09.それは誰がためか
なまえにお願いがあるんだけど、と、五条が切り出してきた。なまえは本を読む手を止め、五条を見た。お願いをしてる側のはずなのに、五条に特に悪びれたりする様子はない。
「まずは、どういったお願いか教えて貰えますか」
栞を挟みながら本を閉じて、なまえは五条を見やる。なまえは、五条のお願いを安請け合いすることは絶対しない。五条は態度を繕うこともなく、いつも通りの軽い調子で口を開いた。
「ちょこちょこ恵や輝の面倒見てもらってるけど、輝の修行について貰いたいんだ」
「……」
五条が伏黒恵の修行についているのは、なまえも知っていた。だが、舞野輝の修行を自分に頼んでくるとは思ってなかった。
「……上は?」
「放置して暴走するよりいいと判断がおりた。僕でもいいかなと思ったけど、呪術の性質はなまえの方が近いかなって」
上につつかれないなら受けてもいいかと、なまえは思った。今のなまえは五条悟の監視下にあるからと、上に生かされてるに過ぎない。だからなまえは、上が認めているかをあえて重視した。
別段、修行を見ることに関しては特に思うところも無かった。むしろ時間を持て余し気味だったのと、鈍るよりかはいいとさえ思っていた。
「分かりました、引き受けます」
「なまえならそう言ってくれると思ったよ」
しゃあしゃあと言ってのける五条に、なまえは少し苛立った。この話を受けるだろうと想定されていたという事だが、悪びれも申し訳なさそうにも、嬉しそうにもせずこういう反応されると、苛立ってしまうのだ。
──こうやって修行を引き受けたわけだが、なまえと舞野輝の師弟関係は長くつづくことになると、このときのなまえは知らない。
「本人にはまだ伝えてないけどね」
「伝えてないんですか」
「輝は自分の術式を嫌ってる。とりあえず術式の扱いは最低限だけ教えて、あとは体術と力加減をって感じかな」
おやつ棚からおやつを取り出して─船がチョコレート部分に描かれてるあのチョコ菓子だった─、袋を開けながら五条は舞野輝について話す。なまえはいつもではなくたまにしか面倒を見ていないため、自分が受け持つことになる舞野輝の話にはしっかりと耳を傾ける。命を預かることにも繋がるのだから、当然だった。
「あとは、私が……みょうじも彼女についているというアピールですか?」
なまえは特に表情を変えることなく、五条にそう尋ねた。察しのいいなまえに、五条はサングラスの奥の目を細める。
「うん、そうだよ」
あっけらかんと答えられても、特に肩透かしを食らうこともなく、なまえはその答えを受け入れた。
みょうじ家はなまえが鏖殺し、生き残りはなまえだけだ。だが、権威が失墜しただけで呪術師としての恐ろしさまではなくなったわけではない。むしろ一族鏖殺を一瞬で行ったなまえには、恐怖という付加価値がついた。
そのなまえが舞野輝という少女の修行に着くということは、みょうじなまえは舞野輝についたと宣言したも同然だ。
──上層部からすれば、なまえよりも舞野輝の方が呪術規定という観点からみても、存在していることが容認できないような存在だ。だから五条の考えとしては、後ろ盾はいくらでもあった方がいい、と言ったところだろう。
「術式の暴走もほぼしなくなってきたからね。ここでなまえに術式教わることで、さらに安定してくるだろうな」
五条のその言葉を聴きながら、なまえは思い出す。
小学校に通いたいと言っていた、輝のことを。
「……それでもまだ、小学生にはなれてないんですね、あの子は」
「上がうるさくてね。僕としては、通わせてあげたいところだけど」
そっちの方が情操教育にも社会化にもいいし、と言う五条に、なまえも同意を示す。
雁字搦めに封じ込めたり制限したりでは、一般を知らない呪術師になってしまう。人としての成長の妨げにもなるうえ、一般への配慮・考慮が足りない呪術師になる可能性もある。ただでさえ、呪術師というのは社会に馴染みづらい人種が多いというのに。
ふと、なまえは輝が小学校に通っていたら、小学生3,4年くらいであろうと気づいた。伏黒恵もたしかそれくらいだった。五条悟と夏油傑が舞野輝を保護したのは、舞野輝は見た目が3,4歳ほどだったと聞いている。──それから5,6年、あの少女は、高専から自由に出ることも出来ず、学校への憧れを募らせていることになる。
(……弟と、似ている)
そう思ってしまった。思ってしまったら、だめだった。放っておけなくなってしまった。弟には出来なかったことを、せめて今生きているあの少女にしてあげたいと、思ってしまった。
「──なまえ」
「!──大丈夫です、なんでもないです。……それで、いつからしますか」
五条はしばしなまえを見つめた後、あえてなまえの様子には触れずに話を続けた。
「本人の意思確認をしてからだね。詳しい日程が決まったらまた言うよ」
「分かりました」
話はこれで終わりなのだろうと思いながら、なまえは途中で読むのをやめていた本を開く。そのまま本を読もうとするも、五条が見つめているのに気づき、顔を五条に向ける。五条は、いつも通りの表情だった。
まだ何かあるだろうかと、なまえは怪訝そうに首を傾げる。
「他になにかありましたか、先輩」
「んー。なまえってさ、甘えるの下手だよなって」
「は?」
「輝みたいに、甘えてきていいんだよ」
五条はほら!とばかりに、両腕を広げてかまえている。まるでなまえがその腕に飛び込むのが、確定しているかのように。絶対にそんなことをしないなまえはそんな五条に対し、シラケた目線を向ける。
「飛び込むわけないでしょう」
「まぁまぁ、遠慮せずに」
来ないならばとばかりに、五条はなまえへとそのまま腰をあげて寄ってきた。なまえは本をすぐに本を閉じ、防衛のために腕を突っ撥ねる。
「いいです、やめてください!」
「いいから、いいから。ほら、夫婦!僕らは夫婦!」
などという下らない攻防の末、抵抗するのに疲れたなまえが折れて、五条の気が済むまで抱きしめられていたのだった。