狼と蝶 07



物事が……物語が進むきっかけというのは、必ず存在している。
それは1つではない。いくつか存在しているケースもある。そうしてそれらの繋がりは緻密に、時に雑に繋がっている。
そして今まさに、人の思惑や願いを巻き込んで、ナド・クライの物語は、加速していってる最中だった。

ナド・クライで起こった最近の事象をみていたなまえは、特に動きを見せていない。
ついこの間、男に釘をさされたから。……というのも、動かない理由になっている。
取引と言いながら、実際は牽制としてなまえに効果はあった。あの男は、なまえが動き、自身の計画に支障がでるなら、どんな手段を使ってでも、どれくらいまわりに被害がでるようなことでも、なまえを止めるために使うはずだ。
盤面がまだ整っていない状況。
それは男にとってもそうだが、なまえが動くにしてもそうだった。
男にとっては最後の準備、なまえにとっては被害を抑える条件。
おそらくお互いの条件が整うタイミングはほぼ同じだろうと、なまえは予想していた。
それまで動くべきではないというか、動けなかった。魔女会もついに出てきた。できればそちらにも出くわしたくないが、もはやそうも言っていられないだろうとなまえも分かっていた。
身の振り方もどうするか、概ね固まってきた。
皮肉なことに、男に会ったことで方向性はほぼ決まったのだ。

(あの男に好き勝手されるの、なんだか癪だもの)

最高のタイミングで、横っ面を引っぱたいてやろうと決めた。
そうして、もう1つ。この世界でも今後生きていくかどうかについても、大体決まった。
改めて自分の身の振り方について考えたとき、1人の存在が思い浮かんだのが、決まった理由の一つだった。
とんでもない状態なのに平然と立って振る舞っている、北風の狼。
彼が踏ん張って守ろうとしている世界だ、そう悪くはない世界だろうと思ったのも、なまえの指針のひとつになった。

(……月の狩人……月神……)

みていたものを思い返しながら、なまえはいつもより賑わっているナシャタウンを家の窓から眺めていた。祈月の夜に向け、人々は準備をしている。

祈月の夜。
本来は霜月の子の祭事だ。
クーヴァキが最も高まる日、月神と霜月の子の繁栄を祝う祭り。
だが、今回は意味合いが違う。

「おかえりなさい、月神様っていうんだよ」

祭りの気配にウキウキしている子ども達の声が聞こえてきたので、なまえは柔らかい笑みを浮かべる。
子どもたちが言うように、月神がナド・クライに帰ってきたのだ。
今回は、彼女の帰還を祝う祭り。
少女たちは白い衣服や飾りを身にまとい、月神に扮する。そして、そんな彼女たちに、先程子どもたちが話していたように、「おかえりなさい」と声をかけるのだ。

「木を隠すなら森の中、ね」

月神の少女、コロンビーナが祭りを楽しめるように。
当代の詠月使をなまえは思い出す。
彼女……霜月の子の詠月使のラウマは、一見すると伝統一辺倒な生真面目な女に見えるが、柔軟なところも持ち合わせている。
月神の姿は神像になっているので、コロンビーナが何も対策せずに祭りに参加したら、騒ぎになる。なのでいかにしてコロンビーナが月神だとばれずに彼女が楽しめるかを、ラウマは一生懸命考えていた。
その回答が、「コロンビーナをどうにかするのではなく、彼女の姿が珍しくないよう、少女たちに月神と似たような格好をしてもらい目立たなくさせること」だった。隠す森がないなら、作ればいい。思いつけば簡単だが、よく思いついたものだ。

そして祭りになると利益もあるので、ナシャタウンの商人たちも話に乗ってきた。秘聞の館のネフェルの協力もあったからこそ―もちろんうまみがあるからこその手伝いだ―、トントン拍子に話が進んだ。西風騎士団も協力し、魔女会も出店するらしい。
短い期間でよくここまでの準備ができたものだと、なまえは感心した。
なまえは祈月の夜の祭りには、少しだけ顔を出そうと思った。本気で楽しむのは、まだ魔女会に会いたくないので、ちょっと遠慮しようと思った。

「……」

ほんの少し、期待している事がある。
だけど淡いそれを胸の奥にしまい、夜までまだ時間はあるのだからと、レースのデザインを考えたり、刺繍をしていようとなまえは決めた。
朝のように無人で……魔術で紅茶をいれながら、手芸道具の準備に取り掛かった。


――今夜もテイワットの月は丸く、煌々と輝いていた。
空気中のクーヴァキは、いつもよりずっと満ちている。
まさに、祈月の夜に相応しい、夜だろう。
コロンビーナがナシャタウンを後にしたタイミングで、なまえは家から出て祭りに向かった。

「おかえりなさい、月神さま」

月神のような白い衣服の少女たちとすれ違ったので、なまえはそう声をかけた。少女たちは楽しそうにしながら手を振り、なまえの声に応える。彼女たちが小走りに駆けていくのを、なまえは穏やかな表情で見送る。
――街中はいつものナシャタウンと異なる、どこか幻想的で、優しい雰囲気になっていた。
それは屋台だったり、飾り付けだったり、月神に扮した少女たちだったり。そういったものがもたらしていて、見ているだけで楽しいものだった。
見知った顔も何人かいたので挨拶をしつつ、屋台を巡る。キャンディーの屋台でキャンディーを購入した。可愛らしく瓶詰めされたそれを、なまえは楽しげに見つめた。
なまえも、月神のコロンビーナ同様、こういった祭りに参加したことがない。いつもみているだけだったので、祭りの空気を肌で感じたのはこれが初めてだった。
子どもたちほどではないが、ウキウキとした気持ちになる。
魔女会以外のところをもう少し見て回ろうとなまえが足を動かしたとき、

「よ、なまえ」

親しげな声が背後からかけられた。
なまえは、声の方へ振り返る。そこには、ファルカがいた。

「ファルカ。色々と、お疲れ様」

月の狩人の件のことも含まれていると気づいているが、祭りに相応しくない話なので、詳しく話さない2人。
なまえの隣に並びながら、ファルカは話を続ける。

「色々とあったが、祈月の夜もこうやって無事開けた。なまえも、楽しんでるか?」
「ええ。もう少し見たら戻るつもりよ」

祭りで賑わっている人々を見ながら、なまえは和やかにファルカと会話している。
――ここのところ月の狩人のことやコロンビーナのことでファルカは奔走していたので、なまえはファルカと会うのが久しぶりだった。
ナド・クライで最初に知り合った人。
気持ちよく楽しく飲める、飲み仲間。
とても可愛らしい人間。

(……うん)

やっぱり、と、自身の胸の内について改めて認識しつつ、なまえはファルカと他愛のない会話を続けていた。

「少し、寂しそうね」

不意になまえからそう言われ、ファルカは少し目を丸くした。そのあとすぐ、少し眉を下げて笑った。

「……友達を見送ってきたところなんだ」
「――そう」

知っている。月神コロンビーナが月に帰るので、人々に別れを告げているところがみえていたから。だが、なまえはそんな様子を出さず、平素通りに振る舞う。

「別れは、寂しいものね」
「そうだな」

ほんの少ししんみりしているファルカ。
なまえはキャンディーの蓋を開けながら、話を続ける。

「きっとまた会えるわ。友達って、そういうものでしょう?」

慰めでもなんでもない、なまえの本心だ。
友であれなんであれ、縁があれば引き合い、また出会える。

(――良縁だけがそうであれば、いいのだけれど)

蓋があいた空いた瓶を、なまえはファルカに差し出した。
色鮮やかで、ころころした1口サイズのキャンディは、月明かりや装飾の明かりを受け、キラキラと輝いている。

「元気を出してちょうだい」
「――ありがとう。なんか、あれだな。こういう励まされ方は、子ども時代を思い出すな」
「あら、いやだった?」
「いいや。ノスタルジックな気持ちにはなるが、悪くない」

そう言いながら差し出された瓶からひとつ、ファルカはキャンディーを摘む。そうして口の中に入れ、舌の上で転がす。甘い果実の味が、ファルカの口の中で広まった。その甘さにファルカの表情が緩んだ。

「……」

なまえ以外の動きが、全て止まった。
鳥も、祭りの出し物の乗り物も、風も、人も。
目の前のファルカも、人形のように動かなくなった。
異様な雰囲気と、ここじゃないとこで起きた出来事に、なまえは眉を顰めた。

「……遂に、事を起こしたのね」

みえている光景……月神コロンビーナが囚われ、月髄があの男……ファデュイの執行官、博士の手に渡った。
時を止めたのも博士だが、なまえ同様動きを止められていない存在がいた。
降臨者である、旅人だった。
博士を止めようとしていたが、力及ばず。
そうしてコロンビーナは、これ以上博士の好きにさせないようにするために「月の扉」を開いた。そして、自らその扉に飛び込んで行った。

――なまえは、その時も、動かなかった。



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