ごめんなさいとありがとう

 安形が学校に登校してくると、下駄箱で靴を履き替えている暮の姿が目に入った。昨日の事を思い返して声のかけづらさを感じるが、安形は首を横に振って、いつものように気さくに明るく手を上げた。
「暮、おはよう!」
 別段声が聞こえていなかったなんてことはなかったはずだ。動きが一瞬止まったし、視線だけが一瞬安形に向いたが佐登は返事をすることなく、止まった動きを再開して、靴を履くとつま先で地面を叩いてしっかりと入っていると確認するとくるりと安形に背を向けた。そのまま、スタスタと歩いて行ってしまった佐登に安形は何も言えないまま、頭をかいた。
(……やばい、本気で怒られてる)
 昨日はメールを送っても帰ってこなかった。帰りはどうやらスケット団のメンバーと一緒に帰ったらしいのは後ろ姿でわかった。しばらく会話しないと宣言した彼女の言葉は本物らしい。とりあえず、佐登の後を追うわけでもないが教室へ向かわなければならないから靴を履き替えて、教室へと向かった。
 教室に入るとすぐにクラス中の視線が向けられた。佐登はすぐ後ろの席でいつもなら一緒に上がってくるはずの二人がバラバラだったのがおかしいと思ったのだろうか、安形は若干の居心地の悪さを感じて自分の席へ素直に座った。――ざわ、とクラス中がざわめいたのを感じながら、明確に後ろで怒っているらしい佐登の気配にいたたまれなくなった。
(……これ、仲直りできんのか)



 ――佐登と安形がついに別れたのかという噂が三年の噂に立っているのは知らず、スケット団は白雪姫の練習のためにメンバーが集められて、多目的室Aへ向かっていた。
「とりあえず一週間、暮がこの部屋を借りてくれた」
 生徒会は通さず、教職員に直接借りに行ったのは佐登が安形と話したくなかったからだが、まあその辺の事情は藤崎は知らなくてもいいことなので敢えて話さないまま、教室の隅で手を上げて佐登がスイッチとヒメコに笑いかける。多目的室には吉備津も来ており、彼女なりに責任を感じているのかもしれない。
 大道具や衣装などはスイッチが潰れた小劇団に交渉して譲ってもらったのだという。白雪姫の衣装、大道具を元に佐登が一般的に有名な白雪姫の台本を探してきたというわけだ。佐登としてはこういう形でしか手伝いができないので、協力できて嬉しいところではあるが。
「白雪姫やるには全然人数足れへんで」
「へへ、大丈夫だ。助っ人を呼んである」
 その瞬間に出てきたのは武光振蔵である。スケット団に以前依頼に来てくれた一人であり、剣道部の主将である。フリスケという清涼菓子を使って集中を維持していたが、試合で勝てなくなったと相談に来たのだ。実際には時間切れになっていただけで、彼の実力自体が下がったわけではなかったという話だ。彼は普段から制服を着てないという話だったのだが、普通に男子制服を着ているではないか。
「誰やお前!!!」
 ヒメコの叫びも分からなくはない。
「し……失敬な!! 振蔵でござるよ!」
「何でお前、制服着とんねん!! 全然侍ちゃうやん!!」
 一気に賑やかになる教室。そして、更にドアが開く。その瞬間に一番にドアを見てしまった佐登が飛び上がって後方へと下がろうとするがすでに教室に端っこだったので逃げ場もなく、ただ震えていた。ヒメコが叫ぶのは簡単だ、結城がそこに立っていたからだ。相変わらず怖い。黒髪が長いのがとても怖い。
「もう怖いねん、この人!!! 何で呼んだんや! 見ろ、暮さんめっちゃ怯えとるやん!!!!」
「いや、魔女役にピッタリだと思ってよ」
「役なんかじゃない! 私の祖先は本物の魔女らしいの。調べてみるといいわ、スイッチ君」
 スイッチへ視線を向けてみるが、佐登の居る方まで遠ざかっており、視線を合わせないようにしている。どうやら彼なりに空気を読んでいるらしい。佐登もスイッチを見習って空気を読もう。怖がっちゃいけない。怖がっていては何も話が進まない。
「よしゃ!! ほんなら早速練習始めようや!! どれが白雪姫の衣装や!!」
「待て待て。お前は白雪姫役じゃねえぞ」
「え!? ちゃうの!? ほな他に誰か来んのか?」
 ヒメコがきょろきょろと辺りを見回す。確かにこのメンツなら自分が白雪姫だと思っても仕方がないことだが、佐登としてはヒメコは白雪姫には些か強すぎるのではないかと冷や汗を流した。すると再び多目的室Aのドアが開いて――キラキラと何かが舞い散った。
「だっふんだ」
「来たあーーー!!!!」
 早乙女浪漫。スケット団の部室のすぐ隣りにある女子漫画研究部の少女漫画家志望の女子生徒だ。佐登も実は何度か面識があり、スケット団へやってきたのは以前、雨の降る日に子犬を助けていたかっこいい王子様を見かけたので探してほしいということだった。実際にはタオルを拾い上げていた藤崎のことで、乙女フィルターがかかっていたというだけの話だったのだが。確かに彼女のロマンチックな乙女なので、白雪姫に向いているといえば向いているのだろうが。
「オレは、ロマンの乙女チック、ロマンチック、メルヘンチックなセンスに賭ける事にしたんだ。期待してんぜ」
「う…嬉しい王子!!」
 ――ホントに。
 ただの効果ではない。確かに聞こえてきている。彼女の特技なのだ。文章にすると非常に伝わりにくいが、彼女は漫画チックな表現を現実に昇華させられるのだ。佐登にはとんでもなく信じられないが、彼女らしいなとも思う。静かに回りを見回しながら、濃いメンバーだなと佐登は静かに台本を眺めた。
「オレと暮が演出していくから、皆指示通りに動いてくれ。頼むぞ、暮」
「うん、わかってるよ。よろしくね」
 初めて顔を合わせるメンバーもいるので、佐登は丁寧にお辞儀をした。
 ナレーションに吉備津、白雪姫はロマン、魔女に結城、王妃にヒメコ、鏡のナレーションにスイッチ、狩人に振蔵を置いてさっそくお芝居の練習を始めるのだがキャラが濃いせいで全然進まない。まったく進まない。――王子役に藤崎がという話も上がっていたが、イケメン度の高いスイッチがすることになった。でも彼は話さないので藤崎が声を当てる。

「え? じゃあ何? オレずっと裏方!? 小人の操作と王子の声担当!?」
「もうアンタはそういう宿命やねん」

 ドッと起きる笑い。主人公なのに! と泣きそうな声で訴える藤崎に佐登は宥めながら肩をたたいて苦笑した。
 佐登は全員を眺めながら、静かに、徐々に心が落ち着いていくような気分だった。

(これなら、大丈夫かな)

 と思った瞬間に、もう一つの問題を思い出した。
 安形のことだ。
 思い出したきっかけは多目的室Aから休憩の時に出す飲み物を買ってくると出たときだった。購買の近くにある自販機でお茶のパックを買おうとしたときのことだ。校内巡回中の安形に会った。あれから安形とは一度も会話していない。初日は安形も朝から声をかけてくれたり、度々名前を呼んでくれたが流石に二日目になってくると諦めたのか声をかけてこなくなった。親友の碇は何事か、と佐登に確認してきたのでその経緯を説明した。彼女は一つ決めたことに対して頑固な佐登の事をよく分かっているのかあー……と言うだけにとどめていた。
 発表まで残り二日。なんとか、仲直りすべきだとは思ってはいるがきっかけはつかめない。
「あ」
「……あ」
 目があってしまった。やり過ごせばよかった、と思ったが声が出てしまった。安形は一人で見回りをしていたらしく他には誰の姿も見えない。会話しなくなってすでに五日程経っていて佐登は急に居心地の悪さを感じてしまった。あれから落ち着いてくれば来るほど、藤崎が大丈夫になってくればなってくるほどに自分があまりにも一方的だったことに気づいてしまったのだ。
「あ、え、っと」
 佐登は謝ろうと思って、安形を見たが、その視線はふと逸らされてしまった。あ、と思ったときにはもう遅かったが安形は先に歩きだしてしまっていて、引き留めようと手を伸ばしかけるがその手を止めた。自分から始めた喧嘩だったことを思い出してしまったのだ。
(……嫌われちゃった、かな)
 当然のことだ。
 あれだけ一方的に言って、勝手に出てきて、その後メールも会話もとことん無視し続けてきたのだから。佐登はお茶のパックを抱えて少しだけ顔を俯かせた。――そういえば、初めてだったかもしれない。付き合ってからこんなに長い間会話しなかったのは。
(……どうしよう)
 たまらなく泣きそうになった。ぐっ、と涙をこらえて唇を噛みしめた、ところで声をかけられた。
「佐登ちゃん?」
「……志穏…………」
 ――碇だった。どうしたの、と言われて、困ったように眉を下げる。とりあえず何処かに座ってお話しよう、と声をかけて購買近くにある休憩スペースにと誘った。

「ごめん、新聞部大丈夫だった?」
「うん。ちょっと生徒会室に行ってきただけだし」
「……う」

 碇は主に生徒会のことを記事にしている事が多い。だからきっと今回も取材で行ってきたのだろうけれど――今の佐登にはあまり聞きたくなかった話題かもしれない。碇が奢ってくれたココアのパックジュースを飲めずにテーブルの上に置く。
「……やっぱり会長と別れるの?」
「…………やだ、けど」
 別れたいなんて、思ってない。あの時だって、別れると言ったわけではなかったし、ただ生徒会の決定がどうしても納得いかなかったのだ。それがもちろん安形の独断ではないとわかっていたし、置物生徒会長がそこまで強く発言することなんてあまり無いのもわかっていたのに――ぶつける先を安形にしたのは自分だった。そのせいで安形から失望されるのも、嫌われるのも仕方ないとは思う。
「……惣くんに嫌われちゃった、かな」
「いやー……それはないでしょ」
 ここ数日の安形の落ち込みようと言ったら見ていられないレベルだ。ただ、彼なりに佐登に気を使ったのだろう。頑固者である彼女に今、話しかけても余計にこじらせるだけと思っているのかもしれないし。佐登のがっくりと落ち込んでいる姿を見ると自分がやりすぎてしまったとでも思っているのだろうと、碇はミルクティーのストローを咥えて吸った。
(どうせ、会長のことだから佐登ちゃんが主張してくれるってわかって喜んでそうだけど……)
「うう……っ、どうしよう、嫌われちゃってたらどうしよう……別れるって言われたら……」
「…………うわ。そこまでネガティブになってるのかぁ」
 落ち込んで机に突っ伏してしまった佐登の頭を撫でる碇。完全に完璧にネガティブだ。妙なところで頑固なところがある佐登だがネガティブになるとなかなか浮上してこない。これだけ完全にネガティブモードになってしまっていたらしばらくは戻ってこないだろう。どうしよう、どうしようと繰り返している佐登にとりあえず飲み物を届けてきなよ、というと、渋々立ち上がって彼女は多目的室Aへと戻っていった。

 佐登が行ってしまってから碇は未だうろうろとしていた安形を捕まえた。うお、と驚いていた安形だったが碇だと確認するとなんだ、と目に見えるくらいがっかりしてみせた。
「会長、単刀直入に聞きます」
「おう」
「佐登ちゃんのこと嫌いになりました?」
「まさか」
 即答だった。本当に早かった。
「むしろ、オレ的には暮があれだけはっきりと言ってくれて嬉しかったんだぜ!?」
「でしょうね」
「……もしかして、すげぇ気に病んでる?」
「病んでるどころか、ノンストップネガティブモードです」
 あー、と頭を抑えてる安形を見ながら碇はうんうんと頷いた。こうなれば解決策は安形と仲直りする以外にはないのだが。
「今謝っても、暮のことだから意地を発揮しちゃうよな」
 安形の予想はきっと当たる。碇もそんな気がしてならないのだ。ここまで来たら意地を貫き通せではないが、頑固者だから安形から今謝ってもきっと良い成果は望めないだろうしこじれる気がする。とりあえずはスケット団との演劇勝負が終わってから、話するわ、と安形は碇に手を上げた。まだ用事があるんだ、と体育館の方へ向かっていくのは演劇部の練習を見に行くからなのだろう。


 佐登は飲み物を持って多目的室Aに向かうとすでに集まっていたメンバーが動きを止めていた。何事か、とあたりを見回してみれば、多目的室Aは荒らされていた。衣装も、大道具もめちゃくちゃになっていてこれでは演劇どころではなかった。
「どうしたの、これ……!」
「今、来たらこうなってたんだよ……」
 衣装も、大道具もめちゃくちゃだ。藤崎はばらばらになっている白雪姫の衣装を手にとって苦い顔をしていた。佐登はあまりの悲惨な状況にぎゅっ、と手を握ってしまう。まさか――という思いが浮かんでこないわけではない。そんな佐登の思いをあっさりと声を大にして言ったのはヒメコだった。
「こんなん生徒会の連中の仕業に決まっとるやん!! ほら行くで、モモカ!!」
 ヒメコが床に立てかけてあったサイクロンを手にとってモモカと一緒に生徒会室または彼らが練習している体育館へ向かおうとしているのだろう、藤崎が捕まえていた。
「待て待て待て!! 何ですぐ発想が殴り込みに行くんだよ!!」
 生徒会と言われた瞬間にやっぱりと思ってしまったのがすごく悔しく感じた。安形がこんなことするだろうか、椿がこんな指示をするだろうか。いや、違う。それはしない、と断言できるが――状況が状況だけに自分から声高々に言えない。と、佐登が口を噤んだ。
「大体、そんな事したら向こうの思うツボだろ! 結局廃部にされるぞ」
 藤崎の言うとおりだ。
 佐登は何か言いたげに、しかし、何も言えずに口を噤む。これでいいのか、と悩むが話は進む。結局は小人のぬいぐるみだけが無事だったようだ。これでは芝居どころではない。白雪姫の演目は今からではできないし、これ以外の演目をするにしても道具を揃えることが今からでは難しい。そもそも練習が間に合わないだろう。
 ――これでは無理だ。

「アタイが消えるよ」

 モモカの言葉に佐登は顔を上げた。
「も…元々アタイが出入りしてるのを目ェつけられてたんだ! もう、ここへは来ないよ。だから、生徒会に頼んで、対決も廃部も話も全部なかった事に……」
 責任をずっと感じていたのだ。
 吉備津はずっと自分のせいだと思っていたのだ。確かにそれも一因かもしれないが、直接の原因ではないはずなのだ。もしそうなら、もっと早く、吉備津がここに来だした頃に話が通っているのだから。
「ここへ来る来ねぇはお前の自由だ。好きにしろ。ただ……本当は来たいのに、無理して、そう言ってんなら、そんなくだらねえ事は言うな」
 藤崎ははっきりと言った。それは藤崎がこの部活を立ち上げた時に決めてたのだろう。来る人間は絶対に追い返さない。来る来ないは自分で決め、来たいと思っているのならくればいいと思っているのだ。そういう強い信念があるからこそ、あの部活は誰かに頼られる部活なのだろうと思う。普段は少しだけ頼りないところのある幼馴染だが、こういう時にひどく、懐かしい――かっこいいヒーローのように感じるのだ。

「楽しいよ」

 吉備津は静かに言った。それは彼女の本心なのだろう。
「アタイはダチを作んのが昔から下手でさ。だからこんなワルになっちまったんだけど――スケット団はこんなアタイにも「いつでも遊びに来い」って言ってくれた」
 窓の外から、藤崎とヒメコのじゃれ合いを眺めているのは楽しかった。スケット団の何気ない日常がとても楽しかった。いつもただ、平凡でくだらないだけの当たり前の日々なのに、どうしてだろう、すごい楽しそうにみえたのだ。自分も巻き込んでくれる彼らは――
「ボス男やスイッチともダチになれそうな気がして、部室に行くのは楽しいよ。でも……だから、迷惑はかけられない。アタイ、生徒会に頭下げるよ! この部は無くしちゃダメだ!」
 その思いは佐登にはわかる。無くしちゃだめだ、この部活は。思いはヒメコやスイッチにも伝わる。わかるのだ、ここにいる全員がこのスケット団という部活に愛着を持っているのだから。
「オレ達の廃部とお前は関係ねえ。謝る必要なんかねえぞ」
 藤崎はゴーグルを下げる。集中して考えるためなのだろう。どうやって劇を続けるのか、どうやって生徒会に勝つのか。色々の出来事の中に考える要素がある。生徒会に勝つため、無事だったのは七人の小人の手で操る人形だけ――鬼姫が泣いてはいけないというヒメコの言葉。それらでつなぎ合わせて、そして、藤崎はゴーグルを外した。はぁ、と息をついた彼は周りを見回した。鋭い視線で一言いうのだ。

「演劇は――諦めよう」



「暮ー、ご飯はー?」
「ごめん、いらない!」
 佐登の目の前にあるのは原稿用紙だ。これは帰る前に藤崎から渡されたもので、至急にと頼まれた。自分にできることがあるなら、と受け取ってきた。そして、図書館で慌てて探してきた本は――泣いた青鬼の本だ。昔好きで何度も読んだ本だったし、読み聞かせや紙芝居でも結構有名な話だ。今から書けば、寝ないで頑張ればなんとか行けるんじゃないだろうか、と佐登は本とにらめっこしながら原稿用紙に文字を書き連ねていく。

「――できたっ!」

 完成したのは――すでに太陽が上がって、辺りが明るくなっていた。時計を見れば、四時。時間を自覚すると急激に眠たくなってきたがそんなことも言ってられないのだ、ますらお幼稚園への発表は今日なのだから寝てはいられない。慌てて原稿をまとめなおして、お風呂場へ向かった。シャワーをあびておかないととんでもなく眠たくなってしまうだろうし、と思いながら、あくびをしつつとりあえず幼馴染にメールを打った。
 ――頼まれてたもの、出来上がったよ。
 きっと彼のことだからまだ眠っているだろうが、まあ、いいだろう。佐登は大きく背伸びをして、あくびをつく。


 ――そして、ますらお幼稚園。
 荷物はたくさんあるが、昼休みに原稿をコピーしてそれぞれに配ったし、最終確認は放課後に少しだけしただけだ。五人でますらお幼稚園に向かうと、ちょうど生徒会と演劇部が荷物を搬入しているところだった。大道具が多いのか部員が総出で運んでいるようだった。
「「む」」
 と向き合った、椿と藤崎が互いに顔を近づけて睨みつけあう。互いに何も言わないので、ヒメコがツッコミを入れるがその後ろから声をかけてきた男が一人――その男の声で佐登がびくりと肩をすくめて、慌てて逃げ出した。
「よぉ、スケット団」
「何や、こいつ、しばくぞ。誰や」
『生徒会長、とは名ばかりで実質的な業務は全て副会長に任せきりの置き物会長、3−A 安形惣司郎。――ちなみに、佐登さんとは昨年から同じクラスだ』
「……へぇ――って、暮さんめっちゃ震えとんで!!??」
 そこで藤崎が戻ってきたが、その後ろに佐登はささっと隠れてしまった。若干だが、藤崎の方が背丈があるので隠れきれるわけではないが顔を隠すくらいならなんとでもなる。安形はかっかっかっ、と笑ってはいたが、佐登が怯えるように隠れたのを見て、若干苦虫を噛み潰したような顔をした。
「お、お前、どうしたんだよ!? ……って、お前、暮、めっちゃ泣きそうな顔してんぞ!?」
「どんだけあの生徒会長苦手なんや!?」
『もしかすると弱みでも握られてるのか――!?』
「な、何ぃ!?」
「安心せぇ!! アタシらが守ってたる!!」
「ち、ちがう……ちがうん、だけど……と、とりあえず、あ、安形くん、お話あるみたいだからき、聞いてあげて!」
 佐登は申し訳無さで顔を挙げられそうになかった。今すぐに逃げ出したい衝動にかられたが、それもできない状況だ。どうしよう、どうするべきなのだろう。
「ところで悪かったな、今回の件は。お前らの劇を台無しにしたのは演劇部のヤツだ。これは全面的にオレら側の責任だ。――すまなかった」
 安形の言葉に佐登は目を見開いた。
(ああ……惣くんは、)
 責任感はある。自分たちの過失だとちゃんと認められる。自分のせいではなくても、自分たちの責任だと言える。そういう人なのに自分は一方的に言うだけ言ってしまったと思うと更にいたたまれなくなってしまって、縮こまってしまった。
(……謝らなく、ちゃ)
 許してもらえるかわからないけれど。

 きらびやかなステージの上に立ったのはピーターパンに扮した椿だった。浮遊装置のお陰でワイヤーで宙に浮いている彼はネバーランドへと言いながら動いている。ピーターパンの盛り上がりのあるシーンの一つだがまさか、ワイヤーを使うとは……
(今年の生徒会は本当に金の使い方が……)
 佐登はちらりと安形の隣に立っている丹生を見た。彼女が大財閥のお嬢様なのは知られたことだが、ここまでするとは、と思いながら隣で大声で驚いているヒメコと藤崎を窘める。劇を楽しみにしていた子どもたち以上の大声を出してどうするの、と言えばふたりともしゅんとなって縮こまった。
「主役のヤツがケガして出られなくなってよ。まあ、椿がブン殴ったんだけど、その責任を取って自ら登板したって訳だ。徹夜でセリフ覚えて稽古したみたいだぜ。アイツ、強引なとこもあるけどよ。責任感は人一倍強い男なんだよ。――オレと違ってな」
 ちらり、と佐登をみやる安形。佐登はその視線を感じながらも目をそっとそらして、藤崎の後ろへと逃げ込んだ。
 ピーターパンの劇は皆がとても喜んでくれていた。キラキラしていたし、派手だったし、子供の喜びそうな雰囲気を放っていた。先生に楽しかったですかと聞かれた生徒たちは口々に感想を言っていた。なかなか好評だったのが喜ばしいところだろう。
「かっかっかっ、そりゃあんだけ派手にやりゃ、子供も喰いつくわな」
「もし対決してたら、勝てそうでしたか?」
 丹生は隣にたつ藤崎にそう言って笑いかけた。すると、藤崎はにやりと笑う。
「誰が劇、やらねえって言ったよ。オレらはやるぜ」
「はぁ!? やるってお前ら……」
 大道具も衣装もないのにどうするつもりなんだよ、といいかけたが藤崎たちはさっさと行こうとして、足を止めた。そして、くるりと佐登の方へ振り返ると、佐登に向かって藤崎が手を伸ばした。
「よっしゃ、行ってくるぜ!」
「頑張れ!」
「見ててや!」
「うん!」
「……頑張るよ」
「大丈夫だよ、モモカちゃん!」
『では』
「任せたよ」
 それぞれとハイタッチして佐登は全員を送り出す。手を振って皆が準備に入っていくのを見た後、佐登は気づいた。まずい、これは、と安形の隣からさり気なく移動しようとして、手を掴まれた。目でどこ行くんだよ、と言われ何も言えない。助けてほしい。
「え、っと……安形くん……」
「いや、どうせ、お前も見んだろ? じゃあ、ここでいいじゃねえか」
 ごもっともです。
 佐登は大人しく丸くなるようにして、安形の隣で居場所を落ち着けた。すると準備が終わったのか、幕が開く。――演目は人形劇。安形は面白い、と言って笑った。これも劇には違いないのだ。佐登はぎゅ、と胸の前で拳を作って握りしめた。大丈夫なはずだ、きっと藤崎たちなら、と見守る。

 ナレーションは藤崎が担当することになった。元々声を当てるのは上手だったし、これが一番いいだろうという話になったのだ。そして、舞台に飛び出してきたのはかわいい、かわいい女の子の鬼。子どもたちからもかわいい、と歓声が上がった。
「桃鬼姫は人間と仲良くしたいと思ってましたが人間は怖がって近寄りません」
「あーあ、どうしてみんな、アタイと友達になってくれないんだろう」
 そう。これは吉備津の話だ。
 藤崎が佐登に頼んだのは泣いた青鬼を参考にしながら、吉備津の話は作れないかと言われたのだ。吉備津の話を詳しく聞いて、彼女のことを題材にして話を作った。とはいっても、ベースは泣いた青鬼だ。幼稚園児ならもしかしたら誰かに読んでもらったかもしれないし、実際に知っている子がいたようだ、小さな男の子が立ち上がってボク、これ知ってると言った。
「あのねー、優しい青鬼さんも出てきてねー」
「やかましな、ヒロシ君!! 食うてまうぞ!!」
 出てきたのはヒメコを模した鬼だった。いきなりのアドリブだ、佐登は台本にあんなこと書いてないが――うん、まあいいだろう。彼ららしいし。と佐登は笑った。
「かっかっかっ、いきなり客いじりやり始めたぞ」
「こういうアドリブの類は感心しません。もっと真面目にやるべきだ」
「……でも。一気に子供の心を掴んだぞ。アイツらは観客に目が向いてる。ウチの豪華な舞台と違ってな」
 安形はそう言いながら舞台へ視線を向ける。子どもたちが集中して見ているのがわかる。

「桃鬼姫はグレて人間を襲い始めました。困った人達は、隣山のアホ鬼姫に相談しました」
「よしゃ!! ほなアタシが話しつけて来たるわ」

 人形の二人は向き合う。まるであのときのように。
 二人が戦ったときのように。吉備津がヒメコを殴ったときのように。
「ホンマ、アホやな、お前は。そんなんしたら、ますます友達でけへんようになんで?」
「う……うるさいよ! アンタに何が分かるんだい!!」
 人形の吉備津がヒメコを殴りつける。その効果音をいれるのがスイッチだ。リアルに殴ったような音を鳴らす。
「何度も。何度も」
 藤崎が静かに語るようにナレーションを続ける。その人形の動きはまさしく生きているものと同じだった。しっかりと練習してきたのだろう。安形は感心したように見守っていた。
「しかし、あの人形の動き、大したモンだな。まるで生きてるみてえに操ってる」
「うん……佑ちゃんは、一生懸命だから」
 佐登は舞台の後ろで汗だくになりながら人形を操っている藤崎の姿を思い浮かべた。誰よりも一生懸命に園児たちに伝えたいことを伝えようとしているのだろう。

「さあ! 来るなら、来てみな!」
「アタシは、アンタと同じように暴力は振るわん。アンタは友達の作り方を知らんだけや」

 ヒメコが静かに諭す。
 人形はその声に合わせて動く。
「アタシが友だちになったる。――そしたら、何かが変わってこれから友達もどんどん、できるかもしれへんで」
 唖然とするように動きを止める人形。完璧だった。
 演技も声も――全てが揃って完璧だった。

「うう…うああ、うわぁ〜ん……」

 泣き続ける声が響き渡る。
 本当に泣いている吉備津の頭のなかにはこれまでのことが思い浮かぶ。スケット団をなくしたくない、そういう思いと、ヒメコが言ってくれた言葉が繰り返される。本物の涙は、ほんとうに人の心に響くものだ。自分で原稿を書いたが佐登もつられて泣きそうになったというか、涙がこぼれ落ちた。
 すると隣からハンカチが差し出された。
「……あ、」
「使えよ」
「…………ありがとう」
 借りたハンカチでそっと涙を拭う。吉備津の声は本当に良かった。園児たちも先生たちも泣き出している。子どもたちからも相当好評だったのか、口々に言う感想がとても生き生きとしていて、佐登はホッとした。

「かっかっかっ、地味で素朴な劇でもあれだけ迫真の演技をされちゃ敵わねえな。
オレたちの劇は相手に勝つ事が目的になってた。けどアイツらは子供に見せるという目的を見失わずに――自分らの大切なモノをテーマに演じた」

 安形はそっと椿を諭す。佐登はそういう安形を見上げた。ああ、やっぱりこの人は――と思ったところで、佐登の頭に安形の手が置かれた。
「どっちが子供の心に残るか、わかるな?椿」
 椿はしばし、いや、あまり考える時間もなく、幼稚園の先生に言い切った。



「よし、帰るか!」
「あ、帰りになんか食うて帰ろうや!」
『いいな』
「暮も行こうぜー」
 藤崎から声をかけられて佐登は慌てて振り返るが、首を横に振った。まだ、自分は解決していない問題を一つ抱えているのだからこのまま帰るわけにはいかなかった。自分たちの後ろでは演劇部が大道具の搬出を始めているところで、生徒会の姿もまだあった。
「ごめん、佑ちゃん先に帰ってて」
「……? おう、早めに帰れよ」
 藤崎もあまり深くは聞かずにスケット団と吉備津と一緒に帰っていく。それを見送った後に佐登は帰りの指揮を取っている椿の隣で眺めているだけの安形の元へ歩み寄った。安形はそれに気付くと塀に預けていた体を持ち上げて佐登に向き直った。
「どうした、暮?」
 安形は努めて優しい声で問いかけた。俯いて顔をおろしたままの佐登はぎゅうと手を握っていた。安形がその手にそっと手を重ねる。
「……惣くん、あの、ごめんね」
「オレこそ、ごめんな」
「……え?」
 佐登は顔を上げた。安形が困ったような顔で笑いながら佐登の手をにぎる。こつん、と額を合わせて超近距離で見つめ合う。佐登は一気に頬に熱が集まったような気がして一瞬逃げ腰になるが、佐登の腰にすると安形は手を回すと佐登が逃げるのを防いだ。
「え、あの、惣くん……何で、」
「暮に居心地悪くさせちまったしなぁ。それに、お前に嫌な思いさせちまった。――あの部活なくなったら、お前、相当困っただろう」
「……うん」
「お前はオレにちゃんと伝えたいこと伝えただけだったのに、オレに嫌われたかもしれないとか考えさせたのがな……オレは意外と嬉しかったんだぜ?」
「え……?」
 佐登は目を見開いた。
「ただなー」
 安形は意地悪くにやりと笑った。そして、更に佐登と密着するようにして腰を引き寄せる。動揺して安形の肩に手を当てて押し返そうとするがそもそも力が違うので無理だった。
「暮としばらく話せないし、暮に安形くんって呼ばれるしなー。……すっげぇ寂しかった」
「……うっ」
 それは同じ気持ちだった。自分から初めた喧嘩だったのに、すごく寂しかった。
「なぁ、暮」
 安形がするり、と腰から手を後頭部に回す。
「キス、していいか?」
「うえ!? こ、ここで!?」
「仲直りしてぇし?」
「い、いや、でも、ここじゃなくても」
「えー……?」
「もう、これ、惣くんがしたいだけだよね!?」
「まあ、そうだな」
 完全に開き直った安形が佐登から額を離すとそっとキスをした。唇に触れた感触に佐登は一気に顔を赤くして安形を見た。触れただけで終わったが、安形はとてもいい笑顔で佐登を見下ろしていた。
「人前だからここまでにするわ」
「いや、キスも控えてほしかったよ!?」
 佐登は安形から慌てて離れながら訴えるが安形はかっかっかっと笑うばかりだ。帰る準備が整いましたよ、という椿の声におう、と返事をしてそちらに向かおうとしてふと足を止めた。

「一緒に帰ろう、暮」
「……うん」

 佐登は少し不満げだったが、安形から差し出された手を握った。
ALICE+