お付き合いを始める

青春学園中等部2年、舟橋はわけあって海堂薫と昼ごはんを共にしている。
彼女は一度彼に告白をして玉砕した。それは当然の結果であった。
しかし、粘り強さにおいては人並みの一ミリ上くらいの根性を持つ彼女は海堂と「友達」になることから始めようとした。
しばらくした後(おそらく都大会の後だったように思う。)、彼女はついに受け入れられたのだ。
「お前は、随分と美味そうに飯を食うんだな。」
海堂の恋愛対象に入ったのだ。

「いやー、まさかあの海堂に彼女ができるとは…」
桃城が悔しそうに腕を組む。その割には嬉しそうだ。
「え〜っ、あの薫ちゃんに彼女〜?信じられないにゃあ…」
菊丸が丸い目をさらに丸くして驚く。その割には棒読みだ。
「菊丸先輩、からかうのやめてくださいっス…」
海堂は部室のベンチの上で汗を拭いていた。真っ赤になっているのは運動をしたから、という理由だけではなさそうだ。
「でもでも〜、どんな子なのかは知らないにゃ〜。ね、海堂、彼女どんな子なの?」
「別に普通っすよ。普通に可愛い奴。」
「うは〜!海堂のノロケだ〜!」
桃城は頬に手を当てクネクネと動いた。
「やめろ気色悪ィ」
三人とも荷物を持って部室から出たところで、海堂の前に桃城が立ちはだかる。
「そんな海堂くんに彼女ができたお祝いに〜、バーガー奢ってやるよ!菊丸先輩が!」
「え〜?!なんでオレぇ?!」
「悪い、俺これからあいつと一緒に帰るんで」
「「はあ?」」
海堂の目線の先には、ボブヘアーに金縁アクセントの丸メガネをかけた女生徒が立っていた。
舟橋である。
舟橋は桃城と菊丸に気づくと、桃城には手を振り菊丸には頭を下げた。
「舟橋じゃん」
「桃の知り合い?」
「中一の頃のクラスメイトで演劇部なんすよ。で、海堂の彼女っす」
「へぇ〜……」
海堂は呆然とする桃城と菊丸には目もくれず、舟橋のもとへと走っていった。

「あれが菊丸先輩?」
「ああ。大石先輩と二人で、ダブルスの最強コンビだ」
テニスの話をする海堂はかわいい。表情こそ読みづらいが、一番生き生きとしている。
舟橋はこんな彼の姿を見られるなんて、「友達になって」良かったなあと心から思った。
そもそも海堂に近づこうという人間が多くはないのだ。この表情を独り占めできる喜びは、舟橋が海堂に恋をしているからでもあった。
つまるところ、舟橋には海堂の精一杯の告白が通じていないのだ。
彼と彼女は相思相愛であるのに、寸でのところで結ばれていない。
この状況はお互いの恋愛経験の無さを悲しいほど物語っていた。

「よお舟橋〜、お前昨日はお楽しみだったな」
「桃城」
翌日の休み時間、廊下ではしゃぐ生徒に紛れた桃城がこちらに走ってきた。
犬みたいだと心の中で思いつつ、「桃城って犬みたいだよね」と言えば「どういうことだよ」と唇を尖らせた。
「それよりお楽しみって?」
「はぐらかすんじゃねぇよお、昨日海堂としたんだろ?ほ・う・か・ご・で・え・と♡」
「…」
わざとらしい声音と仕草でいやらしく笑った桃城に対し、舟橋は絶句と言った表情で立ち呆けていた。
「あ、あれ?違うのか?」
「デートってどういうこと?私達、一緒に帰ってただけなんだけど…」
舟橋の回答を聞くや否や、桃城は大真面目な顔で七組の教室へと入っていく。
取り残された舟橋は立っていることしかできなかった。

「おい海堂!」
「ンだよ、教科書でも忘れたのか?」
海堂の嫌味も意に介せず、桃城は声をひそめる。
「お前、ちゃんと舟橋に告白したのか?」
「バッ…!」
椅子から5センチは浮いた。
「お前急に何だ、喧嘩でもしてえのか?!」
「ちげえよ!実はな、舟橋に聞いたんだよ…」
かくかくしかじか。
「?!」
「だから、お前ちゃんと舟橋に「好きだ」って言ったのか?!」
「言っ…てないかもしれない…」
海堂は頭を抱えた。確かに自分は好きな女のタイプを打ち明けただけで、彼女に「好きだ」と面と向かって言っていない。
「どーすんだ海堂」
「どうって…言うしかねえだろ…」
始業のベルが鳴った。桃城は、「いっけね次移動だった!」と叫ぶと、海堂の背中を思いっきり叩いて教室から走り去った。
海堂はもはやその痛みを感じる隙もなく、彼女に何と言葉をかけようかと頭を悩ませるしかなかった。

「話って何?」
舟橋はいつもと変わらない呑気な声で答えた。
普通、「話がある」と言われたら身構えるだろうに。
「お前は俺に好きだと言ったよな」
「え、うん!よく覚えてたね」
「当たり前だろうが…」
「…」
「だから俺も、その気持ちに応えようと思って…」
「待ったァ!」
突然の咆哮に海堂は思わず目を見開いた。そのまま硬直していると、彼女は素早く耳を塞ぐ。
「わかってる!海堂がここまで私に合わせてくれて嬉しい!もう我慢の限界なんだよね、一人で静かにお弁当食べたいよね!ごめん、でも聞きたくない!」
沈黙が訪れる。しばらくして海堂がわなわなと震えだし、耳を塞ぐ舟橋の手をぐいと引っ張った。
「何するんだよー!」
「お前は何もわかっちゃいねえ!」
「わかってる!」
「わかってない!」
「わかってる!」
「わかってない!」
「わかってない!あっ」
再び沈黙。敵うはずのない海堂の手の中で必死にもがいていた舟橋は、彼のツッコミがないのを不思議に思い、そっと顔を上げた。
「…」
そこにいたのは夕日より真っ赤な、今にも沸騰しそうな、誰よりも何よりも愛らしい人。
「…え?」
舟橋は一瞬理解が及ばなかった。しかしすぐにそれを認識すると、すぐさま頬に熱が走るのを感じた。
「海堂?」
彼は思いっきり息を吸うと、彼女の手をグッと握り直して叫んだ。


風が吹く。鳥が羽を羽ばたかせて飛び立つ。
ゆらゆらと沈みゆく夕焼けに負けないくらいの人間が二人、手を繋いで佇んでいた。