11.相互理解に至らず
悪阻は思っていたほどひどくはなかった。その期間は家にお手伝いとして五条家の人間が来ることもあったが、それも詳しい事情は告げられなかった。どこまでも徹底して、なまえが妊娠したということを隠すようだ。
五条も生まれてすぐに賞金首になった経緯がある。生まれてくる子どもの安全を考えれば、それくらいやって当然だとも言える。なまえは戦える呪術師だが、身重であればいつもどおりに戦えるわけがない。
五条悟の子どもを宿すというのは、そういうことだ。
そういう普通とは異なる妊婦生活だったが、それでも腹が膨らんでいき、胎動を感じたりすると……なまえも人並みに母性が芽生えていった。なまえがそんな自分自身に、驚く程度には。
そんななまえと対照的に、五条は相変わらずだった。だが……、五条もなまえの腹に触れるのだが、その時だけはやはり壊さないようにという触れ方をしていたので、なまえはこの人なりに思うところはあるんだろうなと考えていた。
「──男の子だな」
検診のときに家入からそう言われ、なまえは感慨深く呟いた。
「もう性別が分かるほど成長してるんですね」
「性別に関しては特にないんだな」
「そうですね。どちらでも大丈夫です」
特に産まれてくる子どもの性別に関して、なまえにこれといったこだわりはなかった。唯一こだわり……願いがあるとすれば、ひとつだけ。
「性別がどちらであっても、中身が五条先輩に似て欲しくないですね」
顔が似る分には特に問題は無い。五条のことを嫌ってはいるが、五条の見目がいいことはなまえも分かっている。
中身だけは本気で似ないで欲しいと、なまえは願っていた。家入は切実ななまえの願いを聞き、
「確かにそれは、重要事項だな」
と、割と本気で共感した。ガチの真顔で。
五条と同期の家入が言うと、説得力が違う。長いこと五条の性格がアレな部分を見てきてるため、家入はなまえがそう願うのも当然だと思った。
「クズからストレスかけられてないか?」
「前からですけど、前以上にイラつきますね」
「妊娠中は情緒不安定になるからな。あまりにひどいようなら、暫く帰ってくるなと言っておくといい」
「まぁ、ほとんどいないからそこまででは無いかなと思います」
家入にあえて言わなくてもいいかと思ったが…意外なことに五条は、いる時はなまえの膨らんできている腹に触れたり、耳を当てたりしたりしてる。
最初は妊婦と触れ合うなんてしたことなさそうだから物珍しいのだろうとなまえは思っていたが、そうでもなさそうだと気づいた。気づくと、この行動は五条悟らしくないなとなまえは思った。
父親の自覚か?と思ったが、見た限り軽薄さとかクズさとかは変わりがない。多少の配慮は、普段よりあるかなというレベル。
行動の不一致が見られる。そのチグハグさが、小さな違和感としてなまえの中で残っていた。
だから、まるで父親のように─実際腹の子の父親なのだが─振る舞う五条を見て、嬉しいとか絆されるとかならなかった。
「検診どうだった?」
その日、実に久しぶりに帰ってきた五条から聞かれた。前より大きくなったじゃんと、五条はなまえの腹を撫でた。1ヶ月近く帰れてないため、記憶よりも大きくなったなまえの腹に、五条は驚いていた。
この驚き方は特に違和感は無いのに、腹を撫でる優しさが、なんだかちぐはぐに思った。
「性別が分かりましたよ。男の子です」
「そっか」
どっちでもいいかなと言うだろうなと、なまえは思った。
「どっちでもいいけど、健康ならそれでいい」
「──……」
言葉は、人として、父として、真っ当で。
それでいて慈しむような表情をしていた。
その時の言葉と表情が、なまえの記憶からある人物を思い出させた。
(……ああ、そうか)
恋人のような抱かれ方をしても、絆され無かった。嬉しいとか、照れくさいとも思わなかった。父となる自覚を得た男のように振る舞われても、らしくないくらいにしか思わなかった。
その理由が、分かった。
(先輩、全部、夏油先輩ならこうするだろうなって基準に則って、振舞ってますよね)
恐らくは、五条も無意識だろう。
意識してそうしていたら、なまえももっと早く違和感を募らせていただろう。
「……なまえ?」
反応のないなまえを、怪訝そうに見つめてくる六眼の瞳。煌めくそれは一流の職人が作ったガラス細工のように、無機物めいた美しさがある。
「先輩、」
気づいたことを言いかけて、飲み込んだ。
言って、どうなるのか。どうしたいのか。なまえ自身にも、分からなかったからだ。ただ、違和感を覚えたまま、甘んじて受けるのはできないなとだけ、なまえは思った。
「先輩は……私、のことを……」
「──うん」
何か大事なことを言おうとしてるのだろうと思った五条は、先を急かすことなくなまえの言葉を待つ。思えばこういう気遣いも、彼は夏油傑から学んだのだろう。
なまえは、前から、思っていた。
五条悟は精神構造が人間のそれから、だいぶ離れたところにいる。人間らしい振る舞いなんかを学んだ神様か何かのようだ、と。
「私のことを大事にって、前より思ってくれてるのは、分かります」
どうでもいいと思ったら、利用価値こみで多少融通を効かせることはあれど、そういう感情がなかったら五条はここまでしない。
それは、間違いないとなまえは分かるし言い切れる。
「でも、その……先輩、あなたが私を、少しでも愛そうとか、慈しみたいとか、万が一もしかしてひょっとして思っていたら」
「え。そこまで言うくらい、僕の気持ちとか伝わってないの?」
「言ってて気持ち悪いからそういう言い方してしまうだけです。──じゃなくて、ほんとにそういう気持ちがミリ単位でもあったら……先輩のやり方で、いい」
というより、自分の愛し方も知らないような男に、他の男のやり方を真似たような方法で愛されても、なまえは嬉しくないと思った。なまじ、模倣先がよく知る男だと、なおさら。
唐突にそんなことを言われた五条は、珍しくきょとんしとしたあと、
「変なこと言うなー」
と、なまえの気持ちなど察することなく、少し笑った。
結局、なまえが伝えたかったことは生涯伝わることはなく…いや、もしかしたら伝わっていたのかもしれないが、五条が改めることはしなかった。
なまじその行動に五条の本心が混ざってる分たちが悪く、なまえもまたそれ以上言葉を尽くすことができず、この件に関して2人の見解や意識が交わることはなかった。