昼休みを告げるチャイムが鳴った。
さあ、身だしなみを整え、表情を豊かに、お弁当を持って、整然とした姿で彼の前に現れよう。これは私なりの見栄張りである。人よりも個性の無いこの私が、古典が好きであるということのみが取り柄のこの私が、非凡なる彼の心に爪痕を残すには決死の努力をしなければならない。昼休みは私にとって戦場だ。
雑然と立ち塞がる生徒達の障壁を乗り越え、私は一人座る男子生徒の横に立った。
「ご飯食べよ」
「おう」
彼の静かな声が耳に心地良い。無愛想そうなだけで、彼は結構優しいのだ。
「そういえばさあ」
今朝作った美しい卵焼きを、しばらく口に入れないために話題を挟み込んだ。
「今度、ホールで公演があるんだ」
「そうなのか」
「相変わらず脚本は先輩だけど、名脇役に選ばれたの。先輩のオーディションに受かったのが不服なんだけど」
「そろそろ先輩を許してやれよ」
彼は私の卵焼きをチラリと見ると、再び自分の弁当に目を落としてしまった。なめらかな黒漆の重箱を前に、私の曲げわっぱの弁当はあまりに平凡だ。
「ねえ、見に来てくれない?」
「あ?」
彼は、今度は私の目を見た。彼の瞳に見つめられるのはどうも苦手だ。自分の張ったくだらない見栄の装甲を、全部剥がされてしまう気がして。
「海堂に見に来て欲しいな」
「そうなのか……え?」
「私が出る演劇、見に来て欲しいんだってば!話聞いてた?!」
「な、何でだ?」
「何で?!何でとか言う?!単純に見に来て欲しいんですけど?!」
お前は人間一年生ですか?!
「チケット代は五百円かかるけど、どう?」
「……」
流石に強引だっただろうか。まあ、彼が来なくとも上演はされるので、結果として私の心が傷つくだけだ。一週間は立ち直れないと踏んで、知り合いの先輩に慰めてもらう予定でも立てておこうか。
「……行く」
「だよねえ。海堂部活で忙しいし、そんな簡単に来られないよね。いや、いいんだよ。こっちもチケットが売れないとそれはそれで怒られるから誘っただだし」
「舟橋?」
「いいの、私はぜんっっっっっっっっっぜん気にして無いから、本当に。海堂はテニスに専念してよ。私の頼みよりそっちを優先してくれなきゃ逆に困るよ」
「行くって言ってんだろうが!」
地獄の底から轟く怒号のような声にビクリと肩を震わせると、私は落ち着きを取り戻した海堂の顔をジッと見つめてしまった。彼の目を見ていると不思議と素直になってしまいそうになる。恋愛とは、駆け引きが必要なものだと頭では分かっているのに。
「え?」
「だから、見に行くって言ってるだろ」
「な、何で?」
「何で、だと?……別に、誘われたから行くのはどこも不思議じゃねえだろ」
「そうですけど……」
「それとも誘っておいてやっぱり、何てことはねえだろうな?」
「め、滅相もございません!是非とも見に来ていただきたく!」
そこでやっと目を逸らした。しっかりしなくては。私が懐柔されてどうする。私「が」彼を絆さなければ、この恋は成就しないのだから。

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