咎人になる為のレッスン
そこは五階建てのアパート。エレベーターなんてなくて、鉄製の階段をかんこん、かんこんと、住人がリズムよく上がる音がいつも聞こえる。夕方になると赤い日差しが差し込む。ワンルームに小さいシングルベッドがひとつ。部屋はごちゃごちゃしていて、壁には車のナンバープレートを模した飾りと子どもの頃からファンだったリバー・フェニックスのポスター。少し錆びてる鉄製の、ロックな感じの時計。
窓の向こうはレンガ造りの似たような建物。私は眠っている。私達はいつも眠っている。
かんこん、かんこん、
いつもの音でうっすらと意識が戻る。私をぬいぐるみみたいに抱きしめてる彼の腕の重さを改めて感じる。彼の抱きしめ方は性的なそれを感じさせなくて、私は安心する。
ぬいぐるみみたいに、子どもみたいに、湿ってない感情がそこにはある。
眠い。とてもとても眠い。アパートはいつもと変わらない。此処は平和で怠惰だ。ちらりと時計に目をやる。
時刻は夕方の四時半。そろそろだ。
きっと窓の下を眺めれば、あのかっこよくてかわいらしい、アルファロメオのジュリエッタが停まってる。その前で男の人が退屈そうに煙草を吸っていて、数分すると向かいのアパートから彼女らしい人が「お待たせー」と綺麗なブロンドを纏めて車に乗り込む。私は密やかに、その女性をジュリエッタと呼んでいる。ジュリエッタに乗ってる彼の彼女だから、そのまんまジュリエッタ。『ジュリエッタ』は今日も身だしなみに気を遣いすぎて、少し遅刻したようだ。
男の人は煙草を消して、車を出す。
ああ、いつも通り。
「眠い」
少し重く感じる彼の腕を退けないまま、私も彼を抱きしめる。それは人形にするのと同じ。ぬいぐるみにするのと同じ。ひなたぼっこをするのと変わらない、乾いているけれど気持ちがいいこと。
彼の胸からは彼が好むベストの布の香り。首筋からは彼の皮膚に浮かんだかすかな皮脂の香り、長い腕は私を抱きしめながら交差したまま。
かんこん、かんこん、こん、こん。
階段をあがったり下りたりする音。私を目覚めさせたそれが今度は眠りを誘う。
――あら、おでかけ?そうよ。いいわねえ若いひとは。おばさんだって若いわ。あら、ありがとう、ふふふ――
大きな会話はよく聞こえる。でも全然不快じゃない。私は安心する。
真っ赤な夕日。素敵なアルファロメオの彼と彼女。階段の音。乾いた抱擁と、寝息と、彼の香り。梳いてみれば、陽に透かれた彼の金髪はまるで綺麗な光の糸。
ああ、なんて素敵な一日。
――私はこんな日々をとても愛している。
2013.0911
title hakusei
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