狼と蝶 08



なまえは訪れてきた人物と対面しながら、いつも通り魔術で紅茶をいれる。
普通の人間にはそんなところ見せないが、訪問者が魔女会の魔女……ニコ・リヤンだったので、隠してない。
接触してきた時点で、隠す意味などないからだ。
ニコは紅茶を飲みながら、直接的に「声」でなまえに話しかける。彼女は、肉声を使って話すことはしない。なので口を動かしていないのに、彼女の話したいことが分かるという状態だった。

「突然の来訪でごめんなさいね」
「構わないわ。いずれこうなるだろうと、思っていたから」

予想は出来ていた。
ファデュイの博士が気づいていたのだから、魔女会が気づかないわけがない。魔女B……バーベロスも予見していたことだろう。
彼女がなぜここに来たのかも、なまえには予想できていた。

「月神と博士、旅人の件でしょう」
「――ええ。話が早くて助かるわ。できれば、協力してもらいたいの。気づいていると思うけど博士が境界を乱してしまって、とにかく人手が足りない」

撹乱だろう。魔女会に邪魔をさせない為に。
それでいて情報を探りに行ったメンバー……ネフェル、ラウマ、フリンズたちに博士は呪いをかけた。さらにその際に旅人が囚われ、まだ救出されていない。
博士の行動を止めるのも、月の扉の向こう側に落ちたコロンビーナの救出も早急に対応しなければならないが、しかし境界の問題は放っておけないので、実に効果的な嫌がらせだ。 博士はこちらに大量のタスクを押し付けておいて、悠々と得た力を理解しているところだろう。
なまえはカップの紅茶を1口飲み、カップを置いてから口を開いた。

「それで、私にして欲しいことは何かしら?」
「あなたが影響を考慮して力を制限しているのはわかっているから、して欲しいことはひとつ」

ニコから聞いた提案を、なまえは微笑んで受け入れた。
それは彼女にとってもリスクが少なく、そして彼女が博士にしてやろうと思っていたことと合致していた。

「協力させていただくわ」
「ありがとう。開くのは私たちがやるから、その時はお願いね」
「もちろん、任せてちょうだい」

ニコとなまえは、美しく微笑みあった。

みているとはいえ、決起日だけはニコから連絡をしてもらうことになった。協力関係については、明言しない方でとなまえがお願いした。
敵を欺くには味方から。
博士はもはや、なまえのことを監視していない。なまえもいるというのが知られていないというのは、メリットだ。
博士が力を得たからというのもあるが、なまえが邪魔をしてくるならば面倒が起きない月髄を得る直前だろうと予想していたからだ。
月髄を得た博士は、自身が作った人工月髄とあわせて三月の力を得た。もはや、神である。
そうなればなまえが正面から向かってきても問題ないと、博士は判断していた。
しかしそれは、読み違えだ。
なまえが動かなかった理由は、ただひとつ。
彼女が動いていい条件に当てはまってなかったから。それだけだ。

テイワットに降り立つ前、なまえは自分の力……魔法を使う際の制限を自らにかけた。

――魔法を使うには、他人との「契約」を結んでいること。
――さらにその「契約」の内容が自身の生命や存在、あるいは世界に関わる内容であること。
――上記に加え、この世界で生きていくと決意が必要。

第三者から見れば他愛もない条件かもしれない。
しかし、なまえにとっては必要なことだった。
「契約」に関してはニコとのやり取りが、魔女との正式な取引……「契約」となっている。
そして今回の博士の行動は、世界に関わることなので、なまえの制限の条件に当てはまっていた。
そうして最後に関しては、祈月の夜よりも前……博士が接触してきたあとに、決意した。
これでなまえは、今回魔法を行使することができる。
その代わり、彼女はこの世界に根付いて暮らすことになる。
彼女はこの世界以外には、行けなくなった。
そうするだけの価値があると、なまえは判断した。

「――さて、と。私もそろそろ行かないと」

そうして決行日。動ける条件が満たされたなまえは紅茶を1杯飲んだあと、自身に認識阻害の魔術をかけて、いつも通りの装いで家を出た。
ナシャタウンは避難が完了している。誰もいない街は、とても静かだった。
いつも街に響いていた機械の音も、子どもの声も、商人の声も、職人の声もない。
なまえが「雑多さが面白い」と気に入っていた街の物静けさは、この街が死んだようで物悲しいものがあった。しかし、博士が展開したエネルギー領域による被害が出ているので、ナド・クライの外への避難は必要だ。
戦いの余波もどう影響するか分からない。

――ニコと話したあと、旅人の奪還には成功していた。
そうしてコロンビーナが戻ってくる方法についても目処が立っている状態。
しかし、準備は完全ではない。
その状態で博士に向き合わなければならない。

ファデュイ、ライトキーパー、西風騎士団、霜月の子、カチャカチャ・クルムカケ工房、秘聞の館……ナド・クライが一丸となって、危機にたち向かおうとしている。
その最終局面に向かうため、なまえは水で馬を作り、それに横乗りで座った。馬は1度嘶き、そのまま地面が続いてるかのように空へと駆け上っていく。そうしてそのまま、決戦の場を目指し、水の馬は駆けていく。
ナド・クライは広いが、魔術によって作られたこの馬の速さなら、即座にそこにつく。

風を魔術で防ぎつつなまえは遥か上空から、眼下の戦況を見つめる。
認識阻害は変わらずかけているため、誰にも気づかれてないうえ見えていない。ニコですら気づいていないだろう。
1人、また1人、と博士により、この空間ではない場所に放り込まれていく。旅人だけになったと言うタイミングで、ファデュイのサンドローネが参戦する。
術式の構築はまだのはず、と思っていたが、彼女の姉弟機であるプロンニアをみて、なまえは察した。

(――そう。それが、貴女の決意なのね)

博士はものの数分で旅人を退け、サンドローネを破壊した。壊されたサンドローネの体は、無造作に放り投げられた。
博士は、勝ちを確信していた。
しかし術式はサンドローネではなく、プロンニアに仕込まれており、プロンニアの中で術式は完成した。
その術式は、コロンビーナの帰還に必要なものであり、サンドローネは博士を欺くために自らを囮にした。

――真の月神が、帰ってくる。
それは、神となった博士にも伝わっている。
ファルカ、ニコ、協力者の召使が、コロンビーナが帰るための道を、拓く。
空が、空間が、割れる。それにあわせて近づいてくる月神の気配。もちろん、博士も気づいている。だから、その道を閉ざそうとした博士は、意識と力をそちらに向けた。腕をそちらへかざした時、

「"雨纏いし猟犬レインドッグ"」

博士にだけは、その声が聞こえた。
聞こえたと認識したとき、水でできた大型の犬が、かざしていた博士の腕に食らいつき、意識と力をそらした。

「!貴様……!」

たまらず、博士は犬をもう片方の腕で振り払った。振り払われた犬は空で受身をとり、足場があるかのようにそのまま4本足で立つ。本物の犬のように身を引くくし、牙を見せ唸っている。
外傷はない。しかし、それよりも厄介なことをされた。

「私の力を吸収したな……!」

食らいついていたのはほんの数秒だったので、大した量は吸えていない。その上、月髄がある限り、多少吸ったところで何にもならない。だが、神になった博士にとってそれは簒奪であり、屈辱的なことだった。
水の犬はそのうち、幻想だったかのようにその場から消えた。
空に……コロンビーナが来る方向ではない場所に、博士は忌まわしそうに目を向けた。
そこには、博士にだけ見えるようにしたなまえが、水の馬に乗って悠然と博士を見下ろしている。
わざわざ見えるようにしたのは、お前に横槍を入れたのは誰か分かっただろう?と示すためだと言うのを博士は理解した。
意図を察したであろう博士の様子を、なまえは哀れな虫を見るような目で見ている。

「往々にして神になろうとする人間の末路なんて、こんなものよね」

とてもつまらなさそうになまえはそう言うと、再度博士にも見えなくなるように認識阻害の魔術をかけて、その場を離れる。
ニコ・リヤンとの契約。「博士はコロンビーナの帰還を絶対に邪魔してくるから、それを阻止して欲しい」。
なまえのやりたいことと一致したそれを彼女は二つ返事で受け、こうしてやってのけた。

そうした横槍は数分にも満たない時間で起きたことだったが、いい時間稼ぎになった。月神コロンビーナは博士が閉ざそうとした道を再度こじ開け、戻ってきた。
その時点で、どうなるかなまえにはわかっていたので見届けることなく、その場を離れた。

なまえの予想通り、旅人たちは博士を倒し、ナド・クライに展開していたエネルギー領域は消え、エネルギー領域の被害者たちは救われた。


――ナド・クライはまたひとつ、大きな危機を乗り越えた。
これによりナド・クライは少し変わった。各組織で今後も連携していこうとなり、集会が行われていた。
なまえはそれを見に行くことはせず、借りていた部屋の鍵を大家に返した。
中の状態を確認した大家は綺麗に使ってくれていたと安心していた。やはり、どこの世界でもとんでもない借主というのはいるのだろう。
借りていた礼を大家に述べてから、なまえは日傘をさして歩き出す。

港へ向かう途中、待ち合わせを約束していた人物を見つけたので、なまえは声をかけた。

「ファルカ」

声をかけられたファルカは、なまえの方を見る。なまえのよりも明るく見える空色をしたファルカの目は、すぐになまえを捉えた。

「もう作業は終わったのか?」
「ええ。元々そんなに大きな荷物がないもの。すぐ終わったわ」

既にかさばる荷物は港に運んである。
急遽ナド・クライを発つと決めても、魔術を使って作業を行ったのと大きな荷物がないのもあり、数時間で終わった。
ファルカにはいつ出発するかというのを伝えた。ナド・クライで間違いなく1番世話になり、長くいた人はファルカだったので、挨拶をしたかったのだ。
色々忙しいであろうファルカはこうやって時間を作って見送りに来てくれた。

「次の目的地は決まってるのか?」
「ええ。とりあえず1番近いナタへ。その次はフォンテーヌ。そこから沈玉の谷を通って璃月に入って、モンドへ行く予定よ」

港まで並んで歩きながら、なまえとファルカは会話をしている。今日が別れの日だが、2人に悲しさはない。
なまえは旅路を楽しみにしており、ファルカもまたそんななまえの様子を見て微笑ましそうにしている。

「そうか。色んなもの見て、楽しんでこいよ。あとは俺がすすめた酒も飲んでみてくれ」
「ええ、もちろん。」

人の行き来が多いが、ファルカはさりげなくなまえを人波から守るように動いている。その気遣いのお陰で、なまえは安心してこうやってファルカと話すことが出来ている。

「落ち着いたら連絡するわ」
「それは嬉しいな。手紙を待ってる」
「ああ、それなんだけれどこちらにきて……手を出して貰えるかしら」

道の端になまえは寄る。ファルカはそれについていき、言われるがままに手を出した。
なまえはファルカの大きな手に、飾ったハンカチを置いた。ハンカチは2枚あった。
狼の顔の刺繍と、青い蝶の刺繍がされたハンカチだった。
どちらも緻密だったので、手芸に疎いファルカでも素晴らしいものだと一目で分かった。

「すごいな、どっちも。狼の毛並みとか、蝶の翅の模様とか、刺繍でここまで表現できるのか」
「ふふ、ありがとう。蝶の方に、元素力を少し、込めてみて」
「ん?ああ」

言われるがままに元素力を蝶の刺繍のハンカチに込めると、瞬きの間に、ファルカの手の中で布から蝶になった。
思わずファルカが声をあげそうになると、なまえの白く細い指がファルカの唇にそっと添えられた。触れるか、触れられないかくらいの距離だった。

「ふふ、静かにね?」

小さな子どもに言い聞かせるような甘やかな口ぶりだった。ファルカが小さく頷くと、なまえはそっと手を下ろし、蝶をファルカの手から自らの指に止まらせた。

「この子が今後、あなた宛のメッセージを運ぶわ。あなたが私に返事をしたいときは、今みたいに元素力をこめながら言葉を吹き込んでね」

アリスの発明であるドドコ通信機を使ったことがあるファルカだが、それとはまた別ベクトルの技術をなまえは見せた。
なまえが只者では無いということを察していたファルカだが、こういうことをさらっとされるとさすがに驚く。

「……予想してはいたが、まさかこうもあっさりこういうところ見せてくるとは」
「あなたなら不用意に深く聞くことはないでしょう?だから、いいかなって思ったのよ」

なまえは蝶をハンカチに戻して、ポケットに仕舞った。そうしてファルカを促して、再び港に向かって歩き出す。
自分より小さく華奢ななまえの隣に並びながら、ファルカは苦笑にも似た笑みを浮かべている。
本当にこのレディは俺を振り回すのがうまい、と。

「ねえ、ファルカ」
「ん?なんだ、もしかしてまだ何か俺を驚かせるものがあるのか?」

もう身構えてるぞとファルカが言えば、なまえは楽しそうに目を細めながら笑った。

「ふふ。モンドに行ったら、その時は口説きに来るの?」
「ん゛っ」

いつぞやと同じような反応をするファルカ。
なまえはたまらず、と言ったように、小さく声をこぼして笑う。
どうやら必ずモンドに来いと言ったファルカの意図に、なまえは気づいていたらしい。
気づかれていたならば、と、ファルカはあの時のように取り乱すことはしなかった。
真っ直ぐに、なまえを見つめた。
ファルカは年甲斐もなく照れている自分にまったく……と、思いつつも、

「もちろん、そのつもりだ」

はっきりとそういえば、なまえの目は数回瞬きをした。その直後、なまえの白い頬が朱に染まった。
きっと以前のようにファルカがしどろもどろになるだろうと思っていたのだろう。
ファルカは初めて、なまえの淑女以外の一面を見た。

「――モンドで、待ってる」

なまえの手を掬い、口付けるような仕草をしながらファルカは言う。言い終えてすぐになまえの手を離すと、また少し彼女の頬は赤くなっていた。初心な少女のように少し目を泳がせているなまえに、そんな表情もできるのかとファルカは楽しくなった。

「――……ええ。待っていて、ファルカ」

いつもよりもか細い声と、照れを湛えながらも柔らかく微笑んだなまえに、ファルカもまた微笑むのだった。



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