狼と蝶 02



もぞ、と、ベッドの中で蠢いたあと、カーテンから差し込む朝日になまえは眉を寄せる。布団を引っ張り上げ、芋虫のように頭から被る。布団が朝日を隔てる結界になれ、とばかりに。
しかしそうなるわけでもなく、1度覚醒しかけた意識はなかなか再度眠りに落ちることはない。しばらくベッドの中でそのままでいたが、なまえはようやく再び眠りにつくことを諦めた。そしてやや緩慢な動きで、なまえは布団を被ったまま起き上がる。
ナド・クライの朝は冷え込む。日が昇り始めた時間だが、なまえは身震いをする。暑さより寒さに強いなまえだが、それでも寝起きの冷え込みはきつく感じられた。
乱れた髪を手ぐしで適当に整えながら、なまえは軽く指先を動かす。すると離れた場所にある台所では、誰もいないのにお湯が沸き始めた。普通よりも早く適温に沸いたお湯が満ちた薬缶は、そのまま浮き上がり、ティーポットのもとへと向かう。
薬缶のお湯はふわふわと浮いて、ティーポットとカップを温める。温め終わったお湯はパッと消える。不思議と、ティーポットとカップは濡れていなかった。
次に、棚から緩やかに茶缶とティースプーンが飛んでくる。茶缶の蓋は軽やかに開き、ティースプーンは程よい量の茶葉を掬う。まるで、手馴れた誰かがそうしてるかのように。
温まったティーポットに茶葉が注がれると、薬缶からお湯が注がれる。ティーポットは蓋を閉じる。茶缶と薬缶は元の場所に、ティースプーンは流しへとそれぞれ戻っていく。ティーポットとカップはサービスワゴンに着地する。サービスワゴンはそれを待ってましたとばかりに動く。なまえが布団に包まってる寝室に向かって。
サービスワゴンが寝室の前に来ると、扉は独りでに開いた。サービスワゴンはそのままなまえの枕元まで来ると、ぴったりと静止した。――その頃には、茶葉を蒸すのにちょうどいいくらいの時間が経っていた。
そうすると再びティーポットが浮かびあがり、ゆっくりとカップに向け、注ぎ口を傾けた。湯気と小さな音を立てながら、優しいルビー色がカップを満たしていく。
なまえは布団から手を伸ばし、紅茶で満たされたカップを手にする。馴染み深い紅茶の匂いを少し嗅いでから、そっとカップに口をつける。

「……ふう」

そうしてようやく、息をついた。
淑女としては寝室で朝の紅茶を寝間着のまま味わうというのは行儀が悪いが、今は淑女としてのなまえではないし、誰かの目があるわけでもない。ので、ノーカンだとなまえは思っている。この程度なら、自分を育てた存在も目を瞑るだろう。……否、失笑しつつ嫌味を言うに違いないと考え、なまえはややげんなりした気持ちになった。
ちょうど1杯分しかいれてなかったのでなまえがその1杯を飲み干してカップをサービスワゴンに置くと、再び誰も動かしてないのにサービスワゴンは自動的に台所へと戻っていく。

「……さて、今日は何をしようかしら」

紅茶1杯で体が少し暖まったなまえは、ベッドからようやく降りた。そうしてそのまま身だしなみを整えようと、まずは洗面所に向かうのだった。

――なまえ・みょうじは、一般人ではない。
だが、大多数の人間はその事実に気づいていない。気づいていたとしても、無闇にその事を突くような人はいない。
ファルカも薄々なまえが普通ではないと気づいてはいるが、その事をなまえに聞くことはなかった。
騎士としてなまえに対し、普通の女性のように接してる。
そういった風に勘のいい人間に薄ら悟られる程度なら、なまえは特に気にしない。気にしないが、魔女会あたりに目をつけられると、ちょっと面倒だと考えていた。
敵対するとかではない。
なまえはこの世界をどうこうするつもりはないうえ、魔女会に喧嘩を売ったわけではない。だが、ナド・クライが抱えてる現在進行形のことに対しどうするか決めかねてるなまえに、魔女会から協力要請などの契約を求められた時が厄介だと思ってる。
一時ならば、これっきりならばいいだろう。
だが往々にして、そうはならないだろうと分かる。
未来視などではない、ただの経験則だ。
魔女会は取引相手として考えたら、誠実な存在だ。それこそ、過去彼女が契約を通して願いを叶えてきた人間たちより、ずっと。
だが、それでもなまえは躊躇している。

(濃いのよね、魔女会の魔女たち)

みた・・限り、まぁ中々にいい性格をしている魔女ばかりだなとなまえは思った。
それでもなまえが知るほかの魔女と比べると、彼女らは遥かに良心的だ。比べるのが失礼なくらいに。だがそれはそれとして、1度関わると今後も何かしら面倒なことに巻き込まれそうな気がしてならないのだ。

だから見つからないよう、なまえは気をつけている。来た時点で存在は捕捉されているので、そこはもう仕方がない。
ここにいるけど特定はできない、くらいの目くらましだけはしてる。魔術的な意味でもそうだが、ナシャタウンという雑多な街で生活してるのもそれが理由の一つだ。
この街のごちゃついた感じを面白がってるのもあるが、木を隠すなら森の中。それに準じて、人波に潜るように暮らしている。
魔女Bあたりにはいずれ邂逅する未来がみえてるかもしれないが、そうだとしてもなまえはまだもうしばらく面倒事は避けたかった。

(それに、この世界のことは、ここに住む人々が基本的に対応すべきことだもの)

身支度を終え、いつもの格好に着替えたなまえは、家を出る。
穏やかな日差しに目を細めつつ、日傘をさした。そのまま歩き出した彼女に、ナシャタウンの人々は挨拶を交わす。なまえも挨拶を返しながら、優雅に歩いていく。
「お出かけかい?」と食料品店の店員に聞かれ、なまえは微笑みながら答える。

「ええ、少し――散歩へ」


みえていた・・・・場所に向かうと、そこにはおびただしいほどのワイルドハントがいた。
昨日まではそこにいなかった。
最近、ナド・クライのワイルドハントは活発になっている。その数も増え、発生頻度も増加している。ライトキーパーの手が足りてない状態だ。遠征に来ている西風騎士団も対応にあたっているが、追いついていない。
活発化の原因を取り除く必要があるが、まだどこも特定できていない。情報という商品に精通している、秘聞の館ですら。

「……別に、教えてあげてもいいのだけれど」

などと呟きながら、なまえはワイルドハントの方へと歩いていく。
彼らはすぐになまえに気づき、何事かを言っている。なまえには何を言ってるか分からないが、怨嗟の類いだろうと思っている。

「必要なことなら、無闇に手出ししない方がいいもの」

誰にでもなくそう言いながら、なまえは武器である弓を手に――持たない。
朝のティーポットや薬缶のように、まるで自律してる何かのように弓は浮きあがり、そして、掃射した。
暴風雨のように放たれた矢だった。
1ミリもずれることもなく、逃すこともなく、確実にワイルドハントを射抜き、消していく。
ひとつの弓の一射で幾重もの矢が繰り返し放たれ、機械的にワイルドハントを駆逐していく。その様は、まるで風船でも割るかのように、容易く行われていた。
数分にも満たない、出来事だった。
その間なまえは、日傘をさして佇んでいた。

(さて……発生源はここでは無いけれど、そこまで私が報告するのも怪しまれてしまうわね。それとなく、ライトキーパーの誰かを誘導しておかないと……。あら……西風騎士団が気づいたみたい。これなら誘導しなくてもよさそう。ファルカのことだから、報告を受けて規模を知れば、ライトキーパーとの連携をするでしょう)

そう考えたなまえは、この場から離れるための「後処理」を始めた。
なまえは、今のところこの世界のためにこの世界の問題に向き合う気は、ない。
定住するならばそうするが、まだ決めかねていた。
ならばなぜ、今回このナシャタウンから少し離れた街道のワイルドハントを殲滅したのかというと、

(商人がそろそろお酒や布やらの取引にくるんだもの。ここにワイルドハントがいたら、入荷がおくれちゃうわ)

私情ゆえ、だった。

――団員たちとナシャタウンに来ていたファルカは、手芸のための布や糸、酒を購入しているなまえを見かけていた。
しかし、今回は騎士団としてきてるので、声をかけることはしなかった。
団員はナシャタウンの店や購入客の様子を見つつ、ファルカに話しかけた。

「今回も物流への影響には至ってないようですね」
「そうだな。だが、出てなさすぎる気がするな」
「どっかの誰かがなんとかしたって言いたいのか?」

西風騎士団第5小隊の副隊長ローエンは、ファルカの考えにすぐ思い至っていた。戦闘狂ゆえの直感もあるが、発生源から範囲を計算した際、物流のためのルートがその範囲に被っていた。だからチームを送ったのだが、そこには何も無かった。
ライトキーパーたちと連携して発生源を潰すためにチームとは別でファルカたちはこうやってきたのだが、拍子抜けするほど被害が無さすぎた。

「ああ。巡回してたライトキーパーが対応したとかなら、戦闘の痕跡があるはずだが……」
「不自然なくらい何も無かったもんな」

ローエンが言う通り、何も無さすぎた。
人の行き来の痕跡しかない。ワイルドハントは発生していたはずなのだ。それは間違いない。1度ワイルドハントと相対すると、肌でわかる。もちろん物理的な痕跡やらほかの要素もあるが。
今回はワイルドハントがいたのは間違いないが消えている、しかし何が原因での消滅か特定できる痕跡がなかった。
まるで、誰かが隠滅したかのように。
頭を掻きながら、ファルカは口を開いた。

「知られたくないというなら無理に探るのもな。敵じゃないというのは確か。今はそれだけで、十分か」
「俺は戦ってみたいけどな」

通常運転なローエンに笑うもの、苦笑するもの。それぞれの反応をしながら、彼らはライトキーパーのもとへと向かうのだった。



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