うそをはくひと

 笑う事を忘れた彼女の庭は、満月の夜のように明るかった。煌々と輝く月光を反射して池の水鏡がきらりと光る。笑わない彼女が幸福であるように、僕はその池に小さな金魚を放した。

 あの金魚が大きくなるにつれて彼女はゆっくりと死んでいくだろう。笑う事を忘れた彼女は「嗚呼、私、いずれ死ぬのだわ」とやはり笑わずに言う。だから僕もそうなのだな、と思う。
 
 水鏡にうつる無表情な彼女の影を、金魚が縫うように泳いでいく。生気の失せた頬を金の色が撫でていた。冷たく冷えた指先を池のほとりにひたして彼女は囁く。

「嗚呼、わたしも金魚になりたい」
 僕は応える。
「そうかい。金魚になれば君は笑えるようになるのかい」
「いいえ――でも、きっとそう」
「そうかい。じゃあ、君が金魚になれるように僕は祈っていよう」
 僕は彼女が金魚になったところを想像した。きっと尾鰭の長い、優美なる、しかし弱い金魚であろうな、と思った。
「嗚呼、私が金魚ならば、どうか貴方は月に成って下さい」
「何故月何だい」
「月がでるでしょう。そして池の水を冷やすわ。月の光で、冷えた夜で、私は泳ぐの。それってきっと仕合せでしょう」
「そうかい。そういうものかい」
「いいえ――私が勝手にそう思って居るの」

 笑う事を忘れた彼女の庭は栄えていく。僕は花を植え、池に金魚を放し、植木を整え、石を積み上げる。
 夜空を見上げる。彼女が池に沈む時、僕は月に成れるだろうか。
 そんな莫迦げた話である。



題名:彼女の為に泣いた

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