なんて、綺麗な

 そこは燃え盛る戦場だった。
 数多の死体が積み重なり、アスナは顔をしかめた。
 いや、見えているわけではない。
 それでも、視覚的にまぶたに焼き付いているような感覚がしてとても不快だった。
 そういえば、と思い出したのはあの日のことだ。
 あの場所から逃げ出すために、たくさんの死体を積み上げて歩いていった。
 ――日本は、敗戦する。
 これから、ブリタニアが日本へ投入する戦力はこれまでの戦場をがらりと変えてしまう兵器だ。
 アスナはそれに乗って、日本を蹂躙する。
 その前に、一つだけ決着をつけて置かなければならなかったのだ。
 ――枢木家の別宅である。
 海の香がアスナの花をつき、アスナの部下である李 依飛(ユイフェイ・リー)がそっと日傘をアスナへとかけてきた。
 警戒を示したのは、この家の警備の者たちだろう。
 アスナはさして気にした様子もなく、ユイフェイを伴って枢木家の邸宅を目指して進んでいった。
 ここにはとある要人がいることはわかっていた。
 アスナの探し人である。
 白い砂浜の先、三人の少年少女の姿が見えたところで、アスナはユイフェイに立ち止まることを伝えた。
 一人の少年がこちらに気付いた。
 白い砂浜に合わない、黒いリバリーズを着ている人間に最大限の警戒を示したのは、茶のくせ毛の少年であった。
 なるほど、将来いい兵士になりそうだ、と少年の警戒を気にした様子もなく、声をだすことをはばかり、息を呑んだ黒髪、アメジストの瞳の少年へ顔を向けた。
「……声を出すな」
 アスナは静かにそう告げた。
 少年はそれを察したように、妹が声を出しかけたのを止めた。
 そう、アスナは見えないのだ。
 声さえ出さなければ、目の前にいる人間が誰だかわからない。
 気配でおおよその目星がついていたとしても、ユイフェイが隣から口を出さなければ、目の前にいる人間がルルーシュ・ヴィ・ブリタニアと、ナナリー・ヴィ・ブリタニアだとは気付かない。
 ――いや、気付かないことにしたのだ。
「アッシュフォードを頼るのだと、耳にした」
 アスナは海の果てを見つめていた。
「ならば、それでいい。そのまま、帝国へは帰ってくるな。それが懸命だ」
 くせ毛の少年が何かをいいたそうに口を開きかけたが、それをルルーシュが止めた。
 穏やかな声音で、アスナはゆるゆると続けた。
 これは、アスナが背負うべき咎だった。
「ブリタニアは――これから、日本に対してナイトメアフレームの投入を決定した」
 ルルーシュが息を呑んだ。
「これは決定事項だ。私が決めた」
 その悲壮な覚悟を、ルルーシュはどう捉えたのだろうか。
「――生き抜け。何があっても。いずれ、その牙が私達に届くその日まで」
 アスナはルルーシュをみて笑った。
 最後まで、不甲斐ない家庭教師だった自分を許してほしいと懺悔することもなく、ルルーシュに憎まれる役を買って出ることにしたのだ。
 帝国に戻ってくればきっと、待っている運命は悲惨だ。
「……ご武運を」
 最後は騎士として。
 皇族に対して執るべき、最敬礼を見せてアスナはルルーシュの手を取って、その手の甲へキスを落とした。
 眼の前の彼は、どんな顔をしていただろうか、アスナはそれが見れないことだけが、少しだけ、残念だった。


『――アスナ?』
 端末から聞こえてきた声にアスナ自身が驚いてしまい、端末を落としかけた。
 恐らく画面にはシュナイゼルが映っているのだろう。
「で、殿下……?」
『どうして、君が驚いているのかな。君から直通でかけてきたのに』
 シュナイゼルが苦笑しているのがわかったし、そのとおりなのだ。
 直通の回線に端末をつないだのは自分以外の何物でもなくて、ただ、それは無意識に近い行動で、アスナは視線をそらしてしまった。
『なにかあったのかい?』
「……いえ、その、えっと。申し訳ないのですが、その、大した用はなくって、その」
 アスナは言葉をつまらせてしまった。
 その先で、シュナイゼルがくすくすと笑っている。
『珍しいね。でも、嬉しいよ』
 シュナイゼルが画面の向こう側で、指を組み直した。
 時差を考えると、丁度シュナイゼルはこれから仕事へ向かうところのはずだ。
 ヘタをしたら、朝食中だったかもしれないと後悔して、自分の身勝手さに恥ずかしさが出てきたのか、頬が熱くなる。
『君から連絡してくれるなんて、思っても見なかったから。――報告書は見させてもらったよ、頑張ってくれてありがとう』
 多分、目の前にいたら抱きしめてくれたのではないかな、とアスナは少しだけ期待した。
 その言葉だけでも救われた気分になった。
「殿下」
『うん?』
「……エリア11は一時的に天領となるため、私はすぐに本国に帰参するようにと命が出ているのです」
 アスナは端末をそっと撫でた。
 その人本人がそこにいるわけではないと知っていたけれど、何となくそうすることで心が癒やされる。
「戻ったら、殿下に会いに行っても、よろしいですか」
 ――あの、薔薇の中で。
 とはいえなかったが。
『もちろんだとも。……待っているよ、あの薔薇園で』
 言わなくても、そう言ってくれるシュナイゼルの声にアスナはとてもうれしくなって頬が緩むのを止められなかった。
 それだけで、少しだけ、心が軽くなるような気持ちになる。
 まだ、戦時統一がなされていない状態のため、残党軍の掃討作戦もあって、心が憂鬱だったのだ。
 帰れば、シュナイゼルが変わらずに待ってくれている。
 しかし、後ろめたい嘘がある。
 シュナイゼルにも、皇帝にも、コーネリアたちにさえ黙っていなくてはならない、ことが。
 それでも、アスナはシュナイゼルに会える、と思うだけで重たくなった心がすと、軽くなっていくのが嬉しかった。
『アスナ、無理だけはしないで。待っているよ』
「はい、殿下」
 ――ニコリと笑ったアスナが端末から消えると、シュナイゼルは静かにため息を付いた。
「珍しいですね、アスナから直接連絡が来るなんて」
 後ろでスケジュールを確認していたカノンがそういう。
 アスナは元々必要最低限の連絡を拒むというか、できるだけシュナイゼルとの接触を、仕事の最中は避けているような性格をしていた。
 きっと、元はそうではなかったのだろうが――少なからず、十六歳で大公爵になってからは仕事で遠方に出ている最中にアスナから個人的な連絡が来たことは一度もない。
 ――だからこそ、心配だった。
「よほど、辛い戦場なのかな」
「……アスナはルルーシュ殿下とナナリー殿下のことを気にかけていましたから、良い報告は聞かれておりませんし」
 カノンは手に持っていた報告書をシュナイゼルに渡す。
 パラパラとそれをめくって、それ自体はおおよそ予想の範囲内であったシュナイゼルは大した動揺は見せない。
 アスナにも言ったが――ルルーシュとナナリーは助からないだろう。
 もしかして、何かの偶然が働いて助かったとしても、あの賢いルルーシュがあっさりと姿を現すとは思えないのだ。
「あまり、気に病まなければいいが」
 シュナイゼルはそういう。
 報告書では総指揮官であるアスナが自ら、ナイトメアフレームに乗って戦場に出たとすらある。
 全てを他者に任せきりにするつもりのない彼女らしいし、カーリオン騎士団には研究職とはいえ、戦略面でも十分に機能させられるユイフェイという男がいると聞いている。
 戦略をある程度彼に任せられる状況になってから出撃したとのことだが……恐らく、どれだけ騎士の仮面をかぶったとしてもアスナの根本は一つも揺らいでいないとシュナイゼルは気づいている。
 その根本が揺らいでいない以上――アスナにとって戦場は毒でしかない。
 じわじわと、蝕まれていく。
 本人ですら気付かないうちに。
(……身動きが取れなくなる前に、私の所へ戻っておいで)
 アスナから直通の通信が来た、とカノンから聞いた時は驚きながらも喜び勇んでシュナイゼルは通信機の前に立ったが、実際に画面がつながってみればアスナは通信を自らしたという自覚すらないような、そんな表情をしていた。
 アスナはあまりにも茫然と、虚空を見つめているような瞳をしていて、一瞬かけるべき言葉を失ってしまった。
 ありきたりな、突然の通信に驚いたような声を出してアスナを呼んで見れば、彼女は漸くそこで通信が繋がっていることに気付いたらしい。
 ――殿下、とシュナイゼルを呼びながら、たまらなく泣きそうな顔をしていた。
 今にも行って、抱きしめてあげたかった。
 大丈夫だと、何度でも言ってあげたかった。
 大した用はないという言葉にも納得がいった。
 ただ、アスナは、シュナイゼルという人間の声を求めただけだったのだと。
 無意識のうちに安心できる場所を探そうとして――そして、シュナイゼルに行き着いたのだ。
 彼女にとってそういう存在であることには感謝しなくてはならないだろう。
 だが、それでも、今の彼女の状態をシュナイゼルは喜べなかった。
『戻ったら、殿下に会いに行っても、よろしいですか』
 恐る恐る。
 少しばかり震えた声で、シュナイゼルを探すアスナにゆったりと柔らかい笑みを浮かべて、できるだけ優しく応えられるように努めた。
 ――そんなことを言わなくたって、私はいくらだって君に会いに行くのに。
 もちろん、と言った瞬間のアスナはたまらなく嬉しそうな顔をしていて、シュナイゼルは居たたまれなくなった。
 昔は会うことに約束など取り付けなかった。
 当たり前のように会いに行っていたのに。
 シュナイゼルは両手を組んで、強く握った。
「早く、帰っておいで――私の、アスナ」
 あの細い肩が小さく震えているのを考えるだけで、こんなにも胸が張り裂けそうなほど痛いのだ。
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