狼と蝶 01
ナシャタウンのフラッグシップ。
心地よく酒を飲むには最適な場所だ。味もそうだが、安全に飲むという意味でも。
今夜も賑わっており、歓談の声があちらこちらから聞こえる。
カウンターに一人で座っている女は、グラスに注がれたカクテルをゆっくりと味わっている。色味は軽やかで可愛らしいカクテルだが、度数はだいぶ可愛くないカクテルだ。
顔色1つ変えることなく、女はカクテルを飲んでいた。
女はウェーブのかかった金の髪を一纏めにして頭の真ん中辺りでまとめており、サイドの髪はそのまま下ろしている。空色の目は何もかもを見透かすように澄んでいるが、今はカクテルに視線を注いでいる。
露出は低い服装だが、深めに入ったスリットから覗く黒いストッキングを纏った脚は、女性らしい曲線を描いていた。そして、服の意匠で隠れていても、豊満だと分かる胸。
姿勢よくカウンターに座り、品良くカクテルを味わう姿は、フラッグシップ……いや、ナシャタウンでも少し浮いていた。
ここ最近スネージナヤからナシャタウンに移ってきたばかりの女は、まるで前からここに通っていたかのように気後れすることなくフラッグシップで酒を味わっていた。
「ここ、いいか?」
そんな彼女の隣の席に、大柄な男が立つ。お伺いを立てているので、まだ座っていない。誰か分かっていた女は一瞥することなく、グラスを置いて頷く。
「どうぞ。いい夜ね、ファルカ」
「ああ、いい夜だな」
大柄な男、西風騎士団大団長のファルカは、返事を聞いて隣の席に座った。
ファルカは酒を注文したあと、隣の席の女に視線を向ける。
「すっかりフラッグシップに馴染んでいるな、なまえ」
ファルカからそう言われた女、なまえ・みょうじは、カクテルと一緒に注文したナッツを指先で摘みながらファルカを見る。
空色の瞳は、いたずらを思いついた子どものように煌めいている。
「ふふ、そう?結構な頻度で通ってはいるけど、少しは地元民みたいかしら?」
「地元民には見えないな」
少し笑いながら答えたファルカが言うように、なまえはナシャタウン……ひいては、ナド・クライの地元民というには、雰囲気が合わない。
たおやかに微笑み、派手すぎない華やかな衣服を纏い、真っ直ぐに咲く花のような所作の美しさなどは、流れ者が集まり雑多としたナド・クライの雰囲気から浮いている。
が、地元民のようかと聞いてる本人は別にそこまで馴染む気もないので、ただの軽口に過ぎないのだが。ファルカもそれは分かってるので、馴染むことへのアドバイスなどしない。
軽口はさくっと切り上げ、注文した酒を受け取ったファルカは酒をあおる。強めの度数だが、ファルカにとってはすでに飲みなれたフラッグシップの酒なので、特に問題はなかった。なまえがナッツが載った皿を差し出せば、ファルカは礼を言いながらナッツを摘む。なまえと同じような大きさのナッツを摘んでも、ファルカが摘むと小さく見える。
「ナド・クライにもだいぶ慣れてきただろ?」
「そうね。ここは色んなものがあって、おもしろいわ。旅の途中だけれど、もう少しここにいて色々みておこうと思うの」
なまえとファルカが初めて出会った時、なまえはスネージナヤから旅に出たとファルカに告げていた。なまえがやってきた方向からしてもそれ嘘ではないというのは分かるが、なまえがスネージナヤが出身ではないと言うのも分かる。だからと言って深く掘り下げて聞くようなことをファルカはせず、こうしてナド・クライで親交を深めている。
ファルカの目的が遠征であり、それを率いる大団長という立場とはいえ休みは必要であるうえ、人々の交流は情報収集にもなる。
だから、西風騎士団の遠征駐屯地からこうして出てきているのだ。決してプライベートな理由……楽しく酒を飲みたいというだけではない。
なまえとの会話もそうだ。騎士とは別の視点から見た話も、情報の1つになりえる。
ワイルドハントに遭遇しただとか、こういう対処をしただとか。
女ひとりでスネージナヤから旅をしてるなまえは水元素と弓を用いて戦っているので、彼女がワイルドハントやアビスに遭遇してきたこともある。
ファルカが遠征を組んだ目的のためにも、ワイルドハントやアビスの情報はあるばあるだけいいのだ。
「今日は特に何も無かったか?」
とはいえ、なまえは女だ。騎士としてファルカが慮るべき存在なので、まずは彼女の安全などが気になるところだ。ファルカはなまえと会えば、こう聞くようにしている。……ナド・クライの治安がお世辞にもいいとは言えないのも、会う度に気にかける理由の一つでもあるのだが。
カクテルで喉を潤してからなまえは形のいい唇を開く。
「特に何もなかったわ。なにか真新しいことも聞かないし、みてないの。というのも、今日はほぼ家にいたから」
なまえはナシャタウンについて最初はフラッグシップに泊まっていたが、最近になって部屋を借りた。といっても長期的ではなく、数ヶ月単位だ。滞在が伸びるなら数ヶ月後に更新する必要があるが、商人がそういう契約で借りることもあるので、ナシャタウンでは珍しくない賃貸契約だ。
そこで悠々自適な生活をしているらしいというのは、なまえを見ていれば十分伝わる。
「そうなのか。いつも色々と出回ってるのに、珍しいな」
「たまにはこもるのもいいものよ?刺繍をしたりして過ごしてたの」
「刺繍か。俺にはできそうにないな」
最低限の裁縫であるボタンを縫い付けるでも、ファルカにとっては苦手だった。不器用というわけではないのだが、性に合う合わないはどうしてもある。
しかし、なまえが手芸をしているというのは想像に易く、上手いだろうなとファルカは思った。
「いつもどんなものを作っているんだ?」
手芸をするのは苦手だが、作品を見れば凄いなと思う程度の関心はあるので、ファルカは世間話程度になまえに尋ねる。なまえは、服のポケットから1枚のハンカチを取り出した。
「このハンカチの刺繍は自分でいれたの」
「どれどれ」
ハンカチを向けるなまえと覗き込んたファルカのタイミングが重なり、ファルカの肩がなまえに触れた。トン、と、軽く。ファルカはすぐ、しかし失礼ならないくらいの速さで、体を引いた。
「おっと、すまない」
「これくらいなら気にしないのに」
「騎士としては不用意にレディに触れるわけにはいかないからな」
拳1.5個分のスペースをとりながら、ファルカは真面目に言う。なまえはその様子に小さく微笑みながら、かしこまった様子でハンカチを差し出し直す。
「どうか見てくださる?騎士様」
「もちろん。拝見させていただこう、レディ」
などと言い終わると、2人揃って小さく笑うのだった。
――そんななごやかな、ある夜の話。