茨が私達を裂く

 しばらく、アスナと話し込んでいたせいでシュナイゼルが自身の母と暮らす離宮に帰ってきたのは夕暮れを過ぎており、離宮の使用人たちが四阿に迎えに来てからのことだった。
 シュナイゼルに近い使用人たちはアスナとの仲にはあまり否定的ではないのが、しかし離宮の主人であるエレオノールの命令には逆らえないのか、どうか、どうかお帰りを、と嘆願されてしまえばシュナイゼルもそれに逆らう気にはなれなかった。
 ここでは自分の言葉一つで誰かの首が跳ねられることは決して珍しいことではないから。
 それはアスナも存分にわかっている。
 後ろ髪を引かれる思いがしながらも、シュナイゼルはアスナの頬に別れのキスを落として四阿から先に出ていった。
 柔らかな笑顔で手を振ってくれているアスナの元に、今すぐにでも戻りたいと思ったのは夕食の場にいるエレオノールの表情があまりにも優れないものだったからだろう。
 明確に不機嫌を滲ませた母を相手にしてもシュナイゼルはいつもの息子の姿を演じてみせた。
 もう、仮面を外すことができるのはアスナの前だけだった。
 アスナの前でだけは、ただのシュナイゼルとしても咎めない、むしろ優しく受け入れてくれて愛してくれる。
 相変わらず、アスナへの嫌味を絶やすことのない母の話はシュナイゼルの耳に入ってはいても、脳へ到達することはなかったので、直ぐに忘れ去られてしまうことだろう。



 ノーザンブリア寄宿舎は、長い歴史を持つ帝立のパブリックスクールである。
 貴族を中心に、あらゆる上等教育を必要とするいずれこのブリタニア帝国を率いていくだろう人材の育成を目的とした全寮制の学校である。
 十三歳から十八歳までの貴族や資産家の子女、または国が推奨している「奨学助成プログラム」を使い、ノーザンブリアが寮と自由学習機会を貧しい子供に提供する制度で入学してくる。
 長い歴史の間で、多くの皇族がこのノーザンブリア寄宿舎か、同じく帝立校であるコルチェスター学院に分かれて入学することになる。
 シュナイゼルはノーザンブリア寄宿舎に通いだしたのは母、エレオノールの言葉が強く働いているのも大きな理由であるが、ノーザンブリア寄宿舎に入れば当然のように、離宮から離れられた上で、勉強に集中できる。
 勉学を理由に母が持ってくるお見合いを拒否できる。
 それに、ノーザンブリアでは政治面を多く学べると判断してこちらを選んだ。
(一つ、誤算だったのはアスナが士官学校を選んだことだったかな)
 シュナイゼルは寮でシャツに袖を通しながら、ふと微笑んだ。
 シュナイゼルはてっきりアスナがついてきてくれるものだと思っていたのだ。
 だが、アスナはボワルセル士官学校へ進む道を選択した。
 それはいずれ、自分がシュナイゼルの配下となり、そのときに軍人として役に立たなければ意味がないという彼女なりの配慮であることもシュナイゼルには理解できる。
 政治面、軍略面でシュナイゼルが優れているのなら、アスナが補うべきは戦力だろうし――アスナはそういう意味ですでにシュナイゼルの信頼を勝ち得ている。
 アスナは戦闘面に於いて類まれなる才能を持っている。
 家柄などなくても、ナイトオブラウンズに入ることが可能だろうとシュナイゼルが思うくらいには。
 シュナイゼルはタイを締めて、鏡の前で些かも不具合がないかしっかりと確認する。
 ――このノーザンブリア寄宿舎で求められているのは、誰にでも優しく、完璧で優秀なシュナイゼル第二皇子だ。
(アスナに会いたくなったなぁ)
 つい先の休日に会ったばかりだというのに、と笑ってアスナからお守りにと渡されたシルバーのブレスレッドにそっとキスを落とした。
「いってくるよ、アスナ」
 ベッドに鎮座しているのは、完璧主義のシュナイゼルとしては些か違和感を覚える――黒い服を来た赤毛のテディベアだった。
 アスナが初めてシュナイゼルにくれた贈り物だった。
「おはようございます、シュナイゼル殿下」
「おはよう、カノン。いい朝だね」
 カノン・マルディーニはアスナに比べれば淡い色であるが赤髪だな、とシュナイゼルは忌憚なく発言してくれる友人となった彼に対して淡く微笑んだ。
「どうかしましたか?」
「いや……婚約者を思い出してしまってね。この間の休日に離宮に帰ったときに会ったのだけれど」
「ああ……ポワルセル士官学校に通っているという」
 シュナイゼルの話に出てくる唯一の他人だ。
 おそらくはカノンよりもずっと心をひらいているであろうシュナイゼルの話に出てくる心優しい女性騎士。
 すでにシュナイゼルは国内向けのものばかりであるが公務に出ている。
 その公務への同行が認められている紅い長い髪の少女騎士はすでにブリタニア国内でも知られており、シュナイゼルの専任騎士候補として他の騎士候補たちを圧倒的に上回っているという話だ。
 凛々しく釣り上がる青と緑色の瞳はテレビで見ている限り、シュナイゼルが言うような優しい雰囲気は感じられないのだが、シュナイゼルは「あれは、相当頑張って作ってるんだよ」と笑う。
 おそらくは、シュナイゼルにしか見せない、シュナイゼルの言うような少女らしい姿があるのだろう、とカノンは想像する。
 とはいっても、カノンが知るアスナという少女騎士はテレビの中の、美しい白い皇子を守る凛々しい黒い騎士としての姿がほとんどであったので、可愛らしいところなど微塵も想像がつかなかった。
 シュナイゼルは少しだけ首を傾げているカノンに笑う。
「確かに最近は、騎士らしいのが板についてきたように思うよ。さすがはヴァルトシュタイン卿が指導しているだけはある」
 ヴァルトシュタイン卿といえば、ビスマルク・ヴァルトシュタイン――帝国最強の騎士である、ナイトオブワンである。
 彼から直接剣の指導や騎士としての作法を習っているのなら、それは上辺だけとは言わず中身も立派な騎士になっていてもおかしくはないだろう、とシュナイゼルは考えて、少しだけ考えを払拭した。
(どうしても、騎士になりきれないところがあるからね)
 良く言えば優しい。
 悪く言えば甘い。
 アスナはあの年で、すでにブリタニア正規軍の軍人たちが束になってかかってきたとしても相手にならない。
 それこそラウンズクラス――先日は、ナイトオブツーであるミケーレ・マンフレディがアスナの相手をしていたがそれでもアスナは苦戦していたとはいい難い。
 マンフレディ卿は稽古が終わったあと、殿下は良い騎士をお持ちになられましたな、と快活に笑って声をかけてきたくらいである。

 だが――アスナは人を殺したことがなかった。

 シミュレーターの結果はナイトオブシックスであった現皇帝妃マリアンヌ・ヴィ・ブリタニアと同等の結果を叩き出しており、実力もあるだろうとシュナイゼルは贔屓目なしで頷くことができる。
 その一つ。
 たった一つ、命を奪ったことがあるか、ないかの差は歴然としており、マンフィレディ卿はアスナと対等に戦ってみせたが、しかし、そこには確かに壁があった。
 アスナの剣は捕縛を前提としたもの、アスナは誰かを傷つけることを嫌っている――その事実を、ヴァルトシュタイン卿は快く思っていないのだ。
 いずれ、大公爵位を継ぎ、ナイトオブサーティーンになった時に――いや、自分のところへ嫁ぐアスナにその可能性が低いとして、騎士となり、戦場に出たとき、その甘さはアスナを追い込むことになるだろう。
 そう考えているのかもしれない。
 シュナイゼルは彼らの言い分も考えも理解できるが、アスナに甘さを棄てて、戦いに心血を注ぐような人間になって欲しいかといえば答えはNoだった。
 確かにアスナは甘いかもしれないが――それがアスナらしさというか、いいところだ。
 抜けているところもあるし、甘いところもある。
 しかし、それは、自分が戦略でカバーすることができるところだろうとシュナイゼルは考えていた。
 と言っても、それを口にすることはしない。
 遠くない未来に自分も従軍経験――指揮経験をつまされることになるだろうが、そこにアスナの随伴は決定事項だ。
 そもそも、そのためにポワルセル士官学校に通っていて、アスナはすでに後方部隊とはいえ従軍の経験すらあるのだから――いざとなれば、アスナは剣を持って戦うことのできる人間だとシュナイゼルは信じている。
(できるなら、彼女が戦わないほうが好ましいのだろうけれど)
 シュナイゼルはふと、表情を緩めて、あの薔薇園で出会う赤い髪がなびく姿を思い浮かべた。
 遠く空を見つめることが増えたのは――恐らく、少しだけ彼女が大人になろうとしているのだと思うと寂しく感じられた。
「そういえば、今度、その少女騎士の誕生日パーティーが盛大に開かれるのですね」
 カノンの声が耳に入ってきて、ああ、とシュナイゼルは頷いた。
「毎年、伯父上が盛大に開くからね。父上も臨席されるようだよ」
 シュナイゼルはなんてことのないようにいうが、カノンからしてみれば驚き以外の何でも無い。
 皇帝陛下が公の場に降りてくることなど殆どないというのに、いくら姪・甥の誕生日会とは言えど、国内のものしか招かないパーティーに臨席されるなど畏れ多いことである。
 カノンはいくら貴族とはいえど、ノーザンブリアでシュナイゼルと接点を持たなければ、皇族と関わりができるなんて考えたこともなかったくらいなのだから、皇帝陛下など正しく天上のお人になるのだろう。
「アスナ殿は大切にされているのですね」
「どうだろう」
 カノンの言葉を意外とあっさりシュナイゼルは返した。
「父上はアスナを大切にしているとは思えないな。……ただ、体のいい道具ではあるだろうけれど」
 シュナイゼルはふと目を細めた。
 アスナが皇帝に謁見している姿は何度も見たことがあるし、その都度、アスナへ用向きを伝える姿を見ている。
 そもそも、自分の息子や娘たちにすら大した興味のない父親だ、姪であるアスナに対して態度は一貫しているようにシュナイゼルには見える。
「まあ、それはいいんだ。プレゼントはどうしようかな」
「殿下から贈られるのですか?」
「もちろん。私の誕生日には万年筆を贈られてね。使い勝手が良くて、愛用しているんだ」
 シュナイゼルが朗らかにそう話すのを聞きながら、ああ、そういえばとシュナイゼルが日々使っている有名ブランドの万年筆のことを思い出した。
 確かにものに頓着しないタイプであるシュナイゼルにしてはずっと使っているので気になっていたがこれで納得がいった。
 大切にしているのにはそれ相応の理由があったのだな、とカノンは少しだけ表情を緩めた。
「あまり彼女も物欲があるタイプではなくてね。何を贈っても喜んでくれるんだが――ああ、こういうのは弟のクロヴィスの方が思いつくんだ。去年もクロヴィスが用意したプレゼントをとても喜んでいてね」
 シュナイゼルは口元に指を当てながらうん、うんと頷いている。
 クロヴィスというのは、シュナイゼルにとっては最も年の近い弟に当たる第三皇子殿下である。
 彼は学業面でももちろん優秀ではあったが、だからといってシュナイゼルほどであるかと言われればそうではない。
 容姿もそれなりに整っているし、穏やかな人柄があるのだろう万人受けしそうではあるし、どうやら芸術面に興味があるようですでにいくつもの絵画コンクールで賞をもらっているようであった。
 そういう人間性もあるのだろう、クロヴィスが去年アスナに贈った美しい装飾の施されたとある国の伝統工芸なのだというガラス細工にとても喜んでいた。
 負けた、とはシュナイゼルは考えていなかった。
 最終的に、誰からのプレゼントを一番喜んでいたかといえば、やはりシュナイゼルから贈られたものだったのだから。
 弟がアスナと仲良くしていることをあまり快く思っていないのでは、と聞かれることが多いが、シュナイゼルはあまり気にしていなかった。
 そもそも、アスナは剣がなければ芸術方面にとても興味があるタイプで、暇を見てはピアノを弾いたり、絵を描いてみたり、時間があれば美術館やオペラの鑑賞などにも出向いていくのだ。
 そういう意味で、クロヴィスとアスナの相性はいいのだろうし、クロヴィスもそういうアスナを慕って「姉上」と呼んでいた。
 クロヴィスはもちろんだったが、アスナはマリアンヌ皇帝妃の寵児、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアとも十分に親密であったし、彼はシュナイゼルやアスナと同じく頭がきれるタイプだったので、アスナは彼にチェスを教えているのだという。
 「いつ追い抜かされるかわからないから、楽しみだ」と笑うのはいつもアスナだった。
「意外と大変なんだよ、弟たちと被らないようにプレゼントを選ぶのは」
「ああ……なるほど」
 弟たちもクロヴィスやルルーシュのみならず、上を言えば、兄で第一皇子のオデュッセウスや、第一皇女ギネヴィアのプレゼントのこともある。
 すでに学業を終えている彼らは、今年から軍に入るであろうアスナへ祝いを兼ねて盛大にプレゼントを贈るつもりだ、とオデュッセウスが話していたのをシュナイゼルは思い出した。
 ――さて、どうしたものかな。
 あとでいろいろとカタログでも眺めてみようかな、とシュナイゼルが言えば、それがよろしいでしょうね、とカノンが返事をする。
 カノンはアスナのことをよく知らないので、どんなプレゼントが喜ばれるのかあまり見当がつかないところだったし、そもそもシュナイゼルはプレゼントを本当はもう決めているのではないかと思ったのだ。
「ああ、そうだ」
 なにか考えていたはずのシュナイゼルは顔を上げて、カノンに向かって手紙を差し出した。
 黒い封筒に――紅い蝋封。
「これは?」
「シュヘンベルグ大公爵の一人娘――アスナからだよ。私が君の話をしたら是非、君に会ってみたいと言い出してね」
 でも、接点がないから招待状を渡しておいてくれ、と頼まれたんだ、とシュナイゼルは笑う。
 カノンはそれを受け取って、ついシュナイゼルの顔と見比べてしまったがどうやら本物らしく、当日皇宮に入り、パーティーに参加するためには必要なのだと説明された。
「まあ、気を楽にしていて大丈夫だと思うよ」
 アスナはいい子だから、とシュナイゼルが言うとそれ以降、その話は持ち出されず、カノンはこの話はすでに打ち切られたのだと理解した。
 二人の間で、この話が終わったものだと判断されると話題は速やかに切り替わる。
 途端に学校でのことや、寮のこと、学校でのクラブ活動のこと。
 さらに話題が広くなってくると昨今の国際情勢や、政治情勢など――到底学生がするにはレベルが高い会話であっただろうが、このノーザンブリア寄宿舎では決して珍しい光景ではなかった。
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