傍観者たる傲慢

 さて、互いの一人称にて語られたこの物語は僭越ながら私――楓の語りによって終わりを迎える。
 私は凪の腹心にして友人である。故に、この二人のその後を承知している。

 私の調べによれば友が『姐さん』と呼んでいた女性作家はその後ふらりと姿を消し、私が辿りきれた所までの情報によれば、まだ筆を持ち多くの愛好家のいる作家のままである。
 彼女の書く話は人死にこそは少なくないものの、その文面から滲みでる狂気はどこか薄まったように思う。私の友との出会いが作家である彼女にとって良いものであったかは――彼女自身が決める事ではあるが――私としてはどうにもやりきれないものがある。
 毒気を無くした彼女の文を好いてくれる者がこれからもいると良い。

 そして私の友にして主はその後、彼の父の勧めで父の義兄弟の娘を嫁にしてはどうかという話がでている。私としては僥倖な話である。ふらふらと情けなく優しく、凶暴にして、そしてどうしようもなく残酷なこの友人の楔になってくれる人がいるならば――と随時願っていたからだ。
 が、凪はどうにも乗り気ではないようで、長くは続くまいと私は思っている。なぜなら友は――凪はその娘をそっと箱にしまうように大切にしているからだ。
 大切にしてはいるが、それはあのいつぞや殺した女……小春といったか。それにしたのと変わらない扱いなのではと、私は思っている。というか、そうだ。
 それでも以前に比べて必要以上の諍いを起こすことはなくなったように感じている。
 しかし腑抜けにはなっていない。ただし、時折ひやりとした冷たいものを纏うようにもなった。
 そんな時はいつも、あの人の事を想っているのだろう。

 さて。そして私の元にも客人が来ている。

「太一郎殿」

 目の前にいるのは『姐さん』とやらの長兄である。彼以外にも時折、手代やらなんやらと手の空いた使用人をいくつか寄こしては、彼女の様子を探りに来ていた。
 これは本人も凪も知るまい。
 そして彼女の家族たちも『様子を知る』以上の事を私に要求しなかったので、手隙の際に少し手伝ってやった。

「楓殿、これまであの子を見守って下さりありがとうございました」

 長兄は武骨な指先をきっちりと伸ばし、畳に手をついて頭を垂れた。
 しかし指先も声も震えはしない。慇懃な態度をとっていても、しょせん私も極道者である。しかし臆さないこの男の胆の据わり方は――あの女性のそれと同じだった。
 まっすぐで、美しく。しかしどこかひやりと俗世離れしている。

「あの子が此処を離れた以上、手前どももそちらに人をやり、また見守っていくでしょう」

 顔を上げた太一郎殿はにこにこと商人らしい人好きのする笑みを浮かべる。

「いえいえ、大した事はしていません。私は見守っていただけです。貴方方と同じように」
「では――お礼を――」
「いえ、本当に良いんです。ひとつ、教えて頂ければ」
「はて、何でしょう?」
「なぜあの方を連れ戻さないのですか?」
「透子ですか?」
「はい」

 居場所もわかっていて、なおかつ極道と良い仲になるなどと――さぞやひやひやするだろうに。まして、彼女は大店のお嬢様である。

「手前はあれを自由にしてやりたかっただけです」

 彼女の兄はすっきりと言い放った。

「あれの事は両親もいたく心配はしていました。次兄があんな死に方をしたもんですから、まあ当たり前ですけど」

 瞳を伏せ、そして、

「最初は連れて帰ろうと思いましたよ。でも、ねえ――」

 彼はぐしゃりと、顔を歪める。笑い損ねたような、泣き損ねたようなそんな表情だった。

「あんなに幸せそうなあの子は、初めて見たんですよ」
「そう、なんですか?」
「最初は失礼ですが――極道なんてと思っておりました」
「まあ、そりゃそうですよねえ」

 当たり前なので腹も立たない。正常な感性の持ち主で安心した。

「昔から捻くれた、妙な雰囲気のある子でした。何があったのかまではわかりません。問うた事もありましたが、あれは頑として口を割らんのです。お転婆で、はっきりと物を言い、それでもどこか陰がある。そんなあの子が――恋をした」
「恋、ですか」

 なるほど。
 確かに互いにややこしい関係であり、ややこしい感情ではあったがあれは恋だったのだ。

 互いの存在を確かめ合い、其処にいる事を確認し、触れては名を呼んで。
 そんな拙く――幼い恋。

「それにしてもあの子らしい、苛烈で陰惨な恋だったのでしょうなあ――」

 ははっ、と笑いながら太一郎殿は軽く言ってのける。さすがあの女性の兄。

「死ぬだ、生きるだ、殺すのだと――あれはそんな愛し方しか知らない。それでも」
「それでも?」
「幸せそうでした」

 あくまでこれは兄である彼の主観である。
 そしてふと、次兄が妹に恋をしていた事をこの男は知っているのかもしれないと、私は思った。
 それならば積極的に連れ戻さない理由もまた頷ける。

「あれは聡いようで莫迦でしてな」
「ふふっ」

 思わず噴き出してしまった。この人、面白い。
 あの女性は確かに――

「莫迦ですよねえ。でもそれはうちの凪も同じです」

 そう。あんなにややこしい事をしなくとも、恋だったのだ。

「妹は自分が恋をして――やがて本当に気持ちを内側に留めて置けないほどに、人を愛した。そんな事もきっとまだ知らないままだ」
「ええ。でも、だからこそ、希望もあります」

 だって、その感情は一度は表に顔を出したのだから。

 私は、これからも見守るだろう。
 友人とあの人を。
 最初はあの女性はどうかと考えていた。危険な人だとも思った。実際、そうだった。
 でも、友が心から愛したのならば――どうだろう。

 あの女性は『他人を幸せにしようなんて思い上がるな』と凪によく言っていたようだが、思い上がり上等、私は凪の友だ。
 私は友には幸せになって欲しい。
 そしてそれは目の前にいるこの男もそうなのではないだろうか。

「『願わくば暗きこの世の闇を出でて紅き蓮の身ともならばや』って知ってます?」

 凪が訊いてきたので調べただけだ。私は歌はそこまで詳しくない。

「ああ、和泉式部ですな」
「そうです。『この世にひとりで残されるくらいなら、一緒に死にたい。貴方と一緒に同じ紅い蓮に生まれ変われるならば』そんな意味です」
「ほほう」
「昔の人は良く言ったもんですね。墓が、死が、すべての終わりの場所だとは――少なくともこれを歌った人は思わなかったんじゃないですか」
「はあ……」
「輪廻なんぞ、私は信じていません。生きてまた巡り合うのが一番に決まっています。でも色んな可能性がある」

 でしょう?と問えば、太一郎殿が頷く。
 だから私は続ける。

「あだしが原の道のさき、何があるかなぞ誰にもわからない」

 私は笑う。
 そこで終わりか、始まりか。
 それを決めるのはまた別の話なのだ。


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