02 最短距離の人生

 エルはこの島に生まれた少年だった。父はこの島の唯一の医者で方方へ駆け回ることが多く、エルは十歳を過ぎた頃から父の背中を追いかけていくのが好きだった。最初は危ないから、とか、邪魔だからといって父も母も自分のことを止めようとしたが、次第に父はエルが医学に興味を持ってくれたことが嬉しかったのか、邪魔をしないこと、わがままを言わないことを条件に連れ出してくれるようになった。父はすごい医者なんだ、とエルは心の底から思っている。父はかっこいい。そして、母は堪らなく美しい人だ。
 何も街のハズレに病院を作らなくても、とエルは思っている。もっと街の真ん中に、人が来やすい場所では駄目なのか、父が赴くばかりの往診で、父が医院にとどまっていることは少ない。単純な、子供の疑問だった。それを母にポツリとこぼしたときであった。美しい母が堪らなく悲しそうな顔をしてエルを抱きしめ、父によく似ている赤い髪をなでた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、エル。私がいけないの。私が――だから」
 最期の言葉は聞こえなかった。なぜ、母が悲しそうな顔をしているのか、まだ何も知らない少年だったエルにはわからないことだった――。



* * *




「えっと……後は果物かな!」
 ラミーは買い出し用にと書いてきた食材のメモを見ながらリッタとレビアを見上げた。
「そう、なら行きましょう!」
「あ、待ってよ、レビア!」
 ラミーの手を引いてレビアが走り出していくのをリッタは追いかけた。ふわり、とたっぷりとフリルの付いたスカートが揺れる。桃色の髪を二つに縛り上げている髪もリッタが走る度に揺れた。早く買い物済ませて皆と合流しましょう!と溌剌としたレビアの言葉に、もう、と言いながらも少し楽しそうにリッタは笑った。
 街はひどく賑わっているように見えた。リッタは走りながらも注意を張り巡らせる。――少しばかり賑やかすぎるように感じるのだ。何かお祭り、の割には自分たちのような海賊家業のような、ガラの悪そうな人間がちらほら歩いているのが見えた。海軍の駐屯地もないところだ、多分海賊やその他船を使うものたちが出入りすることで成り立っているのは容易に想像がつくのだが……
(それにしたって、さ)
 レビアが何も言わないのならリッタは何かするわけではない。もしも、彼女に危害が加わるなら、彼女の愛する蒼の瞳が被害を被るのなら動くだけだ。腰に下げた剣へ無意識に手を添えた。戦う理由はある。戦うための武器はある。すると、つきり、と額の傷が少しだけ傷んだ気がした。――もうあんな、悔しい思いはゴメンだ。
 ぎり、と奥歯を噛み締めた瞬間だった。
「あ、危ない!」
「え?」
 周りを見てないなんて、と思いよりも先に衝撃が先に来た。どさり、と石畳の道へ倒れ込んでしまった。リッタ!と自分を呼ぶ声が聞こえてああしまった、と思ったが目を開けてみれば、赤い髪――まるで月のような金色の瞳をした少年がこちらを覗き込んでいる。
「あ、あ、ご、ごめんなさい!俺、前を見てなくて!」
 まだ声変わりもまだのような少年だった。リッタよりも幾分か年下だろうか、そのわりには背が高く見えた。少年は慌てたようにしてリッタの上から退くと、立ち上がってリッタへ手を伸ばした。ありがとう、とリッタはその手を借りて立ち上がった。
「えっと、け、怪我は……?」
「ううん。ボクにはないよ。君は?」
「お、俺は大丈夫です!」
 必死で両手を振りながら言う彼を眺めて、そう、よかった、とリッタは言いながら両手で土を払う。すると、おや、と聞き慣れた声が聞こえてきた。その隣には巨人族の少年。――アスナだ。
「リッタ、大丈夫か」
「うん。ボクは平気」
「まあ、転んだ程度ならつばでもつけときゃ治るわな」
「……アスナと一緒にしないでよ」
 リッタから呆れた声が聞こえてきてアスナは愉快そうに笑うと煙管に火を入れた。少年は少しばかり呆然とリッタを眺めているではないか。アスナはふむ、とぱちぱちと目を瞬かせ、少年とリッタを見比べてみた。しばし、互いの間に沈黙が流れて、そして、
「ぶっ、あ、あはははははっ!!!!」
 こらえきれなくなったアスナが笑った。それはもう珍しいくらいの大爆笑にリッタが誰かとぶつかってついてきていないことを知ったレビア達が追いかけてきて、呆然としてしまったくらいには珍しいアスナの笑い声だった。突然現れた女に笑われた少年からすると何がなんだか、と言った様子で、どこか呆然とした少年は一気に意識を取り戻してアスナへ視線を送った。
「あー、あははっ、おもしろ、すぎるっ、だろう……!!」
「ちょ、え、アスナ、ど、どうしたの……?」
 レビアが流石に心配になったのか、アスナのもとへ近づいてくる。すでにアスナはお腹を抱え、その瞳には涙を浮かべているではないか。あ、アスナ姉?と混乱したラミーもアスナへ近づいてくるが、あー、と言いながらアスナは二人を片手で制して、はぁ、とゆっくりと息を吐きつつ、少年へ視線を送ると、やはり何かが面白いのか笑ってしまっているではないか。
「な、なんだよ!!」
「いやぁ、その年頃でもやっぱり男の子は男の子なんだなぁ。あー、笑った笑った」
 少年に向かって手を伸ばして、アスナは笑ってみせた。

「――本当に、奇跡の様だ」

 するりと頬を撫でるアスナの指。たまらなく愛おしそうに、そして、たまらなく泣きそうな顔をして少年の顔を見下ろしていた。赤と金色の瞳がわずかばかり、憧憬と懐古へ向けられ、少年を見ているようで、その先に何かを見つめているように見えた。自分の頬を撫でる指は冷たい氷の様で、わずかに震え、そして、生きているとは思えないほど青白くなっている。
 ――まるで、泣いているようだ。
 少年が認識するよりもずっと早く、アスナの顔はぱっと直り、手は離れて行った。いったいなんだったのか、少年が考えるよりも早くアスナの手が少年の左手を掴んであげた。
「まあ、最も。左腕の傷がなければかっこよかったな」
 見せてごらん、というその人の表情は先ほどと打って変わって明るい物だ。手の震えもなく、青白さすら感じさせない。見間違いだったのか、と少年が思うくらいには一瞬の出来事だった。でも、確かに自分は見たのだ。それが嘘なのか、真実だったのか――少年には理解できるはずもないくらいには、アスナの過去の出来事が起因している。アスナはさ、と傷口を確認するとバッグの中に入れてあった瓶の中の水で丁寧に洗うと、清潔なハンカチで傷口を覆うようにして水気を取った。
「小さな傷口をなめてはいけないぞ。こういう傷から感染症は起こったりもする」
 アスナは紅い蓋の浅い入れ物を取り出すと蓋を片手で器用に開けた。中には乳白色の軟膏が入っていて少年は覗き込んでしまった。傷薬か何かだろうか。その視線を察したのか、アスナはふふ、と笑うとただの傷薬だ気にするな、と言って指でたっぷりと掬って、少年の傷口に塗った。わずかばかり沁みたのか、少年が顔をしかめた。
「よし。後は清潔にしておくことだ。ガーゼで覆っておいてやるが、大したことないから風呂に入る時に外してそれ以降は付けなくてもいいよ」
 アスナはそういうとてきぱきとガーゼで傷口を覆って、テープでそれらを止めるとぽん、と優しく少年の左腕で手で押して笑った。レビアがへぇ、と感心したように一連の手際を見ていた。
「早いわね、アスナ」
「まあ、俺も一応は医者だからなぁ」
 これくらいの事はして見せないと、藪医者と呼ばれそうだ。とアスナは苦笑交じりにそう言った。確かに医者と言われるまで少年も全く気付かなかった。白衣というか、黒衣だし。インナーはロングニットだし、煙管を持っているし、顔の半分くらいは火傷で覆われてるし……とまじまじと眺めて、やっぱり医者らしくないなぁと思っているとにやりと笑ったアスナが少年の頭の上に手を置いた。

「一目惚れも結構だが、格好つけるならもう少しスマートにすべきだったなぁ、"少年"」

 にたり、と意地悪く笑ったアスナの顔を眺めて、少年は一気に顔を赤くした。
「な、なななっ」
「くく……まあ、頑張れ、恋する少年」
 レビアやリッタ達に聞こえない程度の声の大きさでそれだけ言うと、アスナはさっさと後ろを向いてしまった。赤い長い三つ編みがその動きに合わせてまるで生き物のように動く。リッタとレビアの肩を抱いてアスナは歩き出す。
「……アスナ?」
 レビアはふいに顔をあげた。それはアスナの感情がままならないほどだと気付いたから。自分の肩を抱くその手がいつになく震え、何かに怯える子供が大人にすがりつくような、所在なさげな雰囲気だったからだ。肩から手を離させて、レビアはその手をぎゅうと握りしめた。
「……――すまん」
 まるで一人に怯える子供のようにアスナは笑った。



* * *




(あのピンクの髪の女の子、可愛かったなぁ)
 手当してもらうならあの子がよかった、なんて贅沢なことは言えないけれど、ついそんなことを考えてしまう。エルは家へ向かうアカシアの花が咲き乱れる並木を通って行けば、丘の上にある小さな一軒家兼医院はすぐそこだ。
 それにしても。
 何だったんだろう、あの女は。と思い浮かんだ赤い髪の女にエルは少しばかり腹立たしさも感じた。
「何が、『一目ぼれは結構だが〜』だよ!」
 何でも知ったような口をきいていたが、見た目は十代の後半くらいだったじゃないか。自分だって、この間十四歳になった。十五歳になったら、父が医学についてもっと本格的に教えてくれると言った。そしたら、自分も父の様な医者になって……と考えながら歩いていると、あら、と大好きな母ルナの声が聞こえて、エルはその年ごろの少年には少しばかり似つかわしくないくらい嬉しそうな顔をあげた。
「母さん、ただいまっ!」
「おかえりなさい、エル」
 今日もたくさん遊んできたのね、と嬉しそうに笑う母。父と別れてからはいつも街で遊んだり、買い物をしてくるのがエルの日課だ。今日も同じようにして――そして、あの人たちに会った。
「今日はたくさんいろいろなことがあったんだよ」
「あら、そうなの? でも、それよりもまずは手を洗っていらっしゃいな。お母さんも今日は外に人に会ったのよ。そのお話もしたいから、夕食で皆でお話ししましょう」
「うん!」
 母に連れられながら、エルは家の中に入って行く。家の中からはスープのいい香りと、パンの香ばしい香りがしてつい目を細めた。――大好きな母の料理だ。父はすでにダイニングのテーブルについていてただいま、と明るく声を掛ければ、カルテから顔をあげてお帰り、エルとほほ笑んでくれるではないか。それにたまらなくうれしくなって、あのね、と話を続けようとすれば、父から待ったがかかった。
「ほら、もう夕食だと母さんが言っていただろう? ――手を洗っておいで」
「……はぁい」
 エルは渋々洗面台の方へ向かっていく。その背中を眺めながら父が愉快そうに笑っているのだが、エルはそれに気づかない。
「何だか、俺に似てきたなぁ」
 たまらなく嬉しそうな声を出す夫――ルカルの声に、ルナは愛おしそうに目を細めた。
「ええ、本当に」


「んでね、その赤い髪の人、お医者さんなんだってさ」
「あら? 赤い髪のお医者様なら、今日、私も会ったわ。抗生物質と麻酔を探しておられたんですって」
 ええ、とエルはスープを食べる手を止めて、母へ視線を送った。おや、と父はパンを頬張りながら、それは申し訳ないことをした、と自分の不在を申し訳なく感じたようだ。
「明日またいらっしゃるそうよ」
「えー……」
 エルにとって彼女はあまりいい印象はない。何だか、全て見透かされているようで怖いし、底意地の悪い笑みを浮かべてエルの――赤い実がはじけた初恋を笑ったのがなんとも面白くないではないか。
「こらこら。外のお医者様のお話は中々いいものだぞ」
 この島にはない様な病気の話も聞ける、と父は随分と乗り気なようだ。まあ、父は彼女に直接はあっていないのだからその反応は仕方ないのだろう、とエルは少し頬をむくれさせながら嘆息した。どれほど優秀な医者なのかはまだわからないではないか。
「船医をしておられると言っていたの」
「それはまた……陸にいる医者も大変だが、船医ならなおの事大変なことだろう。エルもぜひ話を伺ってみなさい。お前の体験にはない話をいっぱいしてくれるはずだ」
「……気が向いたらね」
 いつもなら、医者になる為! と父の話は二つ返事で返すのだが、どうにもエルはあの赤い髪の女が優等な医者だとは思えなかったのだ。絶対父の方が優秀だ、と凝り固まってしまっていることはどうにも若い彼には気付けないが、エルにとっては初恋を笑われてしまったことが何よりもアスナへの悪印象を植え付けてしまったらいい。エルはパンにバターをたっぷりとぬって口へ放り込むと、御馳走様、と母に笑いかけた。
「美味しかったよ!」
「そう、よかったわ。 ――あら、エル、その左手」
「ああ、これ、転んで擦りむいてたのを、そのお医者さんに診て貰ったんだ。……治るまで、薬塗って置けってさ」
 そういえば、と思い出してポケットの中から瓶を取りだした。軟膏が入っているそれを父に渡した。きっとこれもごく一般的な傷薬と大して変わらないはずだ。
「じゃあ、俺、お風呂入って来るよ」
 エルがいなくなると、ルカルはルナへ顔を向けた。
「……その方は竜だと思いますわ。そして、多分」
「君の存在にも気付いている、と」
 ええ、と小さくルナは頷いた。その顔はこの広い世界にいったいどれだけいるのだろうという同族に出会えたことを喜んでいる顔ではなかった。
 ――竜は排他的な所がある。同族以外とは交わらず、同族以外の干渉を認めず、特に人との歴史を断って久しく、今の竜の帝王は人間と一定の距離を保ってはいるが、竜と人間が共存する社会はあり得ない、と言い切っている位だ。
 ルナは竜である。
 人の姿に"擬態"してはいるものの、れっきとした竜だ。本来の姿は美しいアカシアのような月のような黄色の鱗を舌竜だった、とルカルは初めて出会った日を思い出して目を細めた。元々、このあたりには竜の伝説が残り、その竜こそ、ルナ――アーカーシャである。一目で恋に落ちた。あの日の事はきっと、ルカルもルナもずっと忘れられないだろう。
 竜として孤独に生きてきたルナと、一人の男としてルナに恋をしたルカル。種族差のある、叶わない恋だったはずだ。だがしかし、二人は確かに愛を育みそして、ルナはエルをその身に宿した。どれだけ嬉しかったことか。どれだけ幸せだったことか。
「……私などとは比べ物にならないわ。お姿を見てわかる……竜の帝王にも匹敵するようなそんな方がなぜ、こんなところにいるのでしょう」
 ルナのように人間の世界で生きる純粋な竜もいる。だが、それは随分と稀な話だ。純粋な竜は四つの海、そしてグランドライン、新世界を含めてもそれほど数がいるわけではない。おそらくは両手で足りる程度の竜しかいないはずなのだ。ましてや、純血の竜たちの中でも、さらに特別な――十人しかいないとされる竜の中の竜、竜血の竜だとするなら、それは奇跡に近い。
「……それは考えても仕方のないことだ」
 ルカルは悲しい顔をする妻をそっと抱き寄せた。



* * *




 アスナはベッドにうずくまった。
 痛みに耐える為か、苦しさに耐えるためか、絶望に耐える為か、ただ過ぎ去ってはくれない時間に耐える為か……もう途方もない時間が過ぎているように感じる。ただ、どうしようもなく苦しくて、忘れたくても忘れられない痛みがただ、ただ、到来しては過ぎ去ることなく、ただ時間だけが過ぎているようで、過ぎて行かないのが恐ろしい。
(夜はこわい)
 眠るのが怖い。まるで子供のように怯えて、誰かにすがろうとしては失敗して、どうしようもない、あの三年前の事件から全ての時間が止まってしまったかのようにただ、足枷のようにアスナを苦しめていた。
(痛い、恐い、痛い、恐い)
 あの少年を見てからだった。
 ああ、凄い奇跡だと思った。
 あの少年はあまりにも"彼"に似ていた。あの日、あの焼ける日、アスナの目の前で背を向けてたった青年。まさしくその生き写しではないか。死んだはずの彼がよみがえったのではないかなんて、くだらないことを考えるくらいにはそっくりで、しかし、その考え方が彼と違ったことがせめてもの救いだったのだろう。
 はぁ、とアスナは息をついた。
 そこで部屋がノックされた。
「アスナ、いるかしら」
 気配を探った通りの人物からの声――フェイカーと、声は出していないがジニアの気配を感じてアスナは一瞬だけ何も考えない時間を作ると布団から出て、すぅと息を吸い込んだ。次の瞬間にはいつものアスナの出来上がりだ。
「何だ、いるぞ?」
 入ればいい、と言えば、ドアが開かれその通りフェイカーとジニアが立っているではないか。アスナはいつも通りの笑みを浮かべながらベッドに腰掛け煙管をふかす。あまりにもいつも通り過ぎて、フェイカーが拍子抜けしたように目を見開いている。
「どうかしたか」
「さあ、アスナ、飲みに行くよ!」
 ジニアが快活に笑う。――病の雰囲気を感じさせない彼女にアスナは苦笑しながら、患者が医者を飲みに誘うとはと思いつつも、ゆっくりと立ち上がった。気分がすぐれない時ほど、飲みに出た方がいいことをアスナは知っている。酒の力で溺れられるわけではない。――この身体は竜だ。人間ではない。
「いいな、行くか」
 よし、行くぞ! と張り切って部屋から遠ざかるジニアの姿を眺めながら、後何年、あの体調のままでいられるか、とアスナは思案する。今の技術では、あの病を止めるすべはない。限りなく進行を遅くする手立ては打っている。まだまだ自分の至らなさが惜しいくらいだ。――自分の過去に立ち止まっている時間など、ないくらいには。さあ、行くか、とフェイカーの肩を叩いて通りすがろうとすれば、腕を取られた。
「……その死にそうな顔だけどうにかしなさい」
 顔は見なかった。互いに何か覚っているように、それ以上は何も言わない。

 フェイカーはタイタニアという一族の生まれだ。高い身体能力を持ち、優れた感覚器官をもつ。空のような青い髪、蒼い瞳を特徴としているその一族は、そろいもそろって短命だ。三十代まで生きられるかどうかわからない中で、フェイカーもそろそろ自らの寿命を感じているはず。
 それに比べ、アスナは竜だ。その寿命は個体にもよるが軽く五百年を超える。まして、アスナは自らの寿命が竜の中でも長いと豪語する位なのだ。これから見て、千年は軽く生きられるだろうという。そんな二人の寿命差はありまりにもありすぎる。対極の存在であるがゆえに、何か、通じ合えたのだろうか、わからないが、フェイカーは何かにつけてアスナに苦言を呈した。
 ――死にたがる、アスナに。
「ラミーから聞いたわ。……レビアからも」
「そうか。それで、飲みに連れ出そうと」
「……大丈夫?」
 一つ年下の青年はアスナをじっと見ている。見極めようとしている。
 だが、アスナは何も見えない仮面の笑みを浮かべて、ラミーにしてやるのと同じようにフェイカーの頭を撫でた。何も言うな、という意思を込めて。そして、手を離すと「早くー!」と下から叫んでくるジニアの声につられるようにしてアスナは今いくぞ、と歩き出した。


「アスナ、元気ないんじゃないか?」
「ん?」
 ジニアが注ぐ酒を眺めながら、アスナは適当につまみを注文する。酒豪であるこの三人がそろうと店の酒を飲みつくしてしまうこともあるので注意しなくてはならないが、たいていいつも最終的には羽目が外れてしまう。出禁を食らって店もいくつあることか、と思いながらも、ジニアがそのまま自分のグラスにも注ごうとしているのでありがたくアスナはそれを受け取った。
「そう見えるか?」
「ああ。沈んでる、とは違うけど、疲れてるな」
「……いろいろありすぎたなぁ」
 アスナはグラスの中の酒を眺めて、つぶやく。同胞にも会った。まさか、彼に似ている人物に会うとも思わなかった。あまりにも急すぎて、心の準備が何一つできていなかったこの現状が、アスナの心をせわしなく動かし、凄く疲れているのだろう。弱音を吐くわけでもない、ただ、疲れた、と言う言葉そのものが今のアスナにはあまりにもふさわしく見えた。
「のめのめ、レビア達には黙っててあげるから」
 自分よりもはるかに人生の先輩であるジニアはやはり快活に笑った。いつ死ぬやもわからぬ病に侵されたその身体で笑うことはさぞ難しかろう。本当に彼女には頭が上がらないなぁ、とアスナは笑いながらジニアから向けられたグラスとたった今、自分が持ち上げたグラスと、フェイカーが向けてきたグラスをがちん、と割れそうな勢いで合わせた。

(いっそ、全てを忘れられるくらい、これに溺れられたなら)

 あの日の慟哭を。
 あの日の絶望を。
 死よりも怖いと思えたあの日を。

 ちりちりと焦げるようなあの優しい懐古を忘れられたのなら、アスナは幸福だったのかもしれない。
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