09.善と悪
──2018年 7月 西東京市 英集少年院、運動場上空。
特級仮想怨霊(名称未定)、その呪胎を非呪術師数名の目視で確認。
「『受刑在院者第二宿舎』。5名の在院者が現在もそこに呪胎と共に取り残されており、呪胎が変態を遂げるタイプの場合、特級に相当する呪霊に成ると思います」
雨が降る中、補助監督の伊地知は、必要事項を的確に告げる。
特級……!!と、伏黒・釘崎・なまえの表情が強ばったりする中、
「なぁなぁ、俺、特級とかまだイマイチ分かってねぇんだけど」
と、虎杖が言う。これに釘崎は、お前またかと言いたげになるので、「悪いのは教えてない五条先生だよ」となまえは虎杖のフォローを入れる。実際、適当な性格の五条が悪い。
伊地知は虎杖に分かりやすく、呪霊の階級について説明した。それを補足するように、伏黒が続ける。
「本来、呪霊と同等級の術師が任務に当たるんだ。今日の場合だと五条先生とかな」
「で、その五条先生は?」
現場にはきていない。
今日この現場にいる大人は、伊地知だけだった。あとはなまえたち1年生しかいない。
「出張中だよ」
「そもそも、高専でプラプラしてていい人材じゃないんだよ」
五条が出張中なことから分かるように、今日は本来なら現場に赴くような任務の予定はなかった。つまり、これは
「この業界は人手不足が常、手に余る任務を負うことも多々あります。ただ今回は緊急事態で異常事態です」
伊地知のメガネは雨に濡れながらも、まだ若く幼い、1年生たち4人を、しっかりと映している。そのメガネを押し上げながら、言い聞かせるように伊地知は言った。
「『絶対に戦わないこと』、特級と会敵した時の選択肢は、『逃げる』か『死ぬか』です。自分の恐怖には、素直に従ってください。君たちの任務はあくまで、生存者の確認と救出であることを忘れずに」
しとしとと降りしきる雨に打たれながら、なまえたちは伊地知の言葉を聞く。幾多の現場を見てきた伊地知の言葉には、重みと説得力があった。
それぞれが覚悟を決める中、不意に第三者の声と気配がした。
「正は、息子は、無事なんでしょうか」
中年の女性だった。
息子の安否を案ずる、母だった。
これに胸を痛めたのが顔に出たのは、虎杖だった。
心配でたまらないといわんばかりの女性と、なまえたちの間に、伊地知が立つ。こういう時に矢面に立つのは自分たちの仕事であり、大人の務めだと伊地知は分かっている。
「何者かによって施設に毒物が撒かれた可能性があります。現時点でこれ以上のことは申し上げられません」
用意されたテンプレートの言葉。面会に来ただけの女性は、何が何だか分からぬまま、その説明を受け入れるしかなく……そのまま関係者に連れられ、現場から離れていく。不安と心配に涙を漏らすその姿は、善良な母のそれだった。
「伏黒、釘崎、みょうじ。助けるぞ」
虎杖は、名前を呼んだ3人を見ながら真っ直ぐな眼差しで言った。
「当然」
決意新たに野薔薇は答えた。
伏黒は答えず、無言。なまえは……何も、言えなかった。
帳がおろされ、夜のように空は漆黒に塗りつぶされていく。虎杖は帳を初めて見たので、声をあげる。
「夜になってく!」
「"帳"。今回は住宅地が近いからな。外から俺たちを隠す結界だ」
突入前、最後の準備である。
伏黒は手を組み、影絵を作る。するとその影から、伏黒の式神である玉犬の白い方が現れる。これが伏黒の術式、「十種影法術」だ。
「呪いが近づいたらこいつが教えてくれる」
「私も出そうか?」
「いや、お前のは最終手段だ」
安全を期すに越したことはない。ほぼノーモションで堕児を出せるなまえの消費を避けるべきだと、伏黒は判断した。余力があるなら最初から出しておく方がいいが、今回は事態が事態だ。特級と会敵した際の足止め要員としてと考えるなら、伏黒の式神よりもなまえの堕児の方が向いている。
「行くぞ」
伏黒、虎杖が扉を開け、初めて内部の様子がなまえたちの視界に入ってくる。事前情報として見せてもらった内部の構造通り……では、なかった。
そこは、室内のはずだった。
しかし、目の前に広がっているのは、街だった。
「??どうなってんだ、二階建ての寮のはずだよな、ココ」
「おおお落ち着け、メゾネットよ!」
「…………」
「違う、これ……」
知ってる、となまえはこぼす。同時に、足を踏み入れたここが、ヤバいと本能的に察した。あの伏黒でさえ、圧倒されている。
「これ、呪力による生得領域の展開……だけど、こんな街一個相当と思えるほどのなんて……!」
「!扉は?!」
伏黒の言葉で我に返り、全員が振り返る。
振り返ればここと外の境目である扉があるはず……だった。扉は跡形もなく消え失せ、そこには無機質な壁があった。
「ドアがなくなってる!!なんで?!今ここから入ってきたわよね?!」
慌てる虎杖と釘崎。それを後目に、伏黒は屈んで玉犬に触れながら問う。
「大丈夫だ。コイツが出入口の匂いを覚えている」
「わしゃしゃしゃしゃしゃ」
「ジャーキーよ!!ありったけのジャーキーを持ってきて!!」
「緊張感!!」
「いや、変に落ち込んだりするよりかはいいよ」
喜びのままに玉犬を撫で回す釘崎と虎杖。こういう明るさは、こういった事態にあると有り難いものだ。……なまえと伏黒が落ち着きすぎてるだけ、なのかもしれないが。
「やっぱ頼りになるな、伏黒は」
玉犬を撫でながら、虎杖は屈託なく笑いながら言う。
「オマエのお陰で人が助かるし、俺も助けられる」
「…………進もう」
伏黒は虎杖の言葉に答えず、先へと促した。その横顔を見ながらも、なまえは何も言わない。
匂いをたどれる玉犬がいるため帰り道は問題ないと分かったが、先へと進むと来た道がなくなる。どういうことかというと、来た道がすべて壁になっているのだ。後に戻れない、というか、誘い込まれてるのかなとなまえは考える。
道筋も一本道ではなく、本当に街のように路地が入り組んでいる場所もある。そういった場所に入ることはできても、一度出たら戻れなくなっているのだ。
(……呼んでる?どうなんだろ)
たまに開けた場所に出るため、そこで逐一生存者の確認をする。進んで開けた場所に出るためそうしていたが、何度目かのときだった。
ひく、と、なまえは覚えのある匂いを捉えた。玉犬も、同じように反応している。
「……血の匂い」
なまえの呟きに、伏黒たちの空気が張りつめる。
「どっちからだ?」
「分かんない、一瞬しただけで……」
「玉犬」
玉犬は頷き、4人を先導して歩き出す。
玉犬のあとに続きながらも警戒は怠らずに、進む。いや、血の匂いが感知された時点で、警戒は先程よりもしている。
「アンタ、鼻がいいのね」
「ちょっとだけね」
まだ話せる余裕がある。そのことに安堵しながら玉犬のあとに続くと、少しずつ血の匂いが濃くなってきた。かなり、きつく臭っている。殺されたばかりだろうか。生きていたら僥倖、と、なまえは判断した。
血の匂いが一等濃くなったところで、開けた場所に出た。が、今度は探さずとも、そこにあった。
紙くずを丸めるかのようにぐちゃぐちゃに折り込まれた肉塊が2つ、下半身がなくなった遺体が一つ。
「惨い……」
釘崎は口を覆いながら、そう零した。
虎杖は、下半身がなくなった「比較的」きれいな遺体に歩み寄っていく。
「3人……で、いいんだよな」
「2人が一つとかにされてなければ……」
5名のうち、少なくとも3名が死んでいることになる。なまえが言ったように、2人が1つにされてなければの話になるが。そうなってるかどうかは、残りの2人の生存確認が取れない限り、分からない。
「この遺体、持って帰る」
遺体に歩み寄り、何かを確認していた虎杖はそう言った。
「え」
「あの人の子供だ」
あの人……さきほど、息子の安否に涙を流していた女性だろう。なまえも彼女の様子には胸が痛くなったが、……虎杖の提案には、頷けなかった。釘崎も、同じようだ。
「顔はそんなにやられてない」
「でも、」
「遺体もなしで『死にました』じゃ、納得できねぇだろ」
「虎杖くん、」
なまえが何か言うより先に、伏黒が動く方が早かった。屈んで遺体を見ていた虎杖の制服を掴み、無理矢理立たせた。
「あと2人の生死を確認しなきゃならん。その遺体は置いていけ」
「振り返れば来た道がなくなってる。後で戻る余裕なんかねぇだろ」
「『後にしろ』じゃねぇ、『置いてけ』っつったんだ」
伏黒の語気が強まっている。感情的になっていると、なまえが2人の間に割って入ろうとするも、間に合わなかった。
「ただでさえ助ける気の起きない人間を、死体になってまで救う気は俺にはない」
聞き終わるやいなや、虎杖は伏黒の胸倉を掴んだ。
怒っている、となまえと釘崎は理解した。が、虎杖は伏黒の胸倉を掴んだだけだ。虎杖はそのまま、伏黒に問う。
「どういう意味だ」
「ここは少年院だぞ。呪術師には、現場のあらゆる情報が開示される。
虎杖は、その情報を見ていない。虎杖を包んでいた怒気が、揺らぐ。伏黒は、胸倉を掴んだまま、虎杖に問いかける。
「オマエは大勢を救い、正しい死に導くことに拘ってるな。だが、自分が助けた人間が、将来人を殺したらどうする」
「じゃあなんで、俺は助けたんだよ!!」
「いい加減にしろ!!」
釘崎が、割って入った。
それを見たのが、なまえの最後の光景だった。
「──は?」
口をついてでたのは、疑問の声だった。
いきなり視界が黒く塗りつぶされた。そう、感じた。が、実際は違う。あの場から、なまえだけ違う空間に取り込まれた。
「っ!」
玉犬の反応は?──なかった、反応する前になにかやられた?・視界は意味が無い、真っ暗だ、まだ目が慣れてない・肌を刺すような気配がする……。
瞬間的に得た情報から判断し、スカートに隠したサバイバルナイフのような呪具を取り出して、なまえは構えた。
(嘘でしょ……なに、この数の呪い……!)
まるで子どもがたくさん捕まえた虫たちを1つの虫かごに放り込んだかのような、濃密な呪いの気配。何十……いや、百近いであろうそれに、いやな汗が伝う。気配が濃すぎて、どの等級なのかも判じあぐねる。そんななまえを嘲笑うように、暗闇から何体かの呪霊が姿を現した。
「……いいよ、ちょっと目も慣れてきた」
別の空間だが、先程の場所と同じような街並みだ。生得領域の中に、こういう風に呪霊が溜まっている場所があるのだろう。そこに引きずり込まれた、それだけだと割り切りながら呪具を構えつつ、
「悪いけど、こんなところで死んでる場合じゃないの」
なまえは、堕児を産み出し、呪具の角から現界させた。1匹ではない。数十匹の堕児を、呼吸をするかのように生み出して、現界させていく。その空間は呪霊と、なまえが産み落とした堕児の気配で満たされる。
「喰い殺して!」
なまえの声を合図に、堕児たちは呪霊へと踊りかかる。呪霊もまた、なまえ目掛けて突っ込んでくる。なまえは堕児の隙間をぬって自分へと襲いかかってくる呪霊に対し、一縷の躊躇もなく呪具を突き立てて切り裂いた。まるで本物の肉を裂くかのような感触だが、なまえに嫌悪と恐怖はない。
切り裂いて斬り捨て、堕児達も喰い殺していく。
呪霊たちの断末魔や嬌声が、耳障りなほど響き渡る。
イチ、ニ、サン、ヨン……ジュウ……ニジュウ……途中から数えるのも面倒になり、呪具を振り上げる手に疲労を感じるようになってきた。堕児たちに問題は無いが、母たるなまえの変化に気づき、攻勢から守りに転じる。
(……呪力より、私の体力がもたない)
一人で切り伏せていたとはいえ、異様に体力が減り、疲労が蓄積している。異常な現状に神経をすり減らしてるから?と考えるも、それだけではないように本能的になまえは思う。なぜなら、アドレナリンの効果か、意識ははっきりしているからだ。
(となると、体力を奪うとか、そういう呪いかな)
その可能性も視野に入れながら堕児達に守りを任せて、自分の体力回復に努めよう。そう判断した時、だった。
突然、眩い光が差し込んだ。かと思うと、羽ばたきの音がして、何かがなまえを掴み、浮上する。
「……めぐ、み」
「なまえ!」
光の方から、伏黒の声がした。光に慣れた目は、心配と焦りで自分に向けて手を伸ばす伏黒を捉えた。なまえは伏黒の式神……鵺に運ばれながら伏黒へと手を伸ばし、その手を掴んだ。伏黒はそのままなまえを引き上げ、扉を蹴って閉めた。
蹴飛ばした勢いのまま後ろに倒れそうになったので、なまえを抱き込みながら受身をとる。
「なまえ!大丈夫?!」
「なまえ!」
ボロボロの釘崎と、必死な形相の伏黒から覗きこまれた。安心させようとなまえは笑おうとするが、うまく笑えたかよく分からなかった。
「……聞こえてる、大丈夫……でも、ちょっと……疲れた」
「すぐ逃げるぞ!釘崎、走れるか?!」
「私はまだ大丈夫!」
恵はなまえを抱え直し、立ち上がって走る。釘崎もそれに続く。抱えられながら、なまえは伏黒の足元を走るのが玉犬……黒い方だということと、虎杖の姿がないことに気づいた。
「……恵、」
「あとで話してやる!」
今はとにかく黙って運ばれろ、ということらしい。
そのままなまえは伏黒たちと脱出をしたが……虎杖は、──死亡した。