君の声を聴きたいだけなのに

 知っていたのは、もうここには歌がないこと。
 知らなかったのは、すでに私が壊れていること。
 最後に残ったのは、ただ喚くことしかできないわたしの喉。



 私と彼は食物の摂取を必要としない生き物でした。人間が進化したからでしょうか?それとも私と彼だけがそうなのでしょうか。排泄も必要ありませんでした。何も食べないということはそうことなのでしょう。
 私と彼はじっとりと暗いこの部屋で一生生きることを決めていました。

「リーザ、今日花を買ってきたよ」

それでもふたりだけではいつか飽きてしまうかもしれない。そう言って彼は花を買ってきました。鉢に植えられた、真っ白な花ですがこれは『生きている造花』です。今は自然界に生身の花なんて存在しないのだそうで、私はこの自然豊かな国がほとんど生きてる造花のサイクルによって栄えているのだと知りました。

「素敵。すてきね。この花の香りだけで酔えそう」

(そう言ったのは嫌味ではなくて、本当に甘ったるくて芳醇な美酒のような香りだったのです。)

「あと二年咲くんだって。僕たちのが先に死んじゃうね」
「そうね」

 私たちは百年経つと死んでしまいます。老いることなく、若さの盛りのまさに青春時代を過ごしたままの姿であっさりと、死ぬのです。(この時彼はあと数日で百歳。私は九十八歳でした。)

「リーザ。歌を歌ってくれるかい?」

 微笑む彼はいつもいつも真っ白なシャツを着ていました。それはほがらかな彼の微笑みにとてもよく似合っていたように思います。

「歌ね。いつものでいいのね?」

 眩しいばかりの白に私は微笑みました。

 彼のご所望で私は時々歌をうたいます。今ではもう廃れてしまった昔々の歌。歌詞すら忘れられたその歌を、私はららら、ららら、と歌いました。私が歌っている間、彼は瞳を閉ざしただその曖昧な旋律を楽しんでいるようでした。

 外の世界のことはあまりよくわかりませんでした。時々、花を見て、時々、陽にあたる。ただそれだけで。生きる為に何かをする必要のなくなった私たち『進化して廃れた人間』は皆こうして、たいていの時間は家で愛する人と過ごしているのかもしれません。

 私たちの部屋は蒼い蒼い部屋でした。石造りのせいで中世のお城のようですが、広くはありません。夕方、夜、石の壁はただひんやりと蒼く黒く。私たち二人がくるまるシーツだけが真っ白でした。





 さて、そんな風に過ごしているうちに数日が経ちました。彼は私より二歳年上だったので当然私より先に死ぬわけです。あと五分できっかり百年生きたことになる彼は、最期をどんな風に迎えるか悩んだ末に、あの真っ白なシーツの上で真っ白なシャツを着て、傍らに寄り添う私をそっと抱き寄せて、静かに眠りに落ちました。

 暖かった身体がだんだんと冷たくなるのを直に感じて、それでも私は彼と離れたくないと思いました。おやすみ、おやすみ、ありがとう。そんな言葉すら出で来ない。喉が熱くて喉が裂けてしまうんじゃないかというほど泣き叫びました。

 冷たい身体をしたこの人は私のあいした人で、私があいしたひとの元へ行けるのは二年後で。

 さんざん泣き伏してようやく起き上がれた数日後、ふと鉢植えの白い花が目に入りました。彼が買ってきたあの花です。

 嗚呼、と私は漸く気づくのです。ほんとうに私は鈍かったのだと。

 彼のように白い、あと二年生きる花。私が死ぬまでのあと二年、彼はこの花をみて生きて欲しいと願ったのでしょう。

 ららら、ららら、

 泣きわめき、枯れ果てた声はろくな旋律を紡ぎ出すことができませんでした。

 私はあと二年生きて、そして知るでしょう。
 このあたたかい泥に沈むような幸福を。そしてこの世界がなくしたものを。

 嗚呼、今既に知っているのかもしれません。


 知っていたのは、もうここには歌がないこと。
 知らなかったのは、すでに私が壊れていること。

 最後に残ったのは、ただ喚くことしかできないわたしの喉。

 そしてもう二度と、あなたに愛してると言えない私の声。


130114
title hakusei

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