1歩ずつ、1段ずつ



ウェンツァイはなまえに顎の下を撫でられ、心地よさそうに目を細めた。
なまえは嘉明や鍾離から猊獣について説明は聞いたが、ウェンツァイのサイズ感やその顔立ちからとても可愛いと思ったので、このようにウェンツァイをよく撫でている。本当は犬猫のように可愛がれる存在でなないというのは聞いてるが、ウェンツァイは嘉明といることで人間に慣れたのか。なまえのような、嘉明の知り合いに触れられることへの抵抗感はないようだ。

「よかったな、ウェンツァイ」

撫でられて気持ちよさそうにしているウェンツァイに、嘉明も笑いながら声をかける。ウェンツァイは細めた目を少しあけ、嘉明を見ることでそれに応じる。
猫に似た仕草を見て、顔に出ては無いがかわいいとなまえは思った。

「触らせて、くれて、ありがとう。ウェンツァイ」

満足したなまえは、ゆっくりとウェツァイから手を離した。ウェンツァイはぴゅんっといつものように嘉明の肩のほうに駆ける。ちょこんと前足をそろえて嘉明の肩にいる様子は、大変愛らしい。
ウェンツァイは猊獣だ。普通の生き物とは異なるので、質量もサイズ感通りでは無く、とても軽い。嘉明は肩や頭に長時間乗られても苦にはならず、なまえもいくらでも抱いていられた。

──嘉明となまえが知り合い、交流を深めてからしばらく経つ。
なまえは前よりも喋りが流暢になり、表情や仕草に感情が乗るようになっていた。嘉明にもそれは伝わっており、なまえの変化を我が事のように嬉しく思っていた。
今しがた、ウェンツァイを撫でていたときのなまえの柔らかな表情だとか、自分と話していた時に面白いと思った時にこぼれるように笑うときの表情だとか、不思議そうな表情だとか、何かに興味を持ったときの表情だとか。思いつくだけでも、嘉明はなまえのたくさんの表情を見る機会が増えた。
自分に表情の変化を見せてくれるというのが、嘉明はたまらなく嬉しかった。

──なまえと嘉明の仲は、鏢局だけでなく往生堂でも周知の仲だ。微笑ましく見守られている。
鏢師では、嘉明がまだ自覚してない淡い想いを察している同僚がチラホラいる。しかし、下手に口出すことはない。
往生堂の堂主胡桃も嘉明の評判は聞いており、やや危うげなところがあったなまえが最近情緒成長しているのは、嘉明との交遊の成果によるものだろうと察していた。良きかな良きかなと、いつもの飄々とした体で微笑んでいた。閑話休題。

なまえと嘉明は、今日はたまたま璃月港でばったり会った。嘉明は仕事終わりで、なまえは休みだった。嘉明は体を休めるため、獣舞の予定も入れてなかった。
練習はやればやるだけ成果として出てくるが、体を追い込むのは逆に効率が落ちると、嘉明もよく分かっていた。

ばったり会ってウェンツァイとなまえの戯れが終わってからなんとなく、璃月港を2人並んで歩いていた。時刻は昼過ぎ。お互いに既に昼食は済ませていると確認済みである。
街中には同様に昼を済ませた者や、これから昼食をとるであろう人で賑わっていた。
大きな港町である璃月の昼時は商人、船乗りなど色んな人が訪れており、1日の中でも人が多い時間帯に相当する。
故に人とすれ違う時、少し気をつけなればならない。はぐれるほどの人混みではないが、少し誰かとぶつかる可能性はある。

「おっと!悪いな、お嬢ちゃん!」

こんな風になまえのように
荷物を運んでいて視界が悪かった船乗りは、荷物が少しなまえの肩に当たったことにすぐ気づき、申し訳なさそうにしていた。ちょっとぐらついたなまえの身体は、嘉明が直ぐに支えたので問題はなかった。勢いの割に痛みもなかったので、なまえは首を緩く横に振った。

「大丈夫、です」
「それならよかった。本当にごめんな」

船乗りは再度しっかりと謝った。
それよりも荷物大変そうだなぁとなまえは申し訳なさそうに去っていく船乗りを見ながらぼんやり思ったあと、支えてくれていた嘉明の方を振り向いた。
バチ、っと音がしそうなくらいはっきりと目が合ったのと、思ったよりも近い顔の位置に、嘉明の目がなまえよりも先に丸くなった。

「け、怪我はないか?」

取り繕うようにそう言いながら、嘉明はそっとなまえから目を逸らした。
嘉明の耳が赤い――ことになまえは気づくとことなく、支えてくれていた嘉明からそっと身体を離した。

「うん、大丈夫。助けてくれて、ありがとう、嘉明」
「ふ、普通だから、これくらいのことは!」

自分の耳の熱さを自覚してる嘉明は、まだ少しなまえと目を合わせづらかった。
いつもよりずっと近い距離でみた空色が、瞼に焼き付いてしまったような気がしている。それに心臓が、坂道を駆け上ったあとのような早鐘状態になっている。
なまえと出会ってから、たまにこうなる自分に少し戸惑いつつ、嘉明はなまえを促して再び彼女の隣を歩く。
促されたなまえは、嘉明に続きながら、先程まで嘉明が支えてくれていた肩にあった感触について思いを馳せた。

(……嘉明の手、というか、力、しっかりしてたなぁ。男の人、って感じが、した)

嘉明の性別が男だというのは紛うことなきことだし、性別が分からないほどなまえは人間を知らない訳ではない。だが……ふと、仲のいい友人が異性であると言うのを改めて実感し、なんだかほんの少し……なまえは、胸の奥がざわつくような感覚になった。
それは不快感や不安感というものではなかった。まるで、風が木々の葉を揺らすようなもので、ふと気づかせると言った感覚のものだった。
何に気づかせようとしてるのかは、なまえは自分の感覚なのに、全く分からなかった。

「な、なあ、なまえ」
「うん?」

呼びかけられ、なまえは嘉明を見る。
思考していたのは数秒にも満たないくらいだったが、不思議な感覚に随分浸っていたつもりになっていた。
数秒だったのでなまえが何か考えていることに、嘉明も気づいていないようだった。

「さっきも話した通り、今日このあと休みだからさ。もう少ししたら飲茶しようぜ、一緒に」

耳の熱が引いた嘉明は、いつも通りだった。
なまえの空色の目を見ながら、彼はいつものようになまえを飲茶に誘った。
なまえもまた、嘉明の目を見ながら頷いた。

「うん、一緒に、行きたい」

なまえの返答に―今までだって何回か一緒に飲茶してきたことはあるのだが―、嘉明は嬉しそうに笑うのだった。



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