エピローグ 竜は翼を得た
エルは空をみあげてみた。高く青く澄んだ空があまりにも輝いているように見えて、たまらず目を凝らしてみる。
すると後ろのドアが開いて、アスナの私室からアスナがのっそりと顔を出した。相変わらず寝起きは良くないのか、それとも眠っていないのか、エルには判別のつかない顔でゆっくりと出てくると診察台について、カルテを見直していた。
「師父、そういや、新聞もらっておきましたよ」
「おう」
「飲み物はコーヒーでいいっすか?」
「おう」
返事も生返事ではないか、とエルはため息を付きながら、コーヒーを淹れに食堂まで降りた。ラミーがコーヒー?と笑顔で聞いてくるので、頼む、と言えば、任せてよ!と嬉しそうに笑った。今から落とせば少し時間がかかるかな、と思ったエルは手元に持っていたノートを確認して、先にオペラのところへ行こうと思った。その旨をラミーに伝えると軽食も用意しておくね、と誰に渡すのかすでにわかっているのかありがたい言葉をくれて、サンキューといくらか年下ながらしっかりとしているラミーに向けて礼を述べて、食堂を後にした。
甲板に出れば春のような、夏のような心地よい暖かさを肌いっぱいに感じて一瞬目を細めた。オペラはやっぱり甲板に居た。オペラ、と声をかけると彼は目を輝かせた。
「この間のノートだって」
「わーい!」
喜んでノートを開く彼は大分字も書けるようになり、医療についても大分理解が広がってきただろう。もちろん、エルも同じだ。あれから、二年がすぎるのはあっという間で。瞬く間にアスナはエルを看護師として使えるように仕込んだ。おかげさまで簡単な治療や手術、薬品の調合ならできるようになったくらいだ。
二人でノートの見直しをしていると、食堂の方からラミーの声が聴こえる。どうやら、コーヒーが入ったようだった。じゃあ、師父に頼まれてるから、とオペラに別れを告げて、エルは食堂でコーヒーとアスナの好物である野菜サンドを受け取ってラミーと別れた。食堂を出たところで、クロノとレビアとすれ違い、それは?と盆の上のコーヒーと野菜サンドを聞かれる。師父のです、と言えば、最近朝ごはん食べに来ないんだから、とレビアが不満げに頬をふくらませる。
言っておきます、と言えば、いい子だね、と頭を撫でられて、エルは少しばかり居心地悪げに目を細めた。クロノと少しばかり機材の話をして、エルは二人共別れると、アスナのいる医療室へ戻ってきた。すると医療室にはジニアが横になっているではないか。エルが居ない間にやってきたんだ、とアスナはそっけなく返すと、コーヒーのカップを受け取ってミルクも砂糖も混ぜずに飲んだ。
「胃に悪いですよ」
「コーヒーはブラックで飲むもんだ」
アスナはサンドイッチを受け取り、おもむろにかじりつく。しばし咀嚼し、カルテとジニアを見比べて、はぁと溜息をつく。
「何度俺はこれを言うんだろうなぁ」
「面目ない……」
そういって苦笑するジニアにアスナは呆れながらこれ見よがしにため息をまたついて、煙管をふかせた。
ジニアがしばらく横になった後、体調が戻って医療室を出て行くまで、エルは医学書を開きながら、ジニアとアスナのからかいの餌食になるのだが、これもいつものことだ慣れてきた。取り合っては二人共調子に乗って皿にからかってくるので適当なところで切り上げさせるために別の話題を投下し、本へ没頭した。
するとドアが開いて、リッタが入ってきた。
「お、来たな、やんちゃ娘」
「……鍛錬してただけ!」
「はいはい、いいから座りなさいな」
アスナはそう言って椅子を勧める。エルはアスナを伺い見て、必要なものを用意するために本をテーブルにおいて、傷薬や包帯、ガーゼ、消毒液を揃えていく。アスナはテキパキとある程度に治療をしながら、エルを呼び寄せた。今の蒼の瞳ではある意味当然の光景だった。エルに傷の治療や傷の状態を見せて勉強することも多いし、リッタは鍛錬でけがをすることも多くて、どうしてもこの光景に立ち会うことが多い。
「はい、これでいい。気をつけろよ」
「はーい」
「お大事に、リッタさん」
「うん、ありがとう」
リッタは治療を終えると医務室から早々に出ていく。どうやらリッタはここが好きではないようだ。まあ、消毒液の独特な香りや、アスナのお小言を聞くと思ったら、早々に退散したくなる気持ちもエルにはよく分かる。アスナにはそんなつもりはまったくないのだろうし、レビアなんかは逆にここにとどまって長話に花を咲かせることだってある。まあ、この医務室の捉え方はそれぞれというわけだろう。
そこまでいって、アスナは新聞をバサリと置いた。
「なぁ、エル」
「はい?」
「ちょっと散歩に行くか」
え、とエルは動きを止めて、アスナをみた。アスナは時折フラと出かける。それをレビアは危険視しているようで、もし、行けるのならついていってあげて欲しいと頼まれたことがある。だからなのか、それとも、考えを変えたのか、エルに散歩、と称して色々連れ出そうとしている。
「どこまで行くんです?」
「アラバスタ王国」
新聞の一面を眺めながらアスナは笑った。
「っていうわけなんですけど」
「……まぁ、アスナらしいわね。じゃあ、これ、アラバスタのログが入ってるログポースよ」
「ありがとうございます、フェイカーさん」
フェイカーからエルはログポースを受け取ると手に持った。これは腕につけるものなのよ、とフェイカーがいうが、これから竜になるんで、多分壊れちゃいます、とエルは苦笑した。気をつけて、と言われて、はい、と返してエルは船から海に向かって飛び込んだ。
翼を広げたのは竜。
エルが高く飛び上がったのを確認して、アスナはその背中へ飛び立った。
「いざ行かん、砂漠の王国へ!」
――はいはい。
エルは上ですでに酒を開けているアスナに苦笑しながら空高く飛んだ。
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