独り世界で息をする
歌を食べて、文字に酔う。耳元でわらうエレクトロニカは怠惰に音揺れしている。
僕はリーズナブルな人間だ。物を選ばないんじゃなくって、選んだ結果安くて(おまけに気に入った)ものが好きになれるんだから幸福だろう。
空腹だけれど、ソファで寝ている貴女を見たら料理をするよりその寝顔を見ている方が幸せなんだろうなんて思ってしまった。だからガールフレンドにも叱られるんだろうね。
ソファで寝ているのは、僕の叔母だ。十五歳離れている。わけあって、母と暮らせなくなった僕を引き取ってくれたひと。
「貴女が幸せでなければ、僕も幸せになれないから」
おさないとき、僕はそう叔母に願った。
「僕はもう、じゅうぶん」
彼女の、ゆるいウェーブのかかった茶髪をすくう。厚みのない、薄い髪だ。はらはらと頬に掛かっていて、毛先がやわらかい肌を刺してしまうんじゃないかと、乙女みたいな心配をしてしまうことがある。
歳をとり、二十歳近くなって僕は気づくことがたくさんある。
まだ若い叔母が僕を引き取るという決断がどれだけ勇気が必要だったかとか、彼女がいかに男前な(この表現はいかほどかと、自分でも考えてしまうけれど)女性だったかだとか。
でもそんなのは些末なことなんだ。
女性っていうのは、なんていうかシビアだね。僕は女の人が冗談を言い合ってるのを聞くと、時々背筋がぞぞっとするんだよ。だってあれ、笑えないでしょ。彼氏のこと、ドリーミングな思考回路を完璧に排除して分析してるの聞いてると他人事じゃない気がしてくるんだ。
「逃げないで。ちゃんと頭使ってよー」
これは、この間恋人と喧嘩した時に僕が言われた言葉。
「考えて。しあわせになる努力を、怠らないで」
僕はリーズナブルな人間だ。
選んではいるけれど、手ごろなところで済まそうとする。そしてそれを好んでしまう。
普段温厚な彼女は中学のころからの付き合いで、昔から痛いところをついてくるひとだった。
歌を、食べる。耳から入る色んな人の色んな感情は、僕を満腹にさせる。辟易したりもする。もうおなかいっぱいなんだ!でもいらないんだって言えないのが僕。
文字に酔う。滑るすべる、羅列。めまいがする。初めてのんだ酒の味が、その本を読むたびに滲む。
ベタな打ち込みで奏でられるエレクトロニカが、好きだと笑う。ただその好意に甘えたくなる。
ぼんやりと泣かせてしまった恋人の顔を思い浮かべる。いつまでも、付き合せて悪いなと思う。そう思う癖に彼女を手放そうなんて思った事は、一度もないんだ。
欲しいと思うものはたくさんある。しかし、それらは替えがきくものばかりで、僕は代替品で満足してしまう。舌触りの悪い、ざらつく冷凍チャーハン。安物のあまったるい缶コーヒー。わかりやすいチープな映画。
粗悪品だというひとは沢山いるけど、でも僕は好きだと、思う。
ああ、でも。でも。
彼女たちは違うとおもう。粗悪品でもなく、代替品でもない。自分できちんと選んだ。たとえ彼女たちから『要らない』と言われてしまっても、僕は同じように『じゃあ、僕も要らない』とは言えない。
「僕も、そうだといい」
かわりのきかない、だれかの、なにか。
そう願ってもいいだろうか。叔母に問うてみたくなったけれど、やめた。
恋人の顔がうかぶ。
「『逃げないで、考えて』」
自分で決めて。あのこはたぶんそう言うだろう。
「僕のかわりはいない、とか」
そんな陳腐な言葉笑ってしまう。
人はみんななにかの代わりをして生きているのだ。
でも
それでいい。それがいい。そうだといい。
だぶんそんな風に考えることくらい、僕にだって許されるはずだから。
(考えるの、向いてないんだ)
思考に意識を傾けようと、僕は世界を音に沈めていた、優しくわらうエレクトロニカのイヤホンを外した。
エレクトロニカはきっともう、わらわない。
title:彼女の為に泣いた
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