「例えば明日、世界が滅びるとしたら、しのぶは何をする?」
突然そんなことを言い出した名前に胡蝶は眉をひそめた。
名前とはそれなりに長い付き合いだが、未だに彼女が何を考えているか胡蝶にも分からないときがあった。
胡蝶の反応を楽しみながら、浮き世離れした同僚はゆっくりと盃を傾ける。
「相変わらず性格が歪んでいますね」
「しのぶには負けるけどね」
挑発するように微笑むその顔はこの世のものとは思えないくらい美しい。
目鼻立ちがはっきりとしたその顔も、すらりと伸びた手足も、どこか日本人離れしていた。当の本人は自分の容姿が他人よりも優れているという自覚がないのか、不用意に他人に近づいてしまうから質が悪い。
「くだらないことを言っている暇があったら手伝ってください」
先日の那田蜘蛛山の一件で怪我人が続出し、猫の手も借りたいくらい忙しかった。
しかし、名前は胡蝶を見つめたまま、そこから動こうとしない。どうやら手伝う気はないらしい。
まったく、と心の中で悪態をつく。彼女が本気になればできないことはないだろうに。名前は必要以上に動こうとはしなかった。
戦闘能力だけでいえば名前の実力は現柱と遜色ないだろう。しかし、彼女は柱になろうとはしなかった。
昔、胡蝶は名前になぜ柱にならないのか尋ねたことがあった。
名前はたった一言、命に優劣をつけてしまうから、と答えた。それは自分だって同じだと言ってもこれ以上この話を続ける気はないと話題を変えられてしまった。
あの時、名前が何を思ってそんなことを言ったのかは今でも分からないままだった。
「私はね、明日世界が終わるとしても、こうしてしのぶと一緒にいたいと思っているよ」
しゅるりと着物が畳に擦れる音がして、後ろからぬくもりに抱きしめられる。くるくると遊ぶように自分の髪を指に巻き付ける名前に胡蝶は一つため息をつく。
「私、忙しいって言いましたよね」
「でも私はしのぶに構ってほしいのだから仕方ないよね」
何が仕方ないのか。名前は胡蝶が何かに夢中になると決まって邪魔をした。駄々をこねる子供のように。自分が一番でしょうと確かめるように。
それは友人の域を超えているように感じたが、胡蝶自身も心のどこかでこの関係を心地よく感じていた。
「もしそんな日がきたら何をしても無駄でしょうから、あなたと一緒にいると思いますよ」
「両思いだね」
ふふっと嬉しそうに笑う名前の吐息が頬をくすぐる。
「昔、私は命に優劣をつけてしまうって言ったこと覚えてる?」
名前の方に顔を向ける。いつもと同じように微笑んでいるはずなのに、どこか違う気がする。しかし、どこが違うのか分からず、胡蝶は名前の問いに静かに頷く。
「私はね、しのぶに死んでほしくないよ」
「・・・・・・」
今まで聞いたことのない、弱々しい名前の声に何も言葉が出なかった。もしかして、名前は自分の覚悟に気づいているのだろうか。
姉を殺した鬼に出会ったとき、自分は迷わず死を選ぶだろう。きっと名前を残して逝ってしまうだろう。
身体を名前の方に向け、涙で濡れた頬にそっと口づけをする。
「ごめんね、でもお願いだから止めないで」
自分の瞳からこぼれ落ちるそれに気づかないふりをして、胡蝶は名前を抱きしめた。
早くそんな日が来てほしいと思う自分とそんな日が来なければいいと思う自分。混在する思いに気づかぬふりをして、抱きしめる腕に力を込めた。
お題:3秒後に死ぬ