04 赦しを乞う咎人

 それは静かな夜だったはずだ。
 ルナはそっとランプへ明かりをともした。何事もなければいい、というのはただの願望であって、実際この世界において何人の人間が海賊に殺され、戦争に殺され――貧困に殺されているのだろう。最初は、ルナ――アーカーシャにとってはどうでもいいことだった。
 人間は学ばない。何も得ない。
 人は短いサイクルで入れ替わり、愚かな歴史の記憶を忘れ、すぐに愚かな行為を始める。自然との共存を忘れた者たちもいる。そんな愚かな生き物だと思っていた。悲しいくらいそれが真実であることも、アーカーシャは知っていた。

 そう。
 ルカルに出会うまでは。

 ルカルはこの島にやってきた放浪の医者であった。この島に昔、医者はおらず、外の島から呼び寄せた医者がルカルだったのだ。竜伝説にも興味があったらしいこの男は竜がよく現れるというアカシアの道の先へ来た。アーカーシャは確かにそこで暮らしていた。しかし、人間に見つからないように擬態していたし、姿を現していても人の姿であったから気付かれなかった。
 ――一目惚れだった、とルカルは後にルナへ語って聞かせた。
 人の姿をしていたアーカーシャへ何かと話しかけて、一人でいることが多かった彼女を気遣い、怪我をしていれば治療しようとする彼が人間としては珍しく見えたのだ。たった、それだけの興味だった。
 でも、彼は優しかった。長く生きて人の醜い欲望に晒され、乱獲の憂き目にもあったことのあったアーカーシャにとって一つの癒しとなっていた。彼と話す時間が楽しかった。だからこそ、彼に知られるのが怖くて、逃げ出しそうになったこともある。昔、竜が人間に恋をするなんて愚かしいと思っていたかつての自分に知られたら殺されそうだ、とも思ったくらいに、アーカーシャはルナとしても、アーカーシャとしてもルカルという一人の男を愛してしまっていた。

「結婚してくれ!ルナ!」

 ルカルのあの必死な顔、後にも先にもあれだけだった――とアーカーシャは笑う。
 そして、奇跡のように二人の間に子供ができた。
 エル――古い言葉で翼を意味するこの名前を授けたのは、いつか高く、高く、自分たちのもとから飛び立ち、大きな人間になってほしかったからだ。人間で、あってほしかった。
 竜として長い時間を生きるのではなくて、人間として愛する人たちと共に死ねる時間であった欲しかった。自分など置いていってくれて構わない――と思っていたのに。


「あ、あぁ……っ」


 飛び散った血。
 武器を持った男たちと自分の間に飛び出してきたのは――愛するたった一人の男だった。




* * *





「アーカーシャ……」

 アスナは呆然と呟いて燃える家と暴れる飛竜と武器を持った屈強な男たちを見た。状況など、もう説明はいらなかった。そういうことなのだ。
(……エルの気配がない)
 覇気で探っても、生きている人間の気配はすでに屈強な男たちを除いてない。少年の気配をいくら探してもなかったし、ルカルの気配もない。暴れ、咆哮する竜の攻撃が男たちへ向けられ、その間をかいくぐるとアスナは近くにあった井戸の水をかぶった。そして、燃えている窓を突き破るようにして家へ入っていった。――あんな男たちが消されても一向に自分には関係なかったからだ。
「……エル! エル!!!」
 少年の名前を呼ぶ。しかし返事はない。火の手は意外と早く回っている。生きている人間の気配はしない。それでも、この燃えている家に放置していく訳にはいかない、とアスナはもうひとり探し出した。それは存外にすぐに見つかった。荒れているリビングの中、血を流してうつ伏せになっているルカルが。すでに息を引き取っている彼をアスナは抱き上げる。力の抜けた大人の男だが、アスナには大した問題ではなかった。

 ――竜の咆哮が響き、家の外へ飛び出したアスナへ向かって竜の攻撃が浴びせられた。

「……もう、自我もないのか」
 ルカルをかばい、地を転がるようにしてアスナは竜の攻撃を交わす。鋭い爪の攻撃は大地を深々とえぐり、一撃でもまともに食らったらいくらアスナでも死ぬだろう。――人間の姿のままなら。黒衣を脱いで広げ、その上にルカルを寝かせて煤を拭った。
 竜は穏やかな生き物だ。よほどでなければ人間に手出しすることはない。――アスナのような例外を除いて。
 ルナ――アーカーシャも当然のようにそんな人物だった。穏やかで嫋やかで優しくて。強く、拳を握りしめて目を見つめた。ざくり、と芝を踏みしめて、見上げた先に居たのはルナでも、アーカーシャであることも捨ててしまったただの暴れる竜だ。もう彼女には愛する人の名前すら呼ぶこともできない。抱きしめることも、愛していた事実ですらその記憶にあるのかどうか。

 アスナもかつて、その姿になったことがある。

「……おい」

 自分で聞いていてぞっとするくらいには地を這う声だったとアスナは思った。屈強な男たちの肩が震え、竜と目の前の存在に完全に怯えをなしている顔だった。
「……テメェらは後回しだ。逃げたら殺す、地の果てまでも追いかけて殺す」
 呪詛にも似た言葉だっただろう。
 アスナが敵とはいえ明確に敵意を示すのはよほどのことだ。同族に手を出されなければアスナはここまで怒らなかっただろう。ただ、ひょうひょうと関わった人間が殺されたことに対してもそれほど憎しみなど感じなかっただろう。だが、これは別だ。人間に育てられたとは言え、アスナは竜だ。同族への愛着も、尊敬も当然のように存在する。
「それと、一つ答えろ」
 一人の男の胸ぐらを掴み上げた。
 左目の紅い瞳がいつの間にか黄金へと変わっている。そして、その瞳孔は人間のそれではなく竜と同じ物へ変わっていた。ああ、そうか、こいつもそうなのか。
「一人、子供が居たはずだ。十四歳位の男の子が。――どこへやった?」
「と、とととと、隣町のヒューマンショップだっ、そ、そこに……」
 そうか。
 たった一言呟いて、アスナは手を横へ凪いだ。武装色の覇気で硬化された手は一つの刃物とかしている。男の首と胴体がきれいに切り離され、ごとり、と首だけ地面に落ちていった。
 ――医者である俺に人殺しさせるとはな。
 と、自嘲気味に笑ったアスナは無感情に男の死体を見下した。他の男達が逃げ出そうとするのをアスナは止めなかった。前もって予告したはずだ。――逃げれば殺す。地の果てまでも追いかけて殺す。それを実行するだけだ、別に逃げ切れなどしない。アスナの見聞色の覇気は島一つならあっさりと人を捉えてみせる。
「……ルナ」
 呼んでみてもすでに返事など無い。当然だ、彼女はもう名前のない竜だ。暴れるだけ。――人に殺されるのを待つだけの竜。

 アスナはそっと目をつぶった。




* * *





 フェイカーが部屋の外へ飛び出してみると、リッタとぶつかった。突然のことに対応できなかったリッタがわ、と後ろへよろけるのを慌てて手を掴んで転ばせないようにすると目があった。
「ねぇ、これ」
「……何かの咆哮ね、それになんだか、騒がしいわ」
 互いに何かの違和感を感じたのだろう。街自体はとても静かだというのにとんでもない違和感がする。同じようにレビアも部屋から飛び出してきた。すでに薙刀も持っているあたり戦闘準備ができている。だが、飛び出してきた部屋はレビアの部屋ではない。アスナの部屋だ。
「ねぇ!アスナがいないの!!」
 レビアがそう叫んでリッタとフェイカーは顔を見合わせた。ジニアとクロノが別室から飛び出してきて、レビアにアスナは?と聞かれ、首を横に振った。
「あいつ、どこに行ったんだ……」
「……もしかして、外に行ったの……?」
 レビアが外を見つめて、そっと力を込める。ビュウビュウの実を食べ、能力者となったレビアは風人間だ。風を探ったり、操ったりするのはお手の物だ。気配を探り、そして、いた。丘の先、何かと戦っている。
「行きましょう!」
 レビアが走って行く。その後ろをリッタとジニアが追いかけていき、クロノは追わなかった。
「ラミーとオペラのこと頼むわ!」
「任せて!」
 まだ二人は宿の部屋の中だ。下手に刺激しないほうがいいだろうと判断したフェイカーに託された。クロノは船に置いてある兵器がなければきっとただ、足手まといになるだけだ。それなら、二人を見守っていたほうがよほどいいだろう。
「……あれだけ、独りでするな、って言ったのに……!」
 アスナへの恨み言は誰にも届かない。


 街はすでに軽い恐慌状態に陥っていた。
 化物だ!!と叫ぶ声が所々から聞こえてきて、空は赤く染まり、夜明けまでまだまだ遠いと言うのに少しだけ明るく見えるではないか。走りながら、徐々に濃密になっていく戦闘の気配にリッタはすでに剣を抜いたし、フェイカーも息を整えた。ジニアも開けた場所での狙撃になりそうだ、と覚悟を決め、レビアはただ、アスナの姿を探して走っていた。

『俺が暴れても怒らないか?』

 もっと深刻に聞けばよかった。引き止めておけばよかった。
 そんな思いは一つの閃光が煌めき、リッタにかばわれ地面に倒れて一気に吹き飛んだ。何が飛んできたのか、そこらにあったはずの黄色い花の木がなぎ倒されている。リッタとレビアに覆いかぶさろうとしていた丸太をフェイカーがその怪力で抑えてくれていなければ潰されていたかもしれない。
「大丈夫?」
「……ええ。これは――」
 なぎ倒された木の先。アスナはそこに居た。紅蓮の髪がなびいている。三つ編みは戦闘で解けたのだろうか、長い髪がただ何者にも縛られずゆらゆらと揺れ、何かを見つめている。そして、その先には――
「ドラゴン……?」
 はぁ、と息を吐いた。これは、生物としての根本的な差だった。
 ぐるる、と息を鳴らし、アスナと向き合っているその竜は理知的な雰囲気は感じられず、ただ、暴れる本能のままに生きているようにすら感じた。
「……これは、とんでもないな、アスナ」
 ジニアの声が聞こえたのか、はたまたすでに眼中になかったのか。アスナは竜の爪の攻撃を飛び上がって躱すとその腕を登り、首裏へ拳を叩き込み、竜を地面へ叩き伏せ、アスナは大きく飛び退いた。ちょうどレビアたちのもとへ着地したアスナはちらりと視線を送って、頬についていた血を拭った。
「……もうバレたか」
「当たり前でしょう!何やってるの!!」
 怪我してるの?というレビアに、これは返り血だと返す。先程逃げそびれた奴らを始末したせいだな、と思いつつアスナはフェイカーへ視線を送った。
「フェイカー、頼みがある。あっちで俺の黒衣を引いて寝てる男がいるんだ……弔ってやってくれ」
 アスナの指の先。紅い空の下で倒れている男が確かにいる。フェイカーはそれ以上聞かなかった。ありがたい、と思いつつアスナはまた竜へ視線を向けた。
「……アスナ」
「すまん、レビア。これは俺にやらせてくれ。――これだけは」
 懇願にも近かった。
 その後は協力してもらうから、と笑った。地に叩き伏せられていた竜が起き上がろうと首を上げた。そして、濁った黄金の瞳がアスナを捉え、その後ろに立っていたレビアたちを捉えると大きく、大きく咆哮を上げ、あたり全てを吹き飛ばすような振動が起こった。

「憎いか」

 アスナはその咆哮にも微動だにせず、ただ竜を見つめた。翼はすでに折れ、戦う力ももう殆ど残っていないはずの竜はまだ、叫んでいる。もう、戦い理由も、守りたかったものすら忘れてしまった竜は、何に向かって叫んでいるのだろう。アスナはただ、ひたすらにそれが悲しくて仕方なかった。
 リッタはただレビアを守ろうと、レビアの前に立ち、剣を構えた。そして、その手をアスナの手が止めた。
「……すまん、リッタ」
「でも」
「ごめんな」
 その髪を撫でようとして、アスナは手を止めた。自分の手が血だらけだと気付いたからだ。後で拭ってくれ、と手を汚してしまったことを謝罪してアスナは一歩踏み出した。

「人間が憎いか、化物」

 その目は泣いていた。
 その竜は泣いていた。

 どちらが泣いていたのか。もう、分からない。
「……せめて、憎むのは、今からお前を殺す俺にしておけ」
 人間を憎んでしまったら、お前はきっと愛した人間のことを忘れてしまうから。
 レビアはアスナを引き留めようとした。
 フェイカーは倒れている人間を抱えようとしたところでひときわ高い竜の咆哮が聞こえて振り返った。何が起こったのか一瞬分からなかったが、アスナの背面から出ている何かの尾の様なものが確かに竜を貫いている。大量の血が溢れ出し、引き抜くと一気に吹き出し、アスナの身体を汚した。紅い髪の上に、さらに赤い血をかぶって、アスナは黙って竜を見下ろす。
「人間憎んでも、俺達はただ、忘れちゃうんだよな」
 楽しいこともあったはずなのに。
 愛しいと思ったこともあったはずなのに。
 たった一度、たったひとつの憎しみが、竜を黒く染め上げ、自我すら失わせる。本能に記録された衝動だ。
「……愛してるはずなのになぁ」
 アスナは沈んで行く竜の頭をそっと抱きしめた。竜の姿にならなかったのは、人間の姿のまま彼女を葬りたかった。同族としてはない。彼女が人間として生きることを望んだように。息子にも人間として生きてほしいと願ったように。――人間として、その全ての憎しみを背負うつもりだった。
「……フェイカー。すまん、彼をこっちに」
「……ええ」
 血を拭うこともせず、アスナはフェイカーに笑いかけた。フェイカーは抱えた男を竜とアスナの近くに持ってくるとそっと寝かせた。それを見て、アスナはそっと竜の体を撫でる。
「わかるかい、アーカーシャ。ルカルさんだよ」
 ゆっくりと語りかける。閉じていた目がゆっくりと開く。先程の濁った瞳とは違う、澄んだ――ルナの目をしていた。だが、もう語ることもできない。
「……疲れただろう。……もう、おやすみ」
 すまない、と呟いた声は彼女に届いたのかわからない。ただ、一人の男に体を寄せてアーカーシャは眠りについた。動かなくなった竜をしばし抱きしめていたアスナの元にちか、と光るものを感じた。丘の先、海のはて――徐々に白くなっていく空に、目を凝らした。

「なぁ、レビア」

 愛おしげに、竜の鱗を撫でる。同族への慈悲、慈愛がたしかにあるその手つき。

「ヒューマンショップが隣町にあるんだって」

 ――ちょっとだけ、協力してくれないか?

 そう笑ったアスナの目はまだ、竜の瞳だった。




* * *





 エルが意識を取り戻したのは暗い檻の中だった。
「……ここ、どこだ」
 目を凝らしてみようにも、暗くて何もわからない。ただ、複数の気配は感じていて父と母の気配を探った。二人の気配はなく、どうしてと思ったところで先程の惨状を思い出した。――父さん、と叫んだ声は届かないまま、誰かに後頭部を殴られ、あっという間に連れてこられて、薄れていく意識の中で最後に見たのはただ、泣き叫ぶ母の姿だった。
「……母さん」
 帰らなくちゃ。戻らなくちゃ。母さんが危ない。と思って身体を起こそうとするが、動かない。縛られていることに漸く気づいた。ただの紐じゃない。手錠だ。エルが動こうとする度にジャラジャラと音を立てる。煩わしい、こんなものに捕らえられてる暇なんて無いのに。
「おーう、起きたかよ、半竜」
 下卑た男の声が聞こえた。エルが顔を上げると小さな明かりに照らされた男が檻の前に立っているではないか。エルは男を睨みつけるようにして顔を上げた。なんだこいつ。
「ここから出せよ!」
「ばぁーか、商品をここから出すわけ無いだろう? もう少し興行だ、それまで大人しくしてんだな。きっとお前は高値で売れるぜ」
「興行? 高値……?」
 わけがわからない。どういうことだ。
「まあ、本当なら、お前の母のほうが良かったんだがな。どうやら、捕まえそこねたらしい。しかも、殺しちまったみたいだなぁ」
 エルの中で時間が止まった。
 殺した? 母を?
 じわじわと腹の底から何かが湧き上がってくる感覚がした。そして、誰かが自分を呼ぶ。

 ――殺しちゃえよ。

 楽になれると、誰かが言った。耳の奥にこびりつくような声で、いうそれが誰なのかエルにはどうでも良かった。ただ、目の前の男を殺せるなら、それで良かった。
 がしゃん!!と高い音を立てた檻はエルの突撃を受け止めてびくともしない。がん、がん、と何度も何度も突撃をかけるが檻は壊れない。目の前の男にたどり着かない。手が使えればいいのに、そうしたら少しでも男をつかめるのに。必死でエルは暴れた。目の前の男が憎くて仕方なかった。
「オー怖い怖い。安心しろよ、それは特別製の檻と手錠だ。簡単には壊れねぇよ」
 男はそう言ってひらひらと手を降って、手に持って居た棒で思いっきりエルを殴った。堅い檻の床に思いっきり身体が叩きつけられ、エルは肺から突然飛び出た息にびっくりした。かは、と飛び出した苦悶の声。男は愉快そうに唇を歪めた。
「竜とは言っても、お前は半分は人間だからなぁ。殺さないように痛めつけるのは大変そうだ」


 気付いたら、またエルは気絶していた。今度目が覚めた時は体中が痛くてたまらない。起き上がることもできなさそうだった。骨も幾つか折れているかもしれないと思った。じくじくと身体の中から痛みがせり上がってくると無性に吐き気が訪れて、エルはなんとか体を動かしてうずくまろうとした。しかし、手足を拘束されている状態ではうまく行かず、ただ痛みだけが来るだけだった。
「……母さん、父さん……」
 嘘だ。死んでなんか居ない。二人はきっと無事だ。だって、父さんがいったんだ。
 大切な人は命をかけてでも守るんだと。
 唇を強く噛み締めた。大丈夫。大丈夫。安心させるようにそれを繰り返すことしか、今のエルにはできなかった。


 会場は大盛り上がりだった。
 熱気に熱気がかさんでいるのか、それは異様な空気を孕んでいた。アスナはさっぱりと血も何もかもも落として、ドレスへ身を包んでいた。後ろをついてきていたレビアやリッタ、フェイカーも正装に身を包んでいる。アスナの隣に立ったジニアがふと、その方に手をおいた。
「怖い顔してるな」
 ジニアに言われて、アスナは漸く苦笑交じりではあったが、笑った。確かに怖い顔を続けていたかもしれない、と思うくらいには今の自分の空気が"アスナ"としての自分を逸脱している自覚はあった。煙管を吸う余裕がない。それくらいささくれだっているだろうか。珍しく紙巻き煙草を取り出したアスナにそっと火を差し出したのは、フェイカーだった。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
 ドレスコード着用のヒューマンショップの需要は明確に貴族のようだ。適当な席に全員で腰掛ける。
「ねえ、買い戻すつもりなの?」
 適当に飲み物を注文してから、クロノがひそひそと聞いてきた。すると、アスナが煙草を一度口から離してまさかと笑う。そして、肩をすくめて、レビアへ視線を送った。フェイカーが受け取ったウィスキーを口に運びながら、同様に笑う。
「うちの船長がそれを認められるわけ無いわね」
「そういう事だ、クロノ」
「……程々にしてよね」
 ひどい呆れ顔をしてクロノがいう。でも、今日、一番危ないのはレビアじゃないかも、と思って視線を向けてみると煙草を吹かしたままアスナは座っていた。足を組んで出された酒にも手を出す様子がなくて、クロノは少しだけ不安になった。大丈夫だろうか、と思っているクロノの肩を叩いたのはリッタの手だった。
「大丈夫だよ」
「……うん」
 アスナの両目は未だに金だ。片目が金であるのはいつものことだが、なんだか雰囲気そのものが変わったようにすら見える。そして、会場中がざわめき立ち、アスナが視線をステージに向けた。
「来たな」
「アスナ、作戦は?」
「ないよ。ただ、潰すだけだ。俺はすぐに彼のもとに行く。レビアたちは好きにしてくれ」
「はーい。じゃあ、徹底して暴れちゃおうかな」
 レビアがニコニコと笑っているのを見て、アスナはふっと肩から力を抜いた。

「程々にな」


「さぁ!!会場にお集まりの皆様!」
 司会者が大仰に手を奮った、そして、声を張り上げる。それはメインの商品を売る時の特徴であり、会場が更に熱気に包まれる中、アスナは忽然と姿を消した。まるで霧散するようにレビアたちの目の前から居なくなるそれを何度見てもレビアは好きになれなかった。――まるで、アスナがどこかに消えてしまうみたいで。実際のところ自然系の能力者であるレビアは自然を通じてアスナの存在を感知できる。だが、それがなければアスナは自然と融けてしまう。
「本日の目玉商品はこちら!
――炎を模したような赤い髪、月をはめ込んだような黄金の瞳!観賞用にも、はたまた実用にも向いているでしょう!」
 エルは突然の振動を感じながら自分が檻ごと移動させられていることを感じた。目は先程訪れた男たちに目隠しをされ封じられた。だから音だけで察知しようとしてもざわついた会場からは何もわからない。どうしたら良い、と考えながら、自分が何もできない無力な存在だと知った。
「みなさまもこれが運命の邂逅となることでしょう――竜と人のハーフ!」
(竜……? 何のことだ……?)
「ここらの竜伝説にも登場するアカシアの竜の実の子供!!皆様ご覧に入れましょう!」
 檻にかけられていた布が外され、エルの姿が晒され、そして、目隠しの布が外された――瞬間だった。


「やぁ、少年」


 タバコを咥えた女がそこに立っていた。
 紅蓮の髪をたなびかせて、月をはめ込んだような黄金の瞳をエルに向けている女が一人。
「お、お前……」
「惨めな姿だなぁ。まあ、竜の自覚がない竜なんてそんなもんか」
 アスナはそう言いながら笑った。ふー、と息を吐くと白煙が立ち上って天井に向かっていく。徐々に消えていくそれを眺めながら、アスナは余裕たっぷりの笑みを浮かべているじゃないか。どうして、ここに、なんて言葉を繋ぐ前に司会者が騒ぎ立てているのが聞こえる。当たり前だ、こんなところに突然あらわれるなんて。
「お、おい、あいつ……もしかして」
 男たちがそこで漸く気付いたらしい。

「あいつ、海軍最大の裏切り者――毒医者、ローディア・D・アスナか……!?」

 その時点でレビアが立ち上がった。薙刀を手に持ち、アスナに迫ろうとしていた男たちを風で薙ぎ払う。アスナは振り返ってレビアに笑いかけると、再びエルへ向き直った。
「エル、お前にとっては悪いニュースを教えてやろうか」
 アスナの後ろでは戦いが起こっている。リッタが剣を振るい、ジニアが弓を引き、クロノが機械で応戦し、フェイカーが拳を振るう中、アスナは静かにエルへ跪いた。

「お前の母親は俺が殺した」

 偽らない真実を。
 アスナは静かにそれを告げ、ただ、エルを見つめた。目を見開いて動きを止めた。
「え……?」
 言葉は出てこなかった。
「恨むなよ。――ここにいる人間は」
 アスナはそれだけ言うと、自分に武器を向けてむかってきた人間に向かって手を刺した。武装色の覇気で硬化されたその手が一瞬にして人体を貫き、エルとアスナへ向かって血が吹き出し、二人の顔に血の飛沫がかかった。アスナはただ、冷酷な瞳で貫いた手を引き抜き、落ちていく男を眺めた。珍しく原始的な戦い方をしてるなぁ、などと考えているとエルの視線がただ一心に向いているのがわかる。
「どういう、ことなんだよ……なぁ!」
「そのままの意味だ。お前の母親は竜だった――そして、俺は同族として、竜の法を犯した者への罰を与えた」
 アスナの額から角が生え、尾てい骨付近から長い尾が生え、露出された身体からは鱗が表出していた。エルが初めて対峙する――いや、これまでも対峙していたがエル自身が知らなかっただけにすぎない――竜という、人外の存在であった。巨人族はみた、魚人も見たことがあった。しかし、竜という種族を目にしたのは初めてだった。完全な人外。人の形をしていながらも、人ではない存在。
「……あ…………お前……」
「エル。もう一度、聞いておく。――俺と一緒に来るか?」
 アスナの手は徐々に人の形を失っていた。それは竜としての手に変わってきているのだろう。長い爪、そして、その手がエルの入っていた檻を掴んだ。金属が折れ曲がり、へし折れる音が聞こえてきて、檻は無残にも形を変えてゆく。片手であっさりとこじ開けられ、エルは呆然とそれを見つめているだけだった。

「俺と来い。そして、俺を殺すために強くなれ。――お前の母を殺した、この俺を」




* * *





 レビアはアスナの背中を見つめていた。竜であることは知っていたし、一度見たこともあった。だがこの場面でアスナが竜に姿を取るとは思わなかった。人であることを投げ出し、ただの竜として、もう一人の竜であるエルを受け入れようとしているのだろう。
「よそ見してんなっ!!!!」
「見えてなくても勝てるわ」
 このくらいなら、と言って薙刀を払うとあたりの敵が全て薙ぎ払われた。まだまだ警備員がいるだろうが、それはもアスナの眼中には無いのだろう。だが、それにしてもアスナが人を殺す場面を目にするなんて、と少しだけ不安になった。医者としての矜持を持っているアスナが、竜の姿とは言えど、人を殺したことを負担に思わなければいいのだが。
「クロノ!そっちは!?」
「大丈夫!リッタとフェイカーが今、出口の確保に向かった!」
 クロノに声をかければ、すぐに返答が返ってくる。ジニアが殿を務めるつもりなのか弓矢を構えているが、出口が確保され、対象が確保できればそれでいいはずだが、ここへ来る前に出港の支度は整えてある。このまま出港することとて可能だとアスナにも伝えているが、わかっているだろうか。
 エルはアスナの手を見つめた。それは人ではない。手を取れば、どこまでいくのかわからない。黄金の瞳が静かにエルを見据えている。その目は冷酷で、人間ですら無い。ただ、ひたすらにエルの言葉を待つばかりのアスナは時折自分へ向かってくる人間を尻尾でなぎ払った。
「といっても、そろそろ返答は待っていられないな。――どのみち、俺たちについてこなくちゃ、お前は一生を奴隷として生きるしかないしな」
 アスナは尻尾でエルを巻きつけると、ステージから飛び退いた。
「お、おい!!!」
「うるさいぞ。レビア、頼む!」
 アスナはとん、と飛び立つと、クロノとジニアをまとめて抱えて、出口を壊すようにして出ていった。

「それじゃあ、さようなら」

 レビアが残った大量の敵を薙ぎ払うようにして突風を起こす。アスナが外に出てリッタとフェイカーに逃げろと告げる前に建物が風によって柱などを崩壊させ、崩壊していく。とりあえず、駆け込みセーフでなんとか逃げだすことはできたが、危なかったな、とアスナは両手に抱えたクロノとジニアを下ろした。
「さっすが、レビアだなぁ」
「いや、アスナ、もう少しタイミング遅くても良かったよね!!?」
「下手したら私達も死んでたわよ!?」
「いやー。うん、まあ、なんとかなったからいいって」
 アスナが尻尾にまいたままのエルを眺めた。エルは何も言わなかった、というよりはなにも言えなかったのだろう、尻尾に巻かれたまま気絶している。仕方ない、少しスピードが早すぎた自覚はある。瓦礫の中からちらほら出てくる人間がいるが、レビアは風になってアスナたちの前に現れた。
「さ、行きましょ」
 さらと言ってのけるレビアに全員が苦笑していたが、とりあえずクロノは息をついて、レビアの後をついていく。リッタもその後に続き歩きだして、フェイカーとジニアもまた同じように歩き出した。


「生きろよ、エル。――たとえ、何があっても。お前は、愛されて生まれてきたのだから」


 アスナは尻尾から自分の腕の中へ招き入れて赤い髪をなでた。エルは眠っている。それでいい。今はまだ、キャパシティを超えてしまって頭が処理しきれないだろうから。アスナは静かに歩き出した。
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