シンプルベイビー(2)

「ジンは今まで人と関わろうとしなかったでしょう。どうしてあの子を引き取ったの?」

ある人が僕にそう問うた。僕はなんて答えただろう。ただ曖昧に笑っただけな気がする。


『レディ 推定8〜10歳。
ヘブライ語に近い発音の言語を喋るが、けしてヘブライ語ではない。そして方言でも訛りでもない。発見時彼女が来ていた服や持ち物から、富裕層の娘ではないかと思われる。
なんとか彼女の本名だけでも聞き出そうと試みるが、どうやらわからないらしい。』

僕はそこまでをパソコンに打ち込んで、傍でテレビを見ているレディを観察しようと試みた。

僕が彼女と暮らし始めて改めて感じた事は、言葉が通じないという事はさしたる障害にならないということだ。レディはくるくると表情をかえ、身振り手振りで意思を伝えてくる。僕はやっぱり曖昧に笑いながら、返事をする。
レディはホットミルクがお気に入りなようだった。僕が教えたミルクという言葉だけはきちんと覚えているけれど、他の言葉はわかないのか覚えようとしない。

「ミルク……リソ」

とんとん、とノートの上でペンを叩きながら、僕は彼女の言語解析に勤しんでいた。
どうやら彼女の言語でミルクはリソというようだ。
いくつかの辞書や言語学の論文、インターネットを使って該当する言葉がないか調べてみたりもするが、今だレディが話す言語が何なのかわからずじまいである。

「『ジン』」

はっとする。レディの大きな瞳が幸せそうにきらきらとこちらを見ている。

「なんだい、レディ」
「『ジーン』」

ぎゅうと僕の腹あたりに抱きついて頬ずりするレディは、やはり愛らしい。

「君は僕を好いてくれてるの?物好きだなあ」

僕は二十五年間、愛なんて知らずに生きてきた。なぜって、僕は人を愛する事はしてこなかったし、他人に関心を示さない人間を好いてくれる変態なんていないと思う。
親は早くに亡くしたし、養父母は僕を金ヅル程度にしか思ってないだろう。幸い、僕は金には困ってないので適当に金を振り込んでる。そうすれば彼等は僕に無頓着だから。

レディの綺麗なブルネットの髪。綺麗な光沢のある浅黒い、肌。

きゅうと抱きしめてくれる小さな手を、身体を。抱きしめ返す事はしなかった(だって僕は打算的すぎる)それにこの愛情に飢えている子供ひとり、抱きしめなければ生きていけないほど弱くもない。

「『ジン、ミルク』」

笑うレディの無邪気さに、僕は仮面のような笑顔しか返せない(ああ、早く、この子の言語が知りたい。何語だろう?ヘブライ語由来?消滅した言語の復活?そういえばあの国の先住民族はかつて似たような言葉をーー)僕の脳味噌は言語のことでいっぱいなはずだから。

僕は、愛には飢えていない。

ーーどうしてあの子を引き取ったの?

僕はレディ自身に興味があるのではない。彼女の話す言語に用があるだけだ。

「おいで、キッチンに行こう」

彼女の手を引いて、今はキッチンに行こう。小さなこの子でもできるように、簡単な、ホットミルクの作り方を教えてあげる。
僕にはそれしか出来ないはずだから。

きっと、永遠に。

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