狼と蝶 05



キリル・チュードミロヴィッチ・フリンズは、普段は灯台で生活している。しかし引きこもっているという訳では無い。ライトキーパーとしての任務だったり、彼の趣味や嗜好品の買い物だったりで、普通に外出する。
特に外出を億劫に思うタイプでもないので、灯台から離れた場所にあるナシャタウンにも行くことは多い。
フリンズは高身長で幽鬼のような見た目をしているのと、ライトキーパーの格好が黒い服なので人目を引くが、ナシャタウンの人々は慣れてるので何も言わない。フリンズの姿は、ナシャタウンにすっかり馴染んでいるのだ。
時おりすれ違う顔見知りとにこやかに挨拶をかわしつつ、フリンズはいつもの馴染みの店に向かった。
店必要な備品や嗜好品を買い、灯台に送ってもらうよう手配してから店主としばらく世間話をしたあと、店を出る。
店を出ながら、店主から聞いたワイルドハントの被害の話を思い出す。

(……やはり、ワイルドハントがかなり活性化してきている)

ライトキーパーはただでさえ人手が足りてない。普段がギリギリなところに、ここ最近活性化したワイルドハントのせいで、人手不足が加速している。それでいてワイルドは疲れ知らずだ。人間は疲労し、傷を負う。物量で、勝てない。さらに封印できるのもライトキーパーだけなので、ライトキーパーが減ると必然的に被害が広がることになる。
発生はランダム。活動範囲が霧の中に限られるとはいえ、人の営みがある以上、もしも街中、あるいは物流の中心にでも現れようものなら、目も当てられない。ナド・クライは昔から、そういった脅威に晒され、抗ってきた。
だから今回も彼らは戦うが……ナド・クライには施政者と呼べる存在はなく、一丸となることがない。もちろん横のつながりはある上、ある程度は協力するが、果たして今回の異変はそれで乗り越えられるだろうかと少しフリンズは考えた。あまりいい考えとは言えないので追い払いたいところだが……ちらり、と彼は自身のランプを見た。
しかしすぐに視線を前に向け、フリンズは歩き出した。
しばらく歩いていると、見慣れた存在を見つけた。他の人間より、頭1つ2つくらい背が高い、金髪の男。よく酒を飲む間柄なので、フリンズは彼の元へ歩みをすすめながら声をかけた。

「ファルカさん」
「!フリンズか」

声をかけられ男……ファルカは、フリンズへの方を向いた。その腕には紙袋があり、近づいたことでその中身が見えたフリンズは目を瞬かせた。

「……手芸の趣味があるんですか?」

紙袋の中身は毛糸だったり、刺繍糸だったり、そういったもので満たされていた。ファルカがいたのは、ちょうど手芸屋の前だった。あまりにも結びつかない組み合わせに、フリンズは素で驚いていた。
ファルカもその自覚があるからか、フリンズの反応に特に何も言わない。

「ああ、これか。俺は荷物持ちだ」
「荷物持ち……騎士団の買い物、ですか?」

フリンズがそう尋ねた時、柔らかな声がファルカにかけられた。

「待たせてごめんなさい、ファルカ」

声がした方をフリンズが見ると、金の髪を結んだ女性……なまえがいた。彼女もまたファルカほどではないが手芸の材料が入った袋を抱え、店から出てきた。空色の瞳はファルカと、フリンズを捉える。

「……知り合いと話していたのね。邪魔しちゃったかしら?」
「いや、世間話みたいなものだ。なまえ、ライトキーパーのフリンズだ」

ファルカから簡易的な紹介―フリンズの本名はものすごく長いのだ―を受けたなまえは、紙袋を抱え直しながらフリンズに挨拶をした。

「初めまして。なまえよ。よろしくお願いね」
「こちらこそ。僕の名前は長いので、フリンズと呼んでください。……それに、僕こそお邪魔してすみません」

フリンズの謝罪に、なまえは小さく首を傾げる。この初対面のライトキーパーに、何かされただろうか、と。フリンズは、ファルカとなまえを見ながら、本当に申し訳なさそうにこう言った。

「お二人の逢瀬を邪魔してしまったようで」

――逢瀬。
愛し合う男女が密会する機会。
久しく……どころか、初めて自分宛に言われた単語だったので、なまえの脳内辞書は一瞬でフル活動した。
なんと答えるか、となまえが思っていると、

「いや、違うんだ、フリンズ。俺が今、なまえを口説いている最中なんだ」

と、ファルカは答えた。
少し芝居がかってはいるが、割と真面目な様子で。これは、となまえは悟る。

(否定したらしたで女性に恥をかかせるから、ってことでしょうね)

フリンズも察したようだ。それ以上はその件で何も言わない。ここで自分の勘違いというのは、ファルカのなまえへの気遣いを無下にすることになるからだ。

「そうでしたか。それは余計なことを言ってしまいましたね。お詫びに今度、1杯奢りますよ」
「お、本当だな?楽しみにしてるぞ」
「ええ、約束します。それでは、僕はここで失礼しますね」

フリンズは綺麗な会釈をして、去っていく。なまえはちらりと、彼が常に携えているランプを見た。フリンズの姿が人波に消えると、彼からファルカに視線を移す。
ファルカは何も無かったかのように、なまえが持っている紙袋にも手を伸ばした。

「そっちも持つぞ」
「これくらいは大丈夫よ。あなたの両手が塞がってしまうもの」
「これくらいなら片腕で持てるさ」

確かにファルカの腕はなまえより太くたくましく、手は大きい。ファルカが言うように毛糸や糸、かぎ針が入ったくらいの紙袋なら、2つくらい容易く持てるだろう。何せ彼は普段、大剣の二刀流という常人離れした戦闘スタイルなのだから。
なまえは少し考え、気遣いに甘えることにした。

「それじゃ……お願いするわ」
「ああ、安心して任せろ」

宣言通り、ファルカは片腕で紙袋を持つ。本当に余裕そうだった。それから自然と、2人は歩き出した。なまえはファルカに歩きながら尋ねた。

「さっきの話……もちろん気遣いと分かっているけど、ファルカは今後私の事を口説いてくれるのかしら?」
「ん゛っ」

むせたんだかなんなんだかよく分からない、ファルカの反応。彼は思わず、足を止めていた。つつかれると思っていなかったのか驚きと、ほんの少しの照れが混ざったような表情をファルカがしていたので、なまえの心の中で悪戯心が顔を出した。

「いや、あれはー……その、な……?」

方便とも言えないファルカ。
失礼だからともあるが、そういう気持ちがファルカになかったわけではないからだ。
なまえとのやりとりや関係が心地いいなぁだとか、なまえを好ましいなぁだとか思っているのはファルカも自覚していた。
しかし、それと口説いていたかは別なのだ。実際、ファルカはなまえといる時適切な距離を保っていた上、そう言った言葉をなまえに紡いだことはない。
なんと言ったものかとファルカがしどろもどろになっていると、なまえは微笑みながらそんなファルカにこう言った。

「あなたになら口説かれてもいいわ」

なまえの微笑みは美しかった。
いつもと変わらぬ美しさだったが、その微笑みに宿ったいつもと違う艶やかさに、ファルカは思わず息を飲んだ。

「……あんまり、おじさんを揶揄うようなこと言うもんじゃないぞ」

そう言い返してきたファルカに、なまえは小さく笑いながら歩き出す。ファルカも、それに合わせて歩き出す。

「からかってるかどうか、口説いて確かめてみたらいかが?」
「あのなー……」

本当にちょっとだけ、彼女をどうしてくれようかとファルカは考えてしまった。反面、本気で口説いた時、なまえはどんな反応をするだろうかと少しだけ想像しつつ、彼女と共に歩いていく。
しかし、想像するだけだ。
少なくともナド・クライでの目的が終わるまで、ファルカはそういったことをするつもりはなかった。
単身できてるならまだしも、彼は遠征隊を率いて西風騎士団大団長としてこの地にやって来た。団員とともに無事帰るまで、その責を下ろすなどファルカはしない。

「……なまえ、いつかモンドに来い」
「?ええ、いずれ行くけど……」
「必ずだぞ。できれば俺が戻ってからがいいな。案内もする」
「それは、とても魅力的ね」

モンドの酒についてファルカから度々聞いていたなまえは、ファルカの提案に楽しそうにしている。
きっとなまえは、ファルカがモンドに来るよう念押したもうひとつの理由には気づいていない。
そんな彼女を見つめながら、ファルカは目を細めるのだった。



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