狼と蝶 06
フラッグシップ。
宿泊できる部屋もあるが部屋数の都合もあり、酒飲みや食事に訪れる客の方が多い。
今日も客で賑わっており、フラッグシップは大盛況だった。
ファルカとフリンズも、フラッグシップのテーブル席で酒を飲んでいた。
前回かわした約束通り、フリンズは酒を1杯ファルカに奢った。早々に奢りの酒を注文したファルカ。フリンズも自身の分を注文し、ファルカと飲んでいた。最初の1杯で乾杯したあと、フリンズは口を開いた。
「なまえさんとは、どういった経緯で出会ったんですか?」
ネフェルとファルカが知り合っているというのは、フリンズも知っている。この2人はビジネスきっかけというのも知っている。
反し、なまえは仕事……というような雰囲気ではなかった。初めてフリンズがファルカとなまえがいるのを見た時、明らかになまえの買い物にファルカが付き合っているという、プライベートなものだったから、どういった経緯だろうかとフリンズは気になった。
ファルカがナンパをするようなタイプではないと分かっているから、余計に。
ファルカは酒と一緒に注文していたチーズを口元に運びつつ答える。
「なまえがワイルドハントに囲まれてるところに出くわしてな。その時に助けたのがきっかけ、だな」
「ああ……なるほど。なまえさんは見るからにナド・クライの外から来たようですから、それは大層驚かれていたでしょう」
ワイルドハントはナド・クライでしか発生してない、厄災だ。
外からきた人間が初めてあえば、他の国でのアビス被害との差に驚くことだろう。
ファルカはその時のことを思い出しながら、話を続ける。
「落ち着いて対応していたな。ただ、囲まれているレディを見て見ぬふりをするのは騎士としてはありえないからな。数も多かったし、手助けをしたってわけだ」
――血の汚れなど何も知らなさそうな見た目のなまえは、落ち着いてワイルドハントの怪物たちと対面していた。ファルカたち西風騎士団が助けずとも、切り抜けることはできただろう。しかしファルカが言うように、襲われている女性を助けないという選択肢は、騎士の中に存在しない。
助けられた彼女は、「ありがとう」とたおやかな淑女の微笑みを浮かべていた。
「あれでいて肝が据わってるんだ、なまえは」
初対面のときもそうだと感じたが、何回か会ううちにその印象は確定した。
たおやかで穏やかに微笑む淑女。しかし、そのうち頑固さと肝が据わってるところと、強かさがあるのも事実。
隠していること、話していないこと。
そういった物もあるだろう。だがそのあたりはお互い様。それになんでかんでも知らないとやだ!などと、駄々をこねる幼さはない。
「中々彼女を気に入ってますよね」
ストレートなフリンズの物言い。
ファルカは特に反応せず、彼らしく朗らかに笑う。
「まぁな。飲み仲間としても最高だからな」
それだけではないだろうというのはフリンズも分かっていたが、必要以上につつくなんて無粋極まりないことをフリンズはしない。
そのままいつも通りに、2人は酒を飲んで過ごした。
――日も沈んだ頃、なまえは月を見上げていた。
満ち欠けの存在しない、テイワットの月。
完璧すぎるくらい美しい夜空を、なまえは空色の目でただ見つめていた。
底冷えするような冷え込みの夜、空気は澄み渡り、吐く息はやや白い。
冷たい空気を深く吸いながら、なまえは月から背後へと視線を向ける。
「……何か用かしら?」
穏やかになまえは問いかける。招いていない、訪問者に。
独特の仮面で顔を隠した男が、そこには立っていた。音もなく現れた男に、なまえは動じることなく、ゆっくりと向き合った。
「――いい夜だな、降臨者よ」
落ち着いた話しぶりだが、暖かみや親しみはない。なまえは降臨者という呼び掛けには反応せず、変わらず淑女らしく微笑んでいる。
男はなまえの様子を見て、ふむ、と声を漏らした。
「やはり、私の来訪に特に驚いていないようだな」
「夜のお散歩に誰かとすれ違う程度、別に驚くほどでもないでしょう。あなたが夜に出る怪物でもない限り」
月見をしに来たなまえと、この男はたまたま出会った。別におかしな所はなにもない。
「あくまでそういった主張をするというのか。……よかろう。偶然出会ったとしても、だ。お前に用があるというのには、かわりがない」
「……用?初対面のあなたからお願いされることなんて、思い当たらないわね」
「予想はできているのだろう?みていたはずだ」
「――……」
なまえは、まだ微笑んでいる。
しかし、すっと、彼女が纏う空気が冷えていく。
ようやく「偶然出会った」という装いを彼女が捨て始めたことに、話がスムーズに進むとばかりに、男は話し始める。
「どこまでみえていたかまではともかく、さしずめ千里眼といったところか。それゆえ、スネージナヤに降り立った時から、監視されていると気づいていた。だが……監視に気づきながらこちらをみているということに中々気づかせなかった点においては、賞賛に値する。私もつい最近、その可能性に思い至った」
なまえは、答えない。
淑女の微笑みのまま、男の話を聞いている。
男はなまえからの反応を気にしない。男には、彼女が「現在をみる」ことが当たっていると言う確信があったので、なまえがどう言おうが関係ないのだ。
「みていたのなら分かると思うが、私はこの地で成し遂げねばならないことがある。そこで、ちょっとした取引をしにきた」
「……」
「取引の内容も予測がついているのだろう?」
「……さあ?なんのことかしら」
なまえがしらばっくれている理由は、男にはどうでもよかった。取引に正しく応じるかも、よかった。
釘をさしておくことと……それから、「金髪の旅人」同様、なまえとも協力体制を結べるならば結びたいというのは、男の本心だ。
ともすれば「金髪の旅人」より、目の前の女の方が危険度は高い。
「わざわざこうしてきたのは、私からの誠意だ。私はお前に害を加えない。だからお前も、私の邪魔をしないでもらいたい」
「……それ、何か私にメリットがあるのかしら?」
取引というのは、うまみがなければ成立しえない。なまえには、目の前の男の取引に応じる義理も無ければ、応じてやりたいと思うな情もない。男もそれを分かってはいるようだ。
「少なくともお前は穏やかにこの世界で暮らしたいと思っている。私と衝突すれば、タダではすまないことを、よく分かっているはずだ」
初めて、なまえから淑女としての笑みが、消えた。
冷えきった空色の瞳は、目の前の男を真っ直ぐに捉えている。
研ぎ澄まされた刃のような冷たさを湛えた表情。
ナド・クライ……テイワットに来てからの彼女を知るものからすれば、「彼女らしくない」と感じるような表情と雰囲気だった。
「今、私があなたを消せば、何も無かったことになると思わなかったの?」
「それはしないだろう。なにせ、力を縛っているようだからな。それに、先程も言ったように、タダでは済まない。私やお前が……ではなく、周囲が」
「……試してみましょうか?」
「無駄な脅しだ」
バチン、と、男の足元にあった小石が複数、消失した。男は、それを見ても動じない。
なまえは真っ直ぐに男を空色の瞳で捉えたまま、指ひとつ動かしていない。しかし、男には分かった。小石を消したのはなまえであり、これは警告だと。
「――機嫌を損ねてしまったようだな。取引の返事は、別に今でなくてもいい。その時に私の邪魔をしなければそれでいい」
男にとって今回の実験は、誰にも邪魔されたくない物だった。その障害となるものはいくつかあるが、最も厄介だと判断したのはなまえの存在だった。
関わってこなければいいと思っていたが、よりにもよってナド・クライに彼女は滞在している。時期的に次がないのだ。だから、わざわざこうしてきた。
お互いがぶつかれば、お前にとっても損害がでる。
別に現れなくてもよかったが、本当に前述の通り、彼なりの誠意だった。できれば協力体制を築きたいというのも、彼の本心だった。
「月見の邪魔をしてしまったな。そろそろ失礼しよう」
男は、悠然となまえに背を向け去っていく。なまえの視線を背中にひしひしと受けながらだが、全く気にしていない。
なまえは男の背中が見えなくなったあとも、男が消え去った方角を見つめていた。しかししばらくして視線を、再び月に向けた。
「……そろそろ身の振り方を決めなければいけないわね」
そう呟きながら、彼女は再び月……偽の月を見上げる。
偽の空の向こう側もみえる彼女は、しばらくそこに佇んでいた。