「情熱的に愛されるのと惰性的に愛されるの、どっちが幸せだと思う?」
恋人の言葉に宇髄は首を傾げた。名前が何を意図して自分にその質問を投げ掛けたのか分からず、また始まったとため息をつく。
自分よりも二つ年上の彼女と出会ったのは大学の頃だった。
「すごい、芸術的な体」
宇髄自身も常識に囚われない人間であったが、流石に初対面の人間に対してこんなことは言わない。その上、許可も取らずにペタペタと自分の体を触り、なるほどと一人納得してどこかへ行ってしまった。この大学には芸術家気質の変わった人間が多かったが、彼女はその中でも群を抜いていた。突然の出来事に宇髄は、名前も知らない女の後ろ姿を呆然と眺めることしかできなかった。
変な女、それが名前に対する宇髄の第一印象だった。
宇髄が彼女の正体を知ったのは、それから半年後のことだった。
学祭の展示品を見て、あのときの女の正体が三年の名字名前だと気づいた。大学開校以来の天才と呼ばれるその名を知らない人間は大学内におそらくいないだろう。しかし、宇髄は彼女の名前は知っていたものの、それまで彼女の作品を見たことがなかった。
おそらく自分をモデルにしたであろうその絵を見て、天才だと、本物だと思った。
作品から視線を外すことができず、立ち尽くす宇髄の背中にぺたりと何者かの手が触れる。
「自信作、モデルは君だよ。宇髄天元くん」
何故彼女が自分の名前を知っているのかと疑問に思ったが、それよりもこの天才の生み出した奇跡に出会えたことに感動していた。
後々、話を聞けば名前は風景画や抽象画しか描かず、人物画を描いたのはあれが初めてだったらしく、各方々で大層話題となった。
何故人物画を描いたのかという問いに名前は、創作意欲を刺激されたからとだけ答えた。
自分の見た目が人より優れており、人目を引く容姿であることは自覚していたが、彼女の意図はきっとそうではないだろう。自分の何が彼女のそれにハマったのか分からなかったが、その後も名前は前触れなく宇髄の前に現れ、許可なく触り、匂いを嗅いだ。
彼女の目に自分はどう映っているのか。きっと彼女の見る世界は自分たちとは違っているのだろう。それは果たしてどんな世界なのか。他人と共有できない世界。天才は孤独だと聞いたことがあるが、彼女もそうなのだろうか。
「先輩は孤独だって感じたことあります?」
「ないよ」
そんな暇ないもの。そう言って彼女は笑う。
宇髄はその答えに肩透かしを食らったような気持ちになった。
「世界は美しいものに溢れている。私はそれに一つでも多く触れたいの、忘れたくないの」
忘れない方法として名前が選んだのが、たまたま絵であっただけで、方法は写真でも文章でも何でもよかった。
自然も、子供の澄んだ瞳も、母親が子供へ向ける愛情も、人工的な光も、心を揺さぶる音楽も、人間を取り巻く全てが美しい。自分はその感動を忘れたくないだけだと名前は言った。
こんなにも純粋な人間はいないだろう。宇髄はそっと名前に触れた。宇髄から名前に触れたのはそのときが初めてだった。
名前の腰に手を回し、抱き寄せる。果たしてこの恋人は今何を考えているのやら。天才の考えることはやはり分からない。
二人の関係が先輩、後輩から恋人になってもう何年も経つが未だに彼女が何を考えが分からないときがある。
「そりゃあ情熱的な方が幸せだろ、派手で」
「天元はそうだろうね」
含みのある言い方からすると彼女の意見は違ったらしい。惰性的な愛情。惰性という言葉にはネガティブな印象を受けるが、彼女はそれを望んでいる。名前の望む答えが分かっても、なぜ彼女がそれを望むのか、宇髄には理解できなかった。
「惰性っていうのはね、それまでの癖や習慣から無意識に同じような行為をすることを言うんだって」
そこまで言われ、ようやく名前の意図に気づく。無意識に同じような、変わらぬ愛が欲しい、そう自分に言いたかったらしい。試すような視線で自分を見つめる名前に宇髄はもう一度ため息をつく。
「遠回しにも程があんだろ」
肩を落とす宇髄を楽しそうに見つめ、ゆっくりと宇髄の首に手を回し、そっと耳元で囁く。
「惰性的な愛をちょうだい」
きっと自分はこの天才には一生敵わないだろう。そう思いながら、白く細い首筋に噛みついた。
お題:未明