいい。――と思っていると、トランプの全暗記をしようとしていた藤崎が何かを思い出したように自分のデスクに座っているヒメコへ視線を送った。
「あ、今日、水曜じゃん。ヒメコ、ゴミ捨ててこいよ」
「イヤや」
「何でだよ! 今日、当番お前だろ。早く行って来て下さい」
 ゴミ捨て――と言われて、佐登の肩が震えた。そういえば、そんな話をこの部室に来る前にしてきたばかりだったし、一人でどうしても行けなくて掃除当番でも何でもない安形を捕まえて焼却炉に行ってきたばかりだ。ヒメコの反応を見て、佐登は彼女もその話を知っているのだと悟った。
「すんません、イヤです」
「おいおい! 焼却炉すぐそこだろ。ゴミ出せんの一日置きなんだからよ!」
「スイッチ、百円やるわ、行って来て」
『分かった』
「行くのかよ!! 安いなお前!!」
 スイッチも悪乗りするように立ち上がろうとして藤崎が動きを止める。佐登はあまりにもヒメコがかわいそうになってきて、助け舟を出そうとする。
「……別に、誰が行ったって同じなんじゃないの? 佑ちゃん」
「ルール守んねえなんてらしくねえぞ。いいから行ってこいよ!」
 小さく嫌であることを訴えているのが佐登には聞こえてきているが、藤崎には聞こえなかったらしく、もう一度聞き直していたが、振り返ったヒメコは思い切り泣いていていたたまれなくなった。
「絶対にイヤや」


 ヒメコが取り出してきたのが学園タイムズの生徒に配られている号外版だ。その一面には「焼却炉の幽霊」の話だ。朝、佐登が安形と眺めていたものを小さくしたものだが、正直もう一度眺めることになるとは思わなかった。できれば関わりたくなかった。しかし、藤崎はこの記事を知らなかったらしい。
「今ごっつ話題になっとんねんで! ほれ見てみい、学校新聞一面トップやで!!」
「おお!? 宙に浮いてんじゃんコイツ!! 心霊写真てヤツか?」
 二人が会話しているのを眺めながら佐登は静かにヒメコと入れ替わるようにヒメコのデスクに座った。ついでにヒメコがお化けが苦手なことを可愛いところがあるじゃないか、と笑った藤崎は当然のようにヒメコから制裁を食らったようだが、佐登は敢えて何も言わずに見守った。今のは藤崎が悪い。
「佑ちゃんだって、幽霊とか、ホラーとか観られないでしょ?」
「うっせーな!! オレに怖いモノなどない。恐れるモノはゴーストとファントムのみ」
「オバケやん!!」
 騒がしい。とんでもなく騒がしい。
 藤崎が焼却炉の幽霊についての詳しい説明を求めると、佐登が三年A組の教室で聞いてきた情報を丸々スイッチが復唱してくれたので、おかげさまで佐登は二回も同じ情報を聞く羽目になってしまった。怖い。正直怖い。
「へぇ〜。まあ、よくある学校の怪談てヤツね。へっ、幽霊上等じゃねえか」
 お茶を飲みながら藤崎がそういう。
 何て強がりだろう、と思いながら視線を送ればやっぱりガタガタと震えている藤崎が居る。ナックルパンチを御見舞してやるぞと言っているが、あの状態では大した威力は期待できそうにないし、説得力がない。スイッチは楽しんでいるのだろう更に話を続けたあと、いつもの無表情のまま二人へ言い放った。
『バカバカしい。幽霊などこの世に存在しない。オレが信じるモノはデータに裏付けされた真実のみ』
 それだけならとてつもなくかっこよかったのだが。
「うるせー、この科学バカ! おめーの信じるモンとかそんなんいいんだよ!!」
「こっちはテレビが映んのもちょっと不思議や思てんねんで!! そら幽霊ぐらい居る思うっちゅーねん!!」
『アーアー、きこえなーい』
 こういう形が始まるのがこの子達のいいところだ、怖さが紛れる。紛れてくれ。佐登は静かにため息を付きながら、震える手を抑えてお茶を啜った。
 最終的には幽霊がいるかいないかの大騒ぎだ。これだからスケット団はと言われるような気がするのだが、幽霊はいないと叫ぶ藤崎に佐登も大いに賛成したい。たった一人の三年生として声を大にして言うことはしないが、静かに頷いていた時、窓に違和感を感じた。ふと、視線を向けた瞬間に勢い良く開かれた窓。そして、髪の長い、不気味な女性。

「居るわーーーー!!!!」

 スケット団の部室に響き渡る絶叫。佐登も一瞬の出来事に驚いて声すら上がらないのか、畳の上で逃げられずガタガタと震えながら窓を大きく開けた――開明の制服を着た女子生徒を見ていた。既に泣いているが、自分たちの恐怖が優先されている藤崎たちには気付かれていないらしい。
『やあ、結城さんじゃないか』
 スイッチが彼女の名前を呼ぶ。やはり、彼女は普通の人間であるらしいが、正直に言えばそうには見えない。所謂テレビから這いずって出てくるタイプの幽霊――貞子のようなそんな印象を受けてしまう。藤崎が何だ、とスイッチを見た。
「おめーの知り合いか?」
「聞き捨てならない会話が聞こえてきたものでね。実はその新聞の写真を撮ったのは私なの」
 結城さん、と呼ばれたその人は窓枠をつかむ。
 そして窓枠に足をかけると顔を下げ、姿勢を丸めて上がってくる。――そう、貞子のように。
「幽霊は居るわ」
「来たああああ!!!」
「その入り方やめえええ!!」
 まるで貞子から逃げる主人公たちのように藤崎とヒメコが逃げていくのを眺めながら、佐登にはそれが限界だったようで、畳の隅に自らの体を滑り込ませてガタガタと震え始める。スケット団の部室に持ち込んでいる大きなパンダのぬいぐるみを抱きしめながら結城が完全に部屋に入るまで一言も発することなく呆然としていた。


『オカルト研究部の結城澪呼さん。2−A 31番。霊的なモノはもちろん超能力から呪術まであらゆるウサン臭いモノに造詣が深い』

 さすがは学園中の情報に詳しいスイッチだ。結城の情報も存外あっさりと出てきた。藤崎は結城からちらりと畳の隅でぬいぐるみを抱きしめたまま何も言わず、一歩も動かない佐登へ視線を向ける。
(やべぇ……暮の顔、死んでんじゃねーか)
 呆然としているというよりもあまりの恐怖に声すら出せないと言ったところだ。もともとホラー関係がとことん苦手な幼馴染だ、先程の焼却炉の幽霊の話で相当ダメージを負っていたところに追い打ちをかけるかのように結城のホラー演出さながらの登場だ。震えるどころかもう、何もできないくらいのダメージになっている。
(……今日の帰り、プリン買ってやろう)

『以前オレと、幽霊は居るか居ないかで論争になり、掴み合いのケンカになりかけた事がある』
「何しとんねん、お前」
「どうでもいいけど……な、何か用?」
 ここに来たということは依頼が在るということで判断したらしい藤崎はとりあえず話を聞くことにした。正直帰って欲しいんだけど、と小さくつぶやくがどうやら結城には聞こえなかったらしい。彼女は自分の後ろに腰掛けているスイッチを見ることもなく、しかし確かに意識を向けながら発言する。
「私は彼に幽霊の存在を認めさせたいだけよ」
 スイッチは科学的根拠に基づいたものしか信じない、と先ほど自ら言ったばかりだ。なるほど、たしかにオカルトなど根拠に欠けるものを信奉する結城との相性は悪いのだろう。
「相変わらずのようね、スイッチ君。まだ科学の領域から抜け出せずに、さ迷っているとは……サタンもお笑いになるわ」
 かっ、と効果音でも入りそうなほど顔に一気に影が入る。そこで漸く佐登が反応を示して、びゃ、とわけの分からない奇声をあげて、更に壁際へと迎えないはずなのに向かっていく。怖い、助けて、と助けを求める顔を藤崎に向けるが藤崎は何も言わず、何も答えず、佐登からも、結城からも視線をそらすように俯いた。
『オレは、別にここで言い争う気などない。キミが完膚なきまでに論破されて、這いつくばう姿を見たくないからだ』
「おだまりなさい!! アナタ、そのうち天罰が……」
 呪詛を口にする結城を誰にも止められず、しかしながらこのままでは話が進まないから――ということで、とりあえずは事の発端となった焼却炉へ向かうことになったのだ。スケット団が向かうのは別に構わない、佐登は謹んで辞退した。行きたくない、と大きく首を横に振る佐登からは涙が溢れており無理強いするのは流石に無理だと思った藤崎が佐登にきつく言いつけた。
「少し落ち着けよ。オレ達出てくるから……お菓子とか食べてていいから」
 佐登はまるで首ふり人形のようにこくこく、と頷くだけだ。
(相当怖かったんだな)
 昔一緒に入った遊園地のお化け屋敷で人一倍泣いて、怖がって、腰が抜けてしまって途中で係員と一緒に退場したこともあったなと思いながら極度の怖がりである佐登を置いて、スケット団は全員焼却炉へ向かっていった。まあ、焼却炉からこの部室はちょうど視界に入るところにあるので問題はないだろうとの判断もあったのだろう。

 ――誰も居なくなると、急に不安が煽られてきた。
「……うっ」
 怖い。紛らわせてくれる人たちが急に居なくなって、急に不安になった。まずい、と思ってパンダのぬいぐるみを置いて部室から出ることにした。しかしながら目的や宛てがあるわけではないので、適当にブラブラと歩く。ただ先程の結城の姿がちらついて窓からまたあんな入り方をされるのではないか、と不安でたまらない。今度は人間ではなく――と考えたところで大きく首を振ってなかったことにした。

「お、暮じゃねえか」

 後ろから声をかけられて大きく肩が震えた。聞き覚えのある声だったのに、今までのことが原因でひどく怯えてしまった。先程まで涙が出ていたせいもあって涙腺が緩まっていたのだろう、驚いた拍子にぼろり、と大粒の涙がこぼれ落ちて声をかけてきた相手――彼の安形惣司郎を困惑させてしまった。
「暮!? え、お、おい!? どうした!?」
「……う……っ、ひっく……っ」
「待って、オレか!? オレのせいか!?」
 安形の困惑する声にたまたま近くを見回りしていたのだろう生徒会副会長の椿がどうしました、と近づいてきたところで佐登の存在に気付いた。まさか、とは思い難いが尊敬する生徒会長が女子生徒を泣かせたのか、と安形を伺い見た椿に安形は大きく首を横に振った。
「暮……? ほら、落ち着こうぜ? …………なんか、あったのか?」
「……う……おば、け」
「……おばけ?」
 椿は首を傾げた。安形はその言葉でああ、と少し納得がいったのか佐登の肩に手をおいて、引き寄せた。そのまま子供でもあやすようによしよしと髪をなでる。
「流石にここだと目立つしな。……ちょっとの間、生徒会室に来るか?」
 もともと宛てがあるわけでもなく、正直志穏のいる新聞部にも顔を出しづらく(焼却炉の幽霊騒ぎの記事は新聞部によるものだったからだ)どうしようかと思っていたところだったので、安形の申し出は少しばかりありがたかった。こく、と頷くと、そうか、と安形は佐登から手を離し、笑った。


 生徒会室に安形が戻ってくると全員の視線が集まった。――安形が人を連れているのが珍しかった。どうやら安形と同じ三年生のようだが、会計の丹生美森には見覚えのない生徒だった。彼女はひっく、としゃくりあげており、自分の手で涙をこすって拭いていた。何か生徒間のトラブルだろうか、と丹生が立ち上がったところで安形が手で制した。
「ですが……」
「あー、原因はわかってんだ、ミモリン。ちょっと落ち着いたら戻るっていうしよ、あー……ちょっと紅茶だけ淹れてくれねえか? 砂糖二つ入れて」
「わかりましたわ」
 丹生は笑顔で頷くと、安形に勧められてソファに腰掛けて少し居心地悪げにしている彼女に渡す紅茶を淹れるため立ち上がった。後ろからついてきていたのだろう椿も戻ってきて、椿くんもどうですか、と声をかけると彼は今はいいと答えたのでわかりました、と言った。
「佐登ちゃん、どうしたの? 何かあったの?」
 やはり、彼女――佐登は三年生らしい。浅雛は安形の隣で縮こまっている佐登を少し物珍しげに見た。佐登という名前には度々聞き覚えがある。この生徒会室で安形と榛葉が話題に出す三年の女子生徒のことで、安形の彼女のことだ。名前を出されたことで丹生も漸く彼女が誰だかわかったのか、納得の言った顔をした。
 佐登は丹生から出された紅茶を受け取って、ありがとう、と鼻声で言った。どうやら随分と泣いたらしい。
「ほら、アレだよ、ミチル。最近学園新聞に上がってた」
「あー……焼却炉の幽霊? まさか、それで?」
 それだけじゃねえみてーだけどな。と安形が言いながら砂糖入りの紅茶を飲む佐登を見た。
「こう、色々恐怖心が煽られてたところでオレが後ろから声をかけちまったせいで、泣いちゃってな」
「……安形」
「いや、それはオレだけのせいじゃねえよな!? 最終的にはオレが追い討ちかけたかもしれねえけど!?」
 安形は全員から向けられる非難の視線に立ち上がって抗議した。決して自分のせいだけじゃないはずだ。最終的に号泣させたのは自分だったかもしれないが。
 佐登は暖かい紅茶で漸く気持ちが落ち着いてきた気がした。あ、そうだ、と榛葉が佐登の前にクッキーを出してくる。オレが作ったものだよ、と笑う彼の笑顔につられて、少しだけ表情を明るくすると早速一つクッキーを貰った。
「おいしい……」
「そう? よかったよ。そういえばオレ、佐登ちゃんとじっくり話すの初めてだね?」
「おい、ミチル、それ以上暮に近づくんじゃねーよ」
 佐登の対面側に腰掛けた榛葉に対して安形が警戒するように前へ乗り出した。榛葉はまさか、取らないよと言って笑う。佐登はさくさくともらったクッキーを食べながら二人のやり取りを眺める。そんなんだと、彼女にフラれるよ、という榛葉に安形がんねことねえよ、相思相愛だよとはっきりと言ってのけるので逆の意味でいたたまれない。そこで思い出したように安形が振り返った。
「あ、暮。もう少しで、生徒会の仕事終わるからよ。一緒に帰ろうぜ。怖い思いさせちまったから、せめて送ってく」
「……でも」
「あーー……言い方変える。オレが暮と一緒にいたいから送っていく。これならいいだろ?」
「…………う、ん」
 顔を赤くして、佐登は俯いた。
 終わるまで、ここに居ていいからよ、と安形はいうと佐登の隣から立ち上がって会長の席へと戻っていった。


「惣くん、ありがとう」
「どーいたしまして」
 家の目の前まで送ってくれた安形に礼をいう。途中コンビニもよって甘いものを一つ買ってもらってしまったが、ありがたくまるごとバナナはいただくことにする。今日の晩御飯後のオヤツだ。
「……怖かったら、メールでも電話でもくれよ。話、付き合うから」
 な、と頭を撫でられる。ありがとう、と呟けば彼氏だからな、と言って安形は佐登から手を離した。じゃあ、と言って帰っていく安形を見ながら、佐登はふーと息をついた。すごく安心したというか、下校中安形が一切焼却炉の幽霊の話を持ち出さなかったし、生徒会でこんなことがあったとたくさん話題を振ってくれたお陰で怖いことは忘れられた。
「あ、暮!!!」
 丁度安形と入れ違いになるように何か紙袋を持った藤崎が走ってきた。
「おめー何処行ってたんだよ!めちゃくちゃ探したんだぞ!」
「あ……ごめん、メール入れ忘れてた」
「まあ、どうせ志穏さんのところだったんだろうけど。それよりも聞いてくれよ、焼却炉の幽霊の謎、解けたぜ!」
「……え?」
「正体わかったんだよ! 明日、種明かしするから、見に来てくれよ。見たら、お前も怯えなくて済むし」
 藤崎がにか、と笑う。オレが解決するところをちゃんと見とけよ、と言って一足先にマンションの中に入っていく藤崎を見ながら、佐登は困ったように笑った。なんとも彼らしい発言で、そして、頼もしい言葉だ。ねえ、佑ちゃんと、声をかけて追いかければふと足を止めて、振り返った。
「幽霊の正体ってなんなの?」
「それはなーー」
 自慢げに話す幼馴染はいつの間にか自分よりも背が高くなって、声もずっと低くなっていた。


* * *



 所謂学園七不思議というものは眉唾なものばかりだ。佐登も藤崎に言われたとおり、スイッチと一緒に焼却炉の元へと向かっていった。すると、校舎の影から焼却炉を見ている結城の姿があった。
『こんなところで何をしている?』
「何って……ここで待っていればまた幽霊が現れると思って……」
『そうか。ならば一緒に待つことにしよう。もうすぐ現れる幽霊を』
 佐登も校舎の影に隠れて焼却炉を見守った。

 即ち、事件の流れはこうだ。
 焼却炉の幽霊が出たのは先週の火曜日。学園新聞の七不思議のコーナーに興味を持った結城がカメラをもってその姿を収めようと焼却炉を見張っていた。そこに現れた幽霊を半狂乱になりながら撮影し、それを新聞部に持っていき、新聞部が記事にしたのが学園新聞に載った記事である。
 そして、記事を作ったのは結城の友達で新聞部の島田貴子。スクープに燃える熱血部員だ。彼女はもともと七不思議のコーナーを担当していた。小さな記事であまり反響のないものだったが結城だけは興味を持ち、火曜日に写真を持ち込んでくれた。カメラの中にはばっちりと映った幽霊の姿――それが一面の記事になったのだと彼女は言った。
 最後は幽霊を目撃したという二年の吉成君だ。彼もまた幽霊をみたらしい。それが水曜日の夕方だったとのこと。音もなく、夕闇は一瞬光りに包まれたのだという話。噂の広がり方を見る限り、見たのは結城と吉成だけだったが、もしかすると他にもいるかもしれないというのはスイッチの話。

 それら全てを藤崎がつなぎ合わせたのだ。彼の集中モードによって。

 ――そして、幽霊は現れた。
 焼却炉の前に、音もなく、気配もなく。風が吹く中現れたその古い男子制服を来た男の子は静かに焼却炉の植え込みを越えようと進んでいく。
「でででで出たぁ!!!! 本当に出た!!!」
 結城の声が響き、そしてその後ろからヒメコが連れてきた島田貴子と吉成の姿も見えた。佐登はごくり、と息を呑飲む。そしてーー彼は浮いた。焼却炉の前で、両足を揃えて浮かび上がったのだ。半狂乱になりながらシャッターを切る結城と、呆然とそれを見つめる島田。そして、彼女は呟いた。
「そんな……バカな」
 その声に幽霊は――藤崎は笑った。
「何が、バカなんだ? 自分で、記事を書いたくせに信じてなかったのか?」
 振り返って島田を見る。

「幽霊の正体はお前だな、島田貴子」

 宙に浮いていた藤崎が焼却炉の花壇の縁にたって今の自分の状況を見せた。
「宙に浮いたのは手品のトリックだ。ちょっと凝ってるけど、誰にでもできる手品だぜ。片方のズボンに切れ目が入ってて、脱げるようになってんだ。真後ろから見りゃ、両足で浮いてるように見えるって訳だ。ちなみにトリックを調べて制作するのはスイッチが一晩でやってくれました」
「すごいなお前!」
 藤崎が戻ってくると説明をする。島田は少し動揺した様子を見せながらも、知らないといい切った。
「大体、そんなマジックに気付いたからって……!!」
「先にマジックに気付いたわけじゃねえんだ。写真の矛盾に気付いたんだよ」
 制服のポケットから藤崎は写真を取り出すと全員に見えるように差し出した。その写真の焼却炉の門が開いている。そして、それが最大のトリックなのだ。
「ここの焼却炉が開いてんのは月水金のみ。つまり、これは火曜に撮ったっつー結城さんの写真じゃねえって事だ」
 藤崎の言葉に結城は驚く。確かにこれは自分で撮った写真だと思っていたのだろう。藤崎はそんな結城から今、手に持っていたカメラを回収する。確かに先程も藤崎が扮した幽霊の写真をとっていたはずだ。カメラを起動するとやはりそこには――
「あん時撮った写真もブレてて、とても使えたモンじゃなかったんだろ」
 手ブレしてまともに見れる写真ではなかった。
 これでは学校新聞に使えるような代物ではないだろうし、幽霊だと誰も判別がつかないだろう。しかしながら、学園新聞に載せられた写真はきれいに撮られていた。
「島田は次の日、セルフタイマーで取り直したんだ。ヨッシーが見た幽霊ってのはそん時の島田の姿だ。光ってのはフラッシュの事だろ」
 そう。
 これが真実だったのだ。

 結城がゆっくりと島田へ視線を向けた。彼女は一言、ごめんね、と謝った。
「私、いつか一面に載るスクープ記事を書いてみたいってずっと思ってて……でも私の記事っていつも隅っこの話題にもならないモノばかりで……それがくやしかったの」
 だが、その時に結城が現れたのだ。
 誰も止めない記事に結城だけが興味を示してくれた。――そこで考えたのだ。結城だったのなら、実際に幽霊をみたら信じてくれるのではないか、と。
 そして、他人の撮った写真なら信憑性もあるし、スクープとして一面記事にできる。
「最初は本気で騙すつもりなんてなかったわ、ホントよ! だけどレイコ、すぐに信じて私に写真持ってきたものだから、つい私もその気になっちゃって……」
「……で、写真見たらイマイチ使われへん。ほんで、自分で撮り直したっちゅー訳か」
「どういう形であれ、島田さんは結城さんを利用した形になっちゃったね」
 佐登が諭すように島田の肩を叩いた。碇という友人が新聞部にいるので記事を作る大変さは聞いている。スクープを探してくるのも、取材したり写真を撮ったりするのも大変なのだ。でも、自分が苦労して書いた記事に注目が集まらないのはとてもさみしい。そんな気持ちはわかるが、彼女がやったことはしてはいけないことだ。

「レイコ、本当にごめんなさい!!」

 島田の謝る勇気も大したものだ、と佐登は見守った。
 結城はしばし沈黙だったが、島田へ向き直るとかっと効果音でも付いてそうな影を顔に浮かべて言い放った。
「許さないっ」
 ――が。
「……といいたいところだけど、どうやら悪意があった訳ではなさそうだし……いいわ。水に流すことにしましょう」
 寛大な判断だった。普通なら怒っていても仕方のないところなのに。

「熱心さ故に行き過ぎた行為に走りがちなのは私も同じようだしね」

 結城は島田の肩を叩きながら、スイッチを見た。
「スイッチ君、今回は負けを認めるとするわ。アナタの情報力、そして、チームワークにね。だけど、いずれ必ず認めさせるわ。引きずり込んであげるわ、オカルトの世界へ!!」
『のぞむところだ。ならば、オレはそれを否定する情報を集めるまで』
 二人の間にある対決の空気だが、たしかに聞いていたとおりだ。

「なんだか……仲良さそうだね」
「だよな?」
「もうほっとこうや」



「惣くん!」
「お、なんだか元気だな」
 いつも通り、校門で安形と待ち合わせしていた佐登は珍しく先に来ていた安形に向かって手を振って駆け寄った。昨日とは打って変わって元気の良さそうな佐登の姿を見て、安形は少しばかり安心したように笑って、行くか、と歩き出した。

「それでねー、佑ちゃんがびし、っと解決したんですよ!」
「へー……」

 まるで自分のことのように自慢げに話す佐登は何時になく上機嫌で、何時になく楽しそうだ。幼馴染がいるというのは話に聞いていた。家が隣で、小さい頃から一緒の男の子らしい。おそらく年下なのは話を聞いていればわかるし、三年に佐登が親しくしている男子はさほど多くないし、それらは家が離れていることを安形は把握していた。
「佑ちゃんはやれば出来る子なんだよ」
 うんうん、と頷きながら佐登は安形の様子には気付いていないらしい。
「えーと。なんだっけ、暮の幼馴染、名前」
「うん? 藤崎祐助こと、佑ちゃんだよ」
「ああ、そうだったそうだった。――スケット団だったか。学園生活支援部」
「そうそう!」
 佐登が新聞部よりも多く出入りしている部室だ。
「スケット団、ね」
 安形は何かいいたげであったが、今日はアイス食べていくんでしょ、と手を引く佐登にそうだったな、と久しぶりの寄り道だった、と思い出して意識の彼方へ追いやった。
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