05.浸るならば感傷よりも



五条から伏黒恵と舞野輝という2人を紹介されたが、なまえはたまにしか関わらなかった。五条が出張任務などでいないときに、代わりに伏黒の修行についたりだとか。

(伏黒くんの方はいいとして、舞野さんの方なんだよなぁ……)

小学校に通っている伏黒に対し、同い年である輝は小学校に通っていない。今、輝は、五条となまえの家で算数のテキストを解いている。その様子を、なまえは複雑な胸中で見ていた。

なまえは舞野輝に関する事情は表面的にしか知ってなかったが、監視役を代行するにあたって上層部から詳細の情報と「舞野輝の監視・抑止に関してはみょうじなまえの術式行使を認める」という通達が来た。その時点で舞野輝という子どもが、特殊だというのは明らかだ。

──特級神呪。
それが上層部が、舞野輝が生まれながら持ちえた術式に関して付けたカテゴリーだ。
分からないからそういった名称を与え、それで分かった気になり、制御しようとする。これもまた、ある種の「呪い」だ。さらにそこに、五条悟・夏油傑の2人で「舞野輝」という人間になる呪いをかけた。二重の呪いでやっと、彼女は人としての生を歩めるようになった。
そして、得体の知れない「特級神呪」は、「舞野輝」の「術式」に成り下がった。

舞野輝の術式は、後方で何かを使役する呪術師のそれに近い。しかしその何かが、得体の知れないものだ。
全てが角度で形成された、丸い部分がひとつも無い獣のような何か。
分かっていることは、120度以下の鋭い角を通って出現するという性質があること。出現時は青黒い煙のようなものが噴出し、それが凝って実体を構成すること。出現の直前のみ異臭を伴うこと。一度狙いを定めると何処までも追いかけ、仕留めること。
対処法は、角のないところに逃げ込むことか、それに負けない呪術師をぶつけるしかない。
前者の方法が見つかるまで犠牲になった者も存在するが、基本的に舞野輝に何かが起きない限り、無害だ。しかし最初の頃はその判断は舞野輝ではなく、「獣のような何か」がしていたため、事故が起きてしまっていた。舞野輝の情緒が不安定だったのも原因である。

現在は五条の庇護下におかれ、至って普通の子どもにみえる。ここまでなるのに、五条達の周囲のサポートもさることながら、本人も大変だったろうなとなまえは想像できた。
生まれながら持ってきた術式に振り回される呪術師も、少なくはない。それで非呪術者から排斥され、迫害される者もいる。そういう、世界だ。

「なまえさん、終わりました」

テキストを解き終わった輝が、そう声をかけてきた。採点のためになまえはテキストに手を伸ばした。
成否は別として、ここまでやろうというノルマよりも多く解いていたため、なまえは目を瞬かせた。

「ずいぶん、がんばりましたね」
「早く、小学校に行きたいから」

恵と一緒に通うんですと楽しみだとばかりに笑う輝を見て、なまえはあの日、湖に沈めた腕の主のことを思い出した。



「しばらく任せちゃって悪かったね」

飄々とした調子でいいながら、お土産のもみじ饅頭を渡してくる五条。なまえは受け取りつつ、内心また甘いものかと思っていた。
甘いものも好きだが、五条が買ってくるものは甘いものばかりなので、しょっぱいものが欲しくなることもある。いや、五条の性格を考えると買ってくるだけいい方かと思い直しておくことにした。

「いいえ、2人とも誰かさんと違っていい子なので問題なかったです」
「なまえを困らせてる奴がいるの?よくないねぇ、それは」
「鏡見て貰えますか?そしたら誰なのか一目瞭然なので」

学生時代と変わらないやりとりをしつつ、なまえはもみじ饅頭をおやつ棚(と五条が呼んでいる棚)に仕舞う。五条はダイニングテーブルの椅子に腰を下ろしながら、目元を隠している布を解いてサングラスに戻し、なまえに声をかける。

「なまえ」
「はい?」
「寂しそうだね」

お茶を入れる準備をしていた手を止め、なまえは一呼吸おいてから五条を見る。五条の表情は、特段に変わりない。まるで今日の天気でも語るような気軽さで、人の心境に言及してきている。
なまえはいつもの表情を貼り付けながら、口を開いた。

「先輩の勘違いですよ。さ、それよりも疲れてるでしょうし、お茶飲んで落ち着いたらお風呂お先にどうぞ」

言いながらお茶を用意し、五条の前に置く。そのまま横を通り過ぎようとしたが、五条の手がなまえの手首を掴んだ。

「寂しいだけじゃなくて、なんか感傷に浸った?」
「……」
「僕はね、君の『弟』のことは書類上でしか知らない。だけど、もしかして恵たちといて思い出して辛いとかなら、」
「そういうのでは、ないです」

五条の手を引き剥がそうとしたら、その手も抑えられた。どうやら、この件に関しては五条は本気で引く気がないらしい。降参の意をこめて溜息をつき、なまえは手の力を抜いた。五条も離してくれたので、なまえは椅子をひいて座る。

(この人相手に胸中を話すのは、色々疲れそうだ)

嫌悪や苦手意識からくる思いは胸に留めながら、なまえは五条を見つめ直す。五条はずっとなまえを見ていたようで、直ぐに視線がぶつかった。どちらもそらすことは無い。そのままなまえは口を開いた。

「……思い出さないかと言ったら嘘になります。思い出した結果、寂しくないかと言ったら、それも嘘になります」

救われた命に、救えなかった命を重ねる。
それゆえの寂しさや、恋しさややるせなさはなまえにだってある。

「でも、それだけではないですよ。……だからこそ、ああ、頑張らないとって。弟との約束を、果たさないとって」

まだ覚えている、「弟」の声。
記憶からすぐ消えるのは、声からだと聞いたことがある。だが、なまえはまだ「弟」の声を覚えている。その「弟」の声が、寂しさややるせなさに浸る度に語りかける。
「自分たちのような人が、生まれないような世界になって欲しい。そういう風に、していきたい」と。
残照のように心にくすぶり、残響のように余韻を残しながら。

「……呪われてるね、なまえ」
「そう、でしょうね。私は、弟に呪われてるんでしょう。でも、いいんです。だから自暴自棄のままにならずに、済んでるんで」

五条の手が、不意になまえの頬を撫でた。
まるで涙を拭うようなそれだったが、泣いてはいない。
自分とは違う体温は、随分久しぶりな気がしたと思っていると、五条はそのままなまえの顔を軽く手で抑えた。払おうと思えば払える程度の力だが、なまえはそのままでいる。

「いいよ、なまえはそのまま呪われてて。でも、僕の妻という呪いにも、かかって欲しい」

嘘とも本気とも分からないような口調で言いながら、五条はそのままなまえに顔を寄せる。端正な顔が間近に迫り、唇が触れる刹那、

(ああ、抱かれるのか)

と、なまえはぼんやり思いながらそのまま五条の唇を受け入れた。
自分が感傷に浸り続けるより、よほどいいと。



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