06.不完全性覚悟
五条悟は軽薄で適当な性格をしている。
それで割を食うのは、当然ながら周囲の人間だ。生徒に自分の仕事を宛てがうのも、その一つだ。そして今回割を食ったのは、すでに2級である伏黒だった。
「ずんだ餅」
そんな伏黒に対してお土産を要求したなまえは、イラッとした表情を伏黒から向けられる。が、なんのそのである。もはやその表情にも慣れたもので、なおもおねだりを続ける。
「だって、行ったことないし本場の食べてみたいの。ね、いいでしょ?お金なら後で払うから〜!」
しかしなまえが伏黒の態度に慣れてるというのであれば、伏黒もまたなまえのこういったおねだりにも慣れているので、華麗にスルーして伏黒は仙台に出発した。
残されたなまえは通常授業をこなしつつ、2年の先輩たちに体術をシゴかれることになった。
「で、実際のとこどーなの?」
パンダと組手をしてる最中、なまえはパンダからそう聞かれ首を傾げる。──ながらも、パンダに足払いをかけるが、膂力と体幹・実力差から崩すには至らない。体勢を立て直し、なまえは質問の意味をパンダに問う。
見た目がパンダ……呪骸で人のように生活しているパンダもまた、呪術師だ。
「何が、どうなんです?」
手に着いた土を払いながら問いかけてきたなまえに、パンダはキャッキャッウフフと花も恥じらう女子のような反応を見せる。
「恵との関係に決まってるだろ〜?」
「はぁ……関係もどうも、変化も何もありませんが」
なまえが淡々とそう答えると、パンダはあからさまにシラケた。さっきまでのテンションはなんだったのかというほどの、落差である。こうもがっかりされると、なまえは困惑するしかない。
「そういうの期待されても困りますって」
「だってそういう楽しみもあるっていいじゃん?」
「人の関係を面白おかしく見ないでくださいよ」
「だべってるだけなら代われよ」
「しゃけ」
割って入った2人の声……眼鏡をかけた黒髪ポニーテールの呪術師、2年生の禪院真希と、口元を隠しておにぎりの具しか語彙がない2年生の狗巻棘だ。
なまえは今、パンダ・真希・狗巻の3人とローテーションあるいは2対1で体術の訓練をしている。体術だけなら伏黒より抜き出てるため、なまえは2年生と組手をするのがちょうどよかった。
「それともだべりながらまとめて相手するか?なまえ」
「それはしんどいですねぇ」
なまえはしんどいと言いつつも、嫌とか無理だとか言わない。その反応に、真希はメガネの奥の目を細めながら「こういうとこは可愛げねぇよな」と言う。心外な、となまえがむっとする振りをして見せた時、だった。
「や、励んでるね」
五条が現れた。よっと、軽い調子で右手を上げながら。いつものような軽薄さと神出鬼没ぶりなので、この場にいる誰も動じない。
その空気を五条も気にすることなく、用件を告げる。
「僕もちょっと仙台に行くことになったから、なまえは通常授業受けつつしばらく2年生と体術特訓してね」
「恵に任せたんだろ?例の呪物の回収」
暗に何かあったのかと真希は問う。
言えないような内容なら、わざわざ大っぴらに言いに来ないだろうという前提の問いかけだ。もちろん、その通りなので、五条はなんてことないように返す。
「どっか行っちゃってるみたいなんだよね、呪物。念の為僕も行ってくるよ」
「最初から先生が行けば早かったんじゃ」
慣れない先生呼びをしながらもなまえが突っ込めば、パンダ・真希・狗巻は揃って頷いた。が、そんな正論で何かが堪える様なかわいい性格をしていないのが、五条悟である。
「イレギュラーな事態を体験させるのも、大事なことだからね」
しれっとそう言いながら、じゃあよろしくねと高専を後にしていった。
「……あの馬鹿に育てられた割に、お前ほんとまともに育ったな、なまえ」
「しゃけしゃけ」
真希の言葉に深く深く同意する狗巻と、うんうんと頷くパンダ。
根は素直ななまえ。
現在形で五条悟が保護者をしている、少女。
最初3人はどんなひん曲がった性格のクソガキだろうかと思っていたのだが、実際に可愛げがなかったのは伏黒恵のほうで、なまえのほうは「ほんとに10年以上あの馬鹿に育てられたのか?」と何度も確認したくらい、呪術師にしては「いい子」だった。その衝撃たるや。言葉に表しきれないほどである。
感慨深くしてる先輩たちに対し、なまえはさらっとこう答えた。
「反面教師ってやつですよ」
仙台で特級呪物を回収するだけの任務。
それだけだった。それだけの、はずだった。
様々な事態が重なった結果、その特級呪物は一応回収できたが、完全な意味での回収とは言えない。
高校生……虎杖悠二が呪霊と対峙するために、取り込んでしまったのだ。
通常の呪物でもアウトだが、今回虎杖が取り込んでしまったのは、呪いの王・「両面宿儺」の指である。特級も特級、呪物の破壊すらままならず、封印し続けるしかなかったものである。不幸中の幸ともいうべきか。虎杖は「両面宿儺」に適応し、その体と精神が両面宿儺に乗っ取られるというのは免れた。が、規定に則れば虎杖は即秘匿死刑にかけられるところだが、伏黒は五条に助けてやりたいと訴えた。私情である。五条はそれを是とし、上と掛け合い、「どうせなら呪物全て虎杖に食わせた上で殺せばいい」という執行猶予をもうけさせた。
かなり、上に譲歩させたといえる。
同じような身の上であるなまえは─なまえは虎杖と違い先天性だが─、かなり五条が頑張って交渉したなというのは分かったが、それはそれである。
「そのイタドリくんって子は、割とましな結果に落ち着いたのはよかったと思うよ」
「でしょ。がんばったよ」
いつもの調子の五条だ。
それが、なまえは今回は無性に腹が立って仕方なかった。
「でも、恵は大怪我して帰ってきた」
他人に反転術式が使える家入硝子がいるとはいえ、頭に包帯を巻き、ガーゼをつけて帰ってきた伏黒を見た時、なまえは肝が冷えた。
そのことを、なまえは五条に当たらずに居られなかった。
だが当の本人である五条は、顔色ひとつ変えない。ただ淡々と、告げる。
「呪術師の仕事に絶対に安全なものなんかない」
「それは」
「うん。頭では理解出来てて、気持ちの面で追いついてないのは分かるよ。でもね、なまえ」
五条悟は身内に甘い節がある上、彼なりに幼い頃から見てきたなまえと伏黒は気にかけている。だが、だからといって必要以上に甘やかしてダメにするつもりはない。場合によっては、なまえと伏黒にきつく接することもある。
「死ぬ時は死ぬ、怪我する時は怪我する。それは僕もだし、なまえもだし、恵もそうだ。そのことはもっと、覚悟と理解を深めた方がいい」
「……」
そういう世界だと、なまえとて分かっている。
だが、まだ不条理に折り合いをつけれるほどの経験がない。
(でも、今回のことはそういう意味ではいい経験になった)
なまえは自分の周囲の人間の変化や……失うということを、恐れている節がある。五条はその原因を知っているが、とやかく口を出したり無闇に手を出さないと決めている。なまえが自分自身で乗り越えなければ、意味が無いからだ。
「仲間を慮るのは大事だよ。そこは、そのままでいい」
これは五条の本心である。だが、同時にひどく残酷なことを言っている自覚もある。
切り捨てろ、割り切れという方が楽なことだってある。しかし五条は、そうしない。五条が育てたいのは感情のない機械のようなものではない。呪術師だ。呪術師は人間だ。人間だからこそ、なまえのような事態に陥る。
だから五条は、否定はしない。そのままでいいから、覚悟だけはしろと言う。
「……うん。ごめんなさい、五条先生」
「悟お兄ちゃん」と呼ばないところに、五条は笑みを浮かべる。
切り替えは少しずつ出来ているようだ、と。
実際、なまえは一生懸命に噛み砕いて飲みこもうとしている。
「よし、心構えに関しては終わり!」
明るい声を出し、五条はぽんとなまえの背を押した。
教師と生徒の時間は終わりだ。
保護者としてーなけなしの兄としての自覚を伴ってー、なまえに接する。
「恵の治療、そろそろ終わる頃だ。いっておいで」
「……うん。悟お兄ちゃん」
歩き出すなまえ。
呪術高専に入学して、なまえはまだ2ヶ月。呪術師として働き出したのも、2ヶ月。なまえのこれまでの人生15年のうち、たった2ヶ月だ。
(まだ甘ちゃんなところがあるけど、成長してるところもある)
そう思いながら見慣れた小さな背中を見ている五条。ふと、なまえは足を止め振り返る。
「悟お兄ちゃん、おかえり」
幼い頃と変わらぬその笑みを見て、五条は黒い目隠しの下の目を細めた。
「ただいま、なまえ」
伏黒の部屋の戸をノックするも、返事はない。呼びかけても返事がないが、扉は開いていた。不用心なとなまえは思ったが、よくよく考えるとここでは確かにあまり鍵はかける意味は無いかもしれないと思い直した。思い直しながら、勝手知ったるなんとやら。伏黒の部屋へと、入る。
「恵?」
呼びかけながら歩みを進める。
ベッドが、膨らんでいる。
そっと口を閉ざしてベッドを覗き込むと、伏黒は眠っていた。
いつも無表情か不機嫌。そんないつもの可愛げのない様子は伏黒になく、穏やかに眠っていた。家入の治療を受けたから苦しみはないのは、当たり前だ。だが、伏黒の寝顔を見て、なまえはようやく安心できた。
「……おかえり、恵」
そっと伏黒の黒髪を撫でてから、なまえは静かに伏黒の部屋を後にする。
仙台で大変なことになっていた伏黒が、良い夢を見れるよう祈りながら。
なるだけ音を立てないよう扉を閉めながら、なまえは五条の言葉を思い返す。覚悟だけはしておけ、と。
「……恵が死んだらいやだってでもでもだってってみたいな風に思っちゃうのは、覚悟できてないことになるのかな」
自分の頭の中にあるごちゃついたものを整理するようにぽつりとこぼして、なまえは伏黒の部屋から離れる。
死ぬときは1人。
そして死ぬ時は、驚くほど呆気ない。
人間は、脆い。
どんなに足掻いても、呪力で体を守っても、願っても、壊れる時は壊れてしまう。
その「瞬間」だけは、平等に訪れる。
(知ってるよ、分かってるよ)
脆さや恐ろしいくらいに平等なその瞬間を知っていても、常に死ぬかもしれない任務に着いていると分かっていても、それでも思うのだ。
どうかあの人が死にませんように、と。