狭間にて



フロイト撃墜後
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コチコチと、古いタイプの置き時計の音が響く。幼い頃に聞いた─教官が趣味で集めていたアンティーク時計だ─その音は懐かしく、なぜか物悲しく思えた。
時計の音しか響かないその空間で私は、ひとりがけの椅子に腰掛けている。
隣には、数人がけの椅子に座った男…V.Tフロイトがいる。
椅子と椅子の間は、人が一人立てるほどの距離がある。立ち上がれば届きそうな距離なのに、なぜかとても遠くに感じる。
そういう感覚を覚えている私を、隣の椅子に座っているV.Tはいつも通りの表情で見ている。淡々とした表情で、普段は無気力さを感じる瞳は、自惚れでもなんでもなく、私を見る時はしっかりと熱を帯びている。ああ、これは、夢なんだろうなと思った。
だって、もう…私はこの眼差しで見られることができないから。

「怒っているんだな」

何に、とは言ってこない。
あえてなんだろう。言えばきっと、この夢が終わってしまうからだろうなと、確信も根拠もないけどそう理解した。

「そうですね、怒ってます」

あの時握りしめた、ドッグタグの感触を思い出す。非難と怒りを─ともすれば八つ当たりなんだけど─を込めて睨むように見つめ返しても、この男は顔色を変えない。変わらず、熱を帯びた瞳で私を見ている。
懐かしい、と思ってしまったのが、無性にいやだと思った。

「どうせあなたの事です。あの独立傭兵と戦っている時、私の事なんて1ミリも思い出さなかったんでしょう」

拗ねた子どものようになってしまった。ああ、違う。もっとこう、色々あるだろうと思わず心の中で自分を叩いた。

「そうだな。あれは、楽しかった」
「……」

前言撤回、もっとぼろくそに言ってやってやればよかった。
私の胸中など1ミリも気にしないし慮らないこの男は、楽しげに笑った。

「それにお前が、俺に対して恨めしく思うのかというのも、気分がいい」
「殴っていいですか」
「今度なら、な」

いつだ、それは。次なんて…あ。

「……そちらに行ったら、ということですか」
「そうだ。それまでに怒りとか色々、募らせておいてくれ」

ああ、変な夢だ。
この人が生きていた時にすらしなかった死後の約束を、するなんて。おかしいな。でも、嬉しいと思うのも、本当で。

「貴方は、酷い」

嬉しいと思う反面、こぼさずにいられなかった。
手で顔を覆う。見られたく、なかった。

「私にこんな感情を与えたくせに、好きなようにして、私の手の届かないところで果てて」
「そうだな」
「挙句、1ミリも思い出さなかったし、こんな気持ちになってる私みて、喜んで」
「楽しかったものはしょうがない。嬉しいのも、そうだ」

腹立つ。少しは悪びれろと思ってると、隣で立ち上がる気配がする。そのまま私の前に来て、顔を覆っていた私の手を、無遠慮に剥がした。──生前と変わらない無遠慮さに、安心してしまった。

「泣いてないのか」
「泣きませんよ、腹たってるんですから」
「俺のために泣くお前を、見てみたかったな」
「悪趣味」

こんなのに恋愛感情を抱いてしまった自分が1番悪趣味だと思いつつ、吐き捨てざるを得なかった。
睨みつける私を見て、男は目を細めた。
熱と…情を感じさせるその眼差しに、どうしようもなく胸が掻き立てられる。
初めて…この男を抱きしめたいと思った。
気持ちのままに、腕を伸ばして抱きつく。
記憶の中のこの男の体躯と、同じだろうか。もう、思い出せない。けれど、喉の奥が痺れるような感じと、目の奥が熱くなる感覚に襲われた。
──ああ、この人が死んだ時ですら出なかった涙が、夢の中で出るんだ。

「さっき泣かないって言ったばかりだろ」
「うるさい…っ」

背中に回された腕の強さが、心地いい。だけど、温もりが感じられない。
寂しい、恋しい。──認めたくないけど、本心だった。
酷い、恨めしい。──あの時からずっと抱いてる感情も、荒ぶっている。
だけど、言葉に出来なかった。子どものような嗚咽が喉から溢れて、口を伝ってくる。

「……そういう風に泣くってのも、見ておきたかったな」
「死んだ、の、そっちなくせにぃ」
「そうだな」

抱きしめたまま、この男が緩やかに笑う気配がする。こいつほんと…、と思うのに、涙は止まらない。
ゆっくりと、男の体が離れる。
離れ難いと思っているけど、このままでいられないとも分かっている。
ひっぐと嗚咽止まらない情けない状態でいる私の頬を伝う涙を、男の指先が拭う。
こういうこともできる人だったんだなと、頭の隅で思った。

「お前はゆっくり、こっちに来い」

鼻をすすりながら、頷く。
男の…フロイトの目を見つめて、しっかりと。
私の様子に満足気にしながら、フロイトはゆっくりと私から離れる。
私に背を向けて、振り返ることなく、フロイトは手を振ってから歩き出す。
私は遠のくその背中を、眺める。体は椅子に縫い付けられたように動けないけど、焦燥感はなかった。
きっとこれが、境界線なんだろうなと思ったとき、だった。
時計の鐘の音が、響いた──。




アラームを止める。
ベッドから起き上がり、ぼーっとする。少し、息を吐いた。
ベッドヘッドを見ると無造作さに…だけど保護容器にしっかりと入れた、ドッグタグがある。焦げたりしているので、あの時の戦闘の激しさがわかる。

「…うん、やっぱり、腹立つ」

私を泣かせたことも、こんな感情与えたくせに、自分だけ楽しく逝ったことも、全部。

「マジでそっち行ったら殴るから覚悟しててくださいね。──フロイト」

それが何年後になっても、絶対にやってやろうと決めた。



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