遂に今日で高校生活も終わりかと名前は慣れ親しんだ風紀委員室をぐるりと見渡す。
名前は三年連続で風紀委員となり、今年度は風紀委員長を務めた。比較的真面目な方ではあったが、服装も勉強も個人の自由だからと他人に規則を強要するタイプではなかった。
そんな名前がなぜ三年もの間、風紀委員を務めたかといえば、学校をより良くしたいという高い志を掲げていたわけではなく、風紀委員になればこの学校で誰よりも風紀に厳しい体育教師に近づけるのではないかという下心からだった。
親の転勤によって、高校からキメツ学園に入学した名前は入学式で冨岡を一目見たその瞬間に心を奪われた。
それまで何人かに告白され付き合ったことはあったが、こんな衝撃は初めてだった。
そして、目論み通り冨岡に認識してもらうことに成功し、冨岡と話す機会も増えた。
スパルタ過ぎる冨岡の指導は問題視されることもあったが、言っていることは概ね正しく、他人に流されない冨岡を名前は好まく思っていた。
生徒の中にはごく稀に理不尽な目に遭う者もいたが、その理不尽なところさえ可愛いと思うのだから重症だ。
しかし、認識してもらえても冨岡と名前の関係は教師と生徒で、人一倍風紀に厳しい冨岡との関係が発展するはずもなく、あっという間に三年の月日が流れてしまった。学校に許可なく入れるのも今日が最後だと思うと急に寂しくなり、用事もないのに学校に来てしまった。
否、用事がないというのは嘘で、本当は自分の想いを伝えに来たのだった。おそらく自分の想いは一方的なもので実を結ぶことはないだろう。それでも名前は冨岡に伝えたかった。知って欲しかった。
そう思っていたのにいざ学校に着くと急に怖くなり、風紀委員室に逃げ込んでしまった。こんなの自分らしくないと自身を奮い立たせようとするも上手くいかず、気づけば一時間が過ぎていた。
そもそも冨岡が学校にいるのかどうかも分からないのに一体自分は何をしているのか。ため息をつき、項垂れるように机に突っ伏すとガラッと扉の開く音がした。顔を上げる気力もなく、後輩でも来たのだろうと当たりをつけ、そのまま目を閉じようとしたその瞬間、しっとりとほのかな甘さを帯びたその声が自分の名前を呼ぶ。
「…先生、」
「何してるんだ、名字。風邪引くぞ」
そこにいたのは誰よりも会いたかった人で名前は言葉を失う。何か言わなければ、そう思えば思うほど気持ちが焦り、言葉が出てこない。
「寝ぼけているのか?」
「いえ…、起きてます。ちゃんと」
「そうか」
素っ気ないように見えるが、冨岡が自分のことを心配してくれていることが名前には分かった。口数が少ないから勘違いされがちだが、冨岡が優しい人間だということを名前は知っていた。
「最後に見ておきたくて」
ずっと過ごしてきた場所だからと名前は嘘をつく。ばれていないだろうか。不安になりつつも沈黙が怖くて言葉を続けた。
「先生、私はいい生徒でしたか?」
「俺の知る限り一番優秀な生徒だった」
生徒という言葉に胸がチクリと痛む。あぁ、やっぱりだめだ。もう会えないなんて嫌だ。自分をちゃんと見て欲しい。生徒ではなく女として。気持ちが高ぶっていくのを抑えることができず、目から涙が溢れ落ちる。
いつも冷静な冨岡が目を見開き、驚きと困惑の入り混ざったような表情を浮かべている。やってしまった。そう思ったが、どうすることもできなかった。
「せん、せっ…す、き…」
我ながら何てひどい告白だろう。この状況で泣くなんて卑怯だ。好きな人の前では誰よりも正しくいたかったのに、誰よりも真っ直ぐでいたかったのに。
「今日はもう遅いから帰れ」
長い沈黙を破った冨岡の言葉はイエスでもノーでもなく、帰れだった。やはり冨岡にとって自分はただの生徒だった。人生初の失恋は思った以上に苦しい。
でも、せめて最後くらいはと涙をぐっと堪え、お世話になりましたと頭を下げる。顔を見るのが辛くて、顔を見ずに扉に向かい、手を伸ばす。
「明日、連絡する」
「あし、た…?」
声のする方へ視線を向けるも、冨岡は窓の方を向いていて表情が分からない。明日という言葉に期待してしまう、もしかしてと夢見てしまう自分がいた。
堪えていた涙が再び溢れ落ちる。人生で一番の喜びにじっとしていることができず、また明日と叫び風紀委員室を飛び出した。
「廊下を走るな!」
背後から聞こえたその声はいつもよりも優しい気がした。
お題:永遠少年症候群