大喧嘩の日

「ああ、アンタ、ボス男の」
 声をかけてきたのは金髪パーマの女の子だった。とてもかわいらしい声をしていて、佐登はおやと振り返った。彼女は吉備津百香だ。ここ最近鬼姫として、一帯の不良たちを締め上げていた不良だったらしいが、ヒメコたちによって改心したらしく、もともと鬼姫だったヒメコにあこがれていたらしく彼女を慕ってこの部室に顔をだすことも多くなり、佐登とも顔見知りになったという感じだ。ボス男というのは、おそらくボッスンがあだ名である藤崎のことで、彼のことで記憶が残っているのは幼馴染だという話をしたからだろう。
「姐さんたちはどうしたんだい?」
「今、ちょっとした片付けの依頼に行ってるよ。もう少し戻ってくるから、待ってれば?」
「そうするよ」
 佐登は吉備津が窓際にとどまったままなので、持ってきたお菓子のせんべいを渡した。彼女は一瞬困ったように目を漂わせたが、これおいしいよ、というとありがとう、と困惑したように照れて受け取ってくれたので、佐登も自分の分の小袋を開けてばり、とせんべいをかじった。
 不良は怖くないのか、と言われるが。確かに不良は怖い。しかし、ここに居る吉備津やヒメコが怖いかと聞かれるとそうじゃない。だって彼女たちはもう不良じゃないのだ。雰囲気は不良かもしれないが、自ら変わろうと頑張っている。そんな人達を怖いと感じることはもう無い。昔の自分だったら避けて通ったかもしれないが――
 がらり、とドアが開いた。
「あっれー、モモカやん! いらっしゃい!」
「姐さん!」
「何だよ、暮、お前うまそうなのくってんじゃん」
「そこにあるから、皆食べていいよー」
『では早速』
 賑やかになる部室。ここはやっぱり好きだった。
 楽しくて、いろいろな人が来て――どんな人でも拒絶せずに受け入れてくれるから。これが幼馴染の作った、やりたかったことなのだと思うと、すごく誇らしかった。



「そーっと! ボッスン、そーっとな。そーっとやでそーっと!」
「うるせーな!! ちょっと黙ってろ緊張するから!!!」
 皆が見守る中、藤崎はトランプタワーを作り上げた。七段のトランプタワーだ。まさしく高く積み上がったトランプタワーで集中モードによって作られたそれはしっかりと形を保っている。出来上がった瞬間に上がった歓声に、佐登も飛び上がるようにパシパシと手で、藤崎の背中を叩いた。
 ボッスン塔と名付けようとはしゃいでいる藤崎に対して、名前がダサいと文句も上がるがそんなことは気にしない。出来上がった感動で部室は包まれていた。写真を撮ろうと皆ではしゃぐことになり、吉備津にカメラを渡すとスケット団の三人がトランプタワーのところでポーズをとる。
「はいチー……ちょっとボス男!! それじゃ、姐さん写んないよ!!」
「いや、オレが作ったのよ!?」
「おだまり!!」
 佐登はそれを眺めながら、楽しそうに笑う。うん、やっぱりここはいいなぁ、と思いながら吉備津側――スケット団の部室の窓枠にピッタリと背中をくっつけて、ポーズを取る三人を見た。すると吉備津が不思議そうにこちらを覗き込んできた。
「アンタはいいのかい?」
「え?」
 ほら、映りなよと手を差し伸べてくれる。待っててやるからさ、と言われるが佐登は笑って辞退した。もともと写真に写るのが好きではないのだ。碇は卒業アルバムで困るよ、と言って新聞部で使ってるデジタルカメラで佐登を撮影することもしばしばだが(その写真はもれなく安形の手元に渡っているし、佐登もそのやり取りの現場はすでに目にしている)本来は撮られたくない。カメラに映る自分が嫌いなのだ――というと藤崎は少し面白くなさそうな顔をした。
 大きな音をたてて開いた引き戸が強く際に打ち付けられるとばたん、と空気を震わせた。その振動のせいで、建設されたトランプタワーがバラバラと崩れていくのはあっという間で建設にかかった時間を考えると本当に一瞬のような出来事だった。
 悲痛な叫びが聞こえる中、こんな乱雑にドアを開ける人間は誰だと藤崎が振り返るとそこには男子生徒が一人。短く切られた少し癖のある黒髪。猫のようなアーモンド型の瞳。きっと釣り上げられた眉毛。――彼はしばし部室の中を眺めた後、嘆息し、言い放った。
「なるほど、これが貴様らの活動か。スケット団」
 佐登には見覚えがあった。――生徒会の、といいかけて、藤崎が泣きそうな顔をして謝れ! と叫んでいるのが聞こえた。
『椿佐介、生徒会の副会長だ』
「ああ!? 生徒会だあ!!?」
 スイッチがいつものように藤崎に情報を伝える。生徒会が何でこんなところに来てんだよ、と言わんばかりの藤崎の視線を意に介すことなく椿はスイッチへ視線を送った。そして、興味深げにほぉと一言。
「面識はなかったはずだが、さすがは情報屋といったところか、笛吹和義。引きこもりはもういいのか?」
 ――その一言にスケット団の部室は凍りついた。
 佐登はこの部の結成に立ち会ったわけではないので、触りしか知らないし、自分が深く首を突っ込むことではないと思っていて敢えて全員から聞こうとしなかったことだ。しかし、スイッチがかつて引きこもり、学校へ出てこなかった時期があったことは知っている。
「ちょお待てえ!! 副会長か何か知らんけど……」
「鬼塚一愛。鬼姫も丸くなったと聞いていたが、血の気の多さはどうにもならんか」
 ――ぐ、と佐登は唇を噛み締めた。
 確かにかつてヒメコは鬼姫と呼ばれる不良だった。その異名はもはや伝説とかしていたし、吉備津が騙ってもバレることがなかったのだからヒメコが鬼姫だと断定するには難しいはずなのに。彼は断定して、いい切った。生徒会の情報網なのか、それとも彼自身のものなのか――それは正直どうでもいいが、佐登は面白くない、と思った。なぜ、今、過去の話を持ち出してくるのだろう。
 今にも殴りかかりそうなヒメコをよせ、といって止める藤崎は椿を睨みつけた。

「そして、この問題児達を集めて部活動だなどとのたまってる、貴様が一番の問題児だな。――藤崎祐助」

 ばちり、と互いの視線が交錯した。
 佐登が何か言おうと立ち上がりかけたが、藤崎が手で止めた。
「言いてえ事が終わったら、そろそろ用件言ってくんねえか、副会長さんよ。こっちはこれからボッスン塔再建で忙しいんだよ」
「もったいぶるつもりはない」
 椿は息をつく間もなく宣言した。


『なぁ、暮』
『なあに?』
『オレ、高校行ったら人助けする部活がしたい』
『……いいんじゃない? 佑ちゃんらしいし』
『暮も困ってることあったらいいに来いよ』
『あはは、私は毎日部室にいて、だらけてあげるよ』
『なんだそれ』


「学園生活支援部スケット団は――本日を持って廃部とする」

 ――幼馴染はいつでも優しいヒーローだった。
 そりゃ頼りないところもあるし、バカやったりもするけれども。それでも佐登にとっては。
 反感の声が上がる。当然のことだ。今日、突然、部活が廃部になるなんて話し誰が受け入れられるのだろう。藤崎とヒメコの反応が正しいのだ。佐登は少し、呆然としたまま、椿を見ているだけだった。
「外に居るのは、日本一工業高校の吉備津百香だな」
 吉備津がそこで漸く自分の存在を思い出したように椿を見た。彼が自分を知っていることに驚いたのだろう、目を見開いていた。
「他校の不良学生が出入りしているという報告も受けている。我が校にとって害以外の何物でもない」
 
「たむろしているのはスケット団の部室。しかもその分は活動と称して日がな一日遊んでいる。他にも他の部活の生徒が留まり続けているようだし。部室棟の貴重な一室をそのような部にくれてやる義理はない。――という事だ」

 生徒会の言い分は即ち。
 ――活動実績の乏しい部活、しかも、他校の不良がいるような部活はどうであれなくなればいい、ということか。
 佐登は聞き流しのようだったが、ちゃんと聞こえているらしい自分に感謝した。
 しかし、明確に目標がある運動系や文化系の部活と違って、スケット団は人助けを目的とする部活だ。いつだって依頼があるとは限らないわけだし、そもそも、目に見える活動実績を出せというのも難しい。依頼してくる中には依頼内容を伏せてほしい人だっているわけだし、そもそも助けてほしい内容を口外するはずがないのに。

(……なんだ、これ)

 ふつふつと、佐登は何かがこみ上げてきた気がした。
 藤崎と椿が言い争いをしているが、そもそものボキャブラリーが多くない藤崎で勝てるはずもなく、段々とバカしか言えなくなってきている藤崎をふと見て、佐登はちらりと自分の後ろ側に居る吉備津を見た。ひどく、ひどく傷ついた顔をしている。――悲しい。せっかく、さっきまで笑ってくれていたのに。楽しそうだったのに。
 すると、ドアが開いてまた誰かやってくる。それは藤崎と同じクラスのヤバ沢だった。――以前、猿のイエティというペットを学校に連れてきてしまって預かって欲しいと依頼をしてきた太ましい彼女は状況を見て取り込み中かと判断したのか帰ろうとしたが、藤崎が入ってもらって!というため、いつものようにベンチへ案内する。

 椿と藤崎の鏡コントを終えて、ヤバ沢から事情を聞くことになったが事情は概ねこういうことだった。

 ヤバ沢の兄は劇団に所属しているのだが、その劇団が事故にあったらしい。
 そして、その劇団が予定していたますらお幼稚園での劇の発表ができないという事態になった。もともとヤバ沢の出身幼稚園で事情はヤバ沢の方から説明したらしいが、毎年劇を楽しみにしていた幼稚園児たちを悲しませるのは辛い。
 劇団レベルとまではいかなくても、子どもたちを楽しませるために何かできないかと開明学園の演劇部にピンチヒッターを頼んでみたものの、稽古で忙しいからと断られてしまいスケット団を頼ったということだ。

「事情はわかった」
 そういう藤崎は未だに椿とにらみ合い中だ。ヤバ沢が本当に? という気持ちがよくわかる。
「ああ、オレ達にできる事なら何でも協力するぜ。オレ達はスケット団だからなぁ」
「笑わせるな。素人に何ができるというのだ」
 前髪短いんだよ、とわけの分からない罵倒も飛び出す。
「子供の心をつかむ舞台ほど難しい物はない。しかし、我々生徒会なら演劇部を動かす事も可能だ」

「その依頼、生徒会が引き受けよう」

 最終的には藤崎と椿の間で演劇勝負という形できまり、もしも、スケット団の方が評判がよければ評価として認め、廃部の件も考え直すという話でまとまったらしい。――いや、まとまったとはいい難いが。
 佐登はすみません、と泣き続ける吉備津にハンカチを差し出した。
「別にアンタのせいちゃうよ。鬼姫が、そんなんで泣いたらアカンで」
 ヒメコも努めて優しい声を出して、吉備津の背中をなでた。
「でも、対決なんてどうするの、佑ちゃん」
「あっちが、ムキになってくんだから、しょーがねーじゃねえか。それに……」
 藤崎はぐっと唇を噛み締めた。
 そして、真剣な顔で言う。

「何か腹立つんだよ、アイツ。人の過去がどーのこーのってうるせっつーの」

 皆、いろいろなことがあってここに居る。
 それを受け入れて、藤崎はこの部活を作ったのだから。

 佐登は静かに立ち上がった。
 団結している彼らを見て、何か協力できることがあったらするよ、と言った後の行動だったので、藤崎が目を見開いてどこに行くんだよ、と声をかける。
「ほら、台本とか来てからじゃないと私、お手伝いできないから」
 ちょっと用事も思い出したし、と佐登は笑ってスケット団の部室からでた。ぱたん、と静かに閉じたドアを藤崎はしばし眺めて、え、と短く声を上げた。

「あいつ、むちゃくちゃ怒ってね……?」



 佐登は自分が温和だとは思ったことはないが、沸点は低い方だと思っている。怒ることがまったくないわけではないし、気を許した相手に対しては怒りもするし、口も悪くなる。だが、普段は周りと摩擦を作っても仕方ないし、言いたいことは比較的控えているつもりだ。つもり、なので、実際にはどうなっているかは知らないが、まあ友達もあまり多い方ではないので、平気だろう。
 早足で廊下を歩くのは久しぶりだった。スケット団の部室がある部活棟から一般校舎に戻ってきて二階。
 ――生徒会室だ。

 先程椿が乱雑にスケット団の部室のドアを開けたのとほぼ同じ勢いだっただろう、佐登は勢いに任せてドアを叩きつけるようにして開けると中の会長の椅子で優雅に座っていたであろう安形が何事かと目を見開いてドアの方を見てそして、それが佐登であることを確認すると、更に驚いたように目を瞬かせた。――付き合って半年。彼女がここまで怒っている、または不機嫌になっているのは今日が初めてだった。
「お、おう、暮? ど、どうした?」
 これは間違えてはいけない、と安形は少しばかり椅子から腰を上げて佐登に生徒会室のソファに座るように促した。が、佐登は安形のそういった動作に目もくれず、会長の机まで大股で行くと、その机をばん、と叩きつけた。
「何でスケット団が廃部なの」
「……おう?」
 先程椿が持ち込んできたスケット団との演劇勝負のことらしい。
「生徒会の言い分はわかる。実績のない、とかそういう部活だしね、スケット団も。モモカちゃんは不良だし、鬼姫の名前で暴れまわってたよ」
 ――彼らは楽しそうだった。
「暮、少し落ち着いて、」
「佑ちゃんは、誰かを助けたかったんだよ。誰かに寄り添ってあげたかったんだよ」
 彼自身がそうされたように。
 そういうふうに誰かを助けられるようになりたかった幼馴染。

「居場所のない、頼れる人がいない人は、どうしたらいいの」

 佐登は安形を見た。
 かつて、自分がそうだった。――友達もいない、同じ学年に幼馴染はいない、たった一人ぼっちでいじめに耐えていた時期があった。
「スイッチだって、ヒメコちゃんだって、モモカちゃんだって。皆、過去に色々あったかもしれないよ、問題を起こしたかもしれないよ、でも――"今"変わっていこうとしてる人を否定するのは許さないし、許したくない」
 だって、自分もそうだ。
 昔、いじめられて、学校や人が怖くなった。でも、今は少しずつ変わって、前に進もうと決めた。

(多分、これは八つ当たりだ)

 暗い場所から救ってくれた幼馴染。
 その幼馴染の部活を潰そうとしてるのが――自分に前に進もうときっかけをくれた彼氏の所属する生徒会だったというのが許せなかっただけ。一方的な、最低な八つ当たり。
「……暮」
 泣きそうな顔を続ける佐登の顔に手を伸ばそうとして、佐登はそれを勢い良く払った。涙はこぼれなかった。
「"安形くん"とは、もう話すこと無いから」
「お、おい」
 安形くん、と呼んでいたのはつい二ヶ月前まで。
 付き合ってしばらく経ってから漸く、惣くんと呼んでくれるようになったというのに振り出しに戻ったような感覚だ。
「安形くんが了承したから生徒会はスケット団と劇対決するんでしょう。私は、スケット団に協力するから。安形くんとは敵同士」
 佐登は俯いてしまった。
 安形は佐登にかける言葉が見つからなかった。確かに、この件は椿に一任すると決めた。そうなる以上、自分にもその責任の一端があるとは理解している。いくら置物とはいえど、最終的な責任は自分が負うものだとは思っているのだから。
 ――佐登はくるりと踵を返していうだけ言ったと、生徒会室から出ていった。
 まるで嵐でも去ったかのように生徒会室中が呆然としている中、安形がはーとため息を付きながら椅子へ腰掛けた。
「大丈夫? 安形」
「……だいじょばない」
 安形は目元を抑えて上を見上げる。
 ――これは、もしかしてとんでもなくまずい状況になったんじゃないか。

 あんなに怒ってる佐登は初めて見た。
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