生きてあらばみまくも知らず

 異人さん、異人さん、どうか助けてくださいまし。其の美しい金鞘の太刀で。わたくしは身一つで生きて参りました。差し上げるものは此の命位しかございませんが。



「全く、世の事とは忙しないものだ」

 主人が謂う。全くだ、と異人の男は心中で同意した。

 この世には二種類の人間が居る。
 助けて欲しい人間と、そうで無い人間。そして青年は自分は後者だと思っている。

 彼の主は華族で在った。開国から数年。異文化を取り入れつつ、古き物を貴ぼうと誰もが右往左往していた時代。港の存在しない鄙ではまだ外国人は珍しかった。じろじろと彼を見る目は良くない色ばかり。然しながら彼は此の国に、其して現在の主に恩が在った。彼が斬らんとする忌物(いみもの)は所詮畜生と同じで分別もなければ善意も悪意も其処には存在せず、されど唯其処に在るということだけが厄介な事実で、故に異人の男は金鞘の太刀で其れらを滅し、主への貢献としていた。

「お前にも申し訳ない事をした。帽子でも遣れば良かったな」

 本当に細やかな事に気を遣う主であった。異人の男はかぶりを振る。構わない。此の髪が隠れた処で背丈やら肌の色でどうせ目立つだろう。

「然しああも縋られるとな、気分は良くないものだ」

 先程縋ってきた乙女を思い出す。想い人が狐に憑かれたのだと泣いていた。男が忌物を斬るのは主の商売である以上、金銭の遣り取りが難しい仕事は引き受けない。善行では無い。これは商売なのだ。
 胸が痛みすらしないのは己の心根が腐って居るからだろうと男は思った。


*


「此んな鄙に何の御用?」
「此れは此れは赤坂の嬢様」

 主の商売相手は此の鄙に隠居する男で在った。対応した赤坂の嬢様と呼ばれた娘は主の笑顔に不快そうに眉を顰めただけで愛想笑いすらしない。畳の上でぴんと背筋を伸ばし、父親よりも年配の男に物怖じせず毅然とした態度を崩さなかった。

「赤坂様の状態が芳しくないと、奥方様から伺いました。私達は赤坂様の為に――」
「もう、いいわ」

 す、と娘は瞳を異人の男に向ける。

「母が考えそうな事。知っています。其処の男、忌物を祓って居るとの話でしょう。成程、父の具合の悪さは其方にも伝わっているのですね。家名を落とすまいと、母が必死になるのも無理はありません」
「はい。此の男は異国の者ですが母国にて魔を祓うのを商いとして居りました。此方言う坊主や神主のお祓いと何ら変わりありませんよ」
「そう」
「ひとつ……確認させて頂いても宜しいでしょうか」

 異人の男が流暢に此の国の言葉を話したので驚いたらしい。娘はまあるい瞳をさらに丸くして、問うた。

「何でしょう」
「お父上が心配では無いのですか。貴女様からは情という物を感じません」
「……。さて、どうでしょうね」

 くすり、と娘は嗤った。紅い紅い唇が艶めいて見えたのを覚えている。





 結果は散々たる物だった。主は死に、娘の父親は死に、異人の男は漸く異形のものを斬り殺した。
 娘は泣かなかった。只全てを終えて力尽き、倒れ伏した男の前に立ち口を開かなかった。

「人は己を救うことすら難しい」
「……」

 ――異人さん、異人さん、助けてくださいまし。
 村で助けを求めてきた乙女を思い出す。自分は何も助けられ無い。憑かれた人も憑いた『物』も、救えない。
 だからもう助けなど求めないで欲しかった。

「死にたいのですか」

 娘の言葉は問いではなく確認だった。

(嗚呼)

 男は知る。此れは安堵。其れは安寧。

「私、知っています」

 娘は男が殺してきたどんな異形の物よりも幽美で、恐ろしい。此の娘の言葉はひんやりと重い。其れでいて的確に相手の急所を抉る。纏う空気は人間の『臭み』を感じない。死に寄り添う人間はこんなにも美しくて、まるで化物だ。

「貴方は苦しいのでしょう。でも、其の苦しさ。他人がどれ程望んでも手に入らないものなはず。だってそうでしょう。きっと狐憑きの娘は其の苦しさを手に入れてでも恋人を救いたかったはず。でもあのこはどんなに苦しんだって貴方の『苦しさ』は手に入らないもの。そして貴方にしてみればそんなのはいい迷惑なんでしょう?」
「……」
「私、貴方の事が嫌いではない。寧ろ好ましく思います。とても、とても。だからね、教えてくださいな。私に――助けて欲しいのですか?」

 身ひとつでしか助けを乞えぬのは彼も同じだった。血だまりで乞うのは、他人にしか頼めぬことだ。

「どうか、『助けて』下さい」

 血に濡れた汚い手で娘の頬に触れた。娘は微笑んで其の手に自らの手を重ねる。

「あたたかい人間の手で、其の最期を」

 だから娘は彼を『助ける』事に決めた。男は失血が多かったせいか其のまま気を失ってしまう。血を吸い、気を負い、身を尽くし。全くじたばたと足掻く此の男はしょうもない。

「でも父の願いを叶えて下さったもの」

 世を憎んで死ぬ事が悲しい事だなどと誰が謂ったのか。
 父は闘士で在ったのだ。憎い事を憎み続けて生きたのだ。厭うものを厭い尽くして生きたのだ。蛇の道であれ、向かう先はいつも同じだった。其れは寧ろ天晴ではないか。

「ありがとう、父の事をわかってくれて」

 腕の中で眠る男には聞こえていないだろうとわかっていて、娘は敢えて呟いた。

「だから約束します。今度は私が貴方をちゃんと」

 綺麗な亜麻色の髪を撫でつけて、穏やかに眠る青年に莞爾と微笑んだ。

 この世には二種類の人間が居る。
 助けて欲しい人間と、助けて欲しくない人間。

 そしてもう二種類の人間が居る。
 助けたい人間と、助けたくない人間。

「もう、助けたくないものね。そうだよね。わかるよ」

 私だって誰にも助けて欲しくないと謂う父を愛してた。心配していないのではない。心配させて貰えなかった私の事を、きっと貴方はよく知っている。


2013.03.28

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