運命の誕生日

 皇暦2005年――六月二十日。
 数日降り注いだ雨もこの日ばかりはピタリと止まり、薄曇りだった空はパーティーが開始される夜半には美しい星を瞬かせることとなった。
 神聖ブリタニア帝国帝都ペンドラゴンのセントダーウィン通りの奥、シュヘンベルグ大公爵の住まいとなっている離宮――ライブラ離宮の双塔の城は、日頃の慎ましやかな、しかしどこか陰鬱とした雰囲気をはねのけて、あらゆる人が出入りし、明るく、人の声や、ダンスのための音楽で溢れかえっていた。
 特にお客様を出迎えるためのエントランスではすでに多くの貴族や皇族、皇帝妃たちが集まっていたこともあって、社交の場としては大きな賑わいを見せている。

 その奥の控室で、アスナは大きくため息を付いた。
「ねえ、どうしてもだめ?」
 目の前に立っている黒い執事服の男は長年アスナに仕えているガリオン・フォーレストである。
 彼は執事ではあるが、名誉騎士侯の称号を持っている騎士の一人であった。
 ガリオンは薄紫色の髪を男性にしては長く伸ばしており、その髪は首裏で二つに結ばれている。
 それを少しだけ揺らして振り返ると、困った顔をして笑ってみせた。
 そんな彼が手に持っていたのは黒いドレスだった。
「お嬢様、これは旦那様からのご命令でございます。――ドレスは女性の公でのドレスコードとしては最適ですよ」
 たしなめるようにアスナに向かって言ったガリオンにアスナは端正な顔の眉間に思い切りシワを作って、ふいと顔をそらしてしまった。
 アスナはドレスをあまり好まない。
 動きづらいし、そんなものを着たって女の子らしく着飾られるわけではないし、と頬を膨らませてしまう。
「きっと、シュナイゼル殿下はお喜びになりますよ」
 ぴくり、
 わかりやすいくらい肩がはっきりと動いたのを見て、ガリオンは主人を前にして、やってはならないことであったがつい吹き出してしまう。
 この愛らしい主人の想い人であるあの人は、きっとアスナのドレス姿を手放しで称賛してくれるはずだ。
 アスナも少しだけそんな姿を想像したらしい。
 散々悩んだ結果、やはりシュナイゼルに褒められるのを選んだらしいアスナはゆるゆると立ち上がり、メイドたちに連れられるまま美しい黒いドレスに着替えるために奥へと入っていった。

 パーティー会場のざわつきが一瞬にしてなくなったのは、皇帝シャルル・ジ・ブリタニアが上座に備えられていた玉座に腰掛けた瞬間であったことだろう。
 全員が歓談をやめ、上座に向かって同様に礼を取る。
 シュナイゼルも父に向かって礼を取る。
 伯父であるクロスがシャルルの座る玉座の近くに立つとマイクが渡され、彼は会場全体を一瞥した後、朗々とした声で話しだした。
「この度は愛する我が子であるアスナとラーズの誕生日パーティーへお越しいただき誠にありがとうございます。
 そして、我が弟、敬愛すべき陛下のご臨席を賜りまして、恐悦至極。この席をお借りしまして、深くお礼を申し上げます」
 クロスは少し仰々しく一礼した。
 彼の狂言じみた話し口や立ち居振る舞いはいつものことであるので、皇帝も、周りの貴族たちも大きく何かを言うことはなく、シャルルは片手を上げて異母兄へ合図をする。
 目配せし、それから視線をそらして、再び会場をみやったクロスはシュナイゼルを見つけると笑った。
「さて、私の挨拶など、誰も耳に留めてはいないでしょうから、長々とするつもりはございません」
 クロスがそう言うと、周囲からにじみ出る笑いのようなものがあった。
 彼はそれを気にすることなく、会場の入口、一番大きな木製のドアを示して、笑ってみせる。

「私の愛おしい双子たち。アスナとラーズでございます、皆様、よろしければ盛大な拍手でお迎えくださいませ」

 会場中の拍手がドアの外側にも聞こえてくるのがアスナにはわかった。
 マーメイドタイプの体型を隠さないスラリとしたドレスには女性らしい愛らしい大きなフリルがたっぷりと使われている甘いデザインであるのにもかかわらず、足元のスリットは大胆に開かれていて、恐らくアスナが歩く都度に白い足を、レースの付いた黒いストッキングで隠しているのが見えることだろう。
 そんな大人っぽいドレスを握って、アスナは緊張した面持ちでいる。
 隣のラーズはといえば、よくあるタイプの黒いタキシードに紅いスカーフタイをしていた。
 彼はあまり緊張していないのか、それともあまり気にするタイプではないのか拍手の音を聞いて、自分たちが入場することになったのだと悟ると、姉の前にす、と白い手袋に包まれた自分の手を差し出した。
「大丈夫だって。俺がついてる」
「……うん」
 黒いレースのイブニンググローブに包まれた手をそっと重ねられたときに、重たいドアが軋みを上げて開く。
 パーティー会場からの照明に目が眩みそうになるのをなんとかこらえて、アスナはラーズにエスコートされ、一歩ずつ紅い絨毯の上を進んでいく。
 会場の中には見知った貴族や、父の知り合いであろう人間も多く見受けられ、視線の先、玉座には叔父、シャルルが座っているのが見えた。
 まずはそこに挨拶をしに行かなくてはならない。
 アスナが一番緊張しているのはそこかもしれない。
 皇帝陛下の眼下までくると二人共揃って膝をつく。
 おそろいのように仕立てたタキシードとドレスを着ている双子はまるで人形のように美しく、飾り立てられている。
 こういった場で口上を述べるのは姉であるアスナの方だった。
 アスナは静かに皇帝へ隣席の礼を述べ、より一層、ブリタニアのために戦えるよう鍛えていくことを約束した。
 緊張して、手に汗が滲みそうになるのを必死で耐えながら、話していたので声が震えていなかったか、など考えている暇はなかったが、すべてを言い終わったあと顔を上げてみれば、父が優しい笑顔を浮かべて拍手をし、その隣には皇帝陛下を守るためにやってきていたビスマルクが満足気に頷いているのが見えたのでアスナは漸く胸をなでおろすことができた。

「シュナイゼル殿下」
 挨拶が終われば、アスナは漸く解放され、客たちも再び歓談へと戻っていった。
 パーティーの主役であるはずのアスナは貴族たちへの挨拶もそこそこにシュナイゼルの元へと歩み寄ってきた。
 ドレスが見合うようにアスナは楚々とした態度でシュナイゼルの元へ歩み寄ると、貴族の令嬢らしい挨拶をしてみせた。
「シュナイゼル殿下、本日はわたくしとラーズの誕生日パーティーにご出席いただきありがとうございます」
 ドレスの裾を持ち上げて優雅に礼をしてみせたアスナを見て、シュナイゼルは優しく微笑んでその手をそっと掴んで、手の甲にキスを落とした。
「こちらこそお招きありがとう。美しい貴方の誕生日をこうして祝うことができてとても光栄だよ」
 シュナイゼルの方が一枚も二枚も上手だったようで、アスナは一気に頬を赤らめた。
 その後は人目を気にしつつ、他愛のない話をするだけだ。
 アスナは主役であったし、シュナイゼルは第二皇子であるからどうしてもパーティーの場では悪目立ちしてしまって話したいことも話せないのは仕方のないことだった。
 婚約者と言っても、こういった公の場では当然、控えなくてはならないことだってたくさんある。
 しかし、こっそりと耳打ちするようにアスナはにこやかに笑った。
「ありがとう、シュナ」
 パーティーに来てくれたことももちろんだが、おめでとうと言ってくれたことが嬉しかったから、アスナはお礼を言う。
 ちゃんと自分の口で、シュナイゼルにお礼をいいたかったから、こうやって二人で話せる時間が取れてよかったとアスナは笑った。
 耳打ちをするためにどうしても距離が近くなってしまったがシュナイゼルはそれを咎めることなく笑顔で、「こちらこそ」という。
 そのとても朗らかで仲睦まじい様子に、貴族たちからは好感も得ているのだが、アスナは知らないのだった。

 シュナイゼルの異母兄であるオデュッセウスがやってきたときにはアスナは兄のように慕っているオデュッセウスが祝いに来てくれたというのが嬉しかったのか、朗らかに笑うオデュッセウスに何度もお礼を述べていたし、
 小さなユーフェミアが姉のコーネリアに連れられてやってきた時はついついアスナも頬を緩ませて、花束を差し出してくれるユーフェミアに合わせて膝を地につけて屈んでいた。
 クロヴィスが今年プレゼントとして選んだものは壁に書けられるタイプの花時計であり、プリザーブドフラワーはアスナをイメージしていたのか、赤と黒で統一されており、ラーズのものも同様だった。
 双子でおそろいのものを贈られて二人は見せあって笑っていた。
 パーティーも終盤に入ってくれば、大人たちの時間になってくれば本人たちはそっちのけで、ビジネスやら、最近の軍の動向などきな臭い話もたくさん出てくる。
 アスナはため息を付きながら、シュナイゼルに手を引かれるままバルコニーへと出てきた。
 外の風が心地よく、アスナは目を細める。
 流石に沢山の人に囲まれることとなったアスナは肩が凝ったのだろうバルコニーに出るなり腕を伸ばして、バルコニーの装飾の施された柵の元まで歩み寄った。
「マルディーニ卿はいい方だったね。シュナが気にいるのもすごくわかる」
 アスナはここでは人目がないこともあったからか、直ぐに口調を崩してシュナイゼルに話しかけた。
 それに合わせてか、シュナイゼルも少しだけ方から力を抜いてバルコニーの柵に手をかけた。
「会わせることができてよかったよ」
 アスナが楽しんでいるようで何よりだと思ったし、シュナイゼルやアスナが思っていたよりもずっとお見合い目的でアスナに近づく人間が少なかったことは上々だっただろう。
 アスナはそのことだけで、少し機嫌が良かった。
「ラーズは大変そうだけどね」
 早々にシュナイゼルのもとに避難し、更にはその仲睦まじげな姿を晒して、卒業後には結婚することすら視野に入っているのではないかと、意識を根付かせたアスナとは対照的にラーズは様々な女性たちに囲まれている。
 バルコニーからでもわかるそれを二人で眺めながら、そっと手の甲が触れ合うとシュナイゼルとアスナはどちらとも言わずに手をつないだ。
「ラーズには申し訳ないことをしてしまったね」
「ふふ、あんまり思ってないくせに」
 二人きりになれてよかった、とかその程度のことだろうとアスナは思う。
 アスナもシュナイゼルと二人きりになれてよかったと思う。
 まるで、夢のよう。
 嬉しそうに微笑んだアスナはシュナイゼルの手を握る力をそっと強める。
 離れたくない。
 そういう意思が込められているような気がして、シュナイゼルも少しだけ握る手の力を強めて、アスナと見つめ合った。
 この時間が少しでも長く。
 ただ、たまらなく幸福で、心地が良かった。
 中から聞こえてくるワルツの曲にシュナイゼルが気づくと、するりと一度手を離した。
 それに驚いたアスナは目を見開いて、シュナイゼルを見上げようとして、それよりも早くシュナイゼルが膝をついて、アスナの前に手を差し出した。
「――よろしければ、一曲お相手していただけますか?」
 本当に絵本の中から飛び出してきたような王子様にアスナは胸が高鳴った。
 心臓がひどくうるさい。
 ぎゅう、と胸元で手を固く握りしめたあと、ゆっくりと手を伸ばしてその手に、重ねようとしたところで――

 ――すべての照明が落ちた。

 突然のことに会場は騒然となり、小さな子供の泣き声が響くように聞こえてくる。
 会場の中でクロスは周囲を見回すも、完全に暗闇に包まれておりそろそろ簡易照明が戻ってきてもおかしくない頃合いだというのに未だにどこの明かりも灯らない。
 ビスマルクとともにシャルルを守りながら――一人の男が近づいてくるのを感じた。
 視線を送ってみれば、いたのはガリオンの父であるオズワルド・フォーレストであった。
 オズワルドはこそりとクロスに耳打ちするように顔を近づけた。
「非常用電源が破壊されております。主電源もサーバーダウンしており、復旧には……」
 なるほど、手の込んだことを、とクロスは思いながらもオズワルドには復旧を急がせるように手配させ、暫くの間の演出とするためにランタンを大量に用意してくるようにと伝えた。
 彼はそれらを理解すると直ぐに走り出し、それぞれの使用人たちへ指示を出していた。
 それを見送ったあと、クロスは弟であるシャルルに頭を垂れた。
「陛下は一度下がられるべきかと。――どうやら、人為的なものであるようだからな」
 うむ、と低く唸った皇帝は椅子から立ち上がる様子はなく、クロスは困ったように笑いながらもそれを許した。
 いざとなれば、自分とビスマルクが戦えばいいだけだ、と思い、それを実行するために徐々に暗闇に慣れてきた瞳はビスマルクを捉え、ビスマルクは小さく頷いて腰に下げていた剣に手を伸ばす。
 その次の瞬間には――白煙が立ち込めていた。
 床の下から現れたのではないかと錯覚するほど下から上へと盛り上がるような白煙は一気に会場中を包んだ。
 会場全体に、甲高い女性の悲鳴が響き渡ったのをきっかけに、一気に狂乱状態へと陥った会場をあざ笑うようにして煙は周囲を包み込んでしまい、あっという間に視界を奪い去ってしまった。
 白煙からは煙特有の、火薬が焼けたようなむせ返る匂いがしてとっさにクロスはハンカチを取り出して口元を塞ぐ。
 どういうことだ、と叫ぶ貴族たちを制するように、使用人たちに客の避難を優先するように檄を飛ばしている。
 シュヘンベルグ家の使用人たちは迅速であった。
 主人の声を聴くよりも早く、それぞれがお客人をどう逃がすのが適切あるか判断し、煙の排出作業と同時に皇族から順に避難するように勧めているのがクロスの耳に届いた。
 それらを確認すると、日頃の使用人の教育が間違っていなかったと満足げに頷き、次に確認しなくてはならないことへ移った。
 息子と娘の行方を調べておかなくては――。
「ラーズ! ラーズはいるか!!」
「いる!!」
 ラーズの声が会場の中から聞こえてきた。
 彼はその腕にルルーシュとナナリーを抱えており、まだ幼い彼らを避難させようとしていたらしい。
 その隣には同じようにユーフェミアを抱えたコーネリアがクロヴィスとともに立っているのがクロスの目で確認できた。
 他の皇族たちもそれぞれ護衛として連れてきている騎士たちと行動しているのが見て取れたが――アスナの姿が見えなかった。
「……アスナは。誰か、アスナとシュナイゼルは見なかったか?」
 クロスの声には誰からも返答がなく、二人の姿がそこにはないことがわかる。
 普段であれば煙など、あっという間に換気口が開いて排気するはずであったが、電源が落とされてしまっていたため煙は中々なくならない。
 クロスはこれではアスナとシュナイゼルを探そうにも、と周囲へ視線を巡らせながら舌打ちをする。
 とりあえずはここから避難することを息子に伝え、回廊へ続くドアを開けさせ、煙の排出を急がせるのと同時に、皇族が無事であるかどうか確認する。
 その過程で、シュナイゼルの級友だというカノン・マルディーニが、最後に二人がバルコニーに向かうのを見たとクロスへ伝えてきた。

(……何が目的なんだ)
 停電もした。
 煙も出てきた。
 しかし、どこかに火が上がっているなどという使用人の報告もなく。
 確かに被害は殆どないが――被害らしい被害といえば、この離宮内に不逞の輩を潜り込ませたという意味でシュヘンベルグ家の評判が少し下がるくらいのものだ。
 クロスは明かりが灯り始めているエントランスまで客の全員が避難していることを確認して、やはりアスナとシュナイゼルの姿がない。
 エレオノール皇妃が、シュナイゼルは、と叫んでいる声が聞こえるが、恐らくアスナの所で間違いないはずだ。
 自分たちとは別経路でシュナイゼルを安全な場所まで誘導しているはずだ。
 そういう意味ではクロスは娘の実力は疑っていない。
 特にシュナイゼルが関われば問題はみじんもないだろうと思いながら、しかし、それは捜索しないこととは話が別だった。
 数人の使用人たちにバルコニーから続く庭の捜索を刷るようにと声をかけたところで、その声は突如聞こえてきた。
 「アスナ!」とシュナイゼルの声が耳に入った次の瞬間に、ぱん、ぱん、と乾いた銃声が二つ聞こえ――クロスは剣を掴むと駆け出していた。

 ときはほんの少しだけ遡る。
 中からは「照明はどうした!」「直ぐに非常用電源に切り替えろ!」というラウンズや父の声が聞こえてきて、皇帝の安全を確保しようと動く大人たちの足音や怒号が飛び交っている。
 アスナとシュナイゼルはバルコニーで照明が落ちた瞬間とっさに、アスナはシュナイゼルをかばうようにその腕をひいて、バルコニーの入り口に当たる窓の方を見て、アスナは警戒していた。
 今はすぐにここから動かないほうがいいとさすがのアスナでも判断がついた。
 シュナイゼルが後ろにいるか確認して、シュナイゼルの手が繋がれているのをしっかりと感じ取って、それまで柔らかな少女をしていた瞳は釣り上がり、騎士の瞳となっていた。
 今、ここでシュナイゼルを守ることができるのは自分だけだという自負がアスナを突き動かしていたが、その体はわずかに震えていた。
 シュナイゼルは細い肩を震わせているアスナを見下ろして、しかしかけるべき言葉が見つからず、きゅと唇を結んだ。
 しばらく会場に電気が戻ってこないことから、非常用電源にも何かしらの異常があるのだとわかった。
 漸く、喉の渇きを感じられるようになって、アスナは自分が緊張して震えているのだろうと気づいた。
 でも、それはシュナイゼルにばれないようにしなくては。
 できるだけ声が震えないように努めながら、声を潜めた。
「シュナ、避難しよう」
「……その方が良さそうだね」
 シュナイゼルもアスナの意見には賛成だった。
 いつまでもここにいても、相手の目的がはっきりと見えてこない上に、取り残されれば危険であると判断できる。
 停電までさせたのだから、相手の目的は中にいる人であったことは容易に想像できたからだ。
 そして、その人物は――皇族か、それとも皇帝本人だったのか、今のアスナたちには判断するには情報が足りなかったが、シュナイゼルだって狙われる理由を持つ一人だ。
 ――もしかしたら、アスナだって。
「このバルコニーから外に出たほうが良さそう。電源が落ちてるのは中だけで、外の方は明かりがちゃんとついてる」
 アスナは視線をバルコニーの外に向けて、シュナイゼルはそれを追いかけるようにして、シュヘンベルグ家が誇る庭園をみやった。
 薔薇の庭園を美しく照らし出されるようにライトアップされているそれらの電源は落ちていないようで、アスナの言うとおりに電源に支障があるのは建物の中らしい。
「――……仕方ないね。伯父上たちには心配をかけるだろうけれど」
 シュナイゼルは困ったように笑っているが、承諾の返事をもらったため、手を握り直し、バルコニーから外に出るために走り出していた。
 ――嫌な予感がする。
 とんでもなく嫌な予感だった。
 中の人たちのことも気がかりだが、父もビスマルクもラーズも、他にも優秀な騎士たちが何人もいる。
 きっと中の人達にはなにもないはずだ、とアスナは信じて、シュナイゼルの手を強く握った。
 シュナイゼルを守らなくては、と思う気持ちから少しだけいつもより強く力が入ってしまうが――シュナイゼルは何も言わなかった。
「……こちらの方は静かだね」
 薔薇園の方まで逃げ出してくると、離宮の喧騒はたしかに耳に入ってくるし、窓から煙が漏れ出しているのをアスナは黙って見つめていた。
 だが、火の手が上がっている様子はなく、煙だけが見える状態だ。
「大丈夫かい、アスナ」
 シュナイゼルが優しく肩を叩く。
 ここまでくれば大丈夫という安堵もどこかにあったのかもしれない。
「そろそろ、離宮の方に移動しよう。伯父上たちもエントランスの方に避難しているはずだよ」
 うん、とアスナは頷いて、生垣に潜めていた体をそっと持ち上げて、周囲を確認する。
 やはり、誰の気配も感じない静かな父のお気に入りの薔薇園がそこにあるだけだ。
 少しでも人の多いところへ合流するのはシュナイゼルの安全を守るためには必要なことだったし、アスナはゆっくりと立ち上がるとシュナイゼルに手を差し出した。
「戻ろうか」
 ――まるで、昔、二人でかくれんぼをしていたときのような。
 アスナの困ったような笑顔が、わずかにこの場における緊張が解かれたのだとシュナイゼルは感じて安心した。
 だからかもしれない、後ろに現れた影に、わずかに反応が遅れてしまったのは。
 シュナイゼルの表情が一変するよりも早く、アスナは背後に感じた男の気配に振り返った。
 振り下ろされる剣をシュナイゼルの手を引っ張って躱すと問答無用で走り出した。
 薔薇園から離宮のエントランスまで走りきれれば――という考えは読まれていたのか、目の前には更に数人の男たちが人垣を作るようにして並んでいた。
 安心してしまった自分を責めた。
 外に出たからといって安全になったわけじゃないのにと、アスナは唇を噛み締めて走った。
 先程まで影も形もなかったくせに、とアスナは考えながら恐らく、彼らはプロだ――暗殺の、と理解した。
 目的はシュナイゼル、いや、一撃目は確実に自分に向かって振り下ろされていた。
(……私が、目的?)
 男たちの目は自分に向いていた。
「こいつだ」「赤い髪、青と緑色の瞳」「嚮主様たちが探しておられた子だ」
 男たちの目的は自分らしい、と気づくとアスナの行動は早かった。
「殿下、どうか、先におゆきください。私が道を開きます」
「アスナ……っ」
「こいつらの目的は私です。――どうか」
「だめだ、君を置いてなんて……」
「“殿下”!」
 ――アスナが立場を強調するときは、自分に余裕がない時だ。
 普段はシュナイゼルの、親しく有りたいという気持ちを組んでくれるアスナだが、今はそういうときではないと瞳が言っていた。
 貴方は生き延びなくてはならない、とアスナは言っている。
「貴方は皇族だ。私は騎士だ。そもそも、私が目的の連中を相手にするのに貴方を巻き込むなんてできない」
「でも、君は、私の――」
 シュナイゼルの言葉を遮ったのは、アスナの指だった。
 優しく、シュナイゼルの唇に当てられた指にシュナイゼルは言葉を紡げず、ただ、アスナを見る。
 アスナは緩やかに笑った。

「大丈夫。必ず、貴方のところに帰ります」

 シュナイゼルの手を握りしめていた手がするりと離れていく。
 ――後にシュナイゼルはこの日の行動を後悔することになる。
 彼女の手を離さなければ良かった、と。

 アスナの体はドレスを纏っているとは思えないほど身軽に力強く男の一人を蹴り飛ばすと跳ね上がった。
 男たちが持っていた剣を奪い取ると、そこからは大立ち回りだ。
 殿下、とアスナがシュナイゼルに合図をするとシュナイゼルはアスナを逃がすために今度は自分が人垣となり、道を塞ぐ。
 シュナイゼルがなにかいいたげに自分を見たのがわかったが、今はこれが最適解であることを互いに理解している。
 シュナイゼルは頭が切れるが実際に戦闘ができるかと言われればそういうわけではないのだから。
 アスナは柔らかく微笑んだ。
 シュナイゼルが自分の後ろ、離宮側へ向かっていくのを音だけで確認するとアスナは武器を構え直した。
「お前たち、何者だ」
 アスナはじろりと男たちを睨みつける。
 だが、男たちは返答しない。
 雇い主を言うことなどないとはわかっている。
 互いにそれ以上は言葉はいらないと武器を構えたところでシュナイゼルの叫び声が聞こえた。
「アスナ!!」
 乾いた銃声が二つ。
 体を蝕むじわりとした熱は急激に全身へと広がっていき、特にその中心である右脇腹の痛みが尋常ではなかった。
 呻くよりも早くアスナの体は倒れていく。
 シュナイゼルにはその光景がまるでスローモーションのように見え、銃を使った男が生垣の奥にいるのが見えた。
 美しい新緑の芝生が二つの赤に染まっていく。
 駆け寄ろうとした足が止まったのは、アスナがわずかに起き上がって、シュナイゼルに笑ってみせたからだった。
「行って」
 お願いだから。
 早く、貴方だけでも。
 アスナは起き上がった体の手を無理やり掴まれる。
 強制的に動かされる体は、銃弾が通ったせいで異様なほどに痛み、軋み、呼吸が荒くなり、自分の体ではないくらいに動かない。
 抵抗できない自分が悔しかった。
「貴様ら――!」
 父の声が聞こえる。
 男の一人がアスナを担ぎ上げて、他の男達に指示を出しているのをアスナの耳は声としてではなく、音としてでしか認識できなかった。

(父上、私のことはいいから)
 アスナは薄らとなっていく、意識の中で、必死で思い浮かべた。
 優しくて、でも、どこかいつも欠けてしまっている。
(殿下を……シュナを)
 ――私の大好きな人。
ALICE+