秘書ちゃんがいる日は首領はよく眠れるらしい。




灰谷蘭はその日、我らが日本最大の犯罪組織である梵天のアジトをぶらぶらと歩いていた。灰谷蘭は梵天の幹部だった。喧嘩にめっぽう強く、卑怯で人間としての何かを失っている彼には最適すぎる職場だった。無論、幹部という席に着く男がアジトをぶらぶらと歩いている暇なんてあるわけがない。ただ、彼の性格上飽きっぽく突撃など体を使う仕事以外は嫌いだった。大体の仕事を、部下と弟に放り投げていたのである。

「首領。午後の予定まで少しお時間があります。睡眠の時間をおとりしますか?」

冷たく涼しく、例えるならば風鈴のような声がアジトの廊下に響いた。その声は聞いた事のある声で灰谷蘭は思わず声のする方へと目を向ける。灰谷蘭が予想していた通り声の主は秘書だった。その秘書は梵天の首領、すなわち自身のボスであり梵天のトップに立つ男、佐野万次郎専属の秘書だった。その秘書歴は長くかれこれ5年もたつらしい。5年間ボスを支えてきた秘書。そんな肩書の割には随分と彼女のプライベートは謎に包まれていた。スパイだと一時期疑われたほどだった。事実だと分かっているのは顔立ちは凛としていて美しく、声は風鈴のようで、漆黒の髪を一つにまとめていて、それでいて仕事が出来る。ただ、それだけだった。家だって本人が言っていた事実かも分からない最寄駅しか知らないし、家族構成だって親と兄がいるということだけだし、出身校などそういった生い立ちも分かっていない。分かっているとするなら秘書検定一級を持っているというだけ。まさに、梵天の都市伝説であった。

「・・・ん、」
「了解です。ホットミルクをご用意いたしますので首領はベットで横になっていただけると。」

淡々と紡がれていく会話。灰谷蘭はここで一つ、とある話を思い出した。これは梵天内でまことしやかに噂される話・・・梵天七不思議のひとつ。秘書ちゃんがいる日は首領はよく眠れるらしい。そんな話だ。普段のこの男なら気にする事すらないような話だった。しかし今日は違う。もう少し待てばその噂とやらの真実が解き明かされるのだ。この噂にはどんな秘密が隠されているのだろう。灰谷蘭は100%の好奇心で二人を眺め続けた。

「どうぞ、ホットミルクです。」
「・・・ん、」

一切の疑いなくホットミルクへと口を付ける佐野万次郎。その顔は少しだけ緩んでおりどうやらお気に召したようだ。灰谷蘭はぼうとその様子を眺める。なんだ、案外つまらないじゃないか。牛乳に含まれるカルシウムリンはリラックス効果がある。どうせ、そのリラックス効果で眠っているだけ。灰谷蘭はそう本気で思っていた。次の瞬間までは。

ばたり、佐野万次郎は息が切れたようにベッドへと倒れ込んだ。流石の灰谷もその様子に焦る。睡眠薬か毒の可能性がある。まさか秘書はこうして油断が出来た今梵天を襲おうと・・・、

「あら、もううとうとしていらっしゃるですね。体は覚えるの早いのですね。・・・さて。」

はあ?灰谷蘭は思わず顔を顰めた。なぜなら、あの秘書が佐野万次郎にまたがったからだ。灰谷蘭はある意味見てはいけないようなものを見てしまったような気分になった。まさか秘書ちゃんにそんな趣味があったとは・・・。しかしそんな灰谷蘭の杞憂もここまでだった。












秘書が、佐野万次郎に対しプロレス技をかけたからだ。

灰谷蘭は開いた口が止まらなかった。だってだってあんな華奢な秘書ちゃんがプロレス技・・・?いやいや、可笑しいだろう。そんなまさか。
灰谷蘭が情報量に追いつけなくなって行く中無慈悲にも秘書は佐野万次郎へさらにプロレス技をかけていく。次第に佐野万次郎はぐたりと気絶をした。あぁ・・・なるほど。あの都市伝説、眠るんじゃなくて気絶するのか。あー納得納得・・・理解は出来ないが。
あんな細い腕のどこにそんな力があるのだろうか。怖い、怖すぎるぞこの女。

灰谷蘭は思わず一歩後ろへと退いた。純粋な恐怖であった。最強ですら抵抗することを諦めたその力。恐怖でしかなかった。しかしながら、現実は残酷であった。
秘書は佐野万次郎が眠った(気絶した)ことを確認した途端その場を後にしようとしたからだ。やばいやばい、このままでは鉢合わせする。しかし、恐怖と驚愕で足が動かない。






遂に女は、灰谷蘭の前へと現れた。先程のことなんかなかったかのように笑っていた。灰谷蘭は悪魔の笑みにしか見えなかった。


「あら、見てたんですね。灰谷さん。」
「エ・・・なんのこと、?」

「見てないのなら良いですよ。見てないのなら。うふふ、けど見ていたのなら・・・・他言なんてしたらどうなるか分かっていらっしゃいますよね?賢い灰谷さんなら。」













灰谷蘭は見た!
梵天秘書ちゃんの七不思議一番目 〜眠れる首領〜



灰谷蘭は暫く秘書から目が離せなかった。





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